奇怪な愛情に熱が灯る
今日辺りにでもこっちから顔を見てやろうという気はあった。だが家の前で待ち伏せていた未礼紗那のみならず、マキナが学校で待ち伏せをしているとは。なんて時と場所を弁えないキカイだろう。糸の負荷など知った事じゃない。この学校には一触即発間違いなしの二人が存在している。
「あ、有珠希ッ! 調子はどう?」
「ばっきゃろおおおおおおおおおおおおお!」
負荷などぶっちぎって、大声をあげる。先程まで寝起きのようなローテンションだったのに、突如として必死の形相で駆け抜けていった俺をクラスメイトや見知らぬ後輩はどう思っただろう。最終的な目的地が屋上と聞けば猶更首を傾げそうだ。
「おまおまおおまおまおまおま…………何してんだポンコツキカイ!」
「うん、元気そうねッ。何か馬鹿にされた気がするけど、聞かなかった事にしておくわ」
「馬鹿にしてんだよ! 何でこんな所に居るんだッ? 言いたい事色々あったけど吹っ飛んだよ何でここに居るんだッ!?」
制服に着替えていたなら状況説明は不要だった。マキナにも何かやりたい事があったのだろう。例えばあのメサイアの人をこっそり排除してくれるとか。
そうであってくれるならここまで怒らなかったし、むしろ冷静に理由を求めるだけで済んだ。
実際は白いダッフルコートに黒タイツを履き、如何にも外出の衣装と言わんばかりの―――または学校に相応しくない格好だ。
「……………………お、お前、なあ」
破壊的に可愛くて、糸とかどうでも良くなった。むしろ今は視界を遮って欲しい。どんな色の糸が増えてもマキナにだけは一本たりとも繋がらないせいで本当に目立つ。
屋上で潜んでいるつもりだったのだろうが、俺からすれば迷彩率ゼロパーセント、スポットライトでも当たっていたのかというくらいにその存在は明らかで、心底肝を冷やした。未礼紗那が気づかなかったのは奇跡に等しい。
「何でって……理由が必要なの?」
「…………要らなくても良いけど、突然すぎる。どうしてここなんだよ」
「私も悩んだのよねー。家に行くかここに行くかで。分かったわ、有珠希に怒られるのも嫌だし、次から自宅に行く事にする!」
飽くまで自分が怒られているという立場を理解していないキカイを屋上の奥に誘拐。今度こそ何かの間違いで目撃されたら最悪だ。
「有珠希?」
「ごめん。俺が悪かった。自宅には来るな。マジで話がややこしくなるから。もうどうしようもない、ただでさえメサイアにストーカーされてんのにお前まで来たら収拾がつけられない。それならまだこっちの方がマシだ」
「貴方って時々我儘よね」
自分の事を棚に上げて何を言うかこのキカイは。
「で、用件は何だ?」
「……? ねえ、用件はないって言ったばかりなんですけど?」
………………。
「マジで用もないのに、来たのか」
「…………もしかして、迷惑だった?」
出来るだけ冷静に聞いたつもりだったが、これではまるで突き放しているみたいだ。マキナが眉を八の字に曲げて俯き気味に尋ねてきた。その態度は、普段の彼女を知る俺としては引っかかる物がある。短い付き合いだろうと言われたらそれまでだが、流石にもっと強気だった筈だ。
「……迷惑、じゃない。驚いただけだよ。だからそんな……悲しそうな顔するなって」
「え、そんな顔してたかしら? うーん……でも、そうね。うん。有珠希に嫌われるの嫌だし、悲しかった……のかな?」
「はあ?」
「何でもないッ。さっきは用件はないとは言ったけれど、あれ語弊があったわ! 有珠希、トリックオアトリート!」
「は!?」
一日に二回も不意打ちを仕掛けられた男の気持ちを答えよ。配点十点。
当然、お菓子なんて持ち合わせていないし、そもそもマキナと会う予定も大分早まってしまった。この突然のハロウィンは分かっていても避けられない。
「俺、帰っていいか?」
「あれぇ~? おっかしいなあ。今日は皆でこれを言うんじゃないの? お菓子をくれなかったら悪戯だっけ? もしかしてお菓子持ってない? 悪戯していいのッ?」
攻守交代。屋上の端に追い詰めていた筈のマキナは直ぐに体勢を入れ替えて俺をフェンスに押し付ける。月の瞳は生に満ちた無邪気な輝きを放ち、その淫靡な口元はどんな悪戯をしてやろうかと楽しそうに微笑んでいた。
「ストップ! ストップ! まていまてい。悪戯の前に―――二週間、何してたんだ?」
本当はもっと後に聞くつもりだったが、緊急脱出的にこの質問をぶつける羽目になろうとは。取引相手として無断で消息を眩ますのは信用に関わる問題だ。毎日毎日部品を探せとは言わないが、一言くらいの連絡は欲しかった。
大丈夫だろうとは思っていても、やはり心配だったのだ。俺にはどうしても、彼女がキカイではなくて女の子に見える。どんなに強くたって、女の子は守らないと。
マキナはぴょこんと髪の毛をアンテナのように立てて、足を止めた。
「ん。そう言えばそうね。そこは謝るわ。結論から言うと、情報収集してた所。『存在』の規定を持ってた泥棒さん、おかしな事言ってたでしょ?」
「ああ、おかしな事って言うか、明確にお前の部品を持ってるっぽい奴だよな」
「―――そうなの。普通のニンゲンには視えない筈。貴方みたいに因果を介してとかじゃないと。だからどうやって集めてるのかが気になるのよ。あんな感じで渡しちゃうなら一つだけ持ってるって感じでもなさそうだし」
「探すなら俺も居た方が良かったんじゃないか?」
「それが、定期的にメサイア・システムからの襲撃があってね。私、それで怪我しちゃって!」
「何?」
マキナは飽くまで気丈に振舞って、何なら茶化している。だけれど俺には我慢ならない話だ。完全なる黄金比が、或いは美を模したその身体に傷を入れた事。
「見せろ」
「え? ……見せろって。いいわよ別に。大した怪我じゃない―――」
「見せろって言ってんだ!」
肩からマキナを押しのけて抱きしめるようにその場で押し倒す。彼女はやや嫌がっていたがコートを脱がせてインナーの裾からめくりあげるように腹部をむき出しにすると、ようやく抵抗を諦めた。
そこには『強度』の規定で疑似的な包帯になった鋼鉄が脇腹を覆っており、出血こそないが普通の人間はこれを健全な状態とは言わない。
「ちょ、ちょっと……有珠希ぃ。は、恥ずかしいんだけど」
「おい。気になる事がある。ていうか気にしてなかった。『傷病』の規定は回収したんだろ? なら怪我なんて負わない筈だ。何があった?」
「……えっと。何処から説明したらいいのかしら。『傷病』の規定は確かに便利だけど。規定はルールで、飽くまで基準を弄ってるだけなの。前も説明した事だと思うけど、だから振れ幅の一番上と下まで弄る事は出来ないっていうか……あれは要するに身体が傷病とみなすまでのラインを弄ってるだけだから、確かにそれで耐性を得る事は出来るだろうけど、傷病とみなさなければいけない部分も存在するのよ。なんか、そこを突かれたみたい」
「…………大丈夫なのか?」
「今は大丈夫だけど……いつまで有珠希はお腹見てるの?」
「え。あ…………悪い」
手を離して、ついでにマウント状態も解除する。マキナは服の乱れを手で直すも、面倒だったのかコートの前面は開けたままだった。マキナは恥ずかしそう(嬉しそうにも見えるのは気のせいか)に頬を染めて咎めるような視線をひたすらに向けている。
「……悪かったって」
「えっち」
「だって怪我負ったって言われたら誰だってそうなるだろ! ていうか怪我人がほっつき歩いてんじゃねえ! 今すぐに帰れ!」
「せっかく有珠希に会いに来たのに、嫌ッ。」
「帰れ~!」
頬を掴んで思い切り引っ張っているが、マキナの身体は柔らかく、必要以上に伸ばしてもまるで痛みを感じていない様だ。むしろ彼女は面白がって、引っ張られながら笑っている。
物理的な手段に講じても意味がないと判断。一度冷静になって、俺は手を離した。
「……ま、まあとにかく。帰った方がいい。帰れよ。俺は弱いから、お前が無事じゃなくなると命が危なくなるんだ」
「何よ何よ。用もなく来るのはいいって言ったり帰れって言ったり。有珠希のバカ! バカ、バーカ!」
「言ったなお前。馬鹿って言った方が馬鹿だよバーカ! ばーか! ばーああああああああ!」
文字通り、馬鹿の一つ憶えな罵り合いはチャイムが鳴っても続いた。それはやがて単調になり、敵意はなくなり、笑い声となり。俺達は自分達でも理由が分からなくなるくらい、笑っていた。
「…………はあ。で、私、何しに来たんだっけ?」
「知らん。どうでも良くなってきた」
HRなんて聞いても無益な話しかない。それならマキナと話している方が楽しいし、その一点で非常に有益だ。言い争っていた筈なのに気が付いたら屋上のベンチで互いが互いにもたれかかっていた。
「あー思い出したわ。私が怪我してるから帰れって有珠希が言ってたのね」
「おーそんな話だったな。分かったらさっさと帰ってくれ」
「そうしてあげてもいいんだけど、有珠希にエッチな事されたまま帰るのもなんかなあって」
何者かの力が働き、居住まいが正される。俺に寄りかかっていたマキナがあわや転倒しかけるも何とか自力で身体を戻した。
「わ、悪かったよ。お腹見たのはホント。ごめんって」
「それはもういいの。私が言いたいのはどさくさに紛れて胸を触った事よ!」
―――へ?
言いがかりだ、と第二ラウンドを開始したかったが、もうそんな体力はない。己は後数年もすれば二十歳になる老齢故、そのように無鉄砲な体力までは持ち合わせていないのだ。一旦ムキになりたい気持ちを抑えて先程の状況を俯瞰すると―――――うん。
触ったわ。
具体的には、服をまくり上げた時だ。お腹だけを見るつもりだったが、勢いよく捲ったせいもあるか。マキナの胸に下から塞がれた結果ああなったのだ。これがもし妹のような貧乳だった場合お腹どころか全部まくり上げていた可能性がある。だからセーフ。
な訳あるか。
「ニンゲンの身体って変な機能がついてるの。有珠希の手が当たった瞬間、全身に火がついたみたいに熱くなってね。貴方から奪った心臓も凄く早くなって、もう頭がどうにかしちゃいそうだった! だから普通の謝罪じゃ許してあげないわッ。で、どうする? どうしてあげましょう! うふふ♪」
無理難題を吹っかけられて順調に人生が詰んでいる男がいるらしい。マキナはわざとらしくもじもじしながら、俺の反応を窺っている。悪戯っぽい笑みの良く似合う、幼い笑顔。さりとてその美貌は、小悪魔では済まされない光輝に包まれていた。
「―――待て待て。お前、論点をズラしてやいないか?」
「え? 何処が?」
「発端はお前が怪我をして帰るか帰らないかって話だ。胸がどうとかじゃない。この話に俺が付き合う道理はないんだよ。だってお前が帰ればいいんだから
「……うーん? 言いくるめられてる?」
「違う。じゃあこうしよう。正直お前と出会ったら色々話したかったんだがそれはもう後回し。お前が怪我したって事実で俺も混乱したし、怪我させたまま無理はさせられない。今日の放課後、何があっても看病しに行くからそれで家に帰って欲しいし、ついでに許してくれ」
「…………カンビョウ?」
聞き慣れない言葉を聞いたと言わんばかりに、マキナはまん丸い瞳をぱちぱちと瞬かせていた。今更外国人のように振舞われても、言語に関して堪能である事は疑いようがない。少なくとも日本語は問題なく通じている。
「……看病って、誰が?」
「俺だよ。何でこの文脈で誰か出てくるんだ。言っただろ。お前に怪我されてるとこっちも都合が悪いんだよ。鉄で馬鹿みたいに塞ぎやがって。絶対それより効果的な治療方法あるから待ってろお前は」
「有珠希、家に来てくれるの?」
「俺とお前が気兼ねなく会える場所ってもうそこしかないだろ。まあ―――でも。ここまで来るくらい元気なら看病とか要らないな。悪い、今の話無しって事で―――」
「その話、乗ったわ!」
自分でもきつい言い訳だと思って撤回しようと思ったらこれだ。
話の論点をずらしているのはお前の方だと言われただけで崩壊するような儚い理屈。マキナは当然気が付いていただろうに、彼女は何故か承諾した。またも頬を染めていたが、今度は確実に喜んでいた。
「何で気が付かなかったのかしら! 私が弱れば有珠希が来てくれるなんて考えもしなかった! するとあれよね、毎日怪我をすれば毎日来てくれるのかしら!」
「それは、やめろ! ていうかいらねえだろそんな元気なら!」
「ううん、私ぜんっぜん元気じゃない! 今にも死にそう! 有珠希の顔を家で見たら良くなると思うわッ?」
想像以上にこのキカイは調子が良かった。呆然としてしまって言葉も出ない。まだ追及するべき場所は残っていただろう。
何せマキナは常識を知らない。要するに下着を着けていなかった。上が無いなら下だってないだろう。キカイだから衣擦れがどうとかそういう繊細な事情を気にしていないのだと思われる。
つまり俺は、生で触ってしまった訳で。
不可抗力なら猶更、強請りをかけるというなら徹底的に強請った方がリターンが高い。だのにこのキカイは『それで満足』と言わんばかりに、話を打ち切った。
「じゃあ私、帰るわね。約束守らなかったら、ひどいんだから」
「―――温情のつもりなら、有難く受け取る。流石にこれは守らないと人間としてどうかしてるしな。その代わり大人しく寝てろよ。約束を破ったらこっちだって破るからな」
「ええ。大人しく眠る事にするわ。夢は見ないけど、起きたら有珠希が居るって考えたらそれも楽しそうッ」
マキナはベンチから立ち上がると同時に身体を宙で翻してフェンスに着地。
「絶対絶対。来てよね」
最後まで笑顔を崩さず、楠絵マキナは去っていった。去り際、自分の胸を触って、ちらと俺を一瞥する。
「…………あー。怒られるかな」
時計を見なくても分かる。
一時限目が始まった。
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