高鳴る心は女難の始まり

「兄さん? みそ汁はお口に合いますか? お母さんと味付けや具材は変えてあるのだけれど」

「……いや、美味しいけど。んーと。何だろうな。やっぱり違和感が否めないな。この状況が」


 


 何故俺は自分の部屋の机で、妹と二人きりの朝食を食べているのか。



 前触れのない行動に応じるような男ではないと自分でも思っているから、状況自体は理解しているし応じたからこうなっているが、それにしても今までリビングで食べていた経験は覆せない。可愛い方の妹こと牧寧は耳に掛かった髪を掻き上げつつ困ったように口をすぼめた。


「ここ二週間だって兄さん碌に朝食を食べていないじゃありませんか。私、兄さんの行動に口を挟む気はありませんでしたけど、それはあんまりです。私のいない所で兄さんに働きかけるなんて」


 俺と仲直りしてから牧寧は自分でもびっくりするくらい笑うようになったらしいが、主観に過ぎない。両親や那由香もそれには気づいているが、主観は主観。牧寧が幾ら俺のお陰だと言っても、彼女を除いて俺に対する感謝などない。

 褒めてもらえたら仲直りなんて事にもならないし、そもそも感謝は期待していない。何かにつけて救世主ぶって、『俺は感謝したんだから俺を助けると思って』どうのこうのと言うに決まっている。文章がおかしい? 脈絡がない? 人を助ける事は正義であり、それが実行されるなら矛盾など気に留めるな。ここではそれが正しいのだ。

 そのくせ怒るのは一丁前で、度重なる夜歩きはしっかり咎められた。直すつもりは全くない。たとえ殴られる事になろうとも、マキナが俺を必要とする限りは必ず。


 ……ここ二週間は何もないけど。


 部品拾得者を露骨に狩猟したのがまずかったか。いや、それはおかしい。マキナは特に進展が無くても取り敢えず探そうとする筈だ。すると俺に会いに来ないのは? やはり俺から会いに行くべき? でも、会いに来るべきならそろそろ怒鳴り込んでくる筈だ。それすらないなら…………何?

「ですから、兄さんに朝食を食べてもらうにはこうするしかないと思いました。私の作戦は成功ですね」

「うん。まあそうだけど。結局お前は同伴してるよな」

「…………やっぱり、嫌いですか? 私も」

 泣きそうな表情で妹が箸を置いた。言い方が非常に不味かったと思う。ちょっとした冗談のつもりが全く通じなかった。伊達に半年も会話しなかっただけはある。いや本当に、弱虫の妹からどうして強気な那由香が生まれたのか。


 もっと言えば、何故最初に俺が生まれたのか。


 こんな異常者は。産まれてこない方が幸せだった筈だ。

「いや…………あのな。嫌いな奴と一緒に寝たりしないから俺。うん、言い方が悪かったよごめん」

「―――本当に?」

「嘘を吐いてるんだったら理由つけて朝食すっぽかすだろ。違和感があるだけで嫌な訳じゃないんだ。実際、朝食を食べるだけならお前と二人きりの方がいいよ」

「…………そうですか。そう言ってくれるなら嬉しいです。ふふふ」

 理由は分からないが、どうやら俺は妹に甘いらしい。溺愛しているという訳ではないが、弱い。赤い糸に繋がれた善人は基本的に嫌いなのに。何故だろう。この力に何か秘密でもあるのか、単純に血縁として嫌いには……いやあ、それだと両親が嫌いな理由について説明がつかなくなる。

 魚心あれば水心で勿論納得はするが、それだけではないような気がしなくもない。

「で、まあ俺はいいんだけど。お前はどうなんだ? 俺と違って家族の事が嫌いって訳じゃないだろ。そしたらやっぱ賑やかな方がいいんじゃないか。俺の心配はしなくても良い。朝食抜きは辛いが、何とかするさ」

「勝手に決めないで下さい。家族との団欒はいつでもできますが兄さんは毎日の行動も不安定なんです。最近はきちんとしたサイクルを組んでいるようですが、それでも夕食はそそくさと帰るでしょう。それに文句は言いません。兄さんが強制を好まないのは知っていますから。だからこそ私は、兄さんとの時間を大切にしたいと思っているんです」

 そう言ってもらえると、凄く申し訳ない気持ちになる。家族とは気の置けない仲であるべきだ。何故ここまで慎重な思いをしなくてはいけないのだろう。俺はともかく牧寧に申し訳が立たない。何度でも言わせてもらうが、今の所おかしいのは俺の方で、彼女には何の罪もない。

「兄さんさえ良ければ、これから食事も洗濯も全て私が担当します」

「いやそこまでしなくても…………いいよ。専業主婦じゃあるまいし。まだ中学生だろお前。これくらいでもやりすぎなくらいだ。気持ちだけ受け取っておくよ―――でも、あれだな。成長したな。昔は気を遣うなんて概念も知らなそうだったのに」

「もう! 一体何年前の話をしているんですかッ」


 とある部分は一切成長してないけど。


 言うのはやめておこうか。これ以上おちょくると泣き出す可能性がある。

「今日はハロウィンですけど、兄さんは参加しますか?」

「参加? ハロウィンって今となっちゃそういうイベントでもないだろ。クリスマスと一緒で期間みたいなもんじゃないか」

「ですから、トリックオアトリートと近所を回るのかと聞いているんです」

「回らねえよ。見ず知らずの家に菓子たかりに行く高校生が何処に居るんだ。あーでも帰りは遅くなるかもな。分からないけど」

「…………ご友人が、いらっしゃるのですか?」

「俺じゃなかったら酷い言い草だ。まあ友人って程でもない……友人って事にしておくか。そうそう、そいつと遊ぶかもしれない。それくらいだな」

 妹の料理は大変美味しくいただけた。やはり食事においてストレスがないのは非常に重要だ。味がどうとか見た目がどうとかそういう不評は浅い。あまりにも自分が幸福である事に気が付いていない。真のストレスとは盤外から訪れるものであり、どんな高級料理を食べても家族が傍に居る限り味覚は死ぬ。死ね。そういう規定。

「…………兄さん。トリックオアトリート」

「………………へ? え? いや、お菓子ないけど」

「そうですか。それでは悪戯させてもらいますね」


 

 ええええええええええ!



 慌てて逃げようとするも、扉の側に牧寧を置いたのが運の尽きだった。出口なんて何処にもない。妹はいつになく意地の悪い笑顔を浮かべて、俺に飛びついて来た。


「お覚悟を、兄さん? 兄妹水入らずの時間を心行くまで楽しみましょうね?」



















「………………行ってきます」

 早朝からげんなりとした表情を浮かべる男がいるらしい。全ての原因は妹にある。まさか遅刻ギリギリの時間になるまで全身を擽られるとは思わなかった。直ぐに済むだろうと高を括った俺も悪い。白い糸を切れば直ぐにでも止められただろうに、そのタイミングを逃したせいで笑い疲れた。

 妹の糸なんて切りたくもないけど。

「おはようございます、式宮有珠希君。何だか疲れているみたいですね。大丈夫ですか?」


 だから敵である筈の未礼紗那が待ち伏せしていても、大したリアクションは期待しないで欲しい。


「ええ…………マジかよ」

 溜め息と共に出たのは登校するんじゃなかったという後悔と、待ち伏せに対する侮蔑の眼差し。何をされるか分からなくて早速身体の震えが止まらない。今朝の気温は五℃らしい。

「何で待ち伏せてんだよ……趣味が悪すぎる」

「おや、随分な言い草ですね。しかし当然でしょう。式宮君。貴方は言っても聞きそうにないから、監視するんです。これからキカイとの接触は制限されるべき、もし何か困った事があったら私を頼ってください」

 早朝に見る制服姿はやはり目立つか。紺の制服は色調としては暗いものの、外が明るいとどうしても目につきやすい。尤も、そんな服などなくても俺の視界には赤と青と白の糸が蔓延っているから人間であるなら目立つ。

 「自分の立場を弁えろよ。何でそれが罷り通ると思うんだ」

「そう言われるのも計算済みです。だから少しでも信じてもらおうとわざわざ迎えに来たんですよ」

 来てあげた……とは言わないか。警戒心を持たせないように言い方を勉強したのだろう。マナーとしてなら気にしなくても良いが、個人的にむかつくので言わないでくれるのは有難い。

「……学生だから俺を待ってても怪しまれないって訳ですか。立ち回りがお上手ですね」

「褒める程の事でもないですよ。大変嫌われているようですが、それでも一番距離が近いのは私ですからね」

「まあ、他のメサイア・システムの人は知らないからな。知り合いもいない。欲しくない」

「そこまで頑ななのもどうかと思いますが。そうですね、こんな話題を出しても警戒されるだけなので変えましょうか。式宮君、どうもキカイに感情が生まれている様です。貴方は何か知りませんか?」

「…………は? 何を言い出すかと思ったら、アイツは最初からあんな感じだけど」

「は?」

 二人で同じ反応を繰り返して、場が静まり返る。話がかみ合わないのは立場の違いからだと思っていたが、これは……それですらない。

「最初から…………あんな感じ?」

「そうだよ。だから俺に聞かれても困る」

「馬鹿な。キカイは人を模しているだけで感情など存在しない筈。最初からおかしいと思っていましたが、本当に最初からおかしくて―――んん?」

「置いてけぼりにするなよ。何がどう変だって?」

「キカイに人間らしさなど必要ないという話です。どんな目的にせよ顕現したのなら、物理的な力で以て達成出来るのですから。例えば……部品を探しているとしましょう。キカイの部品は目には視えません。だから、人やモノを探す時のように聞いて回るのは無意味です。いいですか式宮君。人間とキカイには大きな差があります。人や動物を殺す事に何のためらいもない頭のおかしな奴が居たとて、その人もまた人間です。一方、キカイは人の皮を被った人っぽい別の生物……ああ、生きてませんでしたね。失礼」

 たとえ話のように振舞っているが、マキナと俺がどういう目的で繋がっている核らは把握されている様に思える。隠しても無駄だろう。発言に気を遣うだけ労力の無駄遣いだ。

「分からないんだけどさ。感情を持つ事の何がそこまで問題なんだよ。マキナ可愛いから……俺は全然歓迎なんだけど」

「か、かわ!? かわわわわわ………………! んっ、失礼。端的に言うと行動が読めなくなります。部品を奪われたら取り返す。これは機械的な行動であり、合理性に基づいています。たとえ罠にかける為だとしても全速前進、一直線に向かってくるでしょう。しかし感情を持ってしまうとそうはいきません。罠にかけたい事を見越して、私達の方から向かうまで無差別に国や町を破壊してしまう可能性もある。大変な問題ですよこれは?」

「…………アイツ、そんな事絶対しないよ。もししようとしたら俺が止める。だから問題じゃない」

「舐めてますね、キカイを。やはり一度怒りでも買って瀕死にならないと分かりませんか」

 学校に着くと、無数の糸が俺を歓迎してくれる。赤と白と、それから青。たった三色で紡がれる因果の流れは直視するだけでも強烈に負荷を掛けて、胃液を逆流させる。 

「…………さて、私は一度教室に鞄を置いていかないと。失礼します」

 未礼紗那が振り返りもせず先に行ったのは幸運だった。俺は口元を抑えて、俯いているのだから。

「…………う」

 殆ど毎日通っているだけに慣れているが、糸が増えたのは今日からだ。負荷は以前より格段に強くなっている。心にだけかかる重力というか、あまり永い間見ていると目が割れそうだ。

 押し潰されそうな呼吸を広げて、何とか上を見上げようとする。何故また糸をと思うかもしれないが、違う。糸の向こうに、誰かが立っている。屋上で何かが激しく揺れている。

 ぴょんぴょん跳ねて、手を振っている。







「ま、マキナ……?」

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