俺/ワタシのモノ

「ぐあああああ!」

 マキナの力を借りて白い糸を切ると、『存在』の規定が解除。黒ずくめの服を着たいかにも怪しい中年の男が姿を現した。マキナに掴ませるのは凄く不愉快だったので俺が首を掴んで、ナイフを突きつけている。

「な、何だよお前達……何で俺の事が見えてるんだ!?」

「さあな。大嫌いな視界のお陰だよ。何回消そうが俺にはお前がちゃんと見える。もう一回やってみるか? 時間の無駄だけどな」

「た、頼む! 見逃してくれ!」

「絶対に、嫌だ」

 仮に捕まっても最強の免罪符があるならと思っていたのだろうが、俺にそれは通用しない。所詮は人でなしのロクデナシ。むしろそんな事を言われたら許す気もなくなった。

「その力、私のなのよね。返してくれるかしら? 返してくれたら……両腕で勘弁してあげるわ」

「は、はあ!? いや、これは俺んモンだ! 俺が貰ったんだ!」

「誰に?」

「それは…………」

「そう。有珠希、適当に何処か刺してくれる? 大丈夫、治すから」

 飽くまで殺す可能性が無いなら人間は何処までも非情になれる。胸にナイフを突き立てると、男は喀血。刺さったまま『傷病』の規定により身体が改定され、怪我は怪我のまま、万全な状態になってしまった。

 まさかナイフが突き刺さったまま痛みがなくなるとは思ってもみなかったようで、男は目を丸くしてナイフの柄を見ている。試しに少し引き抜くと、夥しい出血が刃物を押し出すように溢れ出してきた。

「うがああああああああああああああああああああああああ!」

「有珠希。それ以上抜いたら死ぬわよ」

「悪い」

 ナイフを元に戻す。血は非現実的な処置でぴったり止まった。

「さ、早く話しなさい。私すごーく気分が良いから、今ならまだ見逃してあげるわ」

「分かった! 分かった分かった! は、話すから……こ、これをどけてくれ!」

「どける? お前、自分の立場が分かってんのか? お願い出来る立場だって? こいつを後ろから襲おうとした奴にそんな権限あると思ってんのか?」

「た、頼むよお! こ、こわ、怖いんだ……!」

「そうか。じゃあもう一度、大きな声で『助けて』と言ってみろ。そしたらやめる」

 一縷の希望に縋るつもりで、男は大声をあげようとした。しかしそれはかなわない。彼は自分の意思で声をあげようとしていない。紛れもなく自分がそれを止めている。俺が白い糸を切るだけで、この男は自分から行動を止めているのだ。

 そしてやはり、この糸は視えない。俺だけに許された籠の構成存在。

「…………!」

 痛みはない。

 苦しみもない。

 ただ自分がしようと思ってる行動を、何故か自分が止めているだけ。

 二重人格でもないのに、まるで自分が自分でないかのように振舞ってくる。白い糸を片っ端から全て切る行為は、男にとって奇行に映っているだろう。

 ただそのせいで、もう一度規定を『使う』事も『逃げる』事も、『反撃』する事も『命乞い』する事も出来ない。

「ほら、もう一回言えよ。大きな声で」

 それは紛れもなく拷問だと自分でも思う。やりたい事が何一つ出来ないまま追い詰められている。男は見るからに四〇を超えた中年だが、所詮は高校生の恫喝に涙を流してへたり込もうとしていた。

「言えよ大きな声で! 助けてってよお!」

「………………!」

 そうか言わないのか。じゃあ時間切れだ。マキナ」

「残念ね。せっかく有珠希が慈悲をあげたのに。それで、誰から貰ったの?」

「…………あ、あ! ああ! たすけて! たすけてえええ!」

「それはもうお終い。私、ニンゲンに興味ないから有珠希が駄目って言ったらもう駄目よ。死にたいなら、そうやって喚いてるのもいいけど」

「…………う、うう。ううううううう!」

 男はようやく全てを話す気になった。


 曰く、居酒屋をはしごして深く酔っぱらっていた時、友達と酒の流れで、少し下世話な話になったそうな。それは『存在』の規定を使ってまでやったような強姦(免罪符和姦は趣味じゃないらしい)に関係する物で、そこまでは所詮妄想に過ぎなかったが、たまたま隣に座っていた男が言ったのだそう。


『貴方の望みを叶えましょう』


 それは戯言に過ぎないと思われたが、ある時この力に気づいたらしい。試すと自分が透明人間に慣れたので、衝動のままに欲求を満たしたそうな。

「…………誰だそいつ」

 マキナと同じキカイと言う可能性はないだろう。こんな出鱈目な奴がポンポン居てたまるかというのもそうだし、キカイだからって別に部品を気前よく渡すとは思えない。未礼紗那から聞いた話にも一致しない。

「へえ…………うん、じゃあ今後はそいつを探して行きましょうか。中々有益な情報を話してくれたから、腕は勘弁してあげるわ」

 最期にマキナは男の額を指で小突くと、俺に離してもいいと指示を出した。警戒心はそのままにゆっくり手を離すと、男は抵抗もせず崩れ落ちる。

「何をしたんだ?」

「記憶の『強度』を落としてあげたの。ついでに『存在』も回収したからもう用済み。後十秒もすればそうね……ここ一か月くらいの事は全部忘れちゃうんじゃない?」

「―ー―お前にしては随分優しいんじゃないか? 俺が止めなきゃ全部殺しそうなのに」

「だって、今回は私の分まで貴方が怒ってくれたんですもの! うふふふ♪ 私まで怒るのはフェアじゃないわよね!」

 マキナは御しやすいが、それだけに良く分からない時がある。馬鹿に機嫌が良いのは何故だろう。軽やかなステップに付き合っていたら、また公園に戻ってきた。

「少し気になるんだが、『存在』の規定は『存在』に対しての基準を操るんだよな」

「何を以て『存在』とするかね。あのニンゲンは五感では感知出来ない範囲まで基準をあげる事で透明になってたの。これを下げちゃうと、例えば音だけでそいつの全てが分かるなんて事にもなりかねないから、そこはややこしいんじゃない?」

「でも糸はあったぞ?」

「……そもそも部品はニンゲン向けに作られていないわ。だからどの規定にも言えるんだけど、自分が認識出来ない部分には一切干渉出来ないの。有珠希の視界は他の誰にも理解されてない。百人に一人が視える程度の凡庸なモノじゃないって事。因果の糸なんて見えてないなら、それから感知出来ない様にってのはおかしな話でしょ? 因みに、仮に教えてもらっても無理よ。身体は正直ね」

「お前は?」

「キカイがニンゲンと同じ視界なんていつ誰が言ったのかしら? 私にも貴方の視界は良く分からないけど、この世界の誰よりも理解はしてるんだから!」

 それはそれは。

 また有難い事で。

 糸の繋がらぬ金髪銀眼のキカイは、また嬉しそうに微笑んで。



「今日はもう満足! 帰りましょうか!」



 俺の手を、握った。






 










 約束通り、家にはまだ帰らない。

 もう少しだけ、マキナと一緒に過ごす約束だ。

「………………♪」

「…………こ、これはその」

「なになにッ? 嫌?」

「そ、そうじゃなくて。たの、しいかな?」

 見つめ合っている。マキナと二人きりで。テレビもつけず、窓も開けず。静寂に身を任せて。

 お互いの手を握りながら。もしくは、お互いの瞳を見つめながら。

「私は楽しいわよ! だってぇ……うふふ♪ 有珠希にあんな事言われるなんて思わなかったの! えへへへえへへ♡」

 気の抜けた笑顔にドキドキしている。平静を装う俺の身にもなってほしい。

「……? 心当たりが一切ない。こ、これはその……気まずい気がするから、何かして遊ぼう。トランプとかないのか?」

「何それ?」

「何それ!? じゃあないな、絶対! くそ、お前の知識偏りすぎだろ!」

「今度用意しておくから、それで理解して? そんな事よりも私、もっと貴方の事が知りたいわ」

「……俺の事?」

「パートナーとして当然の事じゃない? もっと早く言えば良かったッ。お互いの事を知れば、きっともっと楽しいわよね! 有珠希の好きな雌の特徴とか、詳しく教えてくれると助かるんだけど?」

「雌とか言うな! 俺の好きな雌……じゃない女性のタイプ……ねえ」

 思いつくとか思いつかないとかじゃない。ただちらっと、マキナの全体を見る為に顔を遠ざけた。

 彼女はサアっと頬を赤らめて、目を逸らした。

「………………そ、そうなの?」

「…………いや、その」

 否定しようとして、声に詰まる。原因は明らかだ。誰かが俺の白い糸を切ったか。



 恥ずかしそうにもじもじするマキナがあんまり可愛くて、言葉を失ったか。




「…………そう、です」

 この後起きるあらゆる出来事に責任を持たない最悪の一言。マキナは月の瞳をぐんとズームアップさせて、胸から俺に抱き着いた。






「有珠希~!」

 何もない所からハートマークが出ている。

 いや本当に、赤色のハートが飛び散っているのだ。

 

  

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