ただあるがままを受け入れて
「全くお前って奴は、一体どれだけ親を心配させてると思ってるんだ!」
「言ってやってよお父さん! こんな奴が兄とかほんっと最低なんだから」
奇跡的な遭遇を回避して、夜。
マキナに会いに行こうと玄関へ向かったら、父親と那由香に出待ちされていた。偶然かもしれないとそのまま横切ろうとしたら肩を掴まれて壁に抑えつけられた。これは虐待という奴だろうか。助けを求めればすぐにでも解放されると思うが、それは俺自身が許せない。
「いいか有珠希。俺も母さんもお前を愛しているんだ。それなのに何故困らせる? 困った事があればいつでも助けるのが人間の道理、ひいては父親の役目なのに」
「困ってない。愛してるってのも……実際どうだか怪しいよ。子供の頃、確かに俺はアンタを頼ったけど、鼻で笑って、嘘つき呼ばわり。父親の役目って子供の悩みを下らないって一蹴する事か?」
「……その事だが。あり得ない。お前はなんて言ったんだ」
「―――え」
まさか、覚えてすらいないなんて。
因果の糸―――当時は因果という言葉も知らなかっただろうが、ともかくそれが視えるようになったのはついこの間という訳ではない。先天的でもなく、子供の頃、具体的には何か怪我でもして入院していた時の話だ。
まさかこの視界が俺にしか見えない物なんて思わなかった。病気みたいに先例か治療法があるのだと信じていた。人は何かしら特別な存在になりたがると言うが、この特別は要らない。
爪弾きにされ、孤立し、ただ
「――――――ああ、そう。覚えてないんだ。じゃあ猶更話す事なんてないし、救って欲しくもない。外に用事があるんで俺は行くよ」
「有珠希、貴様あ!」
拳による裁きの鉄槌が下される。無抵抗で受け入れると吹き飛ばされて、リビングまで戻された。いっそ漫画みたいに壁まで弾いてくれれば清々しいのに、音も鈍かったし、頬は痛いし、意識は残っているし。最悪だ。
痛みが前と違って軽いのは、マキナが『強度』の規定で軽く改定してくれているからだろうか。
「…………これが愛してるって事なら、要らない。謝っても許さない」
「なに言ってんのクソ兄! お父さんに謝るのはそっちだよ! お姉ちゃんから好かれてるからってちょーし乗ってるでしょ!」
妹の生足が躊躇なく俺の顔をストンプする。救いを求めぬ者には何処までも罰を与えるらしい。救う必要が無いから、残酷でも構わないと? ならばいっそ死体のように俺を認識しなくなればいいのに。
救いを求めない人間と、救世主になりたがる人間の折り合いが悪いのは当然だ。
お互い、その方が幸せになれる。
鼻血を噴き出して口元に血の味が染みてきた辺りで俺はすっくと立ちあがって、何事もなかったように玄関へ歩きだした。
「行かせない! 謝れ!」
「どけよ!!」
糸は見ているだけで不愉快だ。それは家族であっても例外ではない。牧寧も同様で、ただ違うのは俺に対する反応の差。他の救世主に倣って俺を嫌おうとしない牧寧とは比較的普通に付き合おうとしているように、糸だけが俺を暴れん坊にさせている訳じゃない。
大声を出されて那由香はびくっと静止。そのまま崩れ落ちて、泣きだした。
「うわああああああああん! 怖いよおおおおおおおお!」
「那由香! 大丈夫か!」
父親は血相を変えて妹の方へ駆け寄る。鼻血を出した俺の事なんて気にも留めない。階段上で様子を見ていた牧寧と目が合ったが、肩をすくめて夜の町に躍り出る。
家の前にナイフで背中から刺された死体があった。
「…………」
横を通り過ぎて、マキナの部屋に向かって歩き続ける。ネットによると今日は星が綺麗らしい。俺には良く分からない。糸の檻が視界を細断して、視えるのは夜の屑ばかり。画像越しでもそれは変わらない。テレビを見ないのもそういう理屈だ。
俺は悩んでいる。
こんなにも悩んでいて、ずっと分かってもらえなくて、その果てに出会ったのがマキナだ。理解してもらえて嬉しかった。糸の正体が多少なりとも分かった今では、恐怖もない。
未礼紗那は関わるのをやめろと言うが、それは俺の事情を把握していない。あの人がどんなに強くても所詮はただの人間だ。俺の苦しみなんて分かってはくれない。
分かっている。マキナが危ない事なんて。
あれは自然災害と呼ぶのも生温い、物理法則に真っ向から喧嘩を売るような、アイツ自体がまた別の法則みたいな存在だ。どんなに友好的でもスケールが違うなら危ないという理屈は分かっている。また、友好的なのも一時的かもしれない事を思うと、やっぱり分かる。それ自体は理解出来る。
でも俺からすれば唯一この視界を理解し、治そうと努めてくれている理解者だ。もしくはこの視界において唯一、『普通』であってくれる存在、それか俺を『普通の人間』として見てくれる上位者。
或いは一瞬も逃さず俺を時めかせてくれる、世界で一番可愛い女の子。
そんなアイツとどうして離れなければいけない。もう二度と会えない、恐らくは人生における運とか縁とかを全部使って生まれたきっかけなのに。何がメサイアだ馬鹿馬鹿しい。俺が救われなくても構わないと言うのなら、俺だって世界が救われなくても構わない。
自分勝手結構。俺は救世主にはならないし、自分が気持ちよくなる為に誰かを助けようとする奴の手は借りない。
「…………」
道中で未礼紗那に声を掛けられるかもしれないという恐怖を味わったが、それは回避した。あんな言い方でもやっぱり俺に味方して欲しくは無いだろうから、全然強硬手段に出てもおかしくなかった。それともマンションを突き止めたから今日は引き上げたとか……だったらマキナに悪い事しかしてないが。
扉は開いている。ノックをしようか迷ったが、なやんだ末に、対の選択肢を取る事にした。
「―――ただいま」
「有珠希、待ってたわ!」
「うわあああ!」
扉を開けた瞬間、天井から振り子の勢いで向かってきたマキナにキャッチされ、反転した勢いのまま部屋に連れ込まれる。脳の理解が追い付かないものの、どうやら彼女は天井に張り付いて俺を待っていた様だった。
「も、もっと普通に待ってろよ! びっくりしただろ!」
「だって、足音が聞こえて来たからワクワクしちゃったの! それって仕方ない事でしょ?」
「んな訳あるか、発想がズレてるんだよ。頭のネジが外れてるんだお前は! キカイだけに!」
「―――その血、どうしたの?」
「え?」
ハイテンションに惑わされて自分でも忘れていたが、まだ鼻血が出ている。今宵のマキナはノースリーブでハイネックな白い服を着ているが、垂れた血が服に吸い込まれていた。
「あ…………まあ。最初の頃と同じだよ。俺はこの世界と相容れてないから、家族にちょっとな」
「………………へえ」
銀色の瞳は今日も綺麗だが、この瞬間だけは違和感がある。瞳孔の中心を軸に、朱色の罅が瞼を越しつつ刻まれているような。
「き、気にするなよ。いつものことだし、ちゃんと俺は元気だから」
「………………まあ、今日は見逃してあげましょうか。有珠希もちゃんと来てくれたし」
罅は吸い込まれるように消えていく。今のは一体。
マキナは何事もなかったように天井から離れると、玄関を閉めて鍵を掛ける。念入りに鎖を巻いて、俺をリビングに追いやった。
「ぽーん!」
「うわああ!」
部屋の隅に置かれているベッドに押し込まれる。仰向けになって体勢を直そうとする頃にはマキナが身体の上に乗っかっていた。
「家族って酷い事するのね。でも大丈夫、私が治してあげるんだからッ」
下から突き上げるようなアングルは、彼女の豊満な胸を量感たっぷりに観察出来る。下着をつけてないことも併せて、凄く脇から手を入れたくなった。ありすぎる胸を張って、マキナは俺の鼻に手を触れた。
「じっとしててね」
―――って違う。
心を読まれるのだと何度言ったら分かる。キカイに人間の道理はない。一般的に考えてやらせる訳がなくても、キカイにその常識は通用しない。変な事を考えるな。
手が離れたので反射的に鼻を触る。血の感触はない。マキナは嬉しそうに微笑んでいた。
「治ったでしょ?」
「多分お前が、今は一番俺に優しいよ」
「ほんとっ? うふふ♪ それを言ったら有珠希も、私に一番優しいわよ! ね、ちょっとくっついてもいいかしら?」
「どうせ拒否してもくっつくだろ。もう好きにしてくれ」
手を広げて受け入れる体勢を示すと、マキナは子供のように胸に飛び込んできて、匂いでもつけるみたいにぐりぐりと顔を動かした。
「………………ん…………今日はこんなつもりじゃなかったのに、何でかしら。貴方に触れてるだけで楽しい気がして、やめられないの!」
背中に手を回して十分ばかり、ただ抱擁をかわす時間があった。互いの心音を交える。それは気持ちを伝えるという事でもある。心が読まれなくてもどうにかなりそうだった。この暖かさは、俺を狂わせる。
髪の毛に手を入れて撫でていると、不意にマキナの頭の上から電球が現れた。
「えっ」
畳みかけて彼女は頭を挙げると、俺の身体に覆いかぶさるように身体を移動して、胸の谷間を顔に押し付けた。
「お返ししなくちゃフェアじゃないものね! 有珠希も私に抱き着いていいんだから!」
「むぐ…………」
窒息しそうな程苦しいのに、相手が人間だったら痛がるくらい強くマキナの背中に手を回している。心と体が分離している様だ。マキナの心音は直に耳を捉え、限界を超えたスピードを俺に聞かせてくれる。
ドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドク。
「今日はメサイア・システムについて説明する予定だったの。この後したいんだけど、その前に有珠希! 来て初めて私に言った言葉、もう一度言ってッ!」
「ぐふぅ……?」
身体が離れる。マキナは俺の両手を取って、起こすと、恋人のように指を重ねながら子供っぽい笑みを浮かべて、再度の懇願。
「言って、言って!」
「…………ただいま」
「おかえり~♪」
もう一度押し倒されて、今度は顔同士が密着する。マキナは恥ずかしそうに頬を染めながらも、それ以上に嬉しい事を示すみたいに頬ずりを続けた。
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