セカンド・チャンス



 一度ご機嫌になったマキナに敵は居なかった。上の階に進めばやはり何人かの人間が居たが、どんなに攻撃を振るった所で地力が違う。


途中から俺ではなくマキナを狙うようになったが、どんな形状の武器でさえも彼女の身体に触れば水あめのようになってしまい、凶器としての役目を果たせていない。結々芽が部品を手に入れて間もなかった事が分かる瞬間だ。アイツは体を固めて物理的な強度を高めていたが、マキナは自分の身体に触れた物体の強度を下げて無力化している。




 ―――俺の出る幕って、無いよな。




 しかし、ただ棒立ちというのも申し訳なかったのでマキナに狙いを絞ったヒトの糸を切るくらいはしている。 肉体を切るどころか傍目には空を切っているようにしか見えないので常に最速、力要らずで切れるのが利点だ。


幾ら傷が治ると言っても怪我は嫌なのか避けてくれるのも有難い。不死身でも痛い物は痛いという事だろう。そもそも痛みが恐怖でないと、因果を人に委ねるような事にはなるまい。俺の視界についてタネが割れているならわざとぶつかって攻撃を止めるという手段も使われるだろうが、その想定は無意味だ。何十年と生きてきて、俺と同じ悩みを抱える人間は一人として見た事がない。


 申告しなければキカイことマキナにも分からないくらいなので、人間には想定しようがないと結論づけてもいい。


「自分の力を上手く活用出来てるわね! 凄い!」


「それ褒めてるか!?」


 役に立つとか立たないという観点なら、俺は棒立ちでも変わらない。あまりにも人間とキカイとでは実力差が違うというか、次元が違う強さというのはこういう物を差すのではないか。ライオンや象に素手で挑むと例えるのも生温い。


 その温い例えでも人類には無謀な挑戦なので、マキナと戦うのなんてもうどれだけ阿呆な事か。そこに救いがあるとすれば上機嫌な為に甚振る趣味はなく、一瞬で殺してくれる事くらいだ。時々俺にターゲットを変える人間も居たが、結果は変わらなかった。


 最上階である五階に上るまで、三〇人以上が犠牲になった。殺したのは全てマキナだが、俺もそれを手伝っているので実質的には俺も犯人という事になる。これでいい。殺さないという選択肢は面倒なだけで、規定に括られた人を苦しめるだけだ。重傷でも軽傷でも、それが再発して死ぬよりはいっそ俺達の手で殺した方が……なんて、正当化に過ぎないとは思うが。


 殺人者だという自覚は、この視界と同じくらい正気を削ってくる。糸を切るとはそれだけ糸を直視するという事。気が狂ってしまいそうになる度にマキナの姿を捕捉して心を休める。何十回も繰り返してそれでようやくギリギリ。


 糸が視えない存在がこんなにも有難いなんて知らなかった。文字通りの眼の保養だ。いやらしい意味は無くて、ストレスをもたらす負荷がないという意味だが……一度こんな事を考えると、ぶるんぶるんと激しく揺れる胸に視線が行ってしまうのは仕方ない。だって下着付けてないし。


 ああいうの、人間女性は胸が痛くなるらしいが、キカイにその感覚はないのだろう。流石にそのくらいは想像出来る。


 それとマキナを異性として認識してしまう事は別な話。


「赤い糸はこの先だけど……こんなに暴れ回ったら逃げてないか?」


「それについては心配要らないわ。ここって院長室でしょ? 逃げ道は窓くらいよね。ここに入った時点でもう全部固めてあるから。壁を壊してない限りは居る筈よ。気配もするしね♪」


「お前ってポンコツなのか抜け目がないのか良く分かんないな。よし―――じゃあ行くぞ」



 院長室の扉を開けて踏み込むと、開閉に仕込まれていたトラップが作動。頭上から大量のメスが降ってきて反応もままならなかったが、後ろにいたマキナが全て回収してくれて事なきを得た。



 規定は使っていない。純粋な反応速度である。


「てんで幼稚。通用する訳ないのに」





「全くその通り。せっかく残した意味がまるでありませんね」





 院長室の中心に、立っていた。


 長い黒髪をシンプルに束ね、ぼろぼろの黒い装束に身を包んだ女性が立っていた。足元に転がってるのは『傷病』の規定拾得者だろうか。糸を辿ればその男に繋がっている。まだ微かに息はあるようだが、どうした事だろう。身体に触れているのに、その女性に改定を施していない。


「貴方、誰?」


「人類の味方ですよ。キカイ。貴方の様な敵を排除する為に生まれたヒーローです」


「その言い方……ああ、メサイアの奴ね。どうしてこんな所に居るのかは聞かないであげる。今は気分も良いから見逃したっていい。足元のそいつを頂戴?」


「お断りします」


 一触即発の雰囲気。あのマキナが、敵意をむき出しにしている。俺には状況が呑み込めていないが、相手が部品を拾った人間でもないならここまで敵対的になる必要はない筈だ。赤い糸と白い糸も繋がっているし、まともな人間であるならマキナには敵わない。


「な、なあマキナ。ちょっとお前」


「有珠希は黙って。ていうか動かない方がいい。そいつ、今までの雑魚とは違うから」


「へ?」


「雑魚…………成程、殺害した訳ですか。流石はキカイ、人の道理など理解するつもりさえないと。それで、隣の君はどういったつもりでそんな化け物の傍に居るんでしょうか―――式宮有珠希君?」


 女性は黒い笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと俺に歩み寄ってくる。


「何で、俺の名前……」


「名前だけですよ。もしそこの女性を親切な人間だと勘違いしてるなら、今すぐこちらに来てください。彼女はキカイ、怪物です。人とは決して分かり合えない存在。居てはならないモノ」


「…………キカイが何か知ってるのか?」


「教えてもいいですけど、ここでそのような呑気な真似は出来ません。さあ、早く手を。




「断る」




 それはもう、考える余地もない。殆ど条件反射に近い返答だった。確かにそれは最強の免罪符、誰かに言う事を聞かせたいならこれ以上はない。相互救助の合言葉は、今や世界の道理だ。


 ただし、俺を除いて。


 女性はびっくりしたように目を丸くして、俺を睨んでいた。


「……私を助けないと?」


「ああ。助けない。俺はそういうの嫌いなんだよ。救世主気取って、善人ぶって、何が助けると思ってだ。舐めてんじゃねえぞ馬鹿!」


 ああ、腹が立ってきた。


 マキナを侮辱され。


 言ってはならない言葉を言われ。


「う、有珠希ッ?」


 相手がマキナに怯んでいない時点で遥か格上の人間だとは分かっている。それでも俺は目の前まで歩いて―――無造作に白い糸を切断。女性の動きが止まる。





「こいつは俺のパートナーだ! お前が誰でも何を言っても、俺は味方なんだよ!」





 相手が女性だろうと関係ない。降り抜いた拳が頬に命中し、女性をよろめかせた。慣れない打撃は拳が痛くなるだけかと思いきや、女性は打たれた頬に手を当てて、言葉を失っている。


「……今のは、一体」


「有珠希、駄目よそっちに行っちゃ!」


 後ろから首根っこを掴まれた。マキナは俺を猫みたいに片手でひょいと持ち上げると、反対の壁を蹴り抜いて脱出口を確保。女性にダメージは無いように見えるが、追ってくる気もなく、ただ立ち尽くしている。


「ほんっとうにナイス! 私もびっくりしたけど、今の内に回収しちゃった! 帰るわよ!」


「おお、おうっ。な、なんか随分と手際が良いな!」


「今の私じゃあんな奴でも苦戦するのよっ。逃げるが吉、跳ぶわよ!」



























「有珠希ー!」


「うへぇぇぇぇぇ」


 加減のない高速飛行に付き合わされると人は酔う。気分が悪くてそれどころではないのに、マキナはお構いなしに飛びついてきて、俺を押し倒した。


「な、なんだよおおぉぉぉお」


「ううん、別に! 分かんない! ただ凄く嬉しいの! あの女にあんな事言われた時、少し不安だったわ。私が化け物なのは間違いないから、貴方に嫌われるんじゃないかって……」


「………………あぁ。それは別に。今更っていうか……お前が化け物でも何でも、俺にとっては糸のない唯一の存在だよ。人類の敵なんて言うけど、俺はお前に助けてもらってばかりだし、正直信用する理由がないっていうか。ちょっとズレてるかもしれないけど気も遣えるし、嫌うなんてあり得ない」


「………………」


「心を読んでるのか? 別にいいけどさ、嘘を吐くメリットなんてないし。だって裏切るなら、あそこが最大のチャンスだっただろうからな」


「―――――――――嬉しい」


「え―――ふぇぐううううううう!?」


 急に抱きしめる力が強くなったかと思うと、プレス機に挟まれていた。キカイとするならこれは重機か。俺に抗う事は許されていない。骨の軋む音がする。


「いだいいだいだいだいだいだいだいだいぢあぢあぢあぢあいだいだいだいだいだいだいだい!」


「そんな事言われたの初めてッ! 嬉しい、嬉しいわ有珠希! 絶対よ? ぜえったい裏切ったら駄目! 裏切ったら殺す! 殺すんだから♪」


「いだいだだいだいだいぢあぢあぢあいだいだだ! ――――――そんな嬉しそうに言われてもどう受けとりゃいいんだよ!」


 圧死の未来から解放されたと思ったのも束の間、今度は身体をこすりつけるように動かしながら、うりうりと頬ずりをしてくるマキナ。ペットみたいな喜び方をする奴だが、違う点があるとすれば飛び切りの美人で。



 俺も満更ではない(異性的な意味で)という事か。 



「貴方を支配するのは簡単なのに、どうしてずっとそんな気が起こらなくて。でもそれが正しかったのかもね、もし支配してたら、こんな嬉しくないと思うからっ」


「そりゃ何よりだな! ……俺もこれが自分の気持ちじゃなかったら悍ましかったよ。有難う、マキナ。でもそろそろ離れてくれ。暑苦しい」


「そうなの? じゃあ三十秒後に離れるわね」


 約束は約束だ。


 彼女の体の感触から逃れるように、全神経を秒数計測に注ぎ込む。そうでもないと、駄目だ。そろそろ本当に、襲いかねない。




「……ニンゲンの心臓って、こんなに温かいのね…………貴方のだから? ―――凄く癖になりそう」




 三十秒。


 名残惜しそうにマキナが離れようとすると、その背中に手を回して横に回転。


「きゃっ!」


立場を入れ替えるように今度は俺が押し倒して、その顔をまじまじと見つめた。雪のような肌に、仄かな紅が差している。そのすぐ下で壁のように聳えている乳房は重力に逆らうように服を突きあげている。俺の顔なんて簡単に埋まるし、手を一杯に広げてもあまりあるボリューム。手を伸ばせば、すぐそこにある。


「………………有珠希?」


「………………ッ!」


 理性で本能をねじ曲がらせて、手が触れたのは彼女の髪の毛だった。財宝のような黄金は、手に触れるだけでも眩い。髪が女の命なら、俺はマキナの命に触れている事になる。


「息が荒いけど……大丈夫?」


「だ、大丈夫。大丈夫。な、撫でてもいいか?」


「…………貴方なら、いいわ。でももっと、顔を近づけて欲しいな」


 


 無い筈の心臓が高鳴る。



 身体は操られたように倒れていく。ゆっくり、そのまたゆっくり。


「もっと」


 身体が密着して、二人の身体で胸がむにゅっと柔らかく潰れた。


「もっとっ」


 鼻先が触れ合う。互いの呼吸を交わらせている。


「もっと!」


 ほんの少し口を伸ばせばキスをしてしまう、そんな距離。彼女の顔もぼやけて良く見えないのに。





「………………♪」






 喜んでいるのは、何となく分かった。

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