キカイとヒトの掟
いついかなる不意打ちにも抗う準備をするならエレベーターよりも階段を使った方が良いだろう。直前までもしかしたら命の危機に陥っていたかもしれない関係で俺はずっと気が抜けていない。せめてマキナがさっきまでのテンションでいてくれたらまだ茶化しようもあったのだが、上にのぼるにつれて顔が真剣になって、口数も減った。
別に空気が悪いとかではないが、喋りにくい。
「マキナ、上に人の気配はあるのか?」
「ええ。大分。階段上って直ぐ遭遇すると思うから、身構えてて」
「お、おう」
今まで散々コイツをポンコツだなんだと罵っておいてどの口がと思われるが、マキナセンサーの感度は尋常ではない。俺の視界は壁越しに糸が視える理不尽を背負ってはいないが、赤い世界に孤立して何十年。年季が違うからこそ、何となく感じる。
糸が近い。
抑え込めない程でもないし、季節に勝る程でもないが。ただ絶妙に不愉快だ。
階段を上り切ると、昼間に俺を襲撃した看護師と再会を果たした。マキナの言った通り、ほぼ遭遇という形。反射的に身構えてしまったが、女性は俺達を襲う素振りもなく、突然膝を崩したかと思うと土下座をし始めた。
「……ご、ご、ごめんなさい! お願いしますお願いしますお願いしますぅぅぅぅぅ! ほんの少し……少し…………ぅぅぅぅぅうううう!」
「……え?」
初手降伏は、ちょっと知らない。
どういう思惑があるのかも想像がつかない。世間一般的に最初から降伏された経験のある人間は居ないのではないだろうか。最初こそナイフを出そうとしてまで身構えたが、いつまで経っても頭を下げたままなのでちょっと心配になってきた。
取り敢えず頭だけでも上げてもらおうと接近しようとする。マキナが右手を突き出して制止しなければ、もっと近づこうと思っていた。
「糸は?」
「相変わらず真横に伸びてるな。いや、ちょっとだけ斜め上だけど」
「影響下ね。だったら危ないから近づかない方が良いわ。有珠希の視界が分からない私が得意げに語るのもおかしいけど、自分の因果を他人に委ねてるなんてあり得ないわ」
赤い糸とは人間の因果。生きてから死ぬまでの全てが記されている。何故俺にそれが無いのか等の例外はさておいて、この人生において『死』と同じくらい共通していたものだ。同じ部品の拾得者であった結々芽にだって糸はあった。決して真横になど伸びてはいなかった。
全ての糸が収束するのは空を覆いし熾天の檻。断じて檻から独立するような事はなかった。これはあり得ない事だ。
「降伏なんてらしくないわね。一度私のパートナーを引きずり込もうとした癖に、どの面下げてそんな言葉が言えるのかしら。命乞いなんて今更成立する訳ないじゃない」
「いやあ…………これは、違う! 違って……! 違いますううぅぅぅぅぅ!」
「そう? へー? だったらそんな遠くに居ないで、もっと近くに寄ったらどう? 有珠希は優しいから、もしかしたら許してくれるかもしれないわよ? 私、見ててあげるわ」
俺と喋っている時のような温かさはない。
ただ、機械のように無機質で、温度を感じられない。人間でなくとも、最早生物とさえ思わぬ無慈悲の問い。こんなに露骨なら俺でも分かる。マキナが苛立っている事くらいは。
「う。うううううううう。ううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!」
「うわあああああああああああああああああああああああああ!」
マキナの無機質な声に精神を追いつめられたか、女性がぐわっと立ち上がってとびかかって来た。胸には凶器もないのに十数か所に及ぶ刺し傷と切り傷、胸は開けて骨が剥き出しになっているが、蹲っていた場所に血だまりはない。常識的に今も流れる血液は、身体から一定以上離れた所で消滅していた。
―――これが、『傷病』の規定!
傷を着ずとも思わぬ無敵の身体。同時に痛みを伴う物理的な支配能力。その気になれば道路に頭をぶつけるだけで簡単に死ねるのが人間の弱さだ。ダメージを機嫌次第で勝手に負わせられる状況ならば、確かに言う事を聞くしかない。
因果を委ねていると言われてもピンとこなかったが、目の前の女性で以てハッキリと納得した。この部品は、人に持たせてはいけない。特に支配欲と加虐趣味の同居した人間には。
「うわっマジか!」
マキナには端から敵うと思っていない様で、女性は俺に向かってメスを振りかざしながら突っ込んできた。貰ったナイフを構えたまでは良かったが、何せ人を刺したいと思った事がない。それ以上は、脚が竦んで動かなかった。
あちらもあちらで腰にメスを構えただけの素人の突進だが、避けられる道理はない。現実はともかく、頭の中では随分早く直撃しているのだから。
「ねえ、無視は酷いと思わないかしら」
パシンッと軽快な平手打ちの音。皮膚への打撃は痛いが、致命傷になる事はない。そう思っていたが、マキナが叩いた頬は肉が剥がれ落ちて、中に隠れていた歯肉をむき出しにさせた。
「…………ッぁ!」
「貴方と違って代わりなんかいないの。誰にも務まらないの」
呆然とする女性の顎を、マキナの手掌が食いちぎる。粉砕とか切断ではなく、本当に食べたとしか思えない。何処かへ消えてしまった。
「命の価値は不等価って知らない? 貴方の命なんて、こんな風に」
掌が顔全体を覆って、今度こそ本当に被りついた。声を上げる暇もなく女性の顔は手の形に抉れて、陥没する。
「簡単に壊せるの」
『傷病』の規定に基づいて一切のダメージが回復した瞬間、今度は頭皮を根こそぎむしり取られた。ぶちぶちと痛々しい音が鳴って、女性の髪の一切が引き千切られる。
「私を差し置いたなら、指一本触らないで」
「私には、このヒトを助ける責任があるの」
「貴方とは違う。ううん、誰とも違うの」
『傷病』は確かに不死身をもたらすが、実力差が明白な場合はただのサンドバッグでしかない。即死に次ぐ即死、痛みに喘ぐ声すら上げられず、女性は連続でマキナに事実上殺害されていた。敢えて『傷病』が反応する様にして、何度も何度も、つまらなそうに踏み躙っている。
「お、おい。マキナ。もういいって!」
「駄目。私の気が済まない」
「早くしないと逃げられるかもしれないぞ! 木端に構ってる暇なんてないだろ!」
それがあの女性に対する、最後の良心のつもりだった。生き地獄の次はキカイによる虐殺。俺も怖い目には遭ったがもう十分だろう。そろそろ解放してもいい筈だ。
どうせ、救えないというのなら。
少なくとも誰の救いも拒絶する俺が、誰かを救う事なんて出来やしないのだし。
「…………それもそうね。うっぷん晴らしは盗人にしなきゃ」
女性の頭を鷲掴みにしたまま、マキナは無造作にその身体を床にたたきつけた。今度は身体全体が液体のように飛び散って―――まるでバケツをぶちまけたみたいに飛散。人間どころか固体としての性質も失い、文字通りシミになった女性は、ついぞ復活する事はなかった。
「お、俺の為に怒ってくれるのは嬉しいけど……やりすぎだぞ」
「貴方は優しいのね。憎んだって罰は当たらないと思うけど」
「まだ何もされてなかったし、これからされる事もないだろ! ―――お、お前が護ってくれるらしいし?」
マキナは目を丸くして口を噤んだ。俺の発言に何を思ったかなんて分からない。だってコイツはキカイだし、そもそも―――
「お、おええええええええええ! う、うばべえええええ!」
マキナがあんまり惨い殺し方をしてくれるせいで、身体が拒絶反応を起こして嘔吐してしまった。吐いている時の顔なんて酷くて見せられたもんじゃない。背中を向けて床にぶちまける。胃の中はとっくに空っぽなのに、どうしてこう、出る時は出るのか。胃液が喉に絡んで、焼けるようだ。
「有珠希!? 大丈夫?」
「…………多分。だいじょぶ。こうなったの、主にお前のせいだけど。こんな事する奴の悪趣味ぶりにも寒気がするな」
「同感ね。大した使い方じゃないけど、悪用するなんて考えもしなかったわ。普通、こういう時は良い方向に使うもんだと思ってた。宗教がやりたいならその方がよっぽど効率的だもの」
「は? ……うっぷ。どういう、事だ?」
「『傷病』があれば不治の病なんて物もないし、殆ど死者蘇生みたいな事だって出来るのよ。ニンゲンはそういうの、愚かにも簡単に崇めるんでしょ?」
「ああー……確かに。にしても棘がある言い方だな。愚かって」
「愚かは愚かよ。私からしたら大した事してないんだから。それなのにわざわざこんな使い方をするなんて、よっぽど歪んだ欲求があるのね。ニンゲンって分からないわ」
―――何か、引っかかった。
「…………もしかして病院の患者が減ったのって、そういう事なのか?」
『傷病』の規定で以て、病院から患者を根こそぎ引き抜いて自分の手駒にした。そうは考えられないだろうか。であればここが事実上の廃墟になっている事も頷けるし、看護師が影響下に居るのも道理だ。つまり犯人は……院長とか?
いや、それだけには留まらない。そもそも言う事を聞かせたければ最強の免罪符を行使すればいいだけだ。わざわざ治療したとするなら、敢えて『救う』事で恩を着せた可能性が高い。救う事を美徳とするこの世界で、それは聖人のやる事だ。救われた恩に報いるべく、多くの人間が言う事を聞くだろう。
仮に言う事を聞かなくてもちょいと怪我を再発させればそれで大人しくなる。支配構造としてはあまりに隙が無い。何重にも首輪をつけている様な物だ。
この世界には何かと助けようとする恩着せがましい人間が多々いるが、ここまで来れば契約に近い。お前の命を救ってやったのだから俺の命令に永久に従え。そうでないとまたあの苦しみを味わうぞと。
病院から居なくなった全ての人間は『傷病』の規定に引っかかって部品拾得者の奴隷になった。そう考えて良いと思う。
「―――なあマキナ。赤い糸は人の因果なんだよな。実は死体にも糸は繋がってるんだけど、お前が木端微塵にしたら跡形もなく消えたんだ。見えておいて詳しくないんだけど、因果ってのは死んだあとも続くのか? そうでもそうじゃなくても、なんか説明がかみ合わない気がするんだよな」
「生きてから死ぬまでの流れだから、死んだら切れる筈だけど……見えてないから、詳しい事は分からないわね。今まで予測で語ってきたから、把握しきれない所がいよいよ出て来たって感じかしら」
マキナは飛散した女性をかき集めて当たり前のように復元してみせる。するとどうだろう、何処からともなく伸びて来た赤い糸と白い糸が、再び接続されたではないか。
しかも今度は、真上だ。
「マキナ! 糸が!」
目の前で起きた状況を、分かりにくくても良いからと細かく説明すると、彼女は天井を見上げて、満足そうに再度女性の身体を液体にした。
「肉体を認識したら自動で再接続するんだ! へえ……ニンゲンにしては器用な事するじゃない」
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