穢れ泣く軛

あんな事を言われた手前、離れすぎるつもりはなかったが、かといってべったりくっつくのも探索の効率としては如何な物か。マキナの感覚は人のそれを遥かに凌駕しているらしく、会話の最中にも何回俺が彼女の胸を見たのかを把握していた(俺は一度も見ていないと思っている)。この建物に何人居るかも大雑把には掴んでいるらしい。


 そんなに便利なら一人に任せっぱなしでいいじゃないかという意見も分かるが、じゃあ俺の居る意味とは何だ。部品を見つける為と言われればそれまでだが、道中も付き合う事になるならある程度役に立ちたい。というか主体的でありたい。


 誰にも救われたくないとはそういう事だ。頼りっぱなしは身体に毒、マキナとはこの取引が終われば別れる事になるのに、頼りっきりでいて、何故その後は自立出来る保証がある。様々な思案の末、つかず離れずの距離が一番だと考えた。どうせ一階では何も見つかるまいて。


 だが確かに、昼とは様子が違う。ありとあらゆる部屋が開け放されていたのに、今は閉じているではないか。それはこの病院の関係者、もしくは『傷病』の規定とやらに関わる誰かでもなければする意味がな。



 だからここには、確かに誰かが居る。



「……何が目的なんだ、これ」


 考えても意味が見えてこない。


 そもそも俺達は昼間に一度襲撃を仕掛けている。まさかその為のトラップなんかを準備した結果がこれだと言うのか? マキナの力を垣間見て、そんなちんけな仕掛けとやらが通用すると本気で考えたのか?


 理外の美貌と呼ぶにふさわしき絢爛な容姿は、それ自体が人を逸脱している。身体の形から考えれば単なる一般女性かもしれないが、一般女性は壁に穴を開ける事も出来ないし空中を自由に飛翔する事も出来ない。というか壁をすり抜けた時もそうだが、別に部品なんてなくてもマキナはデフォルトで物理法則を度々無視してくる。


 あれを見てまだ常識的な手段が通用すると思うなんてどうかしているのではないか。全ては子供騙しだ。今から俺が証明したっていい。呑気にふらふら歩くマキナの後ろに回り込むと、足音を殺して急接近。背後から勢いよく抱きつこうとすると。


「きゃああああっ!」


 普通に抱きつけた。



 あれ?



「何、どうしたの? 怖い?」


「いや…………避けられると思った」


「え?」


「ごめん」


「…………? どうせ抱き着くなら、遠慮しなくていいわよ? 有珠希、ずっと触りたそうにしてるし」


「してない! 俺の乱心! 何でもない! 解散!」


 やっぱり効くかもしれない。


 そう思うと、凄く不安になってきた。


 やっぱり真横に赤い人が伸びた人間の考える事なんて分からない。時間の無駄だった。




 うえええええええええん。うええええええええん。




 そんな子供の叫び声が、この階の奥から聞こえてくる。間違っても二階からではない。もし二階だとするなら階段の踊り場辺りで泣いている事になるが、方向が違う。マキナは耳の代わりに髪の毛をぴょこんと猫みたいに絶たせると、俺に目配せをして声の方向に向かう。正確な場所は掴んだらしい。


 年端も行かぬ子どもが泣いていたのは、診察室の一角だった。


「痛いよお…………! 痛あああひひいいいいいいいいい!」


 それを聞いて駆け寄る様な善人なら今頃とっくにこの世界に救われている。俺達の存在に気付いているかいないかも曖昧だが、背中は向けたままだ。マキナの傍に近づいて、こそっと真実を伝える。


「真横……いや、斜め上に伸びてるな」


「…………そう、貴方の力の精度は凄いのね」


「なあ、『傷病』は『強度』より危なくないって言ってたけど。具体的にはどんな感じなんだ?」


「範囲の事? それだったら、実演しながら説明した方が早いわね。もうあの子、手遅れみたいだから」


「は?」


 マキナは階層全体を激しく揺らす程の踏み込みで少年の前に移動すると、無造作に顔面を蹴り飛ばした。殴った蹴ったくらいで人が吹っ飛んで壁に激突するのはフィクションだが、目の前で行われる暴力は現実だ。少年は跡形もなく壁に激突してバラバラに砕けた。


 俺の目は確かにそう捉えた筈だった。


「痛いよお…………! 痛い……うえええええええええええええええッ! う、ひいいいいいええええええん!」


 それでも少年は生きているし、抵抗もしてこない。少年の赤い糸には白い糸が重なっており、その白い糸の一部がマキナを侵そうと動きを見せたが、絶対不可侵の空間に弾かれ宙を舞っている。こんな光景、初めてだ。


 バラバラになった身体も、いつの間にかというスピードさえ超えてそれがまず幻だったように元通りだ。


「『傷病』は、文字通り傷や病気に関する基準の力ね。ニンゲンに自己再生の力はないけど、これを使って傷を無かった事にすれば私の攻撃だって耐えられるわ。詳しい原理は単純よ。肉体が『傷病』を認識するラインを引き上げてるだけ。今は身体がバラバラになっても傷を負ったって認識してないから、結果的に無傷なのね」


「だ、だからって…………そんな簡単に殺すのはちょっと」


「だから殺してないってば! 『強度』とは別の意味で殺せない。事実上の不死身なんだから。尤も、ニンゲンが使うなら抜け穴は幾らでもあるから大した脅威にはならないわ。で、有珠希。白い糸は見える?」


「あ、ああ」


「切って」


 渡された折り畳みナイフはその為にあったらしい。痛みで泣き叫ぶ少年に恐る恐る近づいて、白い糸に刃物を伸ばす。真横に刃物を近づける男の存在は、彼にとってどんなに恐ろしいか。


「た、助けてええええええ! 助けてええええくださああああああああい! いたあだだだだあああああああああ! ぎゃああああああああああ!」


 白い糸を、切断。



 少年はぴたりと泣き止んで、硬直した。



 二秒。三秒。四秒。五秒。


「いだあああああああああああああい! うぎゃあああああああああああああ!」


 また何事もなかったように泣き出す。糸を切った影響なのか俺からは判断出来なかったが、マキナは嬉しそうにその結果に頷いていた。


「うん。大体分かったわ。取り敢えず危ないから離れてくれる? 後処理するから」


「危ないのはお前の事な」


「違うって! 危ないのは―――」


 マキナの方―――視界の関係上、どうしても少年まで入れてしまう―――を向くと、血の涙を流した少年がその左手だけは力強い動きを残して、俺の肩に触ろうとしていた。その手に追随するのは、白い糸―――




「駄目よ。私の大事なパートナーを傷物にするなんて」




 目の前を何かが横切って、少年の肘から先を木端微塵に切断。俺は尻餅をついて何が何やら、理解が追い付いていない。その間にマキナは彼の頭を掴んで、怒りを孕んだ笑みを浮かべている。糸はその間も彼女を侵そうとしてくるが、ただの一度も触れられない。触れられざる光輝に当てられ、萎んでいる。


「有珠希の手前殺さないであげるけど、今の行動すっごーく腹が立ったから、オシオキ」


 少年の耳から透明な液体が零れ落ちると、その身体は生命活動の一切を停止して崩れ落ちる。その液体から避けるように回り込んできて、彼女は俺に手を差し伸べた。


「ほら危ない。だから離れた方が良いって言ったのに」


「――――――な、なあマキナ。実際、今助かった訳で、感謝してる。してるんだけど。非常に言い辛いんだけど、その子は」


「規定は触れられる物に干渉出来る。キカイはニンゲンが目に見えない様なモノもきちんと認識してるのよ。だから人格に『強度』を与えて形にして、身体の外に出してあげたわ」


「―――じゃあ、その液体。は!」




「人格のデータね。もう戻れないし感覚もないから本人は何が何だかって感じでしょうけど」




「お前、それじゃ殺してるのと同じだろ! いや、それよりも酷い! 何もそんな事しなくたってッ!」


「そんな事言われても、貴方の視界を信じるならその子は自分の因果を誰かに委ねてる訳だし。生殺与奪の権利を本当に奪われてるって言えばいいかしら。だからここで私が加減しても、その委ねてる誰かの気分次第で殺されるわ。救ってあげたなんて事は言わないけど―――もうこれ以上苦しむ必要なんてないんだから、いいじゃない」


「何を…………言っているんだ?」







「あの子が痛がってたのも本当だし、貴方を襲おうとしたのはそう命じられたからじゃないかしら。心の底ではやりたくなかったらしいけど、痛みから逃れる為には貴方を道連れにする必要がある。さっきの逆よ。『傷病』の基準を引き上げたから不死身になっていたけど。『傷病』の基準が限界まで下げられたら、かすり傷で出血多量、息を吸うだけでも喉がズタズタ。ちょっとした体調不良が全身に色んな病気を誘発させる。一度負って治った傷や病気も言う事を聞かなければ二度と治らないなんて真似もできるんだから、生きてても仕方ないじゃない。それとも貴方は、そんな生き地獄でも死ぬよりマシって思う?」







「………………」


 答えられない。


 そんな、無責任な発言は出来ない。


 あらゆる人間が糸に繋がれたこの世界に、俺は絶望していた。マキナと出会わなければ、きっと近いうちに自殺していたと確信するくらいに。たまたま出会った奇跡の存在によって、俺はこうして生きている。


 彼女から語られた生き地獄は想像を絶っしている。俺なんかより余程苦しく、それこそ救いようがない。救えるとすれば『傷病』の規定の所有者くらいで、マキナの言い分では『傷病』の所有者がそれをやっているのだと言う。


 ならばそこに希望はない。死ぬよりマシなんて。死んだらそこで終わりなのだから、生きている限り続く地獄よりマシかどうかは議論する価値もあるまい。


「…………お前が優しい方って思うなんて、どうかしてるかもな」


「私、ニンゲンには興味ないの。優しいとかそういう尺度が間違ってると思うわ。でもこんな使い方しか出来ないんじゃまだ使い始めて時間が経ってないみたいね。さっさと取り戻しに行きましょうか」


 マキナの手を取って立ち上がる。少年の人格データを背に歩き出そうとすると、彼女は不意に後ろから抱きついてきた。


「うわっ!」


「お返しっ。大丈夫、そんな不安な顔しないで? 他のニンゲン全部殺してでも、貴方にだけはそんな苦しい思いさせないんだから!」


  



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る