清浄と汚染と恍惚と
高速飛翔の反動か、家に戻ると何とも気怠い重力が全身に襲い掛かった。身体が血肉臓腑に塗れている事など気にしようにもそれは全く関係ない。俺の意思とは無関係に、身体は寝転がった。
「つ、疲れた……」
「ニンゲンの身体って、ニンゲンには不潔なのよね。それって不思議じゃない? 同じ身体を構成する物質なのに、有害なんて」
「キカイは大雑把でいいな。羨ましいよ」
「あー、また馬鹿にしてる! そんな事言うなら綺麗にしてやらない!」
元が嫌な人間なので、どうも意識しないと息を吸うように嫌味を言ってしまうらしい。それか、人の救いを受け入れられないひねくれた人間だから反応がもう根本からひねくれているのか。
思い直して、上体を起こす。マキナは目の前で正座して、ツーンとそっぽを向いていた。
「悪かったよ。マキナ」
「ふーんだ」
「ごめんって」
「ふーんだ」
「……今度ちゃんとしたデートするから、許してくれ」
「え、ホント!? だったら許すわ!」
こんな事で機嫌を直すのもどうかと思う。女心は複雑なんて言われてきたけれど、そういう意味でもキカイは大雑把で助かった。何でこいつはこんなにチョロイんだ。
勿論、今は最強の免罪符を駆使すれば意中の相手を落とす事なんて容易い。『俺を助けると思って付き合ってくれ』で済む事だ。だがそれは相手の心を軽んじている様な気がするので、頑なにその手段だけは使わない。
「じゃあ綺麗にして、今度は何があっても汚れないようにするわねッ」
「それも困る。風呂に入る楽しみっぽいのが無くなりそうだし。今を綺麗にしてくれるだけでいいよ」
「せっかくサービスしてあげようと思ったのにー。でも大切な事を教えてくれたからいいわ。ニンゲンは身体を清潔にするのにも楽しさが必要なのね」
―――ん?
俺は要らない認識を与えてしまったのか?
「ちょっと待った。面白おかしくしろってのは違うぞ。気持ちよさとか疲れが取れる感じが楽しみっていう意味でだな」
「そうなんだ。だったら別にいいわね!それじゃあ念入りに改定してあげるから、服を脱いでくれる?」
「……そこは普通なんだな」
でも脱ぐのは恥ずかしい。それは多分、コイツを異性として認識しているから。でも血塗れのまま生活するのは不快感として凄く気持ち悪い。渋々ながら服を脱ぐと、脱いでいる間にマキナは俺の上に跨って、嬉しそうに笑っていた。
「……何してるんだ?」
「何って、今から綺麗にするのよ」
「跨る意味」
「気持ちいいのが楽しみなんでしょ? だから私の身体で綺麗にするの!」
…………。
………………?
こいつは。
何を言っているんだ?
「むぐ…………!」
有無を言わせぬ柔らかな圧力。豊穣の女神を彷彿とさせる豊かさと、まごう事なき女性の温もり。張りと柔らかさの同居した胸の感触にただ圧倒されている。顔が解放されたかと思うと、身体に向かって押し付けられる。人がどんな事を考えているかなんて知りもしない。
「そ、それはないだろ! ちょ、やめて! マジでそれはやばい!」
「貴方には言ってなかったけど、私ってば心が読めるのよ。有珠希、私の身体に触れている時嬉しそうだったから!」
「せめて下着をつけろ! お前多分どっちもつけてないだろ!」
「下着って、ニンゲンの繊細な問題を解決する為の道具でしょ? 私そんなの必要ないわ! 有珠希はあった方が嬉しい?」
「………………」
誰も居ない事を確認する。
答えはない。言えない。糸の繋がった人間全てを嫌悪する俺と言えども、恥じらいと、最後のプライドはあるのだ。
「……続けるわね♪」
心が読めるなら必要ないだろう。沈黙は時に雄弁。マキナは引き続き、そのままの身体で俺の身体を『洗った』。
身体は綺麗になったが、二一時までにはまだ少し時間がある。その残った時間をどう有意義に使うかについては、この際どうでも良い。
「お前は楽しかったのか。身体を綺麗にするの?」
「ええ、楽しかったわッ。何だかくすぐったくて、気持ちよくって♪ お風呂に入る感覚ってこんな感じなの? 私は真似してみた事もあるけど、そういう風には感じなかったから」
「不思議な奴だな」
「それは貴方の方よ? 私はこーんな恐ろしいキカイなのに、取引しようとして、ちゃんと部品集めを手伝ってくれて、デートまでしてくれるんですもの! 変なヒトね。きっと、碌な死に方しないわ!」
「褒めてないなそれは」
二度目の病院侵攻、その道中。マキナは気分で白いコートを羽織って、俺と手を繋ぎながら向かっている。繋いでいる理由は、なんか楽しいからだそう。
「大丈夫、死なせる様な事にはならないわ。私が居るんですもの!」
絢爛豪華な輝きをその瞳に、屈託のない無垢な善意に俺の心は戸惑っていた。免罪符も人の都合も感じないから、ひねくれようがない。人の都合なんてそもそもマキナには一切入らない。彼女はキカイで、ニンゲンの事なんかどうでもいい。俺は取引相手だから安全圏に居るだけだ。
「ん。着いたわね」
夜の病院には死の気配が伴っており、他のどんな建物にもない得体の知れなさがある。一言で言って不気味だ。廃病院……というべきかは分からない。一応人が居た訳だし。
「……お化けとか出ないよな」
「有珠希はお化けが見えるのね」
「馬鹿、お化けなんざいねえよ」
「居ないと思ってるのに怖がってるんだ。変なヒト」
「お化けってのはそういうもんだよ……待て。今の発言は何だ? 居ないと思ってるって……いるのか?」
マキナは意味深に笑顔を返してそれっきり。雰囲気違いな足取りで建物の中へと入ってしまった。昼に一度入ったというのにこの緊張感は何故だろう。これが廃墟と呼べるような建物ならまだマシだったかもしれない。お化けはいるかもしれないが、それでもここまでの圧力はないだろう。
お化けはいないかもしれないが、ここには何かが居る。
少なくともそう思わせる根拠のない確信がこの市立病院には存在した。あの妙な看護師の事を言いたい訳じゃない。
「待てよ!」
合流すべく慌てて中へ入ると、待合室の所でマキナが手の甲を見せつけるように立っていた。
「うらめしやー!」
「………………」
可愛い。
「くだらない事すんな」
「あれー!? 有珠希の面白い反応が見れると思ったのに、ちょっと残念ね。やっぱりお化けとか怖くないのね」
自分のクオリティが低すぎる事には気付いていないようだ。マキナは難しそうに首を傾げ、それはさておきと一人で話題を切り替えた。
「そうだ。基本的に私が全部守ってあげるけど、万が一って事もあるから、これを持ってて」
そう彼女に渡されたのは折り畳みナイフだった。どう控えめに言い訳をしても凶器だし、恐らくこんなものを所持していたら変な奴以前に銃刀法違反で捕まるような気もしている。こんな世界で今更犯罪を気にするのも俺くらいなものだが、実用性の面からもこのナイフは頼りない。
「俺、殺人の心得とかないんだけど」
「誰も貴方にそんな技術は期待してないわ。糸を切る時に使えば楽でいいじゃない。私の推測が正しいなら、白い糸はちゃんと切れる筈よ」
確かにあの脆い糸なら切れるだろうが……手でも切れるのにわざわざ刃物を使うのは馬鹿らしい。これは料理や工作とはそもそもの論点が違う。干渉出来るなら何でも良いのだから、こんなものを使う必要は本来ない。
そう思っていたが、一々相手の目の前で千切るのもそれはそれで隙を晒している気がしてきた。ナイフなら危険物だから勝手に避けてくれるだろうし、避けてくれるならやはり糸は切りやすくなる。
「……分かった」
「それと、今度は離れないで私を呼んでくれる? 有珠希の代わりはいないんだから、もっと自分の事を大切にしてほしいわ。私が居れば危ない目になんて遭わせないんだから!」
「――息巻いてる所悪いんだが、この状況は危なくないのか?」
「『傷病』の規定は『強度』よりは危なくないわ。それと有珠希、そろそろマスクを外してもいいわよ。影響が消えてると思うから」
―――段々忘れてたな。
マスクは不思議な物体で、最初こそ息苦しさを感じるが努めて気にしないでいると今度は着けている事さえ気が付かなくなる。密着感がある訳でも肌になじむ訳でもないが、身体の順応がやけに早いのだ。おそるおそる頬を触ってみると、確かに頬の突起は無くなっていた。柔らかさが人体のそれではないのでまだまだ注意は必要だが、これなら取り敢えず問題なさそうだ。
「やっぱり貴方の顔は全部見えた方がいいわねッ。それじゃ改めてお化け狩りと行きましょうか!」
目的がすり替わってる。
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