糸に嫌われし機械仕掛け



 病院の中は綺麗だ。とても潰れているとは思えない。何かの間違いで定休日になってしまったと考えた方がまだ納得が行く。昼に待合室が空いているとは奇妙な光景だ、どんなに評判が悪い病院でもこんな光景は目に出来まい。もう一度言うがここは市立の病院だ。


 ネットの情報に違わず、ここは寂びれている。元々派手な色使いをした病院なんて存在しないが、電気もついていない影に覆われたこの建物において、マキナは一層輝いて見えた。


「暗いわね。でもヒトの気配はするかな……」


 後ろ姿に目を奪われて足が止まる。煌びやかというか、本当に金髪から何か妙な輝きがキラキラ零れているが、いずれにしたって見惚れるモノだ。声を失ってただ、その景色に満足している。不自然に無言になった俺を心配してか、マキナがくるっと振り返った。


「どうしたの?」


「いや……何でもない」


 潰れている訳ではないだろう。従業員しか入れない様な場所に入れて、しかもそこには患者の個人情報が残されたままだったりする。パソコンもパスワード画面を通り越してファイルを開ける状態であり、情報が欲しければここで幾らでも覗ける。


 医学素人の俺には、何のファイルがどんな風に使えるかちんぷんかんぷんだが。


 しかしこれだけなら別に驚く事じゃない。閉店しながら平然と営業している店があるくらいだ。それの方が余程おかしい話で、人が居ない方がむしろ自然というか。それでも個人情報が放置されているのは気になる。


「有珠希は何処かに糸が視えたりする? どっちでもいいけど」


「赤い糸だけあるとか白い糸だけあるって人間は居ないから、見えるとしたらどっちかだよ…………一階には見えないな」


 糸は基本的に、というか無数の糸が織りなす熾天の檻に向かって伸びているので、人が居るならたとえ隠れていても糸が丸見えだ。オンラインゲームなんかでアバターの上に名前が表示されている様な理屈だと思ってくれれば分かりやすいと思う。


 人が居ないのなら因果の糸はなく、理外の美貌にそれは寄り付かない。どんな見通しの良い場所よりも、ここは俺にとって広く感じた。ただ目の前の物を見ているだけで異常な負荷がかかるなんて理不尽な目にも付き合わされない。



 


 凄く居心地が良い。




 パッと電気が点いて、俺は呆気にとられた。


「え?」


「電気が通ってるのに消すなんて」


「いや……人が居ないのに通す意味がないだろ。救世主気取りの奴が電気を頼むにしたって目的が見えてこないだろ。使わないんだから」


 電気代なんて概念はその気になればなくせるし、起こりうる損失など気にする人類はいない。誰かを助ける事に都合の悪い事実は認識されない世界でも、これは明確に異常と言える。助けるべき都合が無いのなら、当初の真っ当なルールにのっとって電気は止まっているべきだった。


「ま、まあ。だったらエレベーターも使えそうだな。そっち使おう」


「上の階には誰か居たりしてね?」


「そう考えた方が自然ではあるな」


 呼び出しボタンを押すと、鉄の揺り籠が上から降りて来た。マキナが一足早く乗り込んで、俺もその背中に続く。キカイに機械の操作をさせるのは何となく不安になったので俺が担当した。一通りの動作に支障はなく、普通のエレベーターだ。


 取り敢えず二階を押すと、籠がゆっくりと上にあがっていく。普段は空気と変わりない重力が、この時は圧を感じさせてきて、個人的には嫌いだ。気分が悪くなる



 ―――こういう時、暇なんだよな。



 一階から二階に上がるだけなら階段を使っても良かったかな、なんて後悔している。横の鏡を見ると、たまたまそれを見ていたマキナと反射越しに目が合った。月の瞳が僅かに隠れてニコッと笑いかけてくれる。それが恥ずかしくて、目線を逸らした。


 二階も一階と同じで相変わらず人の気配はしないが、マキナはそれを感じ取っているようだ。ただ何処から感じているかまでは特定出来ないらしく、まずは二手に分かれる。入院患者がいないというのは本当だろうか。入院と一くくりにしても、例えば植物状態の人間なんかは居なくなろうにもいなくなれない訳で。電気が通っているならもしかしたら居るかもしれない。


 見つけた所で、だからどうという話はないのだが。


「…………」


 カーテンが閉まっていないので確認はしやすい。何処の病室を見ても、人は居なかった。




「あのー…………何か御用ですか?」




 振り返ると、そこには上下を白一色で揃えた看護師の女性が胸にクリップボードを抱えて立ち尽くしていた。病院ではよく見る―――というか規程の服装だ。閉店した店にも平然と従業員が出入りしていたので、これ自体はおかしい事じゃない。


「申し訳ございません。ここで入院されていた方々は手続きも経ずにいなくなってしまいまして。ご家族の方ですか?」


「…………えっと。探さ、ないんですか?」


「―――ここで入院されていた方々は自力で動くのも困難な人達ばかりでしたので、元気になったのならそれで良いと病院側で決定したんです」


 その抽象的な判断は命を預かる者としてどうなのかと言ってやりたいが、死体を認識出来ないのでは仕方がない。女性は『山中』というらしい。ネームプレートにはそう書いてあった。


「そ、そうですか。えーっと、そうだ。他に入院されてる方とか居るんですか? 診察を受けてる人でも、何なら勤務中の医師の方とか!」


「は?」


「え?」


 山中という女性は少し考えてから俺との距離を縮めた。


 俺はその一歩に応じて退がった。


「…………? 何故逃げるんですか?」


「………………」


 病院が潰れた場所にも看護師が通勤している。これ自体はおかしい事ではない。これ自体は。


 おかしいのは彼女の紅い糸と白い糸だ。真上から吊るように伸びているいつものとは違い、この女性だけは背中から壁を貫通して真横に伸びている。普段見えている糸と同じようで、繋がり方が決定的に違う。


 真上から伸びない糸は、初めて見た。


「…………もしかして空き巣?」


「違います。そんなクソと一緒にしないで下さい!」


 山中という女性がまた近づいてくるので、下がった。


「なら」


 近づいて。退がった。


「なんで」


 近づくから、退がる。


「どうして」


 近づく。壁も近づいてくる。







「何故、そこまで怯えているんですか?」








「有珠希に何してるの?」


 山中と呼ばれる女性の背中を取ったのは、二手に分かれて反対方向に行っていた筈のマキナ。あろう事か彼女は壁を『強度』の規定で溶かして(厳密には強度が落ちた壁が重力で勝手に崩れた)直線距離で俺を助けに来たのだ。


「貴方は―――」


 パンっと軽快な音が鳴って女性の頭部が破裂した。飛び散った血肉臓腑の破片は全て俺にぶちまけられている。頭があった個所にはマキナの平手が置かれていた。


「………………ぁ。ああ」


 足元から力が抜けて崩れ落ちる。マキナは首のなくなった死体を足首から掴んで窓から放り投げると、慌てて俺に駆け寄ってきて、その手を掴んだ。


「先に行きましょう。大丈夫。あれはあの程度じゃ死なないわ」


「…………ぇ?」


「ニンゲンはどうでもいいけど、まだ有珠希には何もしてないし、殺さないでおいてあげたのよ。成程ね、こっちの盗人は『傷病』の規定を持ってるって訳かー。ふーん…………もういいわ。夜に出直しましょう。多分ここには、まだ居ないと思うし」


「お、お……な、何でそんな事が分かるんだ……? い居るかもしれない。のに。み、見つけるのは早いに越した事はないだろ! それはそれとしてこ、殺さなかったのは……偉い、けど」


「うーん。部品を見つけなくちゃいけないのはそうなんだけど、今は有珠希の身体を綺麗にする方が先よ! ごめんね、力加減間違えちゃったッ。本当はもっと案内して欲しかったけど、それはまた別の機会に。家に戻りましょ!」


 『強度』の規定で壁を溶かし、マキナは宙へと飛び立った。勿論俺を引き連れて。






「待ちなさい! キカイ!」






 何か背後から聞こえた気もしたが、気のせいだろう。風に流されて真偽を確かめるすべもない。


「~♪」


 マキナも、気にしていない。 

 

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