帳を落とした恋心



「うおおああああああああああああああ!」


「口を開けてたら危ないわよ。治してあげられないんだからそこは自分で守ってね?」


「…………!」


 普通に追跡するのは難しいようで、俺は現在マキナに抱えられて宙を舞っている。ブランコではしゃいでいた時の比ではない。羽よりも軽く、空気よりも軽く。ただ己の重さのみを感じながら。


「あの子、不思議な移動の仕方ね。有珠希、普通のニンゲンは瞬間移動が出来るのかしら」


「………………!」


「喋ってよ!」


「でえええええきいいいいいいいるううううううかあああああああああああああ!」


 このポンコツは自分でした警告の事なんてすっかり忘れて、自分勝手な奴だ。そんなに喋らせたいなら何処か適当な場所に着地してからしてほしい。と、それすら常識的な感性だったと今に思い知った。


 マキナは目の前で慣性を無視して制止すると、脇に抱えた俺を正面に抱き直して、真正面からニコニコ笑って首を傾げた。


「これなら大丈夫?」


「ちょ―――おま! 馬鹿! 何でここに止まる!? もっとましな場所で……!」


 命綱もなければ気のせいでもない。ここは空中だ。俺が落ちずに済んでいるのはマキナが抱きしめているからで、手を離されたが最後、特に何の奇跡も起きずに死ぬ。


 胸がどうとか細かい事は気にしていられない。力の限り彼女の体にしがみついて、即死から逃れんと現実から目を背ける。


「きゃっ。どうしたの? そんな風にしがみついて、落ちやしないのに」


「う、うるさあい! そんな事どうでもいいから早く移動しろ! 瞬間移動なんて出来ねえから!」


「そう。それを聞いて安心したわ。じゃあやっぱり部品かしら。でも私の中にあんなのあったかな……」


「何で自分で把握してないんだ!?」


「使い方次第なのよ。規定は飽くまで基準を弄ってるの。例えば……『殺害』の規定っていうのがあるとするでしょ。それは『何を以て殺害とするか』っていう事なのよね。規定はその基準を弄るだけ。全身が消滅しないと死なないなら改定された


生物はたとえバラバラになっても生きてるし。細胞の欠損率が一%を超えただけで『殺害』なら、ちょっと怪我すればすぐに死ぬわ」


 で、『強度』の規定で結々芽は俺を液状にして食べようとしたと……



 え?



「ちょっと待て。『強度』の規定ってのは明らかに強度自体を弄ってるよな。なんか話が違くないか?」


「基準が部品ごとに違うのは当然じゃない。殺害力なんてないでしょ? 強度は破壊などの現象に物体が耐えることができる度合いだから……何を以て強度とするか。つまり、改定される前の物体が持ってる元々の強度は、どの範囲まで適用されるかという事ね。あの時の貴方はくっついた唇から吸い込む程度で壊れちゃう脆い身体だったって話よ」


 説明も程々にまた宙を舞う。俺が真正面からしがみついていてもマキナはまるで意に介していない。俺もまた、意に介す余裕はない。死にたくないので、精一杯だ。


 必然、その豊満な谷間に顔を埋めているが、奥から俺の心臓の音がドクンドクンと鳴り響いている。俺の……なんて変な話だ。ドナーになったつもりはないのに、ここには確かに人の心臓がある。


「到着したら教えてくれ! 俺は絶対外の景色なんて見ないからな!」


「有珠希、ひょっとして怖がりなの?」


「うるさい! 急にこんな高度まで上がったら怖いに決まってるだろ!」


 呼吸が苦しい事よりも、高い景色を見るのが嫌です。


 胸の中でうりうりと身体を動かして引き続き現実から逃避する。心臓の音が三倍以上に跳ね上がってもう心拍というよりエンジンみたいな事になっているが、これがキカイたる証だろうか。


「………………う、ず、き」


「どうした!?」




「く、擽ったい……」




「ええ!」


「も、もうすぐ着くけど……くすぐったくて、しゃ、喋れないから」


 直ぐに顔を離すと。


「駄目! 有珠希はずっとそうしてて!」


「ええ!? くすぐったかったんだからやめた方が」


「いいの! なんか…………むずむずするのが、いいの」


 底抜けに明るい少女から聞こえるしおらしいようないじらしいような声に、俺は反論の一切を封殺。


 そのまま着地するまで、言われた通りに現実逃避を再開した。














「有珠希、もういいわよ」


 風切り音とその抵抗に身体が慣れて、一切の神経が死んでいた時。そんな声がかかったので、マキナにしがみついていた手を解放した。どこかのマンションの、屋上に立っている。


「ここ、何処だ?」


「さあ? でも瞬間移動をやめてここに入っていったのよね。尾行に気づかれたと見るのが妥当だけど。どうする? 有珠希が追いかけるって言うなら追いかけてもいいわ。それより手っ取り早く済ませる方法も、あるんだけど」


「……一応、聞こうか」


「このビルを改定して潰せば探す手間が省けるでしょ?」


「却下。探そう」


 俺は糸に繋がれた奴が嫌いだが、だからって無差別殺人をしたいとは思わない。「楽なのにー」とマキナは口を尖らせて不満そうだったが駄目なものは駄目だ。郷に入っては郷に従えと言うのだが。キカイにそんな倫理は期待するだけ無駄だったようだ。


「そうだ、今回のあの子の事だけど、ユニメと違って俺に危害加えてる訳じゃないから、交渉してもいいよな」


「いいんじゃない? 一々許可なんて取らなくてもいいわ。ちゃんと従ってくれるならどっちでもいいし」


 エレベーターで五階に降りたが、少女の姿は無かった。四階に降りても同じ、三階に降りても同じ。こんな無茶苦茶な尾行に勘付くのも相当凄いが、撒き方が徹底しているなと思う。


「ねえ有珠希。私のカラダ、気持ちよかった?」


「変な言い方やめろ。まあでも……怖さはなくなったよ。糸も視なかったし、だからストレスは感じなかった」


「そう…………うふふ……そうなんだ……うふふふふ♪」


 何処にもいない。これはあれか。屋上から一階まで駆け抜けて路上に逃げる事で撒いたのか。そうでなければこのマンションの部屋という部屋を片っ端から調べる事になる。『強度』があるので強引な突入は可能だが。迷惑を掛けるのは避けたい。


「ん?」


 あの少女ではないが、妙な広告が捨ててあった。



『救う神あれば、拾う神もあり! お困りの事があれば、神の手を持つイーシンツ様に相談いたしましょう!』



 連絡先などはないが、広告の背景に市立病院が映っている事が気になる。知っての通り、この世界はどうも善悪で分けるには単純化し過ぎた。誰もが誰かの救世主、頼まれれば断れず、救う事こそ至上の命題と言わんばかり。故に、どうあろうと救えない死体は認識出来ず、放置される。


 そして救おうとしない奴は悪であり、救いを拒むのも悪だ。そんな奴には暴力もやむなし、それが正義。現状でそんな被害を受けているのは俺だけで、殆どの人間がただ利益に甘んじている。閉店したお店も誰かを助ける為なら開店するし、殆どの商店は値段など形ばかりで無償提供だ。


 これは病院も例外ではない……と言いたいが、病院は潰れたままで開かれない。勿論、納得の行く考え方はある。


 レストランは食事を摂る場所だが、その用途は様々だ。単にその店の料理が好きだからかもしれないし、誕生日なのかもしれない。家族団らんの一環かもしれなければ、何となく入ったのかもしれない。理由は人によって様々で、だからこそ人的供給は店が潰れない限りは……いや、今は潰れても営業するので、本当に絶える日はないだろう。


 ところが病院の用途は治療か診察の二択だ。分かりやすく言いかえよう。体調不良になったら行く場所なのだ。裏を返せば、体調不良の人間がいないなら、病院の役割はどんなに善意があろうと存在しえない。


「…………マキナ。これ。お前の部品が関係してたりしないか?」


「ん? どれどれ?」


 携帯で市立病院について調べると、どうも入院患者が消えるどころか日増しに来院も減っていたようだ。認識されているので死んだ訳ではないと。


「あの子、逃げるの得意っぽいしこっちを追ってみないか?」


「…………ええ、いいわよ。ちょっと観察に行きましょうか」




 マキナの顔はえらく険しく。部品を盗んだニンゲンの顔を楽しみにするような黒い笑顔を浮かべていた。




































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