金色の華と酔いどれの糸

「…………ん……」

 夢を見た様な気もしているが、今回は覚えていない。寝起きも上々で、邪魔をする人間はおろか、電話さえかかってこな……ああいや、妹からは掛かっていた。心配ないというメッセージだけは送っておいたが、これで家の諸々が無事で済むとは思わない。ますます帰りたくなくなった。

 というか、目が覚めた原因はこれだろう。ついさっき起きた時には見当たらなかった携帯が今度は手元にある。


 隣では、マキナが座ったまま眠っていた。


「すー…………すー…………」

「…………なっ」

 女の子が無防備な姿をさらして眠っている。それだけでもおかしな話だが、楠絵マキナは決して人間ではない。俺には何処からどう見ても普通の女の子にしか見えないが、まるっきり普通の人間じゃないのも分かる。じゃないと結々芽をあんな風には殺害出来ないし、そもそもバラバラになった状態から会話なんて不可能だし、人様の心臓をしれっと奪い取る真似も出来ない。

「呑気に寝るなよ」

 自分を棚に上げつつ、その寝顔の美しさに魅入っている。金の睫毛が羨ましいなんて思ったのは初めてだ。そもそも周りの人間には一切の例外なく糸が視えるせいで、俺には見た目に対する執着が存在しない。学校に全く美人が居ないとは言わないが、たとえ美人でもその身体を吊るす糸がどうしても俺にストレスを与えてくれる。

 この糸は一体何なのか。マキナに出会うまではそれを考える事すら馬鹿馬鹿しくなるくらい、うんざりしていた。

 だが目の前の少女には糸がない。赤い糸も無ければ白い糸も、身体の何処にも触れていない。これを因果と呼ぶなら、まるでマキナが因果の外の存在であると言っているみたいだ。実際、キカイなんて無茶苦茶な存在は因果の外に居るべきなのだろう。

「………………」

 髪に触ろうとした手を理性で引き止める。キラキラと輝く黄金に目を奪われる様は、まさしく金の亡者と言えるだろう。大陸の底に眠る無尽蔵の財宝なんておとぎ話、或いはそれよりも強い輝きを持った極色の黄金。目を離せというのは難しい。

 無理やりにでも視線を誤魔化しても次に見えるのはこの世の曲線美を詰めたような煽情的な肉体と、本能を刺激する視覚的な柔らかさ。何よりこの身体が欲しいという、抗い難い狂気がやってくる。

 マキナが目を覚ませるまでの一時間以上、まるで時間が止まっていた。止まったまま呼吸を忘れ、夢中になって、彼女が目覚めたと同時に、全ては動き出した。

「…………有珠希、目が覚めたのねッ!」

 月の瞳がキュッと猫目のように縮んだかと思うと、瞬きを挟んで満月に戻っていた。キカイに寝起きという概念はないようで、起動したその瞬間からいつでも元気いっぱいだ。マキナは俺が起きていた事がそんなに嬉しいのか、身体に跨って顔を近づけて来た。

「ね、こんな所でずっと眠っていてもつまらないわ! 外に出て散歩しましょうよ! せっかく貴方が一日付き合ってくれるんだから大切に使わないとね。まだ夜まで時間もあるし、この町の事はあまり詳しくないの。だから……案内して欲しいなあ、なんて!」

「ちょ、おま、離れろ! 近い! 近い近い近い!」

 心臓の代わりに回る歯車が加速度的に回っていく。ギリギリギリギリギリと、まるで身体自体を食いちぎらんばかりに躍動する鼓動はあまりにも暴力的で、留まるところを知らない。

「わ、分かったから! 案内するから離れてくれ!」

「本当かしら? 離れて欲しくて嘘言ってたりして」

 互いの吐息が顔に掛かる程に距離が近くなる。豊満な胸は先端が押し付けられ、瞳の非生物的な輝きに意識を呑まれている。瞬きもなく、どんな宝石よりも強く輝く銀の瞳が見つめてくる事五分。

「……いいわ! 離れてあげるっ」

 


 解放されて、全身の力が抜けた。

「…………はあ、はあ。別に、案内するのは嘘じゃないけどさ。それってデートだからな? お前、良いのかよ。デート」

「デート? 言葉の意味は分かるけど、それの何処が問題なの?」

「色々言われるかもしれないだろ?」

「私、ニンゲンの事なんて気にしないわ! それとも有珠希は、私とデートするのがそんなに嫌?」

 答え方を間違えたらすぐに拗ねてしまいそうな、素朴な疑問。こういうのはズルいと思っている。ガード不能回避不能で、答えなんてあってないようなものじゃないか。

「いや…………じゃない、けど」

 後ろ手を組んで首を傾げるマキナがあんまり可愛くて、ついそんな風に答えてしまった。彼女はパアっと顔を明るくさせると、早速俺の手を掴んでベッドから引きずり出そうとする。

「だったら決まりね! ほーら、早く行かないと楽しい時間が少なくなるわ!」

「だあああああああ! やめろおおおおお! 心の準備とか色々そういうのが必要なんだって!」

 力が強いなんて物じゃない。重機と力比べしているみたいだ。次元が違い過ぎて手応えがどうやっても感じられないのである。ならばどうするか、と焦燥に駆られた結果、押して駄目なら引いてみろと真っ当な結論に達し。

 それは単に、捕まりに行く様な物だと気付いた時には、既にマキナに抱きしめられていた。

「つーかまーえたっ♪ しゅっぱつしんこー!」

「うわああああああああああああああああ!」


























「それで、何処に向かってるの?」

「今考えてる最中だよ。案内だから別にいいだろ」

『逃げないように』という名目で、マキナと腕を組んでいる。胸が軽く当たっている事なんかどうでもいい、気にならない。それよりも何よりも周囲の目線を浴びている事の方が気になる。当たり雨だが、こんな絢爛豪華な美人は目立たない方がどうかしている。

 町中に本物の金塊を全身に背負った人間がいれば絶対に見てしまうだろう。それと同じだ。マキナを見ないのはあり得ない。奇異も光機もニンゲンに無関心を貫くマキナにはどうでもいい事だが、俺には全く話が変わってくる。

「…………ぅ」

「……有珠希?」

 商店街なんて場所は、悍ましい場所だ。普段なら絶対に足を運ぶ事はない。マキナが例外なだけで何百何千の糸が真上から伸びているだけで眼が痛くなる。頭が割れそうだ。この視界を知らない人間に苦しみなんて分からない。こんな悍ましい物が見えないなんて幸せな奴だ。真面目に羨ましく思っている。

 紅く細切れになった世界の中で、好奇の目線。耐えられている理由があるとすれば、近くに糸のない存在が居て、そいつが見つめるだけで笑顔を返してくれるからだろう。

「……眼が辛い?」

「…………流石に、ちょっとな」

 目を瞑って現実を忘れる。美人にも限度はあって、目立とうと思わないと人混みの中では目立たないかもしれないが、そんな美人が何者か知れぬ地味な男子と腕を組んで歩いている光景は十分目立つ。ましてその男子は、時々苦しそうなうめき声をあげる変態なのだから。マスクもしていると余計不審者か。

「……ちょっと待ってて。何か探してくるから!」

「あ、おい―――」

 人ゴミの中に紛れる財宝の彼女。数多の糸の張り巡らされた世界で、彼女だけがそれに囚われていない。見失うと思ったがそれは杞憂だった。楠絵マキナという女性は、出会ったその瞬間から俺の中で無二の光彩を放っている。

「………………ぅうう」

 幾ら不愉快と言っても、もっと耐えられるつもりだった。見通しの甘さが俺を苦しめている。緩和の為にもマキナへ視線を投げると、彼女は自動販売機の前で立ち尽くしていた。


 ―――なんだよ、その顔は。


 華々しい明るさも、感情の機微もない、無機質な表情。その瞬間だけはロボットがロボットと見つめ合っているに等しく、感情を感じない。色を失ったマキナを、人ごみは当たり前のように通り過ぎていく。


 マキナの事を眺めていたら、次第に感覚が研ぎ澄まされていく錯覚に陥った。景色は遅れ、風は停滞し、時の刻みは遅くなる。キカイの心臓が鼓動を止めて、赤い糸が消えてなくなる。世界には、俺と彼女の二人しか居なかった。

 あの日の夜を思い出す。あの日と言っても一週間も経ってないくらい最近の話だが、俺にとって決定的な日でもある。

 あの日を境に俺は退屈な日常を抜け出し、刺激的な異常へと身を寄せる事になったのだ。その刺激は火遊びと呼ぶのも温いくらい、実際に殺されかけた経験もあるけれど、糸のない存在と初めて出会えた事が本当に嬉しかった。俺の視界に理解を示してくれた事が本当に本当に嬉しかった。


 言葉に代えられない。表現のしようがない。


『私の瞳の色は、月の色。この瞳を綺麗だって言ってくれるなら、月を見た時貴方はどんな顔をするのかしら?』



 それは実際に見てみるまで俺も分からない。ただ一つ言えるとすれば、月の瞳が輝いていないと、俺は非常に不愉快という事くらいだ。



 立ち上がって、マキナの傍へ。

「おい、突っ立ってんじゃねえぞ!」

「え?」

 ノータイムで水を二つ選択して購入。片方をマキナに渡すと、彼女はじっとそれを見つめたまま固まっている。

「―――因みに聞いときたいんだが、お前がまともだったらこういうのも嗜好品なのか?」

「……ええ、特に必要のない物だけど……くれるの?」

「だから買ったんだよ。そうそう、お前の身体にあるのは俺の臓器だからな。ちゃんと世話しなきゃまずい」

「―――うふふッ! そうなんだ!」

 こんな言い方はおかしいかもしれないが、マキナは随分と、機嫌を直すのが早い。俗にこれをチョロいと言う。何だか上機嫌になって来たキカイを連れて歩いていると、その内一つの候補に辿り着いた。





「公園行くか、な?」 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る