月とセカイは微睡みに混じる

「……美味いけど、なんか変な感じだな」


「味付けを間違ったなんて事は無いわよ。だって私キカイだもの。レシピがあれば寸分の狂いなく作成出来る……筈よね?」


「そこは自信持てよ。味の事じゃない。顔が変形してるから口を動かしてると違和感があるんだ」


 彼女の参考にしたレシピというのはネットに出回っている朝食の一種だ。オリジナル料理でなければ満足しないと言えるような立場でもなければそもそもそんな拘りもない。美味しいならそれで十分だ。いつもいつも適当な朝食ばかり食べていたせいで余計に美味しく感じる。


 それとも美味しいのは真心が籠ってるから……なんて。人間様をどうでもいいと感じるキカイにそんな概念は無いと思うが。


 馬鹿にしたい訳じゃない。マキナは善人面をしないし。自分で作った料理をこれ以上ないくらいの笑顔で食べているし、ストレスの原因になる物が何もない。幸せな一時と言っても……過言ではないだろう


 しかしそれを口にすると何だか調子に乗らせてしまう気がするので黙っておく。


「…………凄く今更なんだけど。お前って本当にキカイなのか?」


「何よ、まだ疑うの? せっかく汚れない服にしてあげたのにッ」


「いや、そういうんじゃんくて……俺の言うキカイってなんかこうゴツゴツしてるっていうか硬いっていうか無機質っていうか……だからお前がキカイって言われても、まあ変な存在なんだなとは思ってるけど、機械とは違うんじゃないかって」


「……とんでもない侮辱ね。まあでも、ニンゲンのイメージならそうなるのかしら。そういう事だったら証明は出来ないわ。私は別にニンゲンの手で作られた物じゃないし。生まれた時からこんな感じよ」


「生まれた時から……生まれた時から美人なのは、羨ましいな」


 それはそれである種の不老だ。生まれた時から成熟しているならそれ以上もそれ以下もない。美しさを求めるならマキナの様な状態は願ってもないのだろう。男である俺でさえちょっと羨ましい。ただでさえそこまで格好良くはないのに、今は顔が変形しているせいで猶更酷い事になっているから。


 マキナが何故か黙った。


 何の事は無い。何故か頬を赤らめて頬張っていたから口が開けないだけだ



「―――自分の美しさはある程度自覚してるつもりだったんだけど、何でかしら。有珠希に言われると凄く嬉しいわね!」


「まあ捻くれてるもんな……そりゃ、滅多に褒めたりしないよ」


「もっと言って!」


「調子に乗るな」


「あははッ! こんなに楽しい食事は初めてかもッ」


 だからキカイっぽくないと、俺は言っているのだ。そんなに表情豊かで、普通の女の子みたいに喜ぶキカイがいて堪るかと。そんな彼女との時間は、確かに癒しだった。


 知り合いに彼女のような人が居ないのも大きいだろうか。いや、こんな歩く災厄みたいなのがポンポンいるのも困るが、輝かしきはその表情。ちょっとの事でころころ変わる表情が見ていて何だか心地いい。


「……どうしたの? 私の事じっと見たりして。ご飯に文句でもつけたいのかしら」


「いや、いいなって思ったんだよ。お前のそういう、素直な所」


「……? 変なの。貴方だって同じ事が出来るでしょ?」


 さあどうだろう、なんて自分から振った話題を明後日の方向に逸らす。素直になれるなら、苦労しない。素直になれたら、問題は解決するのか? 色々考えて、素直にならなくていい理由を見つけようとするくらいだ。それが出来ても暫く後の話になる。


「退屈ならテレビでも見る? あ、そう言えばテレビ越しにも糸って見えるの?」


「見える。絵画とかなら出ないんだけどな。違いは何処にあるんだ…………か?」


 テレビを食い入る様に見つめたのは何年振りだろう。娯楽のごの字も知らない幼い頃の、本当にそれっきりではないか。しかし釘付けになった理由はまた別の所。




 赤い糸の隣に、白い糸が生まれていた。




「…………………マキナ」


「ん? 何何? テレビ越しに部品でも見つけちゃったッ?」


「糸って…………いや、因果って複数あるのか?」


 だからどうという訳でもない。糸が増えたからと言って全てが手遅れになる訳でも、マキナの手元に部品が戻らないという事もない。ただ、不安だった。因果に満ちた世界に映えもしないノイズが増えていくのが。


 俺がこの糸にどれだけ嫌悪感を抱いているかは今更説明する必要も無いだろう。いつだって耐えられないと思っている。いつだってもう限界だと悟っている。本当にそんな、ギリギリのまま、生きていた。


 マキナはこの世界を共有していないが、それでも今の所一番理解を示してくれている。彼女がいなければ、俺はこの糸が何なのか今も分からないまま惰性で過ごしていただろう。


「……どうなんだ?」


「意味が分からないわ」


「いや、赤い糸だけだったのが白いのも見えるんだよ」


 にわかには信じがたい顔をされた。俺にもよく分からない。だって急に見えたんだし。マキナは少し真面目に考え込んで―――やっぱり首を傾げた。


「…………私にはそれが見えないから何とも言えないわね。今夜にでも実験しましょうか


「実験?」


「前も言ったでしょ? 私は因果を実行出来るって。もし貴方の見てる白い糸が因果なら実行出来る筈よ。そしたら自ずと正体も分かって、もしかしたら部品探しの役に立つかもね!」


 成程、それは名案だ。確かにそれなら間違いない。問題は実行出来なかった場合だが、分からない物が結局何も分からなかったというだけの結果に一々悲しむような俺ではない。やるだけ得だ。ならばやろう。


「何時にやるんだ?」


「今日は一日私に付き合ってくれるんでしょ? 本当は今夜やるつもりだったから……ま、九時くらいかしらッ」


「今すぐやる訳じゃないんだな?」


「幾らマシに動けても貴方の顔はまだ治せてないわ。私、ニンゲンの事はどうでもいいけど取引相手の事情くらいは汲むのよ? どうしても有珠希が今すぐしたいなら話は別だけど!」


「…………そこまでやる気にはなれないな」


 後ろ向きな発言にも、マキナはキラキラとした笑顔のまま楽しそうに頷いている。こいつの感情は良く分からない。


 九時となると余裕で門限を破るが、そもそも守る気が無い決まりに拘束力はない。家の事なんて気にしている場合でもないだろう。家族と仲直りしたって糸は消えない。家族の一員として然るべき自覚を持ったところで、この苦しみは理解されない。


 ただ一人、マキナだけが現状では理解してくれる。だからいいのだ。


 



 食事が終わると、マキナは片づけに入った。キカイはキカイらしくと言うべきなのか、テキパキと効率化を極めた動きで彼女は食器を片付けていく。手伝おうとするとかえって邪魔をしそうなので眺めていた。


「マキナ。ちょっと仮眠取らせてくれ。食べたら眠くなってきた」


「いいわよ! 元々予定してなかった時間だし、好きに寝たら? 片付けが終わったら私も暇だから寝よっかなー」


 顔の変形部分には触りたくない。


 ベッドに腰を預けると、テレビのチャンネルを適当に変えた。視界にさえ頼らなければ、良い睡眠導入剤になる。視界を消せば赤い糸も白い糸も関係ない。つけたチャンネルでは、新婚さんがテレビでトークをする番組がやっていた。


「……有珠希。貴方達ニンゲンは同じ種に引かれて、子供を作るわよね」


「そんな確認要らないだろ。大体の生物がそうなんだから。やっぱポンコツか」


「また馬鹿にして! 知ってるわよそのくらい! ただ、ちょっと気になってね。引かれる雄と雌には個体差があるでしょ? 貴方はどんな雌が好きなのかしら」


「雌とか言うな。せめて女性って言ってくれ。…………ま、ポンコツキカイには分からんだろうが、好きなタイプに個人差はあれど、別に全員が結ばれる訳じゃないんだわな」


「またー! よわよわへにょにょニンゲンの癖に許せない!」


 気づけばマキナは片づけを終わらせ、俺の目の前で頬を膨らませながら腕を組んでいた。目を逸らしたのは怒りに怯んだというより、腕を組んでくれたせいで意識しないようにしていた豊満な胸囲が視界に入ってしまったからだ。


 緩和剤となる糸もなく、ダイレクトにゾクっと煽られてしまった。


「気が変わった。有珠希、寝ちゃ駄目。私の質問に答えなさい」


「ごめん。俺が悪かったから機嫌を直してくれ」


「だーめ。こうなったらとことん答えなさい。じゃないと腕と足をバキバキに結んで二度と眠れなくしてやるんだから!」


「いやーそんな事言われても……」



 正直、質問についてド忘れしていた。



 H? I? そんなもんじゃないだろうと、先程から邪な感情に振り回されている。外では厚着をしているから気付かないし目立ちもしないが、マキナのスタイルはキカイがどうとか以前に美しすぎて何処もかしこも目のやり場に困る。


 部屋着を見た時からそれに気づくべきだった。露出しなければ大丈夫という物ではないのだ。


「好きなタイプは…………あるけど」


「けど?」


「出会っても無理だ。糸を視てると嫌悪感が先に来るから」


 まごう事なき真実を言った。


 糸が視える限り、俺に人の営みは辛すぎる。嘘ではない。未来永劫その定めから逃れられぬものとして、今まで割り切ってきたつもりだ。



 でもマキナは―――



「ふーん……残念」


 彼女は残念そうにそっぽを向くと、椅子に座って足をパタパタ動かした。


「好きなタイプが居るなら、その姿に変わってあげようと思ったのに。その方が有珠希も嬉しいでしょ?」


「や、それはしなくていい。お前はありのままが一番可愛いから」


「え?」


 停止する時間。


 テレビは空気を読んだように不調をきたし、音を失くす。



 気温さえ、空気を読んで変動をやめた。



 自分でも反射的に口にしてしまった事を後悔しているが、ここで取り繕おうとするとかえって真実味が増すので、敢えて触れない形で。


「…………………………そ、そう? そう、なん。だ。そうなのね…………」


 心なしか絢爛豪華な金髪が落ち着きなさげに動いている様にも見える。どうも怒りはやり過ごした容なので今度こそ俺は眠りにつくべく目を閉じた。


「じゃ、じゃあ貴方は今の私のままの方が一番嬉しいの?」


「………………」


「―――意地悪。せめて、答えてから眠りなさいよ……っ」


 こんな状況で眠れるか。


 圧倒的狸寝入りの技術はキカイにも通用するらしい。誤算があるとすればマキナが椅子をベッドの前まで持ってきて、じっと俺の顔を見つめはじめた事。月の瞳がなだらかな潤いを宿し、静かに寝顔を照らしてくる。



 ―――寝ないといけない流れじゃん。



 ちょっと落ち着かないどころじゃないが。


 マキナが傍に居ると思うと、隣に糸のない存在が居ると考えるだけで……心は不思議と、微睡みの中へ―――。


 




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