Ⅱnd cause アラクレナイの心
運命を知る君よ
この出会いが必然なら、それを運命と呼ぶのなら。十年前から全ては決まっていたのかもしれない。
周囲が糸に繋がれる現実に困惑する中で、不思議な人に出会った。空が透けて見えるくらいの薄い糸を小指にかけた女性。今にして思えば、丁度俺と同い年か微妙に上くらいの女性。マキナが非現実的な存在であるならば、その女性は非実在的な存在。
現にその人は、俺以外の誰にも気づかれていなかった。ああ、そのあまりにも美しく、あまりにも完璧な容姿を俺は再現する事が出来ない。出会いの記憶は今も鮮明に、しかし記憶だけでは何かが違ってくる。とても呑気な、優しい女性。
「…………これも、夢」
夢は夢でも、キレイな夢。
空に僅かな赤い糸があるけれども。どうだ。前方に居る少年と女性は、そんな事など気にも留めていないではないか。きっと俺はあの人と話して大切な物を貰ったと思うのだが、忘れているらしい。昔と今とで式宮有珠希は決定的に違っている。多分、考え方が。
そんなの当たり前だろうと言いたい所だが、よりにもよって変わってはいけない場所が変わっている気がするのだ。その事にもっと早く気がついていれば、直感的にあの人とマキナは似通った存在であることにも気がつけただろうに。
絢爛な金色の髪に 曰く月の色をした瞳。
例えようのない美しさを持ったそれを、人はなんという?
この国にはおよそ類似例の見当たらない特徴と、現実離れした美しさ。一度会えば奇蹟だが、二度同じ様な体験をしたならば、それは運命だ。ならば。ならばどうする。全てが因果の予定調和に収まるならば、俺はどうしなきゃいけない。
「きっと君の役に立つ日が来る。神様は余計な物を与えないんだよ?」
俺に話しかけた訳じゃない。俺の記憶が限界まで再現したあの人の声。ここまでやってもまだ遠い。それでもこれが俺の限界だ。完璧には到底及ばない。
歩き出す。過去に割り込むように。幼い頃の自分と女性の間に立ってみて。あまりにも再現度が低いその顔を覗き込んだ。
「―――だから、元気を出してよ。君は特別かもしれないけど、特別な存在はたくさんいるから。絶対に、一人なんて事はないんだよ? 『今』だってほら―――」
俺と、視線が合う。
「君の傍に、私がいるでしょっ?」
「――――――はッ!」
身体が跳ねる。夢の内容をハッキリ覚えたのは久しぶりの事で……というより、コントロール出来ない夢に延々と浸っていた事が信じられない。そうだ、これが何よりの証明だ。夢を見ていた事まで分かっていても内容が思い出せない。それが常であったのに、今日という日はしっかり覚えてしまっている。
「…………ここ、は」
俺の寝室ではないが……そもそもがおかしい。昨夜の記憶が確かなら、俺は外で気絶していた筈だ。それこそ理由なんて必要ないだろう。目の前で同級生が重力に潰されて死んだ。理解したくもない光景を見せられて、信じたくもない真実を突き付けられて、まともな精神状態を保てる訳がない。
―――現実、か。
悪い夢かどうかという判別はとっくに終わってしまっている。何せついさっきまで言い逃れようもないくらい素敵な夢を見てしまっていたのだ。同時に夢を二つ見る事はないから、つまりこれが現実。結々芽は悍ましい状態で死んだし、あと一歩で俺は殺される所だった。
頬を触ると、不可解な肉の突起物に触れた。
「………………?」
これは何だ。現状把握に努めたかったが、何よりもまずこれが気になる。周囲を見回すも、鏡が無い。鏡があれば、正体が分かる気がする。まこと不便な話だが、鏡がないと人間は自分の顔も見られないのだ。
ここが何処かという理解よりも先に身体が動いて、何となく台所へ。人の動く気配を感じた。
「あ、有珠希。おはよー!」
あらゆる疑問に挨拶だけで答えてくれたのはキカイを名乗る女性、楠絵マキナ。彼女がエプロン姿のままという点で現状把握にこれ以上の説明は要らない。俺の方に近づいてくると、マジマジ顔を見つめて、勝手に頷いている。
「…………うん。問題無さそうね! 変形の方はごめんなさい。今の私じゃ治せないから」
「…………??」
「―――あれ、有珠希? どうかしたの? もしかして喋れなくなったとか!? あっれー……間に合ったと思ったんだけどな。声帯かな舌かないやそもそも喉の方に影響が…………!」
「……?????」
ただ現状把握と状況理解は別な物で、頭が追い付きそうにない。目を白黒させているというのが自分でもハッキリと分かるのは如何なものだろう。
「―――マキナ」
「あ、喋った。なーんだ、脅かさないでよ! あんまり喋らないものだからすっかり心配しちゃったじゃない!」
「ここ、何処?」
「……私の家だけど?」
そんな言語が統一されてた時代の言語で話されても訳が分からない。ワタシノイエ?
「私の、家?」
「そうよ? 拠点とも言うかしら。勿論正規の手順で借りた訳じゃないわよ。その方が手間が省けるんだもの」
「お前の家…………え。何で俺がここに居るんだ?」
今度はマキナが困り顔を浮かべて、やや面倒そうに後頭部を掻く。
「何でって―――有珠希が外で倒れたからよ。外で倒れてたら風邪引いちゃうでしょ? キカイと違ってニンゲンは繊細ですものね!」
いや、いやいやいや。そういう事を聞きたいのではなくて。
自分でも分からなくなってきたので考えを整理しよう。マキナのどの辺りがおかしいかと言われたら、主に一つしかない。
「……気持ちは嬉しいけど、帰すなら、俺の家に帰してくれよ」
「え?」
そうだ。何がおかしいって選択肢が成立していない。
マキナにとってみれば俺は邪魔な存在だ。今はそうでなくてもあの瞬間は邪険に扱われたって文句は言えない。かくいう俺が敵意を示したのだから当然の報いと言える。それを踏まえて助けてくれたのは感謝しているが、それはそれとして俺が家に帰らなかった事で新たな問題が発生してしまうと気が付かなかったのだろうか。
「…………あーうん。そうね!」
気が付いていなかったらしい。そうかいそうかい。つまりこいつはそんな奴だった訳だ。
「この大馬鹿野郎があああああああ!」
魂の咆哮を耳元で炸裂させると、マキナは痛そうに耳を抑えて距離を取った。
「うるっさいわね! 何なの急に!」
「急にじゃねえこのポンコツぱんぱかちんのキカイ様がよお! あの状況で俺が家に帰らなかったら家族は何て考えるんだよ! 時計見ろ時計! 朝の七時だばーか! 言い訳出来ねえぞこんなん! 朝帰りか? 不良なのか俺は!」
「あー! 言ったわねこのへなちょこよわよわニンゲン! 私が考えなしに貴方を運んできたみたいじゃないの。そんな訳ないでしょ!?」
「ほーう? なら言ってみろよッ。俺を家に帰す以上のメリットがある選択肢について!」
「…………全部、私の責任だから」
売り言葉に買い言葉で、開戦の火ぶたが切られた以上はもうやっていけないと思っていた。だが罵倒混じりの大声とは打って変わったしおらしい声に、馬鹿なのは一体どっちなのかと問われているようで毒気を抜かれてしまった。
そして今更のように先程のテンションは朝方に出していい高さではないと思った。
「全部終わったから言っちゃうとね。本当は貴方の提案なんて受けるつもり更々なかったの」
「……交渉するつもりは無かったってか」
「私、ニンゲンはどうでもいいって言ったでしょ。生きようが死のうが知った事じゃないわ。でも……何でだろ。死なない方が面倒くさくないって思ったのかしら。見守っちゃった」
「死なない方が面倒くさくないってのはよく分からんな」
「貴方に腸を見せた時の反応がちょっと引っかかったのよ。期待とかこれっぽっちもしてないつもりだったのに、因果が見えるなら成功するかもって思っちゃって。御覧の有様。貴方は顔が変形しちゃった」
先程から言い分を聞いていると、己のせいというよりも単純に俺を気遣った結果生まれた不備ばかりな気がする。取引相手だからだろうか。どうでもいいニンゲンを前に心配りが手厚すぎる。恥ずかしくて顔が熱くなってきた。
そして俺の顔はどうやら、おかしくなっているようだ。
「顔の変形は自然に回復するけれど、じゃあ何もしなくていいって事にはならないでしょ。だから……連れて来たのよ」
「………………いや。そういう事ならまあ。もういいや。あんまり怒鳴るもんじゃない。俺の方こそすまん。しかしお前もお前でそんな気に病む必要はないだろ。自然回復しか手段が無いなら放っておいてくれても恨まないのに」
「それは貴方の言う通りね。色々考えたけどやっぱり理由が自分でも良く分からないからこの話はやめるわ。有珠希には学校があるのよね? ならもう少し待ってて。もうすぐ出来上がるからッ!」
論理と感情が不透明な話から一転。マキナは自慢げに掌を重ねると、踊るようなステップで台所へと戻って行ってしまった。何度も翻っては揺れる赤色のエプロンが凄く似合っている。口には出さないが、幾らだって待てる気がした。
楽しそうに料理するマキナが、あんまりにも眩しくて。
「…………え、料理?」
脊髄の感想に疑問を抱くと、彼女は鍋を掻き回す手を止めてこちらを見遣った。
「自然回復の為にはちゃんと栄養を取らないとね! 学校には間に合わせてあげるから、取り敢えずベッドから出ない?」
…………
学校。こんな状態で行っても、いいのだろうか。台所に近づくと、とても良い匂いがした。何を作っているかは分からないが、味噌汁だけはハッキリと感じる。
横まで行くと、マキナが俺を見てしっしと手を振った。
「駄目よ、ニンゲンは弱いんだから火に近づいちゃ。火傷しても知らないんだからね?」
「いや、その……たった今決めた事だが、学校は休んでも良いんじゃないかって思ってな。だから……今日は、お前の用事に付き合う、かも」
マキナは鍋を掻き回していた手を止めると、満月のような瞳を俺に向けたまま硬直。パチパチと月を隠しては開き、喋らない。
「…………あ、まずかったか?」
「――――ううん! 貴方の用事があるからそういうのは今夜にしようと思ってた所よ! 凄く嬉しいわ! でもそこに立ってるのはダーメ、あっちで待っててねッ!」
ルンルンと擬音が聞こえてきそうな上機嫌のまま、マキナは料理を再開した。どういう感情かはいまいち掴めないが、彼女の機嫌を損ねたら命に関わるのは何となく分かる。殺される事はないだろうが、それでも上機嫌で居てくれるならその方が良い。
料理が運ばれてくる数秒。屈託もなければ悪意もないマキナの笑顔に、目を奪われていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます