秩序異変
俺の高校には部活に加入しなければならないという無茶苦茶なルールがある。今まで俺がその軛から逃れて来られたのは稔彦の軽いノリに付き合ってきたお蔭でもあり、彼はほんの少しのきっかけで全てを台無しにしてくれるので、当然その隣に居た俺も影響を受けざるを得ない。舌を噛み切りたくなるくらいの屈辱だが、善人の友達が居なければそんな生活は送れなかっただろう。
そんな俺にも遂にツケが回ってきた。どうせ部活に出るつもりなんかないので(というか頻繁に授業が勝手に終わるから勉学の方が間に合わない)どうでもいいと言えばそうなのだが、余計な悩みの種が増えたという意味では最悪だ。
「どうしたし、ウズ」
「…………ユニメ」
休み時間。前方の席に座っていた少女が背中越しにこちらの異変を察知したのか、大股になって自分の椅子を挟み、背もたれを肘掛けの代わりにして振り向いた。彼女の名前は
俺と同じくらい地味で目立たない且つ、女性には珍しく髪の毛に頓着していない。『髪は女の命』なら、こいつは既に死んでいる訳だ。目元を隠す髪をかき上げてやれば外見的にはかなり可愛いので、クラス全員損している。
「そう言えばお前、昨日は休んでたな」
「そりゃそう。学校なんてくだらねーし。アタシはもっと面白い事がしたいだけ」
それ以上に性格で損をしているのが結々芽。他人の例に漏れずこいつも親切である事には違いないが、性格が荒っぽいので誰にも彼女に惚れる機会はないというロジックだ。
「で、何があったんよ。話してみ」
「部活に勝手に入れられて萎えてる。助けるとか言うなよな。そういうの要らないから」
「言わねーし。でも不思議な悩みじゃん。今までのアンタならバックレてるでしょうに、悩むとからしくないじゃん」
「俺にも色々とあるんだよ。は~だる。清掃ってのが特に怠い。要するにボランティアだろ。そりゃ善い事だけど、そんな暇がない。高校生は忙しいんだよ」
「…………頼み込めば、その決定も無しにしてくれんじゃね」
「……ん?」
俯瞰していた視界を正常に戻す。結々芽は相変わらずの鋭い目つき(素面)だ。普段の彼女にしては中々妙な提案だと思ったが、確かにそれがこの世界で一番有効な解決策なので間違ってはいない。
「やだよ。俺は誰にも助けてほしくない。助けられたいとも思わない。善意の癖に卑しいんだよな。頼み込めば何でも許されるってのが本当にどうかしてると思う」
「……ん。そう。じゃあもう一つの解決方法思いついたから言うわ」
「言ってみろ」
「今からアタシが部活抜けて新しい部活を設立する。そこにアンタが入れば万事解決って訳よ」
それはルールの抜け穴を探す子供の様な純粋さを含んだ微笑み。名案だろと言わんばかりのしたり顔とも言う。この後の流れは何となく予想がついているものの、それを差し置いても俺は甘い誘惑に乗る事はしなかった。
「断る」
「別に活動なんてしないかんね」
「知ってる。断る」
「……部活が成立するかどうかっていう問題?」
「―――はあ?」
出来る出来ないの問題ではない。そこを論じる必要がある時点で最強の免罪符を使えば実行される。マキナのあれを見て分かる通り、不可抗力によって生じた問題は認識出来ないようになっているらしい。
「単純に嫌なんだよ。お前に助けられてるみたいじゃんか。俺はそういうの嫌いだって言っただろ」
「でも助け合わなきゃ生きていけないぜ、ウズ」
「…………分かった。分かった。フェアに行こう。これなら俺も気にしなくて済む。お前の言い方からするにお前、俺をその新しい部活とやらに加入させたいな? 俺もめんどい活動しなくていいなら入るよ。その代わりお前も条件を言え。助け合わないとって言ったよな? なら一方的な手助けはNGだ」
「ほんっとウズってば妙な所で神経質なのな。いいよ、じゃあ条件。実はアタシ、最近料理にハマってるんだよね。これから毎日お弁当作ってくるから、それ食べて、味の感想くれよ」
「…………りょ、料理?」
意外な奴から意外な言葉が出ると言葉が続かないものだ。鏡で見なくても俺は多分驚いている。結々芽は八重歯をむき出しにして声を荒げた。
「な、何だよ! アタシが料理しちゃ悪いのかよ!」
「いやあ、意外な発言だからさ……まあいつも昼を抜くか学食で済ませてるからありが……たすか……うん」
「ウズってそういう所は神経質だよな。言葉の綾って事で誰も気にしゃしねえのに」
「うるさいな。とにかく、それで取引成立って事で」
「んじゃ、前払い」
有無を言わさずドンっと机に置かれたのは二層構造のお弁当。包んでいた布が綺麗に広がったせいで、気分は大金の入ったアタッシュケースを広げられたかのよう。まだ昼休みには早すぎるし、ここで強制的に昼休みにしようものなら俺の不興を買う事ぐらいこいつは知っている。
さっきから、俺の知る結々芽と行動が一致しない。
「……いや、昼休みにくれよ」
「いーや、どうせこっちで持っててもかさばるからな。持ってけドロボー。アタシはアンタの返事だけでもう十分対価は貰ったから」
そう言って彼女は正しい方向に向き直ってしまった。今取り出した用紙は新規部活立ち上げの紙だろうか。心地よく何らかのリズムに乗ってシャーペンを走らせている。
「おうおうおう! 何だお前、良い感じの弁当持ってるとか珍しいなあ!」
恐らくトイレに行っていた稔彦がハイテンション増し増しで帰ってきた。両手をポケットに突っ込むのは楽で良いが傍から見るとこんなにもダサく見えるのは気のせいか。彼は騒がしい音を立てて着席すると、興味深そうに弁当を見つめている。
「お前って、いつも弁当持ってこないよな。それ、誰のだ? いーや待て。当ててやる。女だ。女だな!? 俺の知らない内に彼女作っちまいやがったか!?」
「うぜえ。これは正当な取引の結果得たモンだ。言っとくがどんな中身でもお前にはやらん。腹が減ってるなら購買か学食で済ませろよな」
「んな事言うなよ~! 何なら今すぐ昼休みにでもするか!? するか!」
「やめろ!」
俺の声も空しく、授業のインターバルは強制的に休み時間になった。
超法規的措置により昼休みが到来したが、アイツが騒ぐせいで野次馬が集まってきて昼食処ではない。弁当を持ったまま窓から逃げ出すのは学生数いれど俺くらいなものだ。しかしその程度で他人様に過干渉気味な善人が諦めてくれる道理もなく、かくれんぼが始まってしまった。
「……一々首ツッコむなよマジで」
便所飯よりも悲しい非常口飯をする羽目になるとは想像もしなかった。弁当の経緯について話さなかったのはそれこそややこしい事になるからで、最悪の流れは結々芽と暫定カップルにされてしまう事だ。それは互いにとって良くない空気。だから庇った。助けたつもりはない。俺が危なかっただけ。
―――アイツって、料理上手かったんだな。
それはそれとしてこのお弁当は美味しい。あの乱暴娘がこんなに繊細な味を演出出来るとは知らなかった。野菜はあまり好きではないが、彼女の作った和え物なら一生食べていられるかもしれない。
『すみません先生。ちょっといいです?』
『おー結々芽か。どうした?』
俺という奴は運が良いのか悪いのか。部活を立ち上げる瞬間に遭遇してしまったようだ。どうせ活動内容など存在しないのだがせっかくなので盗み聞きしていこう。
『先生さ、どうして正しい事しないの?』
『ん? 先生は常に正しい事をしているぞ。一日一善、三日で百善ってな!』
『―――へえ。じゃあアレな訳だ。放課後に生徒食ってんのも正しい訳だ』
……生徒を、食ってる?
『何を言ってるんだお前は。あれは皆が俺を助けてくれた結果だ。人を助けるのは正しい行為で、助けられるのもまた正しい。小さい頃に教わらなかったか? 人は助け合わなきゃ―――』
『そんなの、正しい訳ねえだろうが!』
おかしい。何故だ。
結々芽にも糸は繋がっているのに。何故。どうして。そんな発言が出来る。
『アタシが正しさを教えてやるよ!』
『あぎゃばああああああああああああああああああッ―――!』
一度目は肉を殴る音。
二度目は壁を殴る音。
三度目は―――骨を砕き、臓器を磨り潰す音。
昼下がりの校舎の片隅で、壁一枚を隔てて暴虐の限りが尽くされている。骨のちぎれる音と血液の掻き出される音が際限なく響き、俺を守っている非常口にも夥しい量の血飛沫が付着していた。赤の他人に共通していたのは過剰な善意だったが、結々芽と思わしき声が見せてくれたのはその真逆。過剰な悪意。
それはどう言い訳しようとも、善行ではなくて。
結々芽は決して、免罪符を使わなかった。
「………………」
俺は手持ちの携帯で素早く警察に連絡すると、足音を殺して昇降口の方から何事もなく戻っていった。
死体なんてもうごめんだ。
人間は死ねば醜くなるから。マキナと違って。
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