セカイはきっと夢見がち



 明晰夢を知っているだろうか。端的に言えば夢を見ている事を夢の中で自覚している状態。多くの人間は自分の意思で夢をコントロール出来る様になるが、俺の場合はそれと引き換えに全く同じ夢を見られるようになっている。目覚めた時にこの夢の記憶は無いが、起きてる間に得た記憶の整理くらいなら行う事が出来る。



 ごうごう。



 ごうごう。



 青嵐の吹く夏の日。夢の日差しは現実の様に眩しく、ともすればここが現実なのではないかと錯覚してしまう。赤い糸もない。妙なキカイも居ない。ここにはきっと、誰も居ない。


「俺が求めた景色は、正しいんだよな」


 雲一つない青空に、足元の草葉が撫でるように運ばれる。何処へいく。何処にもいかない。宙に舞った緑はひとしきり遊んでもらった後、己の居場所を思い出したように落ちていった。風に導かれて目的もなく揺られるなんて。それはなんて自由。赤い糸も人間的なしがらみもなく、思いのままに歩いていける。因果の籠に閉じ込められた俺にはとても真似できない。


「…………空が、綺麗だな」


 ここが俺の原風景。赤い籠に囚われた今でも鮮明に思い出せる。己が何者かも分からなかったあの日、己の世界が変わりつつある自覚。


 ……そうだ。何を忘れていたのだろう。




 赤い糸は元々、こんなに視えていなかったじゃないか。



 


 そう。最初は周りだけだった。それが日を追う毎に増えていって、頭の中をかき乱されるようで。全て投げ出したくて外へ出た。自分が捕まるのを知った犯罪者の様に、最後の抵抗を試みた。


「………………」


 いつから諦めた。


 俺はいつから、この風景を良しとした。自分がおかしいと勝手に話を終わらせて納得するようになった。妥協が大人への第一歩なら、俺は子供のままで良いと―――少なくともあの日はそう思っていただろうに。


 マキナは言った。部品探しに協力してくれるならこの糸を取っ払ってくれると。つまり俺が現実に見る景色は対処可能な問題であり、決して不可抗力の代物ではない。なら戦おうじゃないか。諦めるな。どんなおかしな状態でも、俺を必要としてくれる人がきっと居るから。何にもなくたって傍に居てほしいと願ってくれる人が居るから。


 そう。教えてくれた人が居て。


 俺がマキナと出会ったのは偶然かもしれないが、奇蹟も二度続けば必然と云うようになる。



 あの日、俺は奇蹟と出会い。



 つい先日、二度目の奇蹟を知った。



 もう、『狂気の夢』には逃げない。自分がおかしいのだと言い聞かせるような真似はしない。人間社会は善行だけで成立しないのに、如何にも成立しているかのようにしている社会は間違いなくおかしい。


 マキナは俺を『おかしい人』とは言わなかった。この世で唯一糸に繋がれていない彼女が言うのだから、間違ってはいない。それに何より、彼女も因果の流れが匂いとして感じられて、その精度は信用出来る人間を判別するくらいというではないか。


 なら少なくとも、マキナにとって俺は正常で、信用に値するという事だ。それを裏切るのは、取引相手としてどうだろう。


「…………月が見てみたいんです。それだけの理由でも、自分が動けるなら十分だ」


 隣に座っていた、泡沫の奇蹟に視線を流す。



「…………そうですよね?」



 それはただ、花笑むばかり。



「……もう行かなきゃ。またね」


 


 喪われた時を進めるように。


 俺の心臓は再び鼓動を刻み始めた。   



 





















「………………ん」


 それは秒針の音なのか、それとも俺の心臓の音なのか。機械的なカウント音に呼ばれ、俺の意識は夢から帰還した。夢を見ていたと思うが相変わらず中身は思い出せない。それでも何となく、ごちゃごちゃしていた頭の中がすっきりしていた。



 ―――よし。



 今日は学校に行くし、ちゃんと家にも帰る。日常生活はノイズだが同時にノルマでもある。達成しない事には何も始められない。俺達は取引相手だ、マキナにこっちの方で迷惑を掛けるような事があってはフェアじゃない。


 扉を開けて、規則正しい動作で洗面所に向かう。視界の端に家族を捉えたので声を出す。


「おはよう」


 


 ガチャンッ。



 可愛い方の妹が、今度は皿を割っていた。


 顔を洗ったついでに手も洗って、机の上に置いてあったパンをトーストにして食べる。いただきますを言い忘れた。今度はちゃんと言おう。


「ごちそうさま」


「…………に、兄さん? あ、あの。ど。どうなされたん……ですか……?」


「何が? じゃあ俺は学校に行ってくるから」


「あ、ああ……」


「…………外食が効いたとか?」


 可愛くない方の妹はまだ眠っているらしい。流石に叩き起こしてまで挨拶しようとは思わない。ゆっくり眠ればいい。まだ小学生の那由香にはそれが許されている。その自由がある。珍しく制服に着替えるのを忘れていたので自室に戻ると、後ろからトコトコと小動物のようについてくる足音が聞こえた。


「…………どうした? 牧寧」


「あ、いえ。その……二人きりでお話したい事があったので」


「へえ」


 部屋に招き入れると、頼んでもないのに妹は自ら鍵を閉めて、恥ずかしそうに身体をモジモジさせ始めた。


「兄さん……でしょ? 昨日、手紙を入れてくれたの」


「あれは……すまん。迷惑だったなら今後はもうやめるよ」


「迷惑だなんてそんな! 凄く……嬉しくて。こ、これ! お返しをしたいなって。思ったんです……!」


 ラブレターを出す訳でもあるまいに、そこまで緊張しなくてもいいだろう。と思いきや手紙に施された封はハートで、周りには鉛筆で描いたと思われるハートも並んでいた。自分で蒔いた種だ、良いも悪いもその報いは受けるつもりだが、これはちょっと開けるのが怖い。


「あ…………悪い。学校で読んでみるよ」


「ぜ、絶対ですよ! 絶対絶対ぜえええええったい!」


「絶対な。分かった」


 妹はそう言い残して部屋を去ろうとしたが、自分で閉めた鍵のせいで上手く脱出出来なくなっていた。パニックに陥っているのかドアノブをガチャガチャするばかりで一向に出られる気配がない。何故か俺の方を振り返ったその顔は、耳まで赤く染まっていた。



 ―――まあ。恥ずかしいよなそりゃ。



 身内とはいえ家の鍵に苦戦する様子を見せるのは俺だって恥ずかしい。ちょっと妹が可哀想になってきたので、近づいてそっと鍵を外してやった。


「え…………あ……ッ!」


「今のは見なかったことにしてやるから早く行け」


 妹は歩き方を忘れたとしか思えないくらい、動こうとしない。不思議に思って回り込もうとすると、不意に振り返って、叫んだ。


「に、兄さんはどんな女性が好みですか!?」


「…………は?」


 どんな脈絡があってそんな話を?



 …………マキナの存在がバレたとか?



 それにしてはやはり文脈がおかしい。バレたとは言うがアイツはお忍びでなんやかんやしている訳でもないだろうし、まあ夜な夜な女性と密会しているのは問題だが……声だって大きいから家族にも聞こえているかもしれない。迂闊に答えるのは危険だと男としての本能が告げていた。


「……………………質問の意図が分からん」


「で、ですから、色々あるでしょう!? 髪の色とか、髪型とか、身長とか、大きいとか…………小さいとか」


「身長? 髪型? あー…………そこまで特別な拘りはないんだけど」


 外見の話をしているなら、内面で返すのも野暮という奴だ。明らかにお茶を濁す気満々、誠実な受け答えとは言えない。しかし身長の大小や髪型に拘りがないのは事実だ。こればかりはどうしようもない。マキナに出会うまで俺は酷い妄想に憑りつかれていた。何者かに全員が操られているという妄想はそれだけでも他者への関心を無くさせてしまう。


 相手がどんなに美人であれそうでなかれ、俺にとっては操り人形に成り下がった一体だった。それを異性として見れたらどんなに幸せだったか。その辺りの肝は冷えっぱなしで縮こまっているのでそういう感情を抱いた事すらなかったのだが。


「…………………」


「に、兄、さん?」


「悪い。結構真面目に考えてるけど出て来ない。要素要素で人間を見てる訳じゃないんだ。俺が普通とは違う感情を抱いた女性は二人居るけど、内面はちょっと似てる感じでも外見は結構違うし。何でそんな事聞くのか知らないけど、外見について相手の意見を聞いても時間の無駄だぞ。髪型は長さまで含めるならほぼ一方通行だし、スタイルについては即時的な改善なんざ不可能だし」


「つ、つまり…………どういう事でしょうか?」


「お前はお前のままが一番だって事。学校に遅れそうだからもう行くよ。お前も遅刻するなよ」


 遂に無視されてしまったが気にしない。玄関を出て一目散に学校へ向かう。




「よう、有珠希。何だお前も遅刻か?」




 並走気味に追いついてきたのは騒動の発端となってくれた安道稔彦だ。前日の出来事など無かったかのような爽やかな表情を向けてくる。現況は俺にとって予断を許さないが、彼のように積極的に免罪符を活用する様な人間なら危機感を覚える必要もない。


「まあそんな所だな。お前こそ珍しいな。許されるとはいえこんな時間に出会うとは」


「あー実はよ。俺が昨日話したすげえ美人の話覚えてるか? 今日こそ誘おうと思ったんだけど出会えなくて……それでこうなったって訳だ」


「…………」


 多分二度と会えないぞ、と言いたくなる口を慎む。犯人でも何でもないとはいえ、彼に呼び出された所からマキナの受難は始まった。文字通り死んでも出会いたくない相手になってしまった彼がキカイ相手にその恋を成就させる日は来ない。


「つーかんな事よりお前が昨日突然いなくなったからよ。部活勝手に決められてたぞ? そこん所把握してんのか?」


「…………自分勝手な奴が多いな、ホント。どうせ参加しないと思うが何部に入れられたんだ俺は?」 









「清掃部だった気がすんな~」 

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