俯瞰する平和
反逆の代償として手痛い報復には遭ったが、衆人環視の中で人を殺すような奴は居ない。ファストフード店から逃げるように飛び出して行儀よく待ってくれる彼女の下へ戻ろうとすると、改めてその異物ぶりに目を奪われた。
ここが何者かの壮大な演劇舞台であったなら、彼女は役者ではない。きっと何処にでもいるような観客で、今は何処にもいない唯一の存在。マキナはこの赤い糸を行動表だと言った。生まれてから死ぬまでの表だと。
ならば何故、俺にはそれが無いのか。
マキナから繋いだ糸も何処かで回収されてしまった。これでいよいよ俺には生きてから死ぬまでの行動表がない事になる。いや、それよりも気になるのは……もしも。もしも糸に繋がれてる人から糸がなくなったらどうなるのかという事だ。もしも俺の想像通りなら、これは運命の赤い糸などと生易しい例えよりも、生命維持装置と言った方が的確なのではないか。
―――ああ。
こんなに遠くから見れば、とても素直な気持ちになれる。確かに俺はマキナの存在を知って日常から抜け出してしまった。現実に目を向けるきっかけになった彼女を心底から恐れていた。けれどもそれが嫌ならもう一度拒否すれば良かった話だ。
わざわざ部品探しなんてものに付き合ったのは俺の選択。結局の所本当の気持ちとしては―――嬉しかったのだろう。九割九分迷惑を感じたかもしれないが、それでも一割くらいは『俺が正常かもしれない』と思うきっかけになってくれて。
「…………今帰ったぞ」
小走りでマキナの傍まで接近すると、彼女は声に反応して元気よく手を振ってくれた―――それも一瞬の出来事だ。眉間に皴を寄せて神妙な面持ちで俺を見つめた。
「……確認したいんだけど、どうしてそんなに傷だらけなの?」
「買い物の途中で泥棒が入ったから。返せと言ったら逆切れされた。そんなのいつもの事だから気にするなよ」
「気にするわよッ。え、何? 私の知らない内にニンゲン社会はそこまで物騒になってたの?」
「いや、別に。不気味なくらい優しい善人に歯向かったら多数派の暴力を食らっただけだ……」
紙袋を渡す。簡潔に結果を言うとあの商品は持ってかれてしまったので再度注文した。仮に俺が悪人でもその注文を断る道理が彼等にはない。今度こそ買えたというだけだ。マキナは逡巡を経てその胸に紙袋を抱き、まだ俺の事を見ていた。
「……ねえ。聞かせてほしいんだけど貴方はどうしてそこまで歯向かうの? 私と出会ってからそうしてるって訳じゃ無さそうだもの。順応した方が間違いなく便利なのに、自分の気持ちを隠す事も出来ないの?」
「面従腹背は趣味じゃないんだ。それだけだよ」
「いいえ、それだけじゃ説明がつかないわ。まだ何か理由があるんでしょ? それを話してくれない事には部品探しだって集中出来ないわ。関係ないって貴方は言うかもしれないけど、取引で大切なのは信頼関係なんだからッ」
先に反論を潰されるとやり辛い。彼女の見立てが鋭いのは認めるが、さてどう表せばいい。漠然とした悪感情をそのままで貫いてきた俺にとってここの言語化は非常に難しい。所謂、一言で表すのは難しいという奴だ。
とはいえ話さない事には隣のキカイも機嫌を直してくれないだろう。俺はわざと声を絞って、ぼそぼそと語り出した。
「…………生まれつき見えてたなら、また違ったかもな。見えるようになった時期については覚えてないけど、人ってやっぱさ。今まで見えてなかったものが見えるようになるのは怖いんだよ。この糸についてお前には色々説明してもらって、納得してる。でもやっぱり怖い物は怖いんだよ。自分がおかしいんだ、自分だけが異端なんだって思い続けて日常生活を送ってた。怖いのは理解したくない。自分だけ糸に繋がってないと分かった時の孤独は今の俺には想像もつかないよ。不思議だよな。全く同じ人間なのに対話不能な怪物みたいに見えるんだ。だから従わない。相手がどんなに俺の事を思ってくれてても、本質的に仲間じゃないってのが目で分かっちゃうから。そんな相手とよろしくやってても悲しいだろ? 俺じゃなくて、相手がさ」
「―――そこまで言って、気にするのは自分じゃなくて他人なのね」
「他人に頼らなきゃ生きていけないのは何百年も前からあったルールの筈だ。俺だってニンゲンである限りは、最低限尊重するさ……どんなに恐くなってもな」
式宮有珠希はマキナの復活劇に恐怖した。それは事実だ。しかしそれはそれ、『出来れば一度だって体験したくなかった瞬間に立ち会った』だけの話。恐怖の根源は、彼女の登場で世界全体を疑わざるを得なくなった孤独。俺が決して屈しないのはそういう理由もある。
「難しい人。それで死んだら何も残らないのに」
「死んだら死んだで、いい。お前のバラバラ死体に稔彦が反応しなかったの見て分かった。俺が死んでも誰も悲しまない。多分俺の存在なんて無かった事になるからな……ま、今はお前の部品探しに協力してるから、死ぬつもりは毛頭ない。そこは安心してくれ」
「それじゃあ私が従ってって言ったら貴方は社会を迎合する?」
「いや?」
「難しいのね」
今朝に終わった雨上がりの快晴はこんなにも温かいのに、湿っぽくなってしまった。文字通り心が洗われてしまったようだ。そう思っているのは多分俺だけで、マキナは目を輝かせながらハンバーガーとポテトを食べていた。
「…………おい。何で俺の食べてんだ?」
「え? 俺のって、紙袋一つだけだったじゃない」
「一緒にいれてんだ馬鹿。ていうか腹減ったの俺だし、お前が率先して食べるなよ」
マキナは驚いたように赤面し、素早く紙袋を差し出した。
「た、食べるッ?」
「いや要らんわ……って言いたいが、マジで腹減ってるからな。貰うわ」
きっちり半分だけ食べやがって。細かい事は考えずに頬張るも、マキナが餌を取り上げられた動物の様に横顔を見つめている事に気付いたせいで集中出来ない。
「……キカイも腹減るんだな?」
「嗜好品よ。今は誰かさんの血が通ってるせいでそういう訳にはいかなくなったけどッ」
「……今度部品探しする時は食事をどうにかしような」
俺が食べ終わるまで、その意地悪な笑顔は消えなかった。
食事を終えてからもちょくちょく小休憩を挟みつつ、気が付けば午後十八時。季節も季節なので日はすっかり落ち込んで、夜遊びを認めたくない人間を除いて今は夜と言っても差し支えない。
「ひとっつも見つからなかったな」
「半日で見つかるなら苦労はしないわよ。所でさっきも携帯が鳴ってたけど反応しなくて良いの?」
「え?」
ちっとも気が付かなかった。マキナに背中を向けて画面を確認すると、また妹からだ。門限は過ぎていない筈だが、両親が妹を介せば言う事を聞くとでも思ったのだろうか。
『兄さん、何とか帰ってこられる?』
『今日、外食するの』
最低限の言葉がメッセージとして帰ってきていた。さっきの今で妹が心変わりするとも思えない。やはり俺の見立て通り彼女は両親の操り人形になっている。既読を付けてしまったのは悔やまれるがこんなしょうもない用事なら診なければよかった。
「用事あるじゃない」
「…………後ろから見るな」
携帯をしまいつつ振り返ると、後ろ手を組んだマキナが口を細めて疑問符を浮かべた。
「何で?」
「プライバシーの侵害。社会のルールだ」
「ふーん。ねえ、たまには言う事聞いてみたら?」
「は?」
何よりも最優先で部品探しをしたい女が提案するものではない。正気かとわが目を疑った。マキナの眼は真剣そのものだ。
「…………聞く理由がない」
「それもそうね。でも今までの生活を蔑ろにしてまで今日は手伝ってくれたし……ほら、こういうのってずっと放っておくと後でツケが回ってくるものよ。外食くらい我慢出来ないものかしら。貴方はこんなキカイの手伝いをしてくれる変わった人なのに」
またこのキカイは一理ある言い分で俺を納得させようとしてくる。善人達は同じく善しい道を選ばせるのに労力は厭わない。今までは家に帰ってはいたので大事には至らなかったが、冷静になって考えれば学校から家までの登下校を車でされる可能性も考えられる。
―――そりゃ、窮屈だよな。
筋金入りの逆張り根性を巡らせたが、完璧に切り返せる言い分は遂に用意出来なかった。
「……はあ。分かった。部品探しを一日で終わらせられるとは思ってなかったし。排除出来る障害はちゃんと消しとかないとな」
「理解してくれたようで嬉しいわ。それじゃ、また明日ね」
「その前に、待ち合わせ場所を決めたい。どうせお前携帯とか持ってないだろ。明日はどうする? また朝からでも俺は全然構わないぞ」
「今日の時刻でいいんじゃない? だから十八時に……そうね。山ノ溝公園とかどう?」
「くたばれ。人気のデートスポットだぞ。景色が良いからとか何とか。そんな場所で待ち合わせるとか正気の沙汰じゃねえ」
「我儘ね。じゃあ何処が良いの?」
「駅前の噴水広場だ。それならまだ堪えられる」
「そう。じゃ、そこで」
背中を向けて、帰路に着く。マキナが何処へ還るのかが気になって振り返る度、彼女はニコニコ笑顔で手を振ってきた。
―――恥ずかしいからやめろよなあ。
振り返る。手を振られる。
振り返る。手を振られる。
振り返る。手を振られる。
何だアイツ!?
怖くなって走り出した。歩いたり走ったりボコられたりと散々な一日だったが不思議と足取りは軽くて心も晴れやか。自分でも認めたくないが学校をサボって町をぶらついたのは中々良いストレス発散になっていたようだ。背徳感と充実感は紙一重か。
家に着いたのは門限十分前。ノンストップで走るんじゃなかった。息が上がって感情的な問題を抜きに食事なんてしようものなら吐く自信がある。
「た、ただいま」
ガシャンッ!
台所の方から、何かが。具体的には硝子っぽい物体が割れた音。慌てて様子を見に行くと、両親の代わりに洗い物をしていた妹の仕業だった。
「…………………………に。兄さん……………?」
「………………」
「おお! 有珠希。お前帰って来たのか! ははは、門限を守るなんて偉いなお前は! 流石は俺の息子だ!」
「ねえお父さん。これなら久しぶりに家族全員で外食もいいんじゃない?」
「そうだな。お前は那由香を呼んできてくれ。俺は車を回してくるから」
那由香というのはもう一つ下の妹だ。俺の事を怖がっており、会話は殆どない。何故か俺に親切な牧寧がおかしいのかもしれないが、ともかく車に乗っても俺に近づく真似はしないだろう。その方が気を遣わなくて済むので個人的にそのままで居てほしい。
「に、兄さん」
手を拭くのも忘れて妹が近寄ってくる。どう返事をしたらいいのか分からないから沈黙を貫いたが、彼女は気にも留めない。留めてくれない。開けた蛇口も閉め忘れるくらい前後不覚に陥っている。
「……う、嬉しい……! 兄さんと、もう二度と外食出来ないって思って……あ。ごめんなさい! 嫌いな人に触れられるの、嫌……ですよね?」
「………………」
「い、いいんです。無理に返事はしなくて。兄さんを困らせるつもりはありませんから。ただ、一緒に食事出来るのが嬉しいだけ……ですから……」
「おーい! 早く乗れよ!」
家の外から父親の声がする。那由香が出てくる気配はまだない。一足早く家を出て後部座席の端っこに座ると、追うように乗ってきた妹が身体を縮こまらせながら隣に座った。
「………………」
「………………」
何故俯いているのかは分からないが、どうせ那由香は助手席に座るのでそのままだと母親が乗れない。勿論体型の問題だ。幾ら彼女が華奢でも限度がある。腐っても家族なので気まずさは無い。肩から手を回して抱き寄せると、満員電車で空席を見つけたが如き速度で母親が突っ込んできた。
「………………に!?」
「…………」
「お父さん。那由香は着替えてるわ」
「そうかー。うーんアイツももうそういう年か……彼氏とか出来るのかな」
両親のどうでもいい会話を聞き流し、時間が過ぎるのを待つ。流石に狭いかと思って妹の様子を見ているが、彼女は相変わらず俯いたままだ。
「……二人共。こいつは体調が悪いのか?」
「ん? どうした牧寧。熱でもあるのか? 顔が真っ赤だぞ」
「…………な。何でも。ありません…………き、気にしないで」
親にも見られたくないとばかりに俯いた顔が俺の方に向く。それと同時に那由香も助手席に乗ってきて、車はゆっくりと目的地に向かって発進した。
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