望まぬ献身

 短い付き合いでも分かった通り、マキナは基本的に陽気だ。感情の起伏も分かりやすく、多少図々しいというか距離感を分かっていないきらいはあるが、他の善人に比べたら我慢もしよう。


 そんな彼女が、深刻な面持ちを一瞬見せたのだ。見逃す訳がない。


「何かまずいのか?」


「……あ、うん。まずいよ。それは凄くまずい」


 俺の制服に目を引かれてか、通行人の視線をちらほらと感じる。もしもここに部品の所有者が居たらと思うとこの話題を口にする事さえ憚られたが、マキナは気にしていないようだ。余程俺の質問が効いたと見える。


「キカイの部品にはね、ルールが設定されてるの」


「ルール? ああキカイだからプログラム的な事か? スイッチのオンオフとかそういう」


「私の事なんだと思ってるの? そんな単純なものじゃないわよ。誰かさんのせいで殆ど部品を失っちゃったから見せられるのは―――そうね。さっき貴方の制服を綺麗にしたでしょ? あれくらいね」


「あれにどんなルールが関わるんだよ」


「『清浄と汚染の規定』。綺麗かどうかっていう基準の事ね。私は貴方の服のルールを改定して汚れないようにしたの」


「……マジか」


 試しに如何にも砂だらけな壁に制服を擦り付けてみると、汚れ一つついていない。丹念に汚れを落とし、乾かし、アイロンをかけたような綺麗な布がそのままになっている。これでもう洗濯の時に家族と絡む必要がなくなった訳だ。また一つ善人との接点が消えて良かった……のか?


「マジだ」


「こんな感じでね、部品ごとにルールがあるのよ。ニンゲンがその部品を手に入れたらさっきの私みたいにルールに対して干渉が出来るようになるわ。私、どうせ見えないから大丈夫だって思ってたけど、全然大丈夫じゃない!」


「もしそんな奴が居たとして、そいつから部品を取り出す方法…………は……」


 それは、よく分かっている筈だ。何せそれが俺達を引き合わせた。何者かの暗躍と俺達の勘違いが今の関係を築き上げたと言っても過言ではない。昨夜の光景が瞼の裏にフラッシュバック。吐き気にも似た疼痛が神経を通して脳へと伝わり視界が揺れた。


「…………そうか。殺すのか」


「そうよ。合意があるなら私がやったみたいに何処かを切ってそこから取るのもありだけど、素直に返してくれるかしらね。私はニンゲンの事なんてどうでもいいけれど、殺したら面倒になるセカイなのは分かってるから。出来れば誰も拾ってない事を願うしかないわね」


「楽観的だな」


「そう思いたいってだけ。貴方みたいな人が居るなら拾われてるでしょうね。ああもう、何で気が付かなかったのかしら。これじゃあ何のために降りて来たのか分からないじゃない……」


 前言撤回。何やらぶつぶつと呟くマキナには楽観性の欠片も感じられなかった。悲観的でさえあるからこそもしもに縋りたかったのか。備えあれば患いなしとも云うから、どうあれ常に最悪を想定するのは悪い事ではないと思う。精神的なストレスはさておき。


「…………まあ、そう悲観するなよ。部品を持ってるなら間違いなくその力を使うだろ。手がかりもなしにその辺落ちてる部品探すよりも、そこにあるって分かるんだから」


「それはそうだけど……誰が殺すの? 私じゃ多分無理よ。かと言ってニンゲンの貴方にも任せられないし……」


「………………それは。またその時考えないか? どうせ気にしても仕方ないし」


「――――――それもそうね。うん。有難う」


 マキナは分かりやすすぎるくらいの空元気を出して、静かに微笑んだ。まだまだ気にしているみたいだが一先ずこの話は終わり。俺達は一言も会話を交えず、機械的に町を回っていった。至るところに糸があり、その先には人が居て、そこに部品なんてものは無くて。


 誰かの操り人形みたい、と俺は言ったがあれは間違いでなかった事が判明した。生きてから死ぬまでの行動表ならば、つまるところそれが無ければ人間はどう動く事も出来ない訳で。これが操り人形以外の何だと言うのか。親愛なる善人達の意思は己の因果とやらに操られていて、そこに自分自身が決めた行動という物は存在しない。



 ―――本当に、そうか?



 同じ糸に繋がれている人物でも、例えば牧寧の動きは他の善人と少し違っている。あれについてどう説明をつけようか。それに、糸が無い俺達は何だ。行動表が存在しない俺は、何があってそれを失ったのだ。


 マキナと一緒に居れば、分かるだろうか。


 時刻は十二時を回った。高校なら昼休みの時間だ。自分から決めた事とはいえ流石に朝から何時間も歩きっぱなしでは少し疲れる。


「なあおい。ちょっと休憩していかないか?」


「もう疲れたの? 早いのね」


「キカイと違って人間は疲れるんだよ。全自動じゃないからな」


 不満そうに口を尖らせるマキナを宥め、近くのベンチに腰を下ろす。身体を大の字に広げて空を仰いでも面白い景色は何も見えない。赤い糸がびっしりと張っているだけ。太陽は見えないが光の強さから大体の位置は分かる。この糸には物理的に遮断する力はないので、太陽の方向を直視すれば目を細めざるを得ないという訳だ。


「腹減ったな……何か買ってくるから、待っててくれ」


「はーい」


 丁度近くにファストフード店がある。業務中の善人は嫌いではない。余計な事を言わないからだ。店内に入ると早速『助けると思って無料にしろ』だの『助けると思ってポテトを倍入れろ』だの、挙句の果てには『助けると思ってこの従業員をクビにしろ』だの、寝ぼけた戯言が聞こえてくる。商品を買いに来たならそれ以外喋るな。誰も言う事を聞くな。非常に不愉快だ。


 順番待ちの概念は合ってないようなものなのでどさくさに紛れて俺も注文を済ませた。商品が出来上がるまで暇だったので、携帯の電源を入れ直してみる。



 着信は、妹からだった。



「…………何の用だ?」


 思わず声に出てしまう。牧寧が直接連絡をしてくるなんてそれこそ数年ぶりだ。履歴から手遅れとは思いつつ折り返しの電話をかけてみると、ワンコールもしない内に繋がった。



『に、兄さん…………です、よね?』


『……なんで怯えてるんだ?』


『怯えてなんかいませんッ。そ、そのですね? 今日学校をサボったと連絡が入って……あ、あの。責めてるとかじゃないんですよ。私には。関係ない事ですから。それで、お父さんとお母さんが怒ってしまって。も、門限を決めるって聞こえてしまったものですから、兄さんにお伝えしようかと思ったんです』



 昨日も話したと言えば仲良し姉弟だが、実際の空白期間は半年にも渡っている。怯えているのではなく慎重なのだ。彼女は多分、俺に対する接し方を忘れつつあって、間違えるのを恐れている。それでもわざわざ伝えようとする姿勢については……非常に複雑だ。感謝はしたくないが、それに対して叱りつけるのも何だか。



『………………』


『に、兄さん? わ、私、何か気に障るような事言った……かしら。ご、ごめんなさい。兄さんを困らせるつもりはなくて、その……わ、私切りますね……?』


『待て。門限はいつ頃だ?』


『え……? あ、はい。十九時です』


『そうか。そんなの守れる訳ねえだろばーかって伝えておいてくれ。伝えなくても良いけどな。どうせ帰らないから』


『に、兄さん…………?』


『門限守らなかったらあれだろ。家に入れないとかなんだろ。それならそれで勝手に何とかする。俺を罰で従わせようったってそうはいかないってな。じゃ―――』




『だ、駄目ですッつ――――――!』




 不意打ちだった。耳元で音量を上げていたせいで、まさかあの大人しい牧寧が大声を上げるなんて。鼓膜を破られたかもしれない。耳の奥に貫くような痛みを感じる。



『…………流石に。煩いぞ』


『あ、ああ! ご、ごめんなさい。に、兄さん? そ、そんな悲しい事を仰らないで下さるッ?』


『急に畏まるな』


『…………あ。そんな事、言わないで下さい。その。これ、実は二人に秘密で。兄さんに連絡してて―――門限過ぎても、わ、私が何とかしますから。か、帰ってきてくれません……か?』


『そんな事したらお前も二人に怒られるぞ。やめとけ。俺には関わらない方が身の為だ。気持ちは嬉しいけど、金輪際電話はしてこない方が―――』


『………………すか』


『ん?』


『そんな事……したら。兄さんと、二度と会えなくなりそうで……ふぇ。ぇーん!』



 ―――間違ってはない。



 家族に捨てられるようなら学生としての義務も怠るし息子としての情さえゴミ箱に捨ててしまおう。所詮は善人の社会に適合出来なかった俺が悪いだけだが、牧寧はそれを嫌がっているようで。終いには電話越しにも泣き出していた。



『……泣かなくても良いだろ』


『な……ぐす……んッ……泣いてなんか、いません……!』


『俺の事でお前が繊細になる必要なんかない筈だ。どうしてもいう事を聞かせたいならあれを言えばいい。私を助けると思って家に帰ってきてってな』


『…………に、兄さんに……ぐすッ……嫌われたくない……のぉ……! 言わなッ、言わない……!』


『―――ごめん。ごめんって。意地悪するつもりはないんだ。頼むから泣かないでくれ。お前の泣いた声なんて聞きたくない』


『か、帰ってきて……くれますか…………?』


『家には寄る。帰れるかどうかは別の話だ。それで勘弁してくれ』


『……約束、ですよ。私。起きてますから。ずっとずっと。兄さんが帰ってくるまで起きてますから』


『…………分かったよ。約束だ。証拠が残ったら困るからな。俺のせいでお前が怒られるのは納得いかない。じゃあな』




『…………は、話せて良かったです。あ、明日も出来たらお話…………な、何でも無いです。失礼します!』




 妹との慎重な密談が終わった。俺の順番は少し前にやってきたが、当たり前のように掠め取った善人が居たので、今も手ぶらだ。


「……おい。クソ野郎」


 太い身体の男性に声を掛ける。紫色の服を着た中年の男性は直ぐに用件を察すると、ペコペコ謝りながら近づいて来た。


「いやあ、君が注文した物だよね! でもごめん、俺、ものすごーくお腹が減ってるからさ。俺を助けると思って、これをくれないか?」




 親指を、逆さに。抉るような角度で。




「こっちは金払ってんだ。くたばれ泥棒がよ」
















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