鳥籠のセカイ
結果として、俺の自殺衝動は止められた。両親が鍵を壊して入ってきたのだ。それで、血塗れになるまで頭を叩きつけていた俺を無理やり制圧。鎖を使って四肢を固定され、この首には鎖に連結された首輪が嵌められた。
しかし、それは逆効果だった。俺にとって糸―――何かを繋げる物体は正気を失わせるには十分すぎる代物で、鎖なんてその最たる物。
「ああああああああああああああああああ離せえええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
自分でも、止められない。条件反射の脊髄反射。己の身体を強烈に制限し、誰かの思い通りにさせてしまうような物体を見るだけで脳髄が沸騰し、脳漿は炸裂し、海馬は記憶全てを消し去らんばかりに加熱される。
「いい加減にしろ有珠希! お前がそうやって騒ぐから、
俺を怒鳴りつける短髪の男は
「―――あのな。何があったんだ……? こんな事を言うのも恥ずかしいが、家族だ。頼れよ、父親を」
「…………それは。アンタが救世主になりたいってだけじゃないのか」
「何だと?」
狂っているようで、正常で。正常なようで狂っていて。自分がどちらの側に立っているのかなんて俺自身も良く分からない。それでも、父親の答えは明白だった。拘束されて無防備になった腹へ叩き込まれた拳槌。ベッドを軋ませる程の剛力は受け流す事もままならず直撃。異常を覚えた胃が誤作動し、危うく胃液を吐きそうになった。
「ゴホッ…………!」
「お前の為に言ってるんだぞ? 意地を張るのはやめろ。助けを求めたっていいんだ」
「絶対に。断る」
「―――! お前えええええッ!」
「もうやめてください、お父さああああん!」
何度だって振り下ろしたであろう拳を、半泣きの牧寧が止めた。俺の上に覆いかぶさって、まだ先程のショックも消えてないのに、それでもしがみついて自分の身体を盾にしている。
「ひっぐ。ぐす……や、やめてください。わ、私を助けると思って……どうか、お願いします……!」
「…………そうか。お前を助ける為なら仕方ないな! ああ、さあ晩御飯にしようか。お前も直ぐ降りてきなさい」
上機嫌になった父親は親子の確執など無かったかのような足取りで部屋を後にする。続いて母親が去っていき、後は妹さえ居なくなってくれれば、また平和が帰ってくる。
「…………に、兄さん。ぐすッ、だ、大丈夫ですか……?」
「――――――助けてくれなんて、言ってない」
そして俺には、その言葉が彼女の本心から出た言葉とはとても思えない。その証拠に、妹を吊るす糸がカタカタと動いている。父親の凶行だってそうだ。あれも本心というよりは操られているに違いない。この世界の何処かに居る糸の持ち主が操作しているのだ。少なくとも俺はそう考えているから、助けられても素直に喜ぼうという気にはなれなかった。
妹は深呼吸を繰り返して、何とか落ち着くと、腫物を扱うかのような慎重な声で俺に語り掛けてきた。
「べ、別にいいんです。兄さんが私を嫌いなのも、助けを求めないのも誰も助けないのも知ってますから。私が勝手にやっただけですから。兄さんをたす……たす…………コホン」
「………………………………ごめん」
彼女が発言に気を遣っている事くらい直ぐに分かる。返す言葉は『助ける』という言葉を使わずに表現した、精いっぱいの感謝だ。自分事ながら、『親切』の概念が関与するとどうしても素直になれない。優しい妹も所詮は操り人形だからどうとかではなくて。気質の問題だ。
牧寧は驚いたように俺の胸に手を添えて、目を見開いていた。
「に、兄さん…………? 今の謝罪はその…………どういう」
「………………寝るから。出て行った方がいい。俺はおかしいから、傍に居たら巻き込まれるぞ」
「………………わ……分かりました。それでは失礼しますね」
妹は文句のつけようのないくらい美しい所作で立ち上がると、両親が触りもしなかった扉に手を掛けて、こちらを見ながらゆっくりと閉めた。
「牧寧」
その直前、独白のように声を掛ける。
「はい?」
「……………………ストレートヘアー。似合ってるな」
「……そ! そうです……か。兄さんがそう言うならもう少し続けてみようかな……あ、その。失礼しますね……? お休み……なさい」
今度こそ俺は一人っきりになり、頭も落ち着いた。鎖で拘束されているのだけは今も非常に不愉快だが朝になるまで外してはくれないだろう。努めて気にしない事で取り敢えずの正気を確保する。
「夢。だったのか……?」
誰に聞いている。誰にも聞いていない。俺の身体に糸が繋がっているなら、その持ち主が答えてくれるかもしれないと期待しただけだ。それも徒労に終わり、眠るしかなくなった俺は静かに目を閉じた。
手首が落ちたなんて、デタラメだ。
校庭で女がバラバラになったのも嘘だし、稔彦が告白しようとしたのも嘘。単なる夢、もしくは幻覚。きっと罰が当たったのだ。俺は他の人と違って、今まで一本も赤い糸が繋がっていなかったから。そういう事にしておかないと、一連の流れには説明がつかない。
そうだ、明日学校で聞いてみればいい。それではっきりする。稔彦本人に聞くのもありだ。金髪銀眼の美少女(という年齢かは分からない。同年代以上の見積もりなので十七歳以上)にお前は告白したのかと。
もしも本当ならうろ覚えという事はない。あんな美人、それもあからさまな外国人は嫌が応でも記憶に残るだろう。そうだ、それでいい。明日の行動はそうしよう。それまでは何も考えなくていい筈だ。
誰の手助けも拒むように、俺の意識は深い眠りへと落ちていった。
寝返りも打てず、そうでなくても身体を動かす度に金属の擦れる音が聞こえて、眠れない。一度は確実に眠れたと思うのだが、今は目を瞑ってもガシャンガシャンと金属音が響いて非常に耳障りだ。ヘッドフォンなり耳栓でもあればまた話は違ったかもしれないが、四肢の自由が効かないなら隣にあっても意味は無い。
「…………ん。ん?」
手が動く。押しても引いても鎖の音が聞こえない。闇に慣れた目をうっすら開いて視覚的にも確認すると、左腕を繋いでいた部分だけが外れていた。金属の触感の正体はベッドに垂れた鎖と、その鍵だ。父親が持っていったと思ったが、置き忘れた……いいや、だとしても誰が鍵を外したのか。俺は助けを求めた覚えもなければ親切にされるような人格でもない。
―――寝言、か?
考えられる可能性は寝言で助けを求めてしまったというものだ。俺は頑なに親切を拒否しているが、深層意識がどうかと言われると自信がない。うっかり助けを求めた結果、父親が解錠してくれたとするなら、不本意ながら感謝するしかない。親切は嫌いだが、一度でもされたら自殺するしかないという考えには至りそうもない。子供の頃はちゃんと親切を受けていた筈だ。それすらも許せないなら目覚める度に自殺しようとする究極の死にたがりが誕生していただろう。
残る鎖を全て外して、立ち上がる。暗さに慣れたつもりだったが予期せずスリッパが足に当たり、そのスリッパが棚に置かれていた写真立てを倒した。何となしに拾い上げると、まだ小さかった頃に撮影された写真が飾られている。牧寧とは二歳年が離れており、これは彼女が小学校に入る時に撮った写真だ。今よりも更に幼かった妹が、弾けんばかりの笑顔で俺に抱き着いている。
―――俺のせい、だよな。
彼女が泣き虫なのは昔からだが、それが改善されないのは確実に自分のせいだ。俺が正気じゃないばかりに、いつも怖がらせてしまって。そこまで分かっていても昔とは違って素直になんかなれない。
この世界は全員、誰かの操り人形なのだから。
陰謀論を信じている訳ではない。が、今までは俺だけが糸に繋がっていなかった。それで糸に繋がった人物に何か恩を受けるのは糸の大元に思惑があると考えたって無理はない筈だ。その想定も全部、あの女の登場で崩れたが。
「俺の事なんて、兄と呼ばなくてもいいんだぞ」
写真の中の妹にそう言い残して、俺は着替えもせずに外へ出た。外の空気を吸いたかったのかもしれないし、息が詰まりそうな部屋から逃げたかったのかもしれない。或は―――月明かりが心のモヤを全て取り払ってくれるのを、期待した。
「こんばんは。不思議なニンゲンさん」
何処の誰の物とも知らぬ家屋のてっぺんに、大輪を開くような解語の花が立っていた。金色の髪は月明かりに照らされ一層の輝きを増し、その双眸は鏡のように白く反射して俺を見つめている。彼女は俺の存在に気が付くとその身を投げて、綺麗に道路へ着地した。
「……楠絵、マキナ」
この光景は、幻か。月明かりの見せる夢の最中か。見飽きた景色に色づく女性の美しさに、今度こそ俺は見惚れてしまった。正常な判断を失わせるような事態は終わったのだ。今まで通りの感性が戻ってきてもそれは異常ではない。
「ん? 自己紹介なんかしたっけ? まあいいや。ちょっとさ、貴方に聞きたい事があったんだ」
「―――丁度いい。俺も聞きたい事があった。他の奴等に糸くっつけてるの、お前だな?」
「糸って、何の事? 私、ぜんっぜん心当たりないけど」
女性は自分の身体をあちこち見回して、それから肩をすくめた。見え透いた嘘だ、頭頂部の糸を握りながら、その右手を指さした。
「俺の糸が、お前に繋がってる」
「え? ……………………あー。糸。あー! 貴方にはそう見えてるのね。納得納得」
―――は?
一人で勝手に納得するなと言い切る前に、マキナという女性は申し訳なさそうに語り出した。
「ごめんなさい。それは確かに私のせい。あ、それっていうのは貴方に糸? をつけたのね。でも仕方ないじゃない。貴方の家なんか分からなかったんだから。今度は私が質問したいんだけど、何で急に脅してきたの?」
「…………はい? は? 何の話か、こっちも分からない全然」
「嘘!」
マキナという女性はずいっと距離を詰めて俺を壁に追いやった。
「私に告白を受けろとか立ち去れとかずっと言ってきたじゃない! 私の方こそびっくりしたわよ! 従わなかったらって突然首を切られるし、大体その時点でもう死んでるんだからそれ以上の攻撃とか必要なくないッ? それともアレッ? 対話不可能な状態に置き換えて助けたつもり? 言っておくけど助かってないから! 全然! すご~く痛かった! 痛みなんてないくらい痛かったの! そんな様子をわざわざ至近距離で見に来るなんて、ほんと悪趣味!」
ああーだからバラバラになった時やけに威圧的だったのか……。
…………。
「待て! 待て待て! ほんとに! 話が! 分からない! お前は勝手に全身バラバラにしてたし、俺は訳わかんないから様子を見に来ただけだ。だってお前糸繋がってないんだもん! 今まで生きてきてそんな奴一人も見た事なかったし……それに、お前だって手首を奪ったじゃないか!」
「あれは……貴方がキカイだと思ったから……この世界、私以外にも居るんだなって思って。部品を貰おうとしただけ……じゃない」
「部品!? 部品つったかお前? ちょっと待て。嫌な予感がしてきた。その言い方じゃお目当ては手首じゃないな。入り口かなんかだ。俺から何を奪った!?」
「そんなに大切な物は奪ってないわよ。血液とか、心臓とか…………」
「しんッ………………!」
この女の存在も大概ふざけているが、その釈明は三倍くらいふざけている。慌てて鳩尾付近に手をやると、ちゃんと鼓動が聞こえているではないか。そこに一つ問題があるとすれば細胞の塊が脈動しているというよりも、歯車が噛み合って回る機械的な音で―――
刃物よりも鋭い敵意を向けるも、女の皮膚を突き破る事はない。ただし気まずそうに眼は逸らしていて、申し訳なさそうに縮こまっていた。
「…………ふざけんな。お前、人を何だと思ってるんだ」
「ちょっと待ってよ! 私はちゃんと貴方に聞いたのよ!? そしたら―――」
彼女の言い分はこうだ。
死んでしまったので蘇生する為に必要なパーツを近寄ってきた俺に打診したら、気付かない内に俺がそれを承諾。色々と貰って蘇生しようと奮起したら何故か俺が急に逃げ出したと。
―――思い返すと、俺も色々と発言がまずかった。
『何で生きてんだよ』なんて如何にも俺が殺した風だ。彼女はその時、俺が殺してきた上で何故か助けてもくれたという状態だったので手首を返そうとした。しかし俺がすっとぼけたので腹が立ってきて返すのをやめたら追いかけてきて―――
「あそこで俺がキカイじゃないって分かった訳だな?」
「私も全然状況が呑み込めてなかったけど、貴方見るからに衰弱してたし。キカイだったら衰弱する前に停止すると思うから、それでね」
「そうかそうか。じゃあ手首くっつけてくれたのもお前だな。どうも有難う。血液はこの際どうでもいいから心臓だけでも返してくれると助かるんだが」
「無理ッ」
「は?」
「貴方に首……貴方じゃない何かに首を切られた時に、血液に流されて部品が殆ど飛んでっちゃった」
「血なんか流れてなかっただろうが」
流れてたらとんだスプラッターな現場で、そこから立ち去る稔彦は完全に実行犯だ。
「キカイの部品はニンゲンには見えないのよ。でも足りないものは足りないから貴方のパーツで代用したの。役割としては一緒だから便宜上血液と心臓みたいに表現を揃えただけ。だから今の私が同じ様に殺されたらもう生き返れないし、血だって流れるわよ」
「…………」
到底信じられない、という顔はしておこう。しかし信じられないのは俺の眼に映るおかしな舞台の裏側でもあり、この女が蘇生した事よりも、今まで普通の人間として生きてきた俺が手首を失って暫く無事で済んだ事実だ。適切な処置も何もしていないにも拘らず、何が起こったというのか。それに比べたらこの女は元々非常識なので、とんでもないことを言われてもそう驚きはない。
「……事情は大体分かった。分からない事が増えただけとも言うが」
「それはそうね」
「頷くな。色々聞きたいが一番聞きたいのはこの状況だ。わざわざ説明されなきゃ夢として流してたのに、何で会いに来た?」
彼女は暫し悩んだ様子で髪の毛を弄りつつも、意を決したように切り出した。
「部品探しを手伝ってくれない? 私を助けると思って」
「断る」
内容に拘らず、即決。
「何で!?」
「その言葉を使う奴は誰であっても嫌いだ。ヘドが出る。貴方が私を助けるのです、私が貴方を助けるのではありませんなんて不誠実にも程がある。思惑に一貫性が無い。まああっても嫌いだがな。助けるって行為は自分がそいつの救世主になりたいだけなのに、まるで他人の身を案じてるみたいで」
我ながら難儀なひねくれ方をしたと思っているが、こればかりはどうしようもない。熱湯に素手で触ったら跳び上がってしまうのと同じくらいの条件反射だ。命に関わるレベルと言っても差し支えない。
「じゃ、じゃあ……あ、そうだ。取引しましょう! これなら文句ないでしょ?」
「どんな内容かによる」
「貴方が私の部品探しを手伝うの。そしたら心臓と血液とか色々返してあげるし……ついでにその糸が見える問題も解決するわ」
「…………本当だな?」
今度は俺が彼女に詰め寄って、壁に肩を押し付けた。マキナという女性は驚いたように目を見開き、それから両手を組んで笑った。
「ホントホント! これなら悪い話じゃないでしょ? 貴方にも私にも利がある。理想的な取引ね! こんな満月の出る日にはぴったりな、何もかも丸く収まる名案!」
「……………空?」
「綺麗だと思わない? 私、満月って好きよ。理由は説明出来ないけど、太陽よりは好き。貴方はどう?」
「…………さあな。見えないから、よく分からない」
「……見えない?」
俺はつまらなそうに上を仰ぐ。この視界に映る空には夥しい量の糸で覆われて、まるでシュレッダーにかけられたかのよう。全く見えないとまではいかないが、何千何万何億の細切れた空を見て、誰が美しいと思うだろう。
「…………そう。じゃあこうしましょうか。私の部品探しを手伝ってあげたら、綺麗な空を見せてあげる! きっとそれって、人類初めての体験よ! 赤い糸に視界を邪魔されてる人なんていないものね!」
差し込む月明かりに目を細めた後、諦めて彼女へと視線を戻す。
「……それなら、いい。お前の部品探しに協力する」
「本当に!? 有難う~、何か名前知ってるっぽいけど、私は楠絵マキナ。貴方は?」
「式宮有珠希だ。
「じゃあ有珠希ね。それにしても、頼れる人が出来て良かったわ! 貴方は少し変な人だけど……うん。他の人よりは全然信じられそう!」
少し変なのはお互い様だという声もかき消される。満面の笑みを浮かべてその両手で俺の両手を固く握りぶんぶんと縦に振り回す様子はやや大げさに、不相応な幼い印象をこの目に植える。
「…………これはまた全然関係ないんだけど、お前の目って珍しい色してるよな。この世の物とは思えない色だ。キカイってのがバレたくないならもっとちゃんとした色にすればいいのに」
「え? 私バレたくないとは言ってないけど……そんなにおかしいなら、変えようかしら」
カラーコンタクトだと思ったのに、斜め上の回答をされた。
「いや、変えなくていい。綺麗な色だと思う。俺は…………その。俺達まだ出会って日が浅いし、お前の姿を見間違える可能性があるから。その目でいい、と思う」
事実を言えばこんな現実離れした美人を忘れる訳がないのだが、どうかそういう事にしておいてほしい。俺はナンパ師でも何でもない。思ったありのままの感情を面と向かって言うのは難易度が高すぎる。
マキナはニコニコ笑顔を崩さないまま、二本指を使って片目を見せつけるように開いた。
「それなら、とっても素敵な情報を教えてあげる。私の瞳の色は、月の色。この瞳を綺麗だって言ってくれるなら、月を見た時貴方はどんな顔をするのかしら? ―――なんか、楽しみが増えちゃった♪」
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