天外の道



 キカイを称する女、マキナとの一夜を明かして俺は目を覚ました。色々な意味で夢のような時間だったが、学生にのんびりと感傷に浸る時間は無い。素早く制服に着替えて台所を勝手に使用。フライパンで揚げたトーストを貪るように食べて直ぐに出発した―――


「…………」


 したかったが、何やら視線を感じる。昨夜派手に喧嘩をしたせいで両親はこちらを見もしなかった(別に喧嘩がなくても助けを求めない俺に用なんてないが)が、妹だけは何度か玄関に視線を流していて、俺と視線が合うと大袈裟なくらい顔を逸らした。


「…………………………いって、きます」


 返事は聞かない。独り言という事にしておく。極力誰の助けも借りない生活というのは大変だ。いや……周りが過剰な善人ばかりでなければそうでもないのだが。朝ごはんを食べようとする度に困ってる事があるなら頼れだの、俺達はいつでもお前の味方だの、寒気がするような事ばかり言ってくるものだから、いつしか自分で朝食を作る様になった。料理を習った記憶は無いので簡単な物しか出来ない。



 ―――もうちょっと素直になるだけで、全部解決する。



 それを分かっていても、俺はこの善人達が気持ち悪くて仕方ない。誰かを助けたくて仕方ないような衝動を抱える正義の味方が悍ましい。昨夜のマキナとの出会いがある意味それを証明してしまった。糸の繋がっている奴等は全員、気味が悪いくらいの善人になる。


 そんな善人ばかりだから近頃の万引きも最強の免罪符で取り逃がすのだ。万引き犯も万引き犯で頼まれれば自ら捕まる事も辞さないので、早い話が先に言ったもの勝ちの世界が広がっている。善人、善人と言っているが、ここまでプログラム的な働きしかしないと善も悪もなく周りは一体何なのかという疑問が広がる訳だが、これ以上考えてもネガティブに偏るだけだ。


「………………」


 ふと、足を止める。


 俺が学校に行く意味って、何だ?


 一般回答でもするなら、社会に出て社会人として真っ当な働きをする為だ。大学に行って更なる高みを目指すのも選択肢か。しかし、それは俺にとって有益なのだろうか。俺はこの糸が嫌いだ。糸に繋がれている善人が価値観に囚われただけの囚人ではないかと錯覚さえしている。そんな奴等と一緒の生活をする事に何の意味があるのだろう。


「……サボろ」


 マキナの部品探しに付き合えば、この囲まれた世界から解放される。なら早い方がいい筈だ。一日でも早く部品を探せば俺は―――!




『キカイの部品はニンゲンには見えないのよ』




「………………」


 なら、俺の出る幕なんてない筈だが。さっぱり意味が分からない。それともアイツはキカイの癖に物忘れが激しくて、俺が人間と判明した瞬間に忘れたのか。待ち合わせ場所も決めてなければ連絡先も交換していないが、俺達は取引相手だ。いつかは分からないが確実に目の前には現れてくれる。


 その時学校に居たら色々と建前が面倒なので、今日はサボろう。



『あ、もしもし。式宮です。今日サボりたいので休みます』



『はあ!? お前、自分が何言ってるか―――!』



 電話を切った。


 下手に体調不良を理由にすれば担任が見舞いに来る可能性があったので、嘘は言えなかった。もう少し考えれば穏便に済ませる嘘もあっただろうがそんなごちゃごちゃ考えるよりは行動も素早く決められるので正直が一番。あんまり好き勝手していると携帯も取り上げられそうだが―――それは、仕方ない。俺は携帯が無くても生きていける人間だ。苦労はあるかもしれないが、善人に助けられるよりはずっとマシ。



 そうと決まれば、のんびり過ごそう。



 昨日は学校帰りも家に戻ってからも気が気じゃなくなるような出来事ばかりだった。俺だって日頃から発狂していては身が持たない。たまにはゆっくり身体を休めないとどうしても精神的な疲れは溜まる。


 当てもなく町内を回っていたら河原に辿り着いた。ここ日亥市は海に面した場所にあるので水遊びがしたいならそちらに行く方がいい。そういう発想をする人間が多いのでここは非常に静かだ。


「…………あー」


 草っ原に横になって川を見れば、時々死体が流れてくる事もある。でも気にしない。ここに流れる死体なんてどうせ免罪符を使って強行した筋金入りの死にたがりか、川が危険だという事を認識していない間抜けだけだ。何があっても俺は助けない。そうやって流れてくる死体にも糸は繋がっているので、人命救助の使命感に嫌悪が勝ってしまうのだ。




 何だよ、この糸。




 今まで脳みそを腐らせて目を背けてきたが、よくよく考えてみれば訳の分からない代物だ。生まれつき見えていた景色でないのは知っている。幼児期健忘込みでもまだ正常な時代はあった。記憶は不確かだが……糸は見えてなかった。世界情勢が悪かったのか何なのか、テレビは色々騒がしかった記憶が無い事も無い事も……一々覚えていられるか。


 目を瞑って、日光浴の真似事をしてみる。豪雨の翌日は足元が最悪になるなんて誰でも分かる常識だが、学校をサボる行為の正当化に夢中ですっかり忘れていた。俺は根が真面目なのか?


 そんな事があってたまるか。



「すみません。そんな場所で寝転がってると迷惑なんですけど」



 目は、瞑ったままの方が会話出来そうだ。糸を見たらまともに会話出来る気がしない。見なくても普段なら無視する所だが、『迷惑』という言葉が気に入った。声を聴く限り、妹と年が近い少女か。


「―――何処に居ようと俺の勝手だ。ここでイベントでもやるなら、話は別だけど」


「……身体が汚れても、こんな場所で休むんですか? 貴方、高校生でしょ? もう学校始まりますよ」


「色々と余計な世話を焼いてくれるな。今日は学校をサボるんだ。君が何をするつもりかなんて知らないし邪魔しようとは思わないから、放っておいてくれないか」


「ふーん。そういう物ですか」


 少女は俺の隣に座ったようだ。草を踏み分ける音だけで判断したが間違ってはいないだろう。気配などと曖昧な概念ではなく、確かに少女は横に座っている。


「学校、嫌になったんですか?」


「嫌になった……どうだろうな。嫌いじゃないけど、行く意味なんてないと思ったんだ。友達のような奴も居るし、周りは皆良い人ばかりだけど。それがどうしようもなく気持ち悪い」


「…………大変ですね。高校生って」


「君だって中学校があるだろ? 同じようなものだ。同じだ。同じ苦しみだよ。真綿の絞首が続くだけ」


 少女の声は酷くぶっきらぼうで、当たり前だが見ず知らずの人間には棘があった。


「私、中学校は行ってませんよ。家にも帰ってません」


「不良娘」


「真の不良に言われたくありません。不良お兄さん」


「……やめろ。お兄さんとか言うな。名前を名乗らなかったからってそれは呼ぶな。俺には妹が居るんだ」


「じゃあ、何て呼びましょうか」


「分からない。呼び方なんて必要ないだろ。親しい仲でもないし」


 少女の声がくぐもる。きっとこの女の子も実際は糸に繋がれているのだろう。繋がれていないのはマキナだけ。十七年間で培った絶対の経験だ。マキナの存在をすんなり受け入れてる自分が怖いが、怖いのは手首が消えた辺りからで、今更だ。


「…………私、もう行きます」


「そうかい。どんな生活してるのか知らないけど、まあ頑張ってくれよ」


「貴方も、学校には行ってくださいね。心配してる人が居るかもしれませんよ」


 冷たく言い放って、名も姿も知らぬ少女は去っていった。心配してくれる人間なんて幾らでも居るさ。そりゃいる。ここは善人しかいない優しい世界だ。誰もが『他人には親切にしよう』という教育に縛られた聖人だ。心配くらい幾らでもするし、助けを求めれば誰もがその手を取るだろう。


「…………クソだ」


 糸なんて見えなければ、俺も善人で居られたのかもしれない。糸が見えてる内は拒絶したいが、解決したら……考えは変わるのか。それを確かめる為にも早く部品を探したい。早く、早く、早く。マキナの奴は何処へ行った。



「あれれ? 有珠希、こんな所で何してるの?」



 聞いているだけでも眩みそうな明るい声。足音に合わせて目を開くと、視界の反対側―――頭上側から、マキナが顔を覗き込んでいた。驚いて飛び退きそうになったが、この姿勢では下がりようもない。怪訝な表情を浮かべる彼女を押しのけて、気怠そうに上体を起こした。


「お前と何も決めずに別れてたのを後悔してた所だ。部品を探すんじゃないの……」


 昨夜と違って、彼女は白いニット服にチェックのフレアスカートを履いている。歩く姿は百合の花なんて言葉もあるが、それには程遠い。代わりにあまりある活力がマキナの一挙手一投足に満ちており、冬の草花に元気がないのは彼女に吸われているからなのでは、と邪推してしまう程だ。


 何がとは言わないが、凶悪過ぎてひねくれ根性が真正面から叩き潰されそうだ。分かり切っていたがこんな美人に一度気を許してしまうと心が…………堪えろ有珠希。


「……? どうかした? 私の格好、変かしら?」


「変じゃない……けど。いや、何でもない。ちょっと寝てたからぼーっとしてただけだ」


「そう。そういう有珠希はとっても変ね。服が汚れてるわよッ」


「……ん。まあな。そりゃそうだ。学校サボって寝転がってたんだから」


「ええ! 何でサボってるのよ! 私、取引はしたけど生活を蔑ろにしろとは言ってないわよッ? 部品探しは夕方からでも遅くないんだし……本当にいいの? 私は助かるけど」


「一日くらい休んでもどうという事はないさ。色々聞きたい事があるんだ。さっさと始めてくれ」


 それは善意と呼んで欲しくない気持ちだったが、マキナは純粋に、無邪気な子供の様な笑顔を浮かべて「分かったわ!」と頷いた。


「でもその前に、私がキカイだって事を証明してあげる」


「証明? いや、そんなのもう十分味わったけどな」


「いいのいいの、気にしないで。こんな早くから付き合わせるんだもの、取引ならフェアに行きましょ」


 視界の端に映るだけでもあまねく人の視線を奪う女性、マキナ。彼女はブーツの音を立てて俺に接近すると、制服の裾を掴んだ。



「脱いで? 綺麗にしてあげるわ」










「――――――は?」



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