第33話

大黒屋の店の中には若い嫁、副田よう子がいて、もう一人太田喜美がいた。もう一人いてもいい筈なのだが、いない。子供がいなくなったんだから、他人の噂話をし、笑い合って、馬鹿になり切っている場合ではないのだろう。

この店の中では、よく見かける光景だった。鈴村紀美子の夫矢之助は五軒ばかり本里よりで理容室をやっている。また、太田亜希子の祖父は自転車店を営んでいた。こっちは夫の良継と妻明子との年齢が十二歳離れていた。亜希子は無愛想な祖父が嫌いで、良継は仕事に行っているし、家に祖父といるのが嫌になり、娘の喜美を一人残して、この店にやって来て、あれやこれやとしゃべっていることが多い。だが、今日は、鈴村紀美子はいない。いなくなった理穂を探しに行っているようだ。親なら、当然の思いだろう。

大黒屋は代々ここに店を構えて、四代目になる。副田安代の夫は二十年前に癌で失くしていた。以後、安代が一人できりもみをしていて、息子の準一は津市の硝子会社に、三交代で勤めている。安代は、

「この店は、私の代で終わりだね」

と、他人に漏らしているという。

というのは、糖尿病の持病があり、良くなるならまだしも、年々悪くなり体の自由が利かなくなって来ていたのだ。十日前から入退院を繰り返していて、その都度嫁のよう子が大黒屋の店の切り盛りをやっている。息子の準一も、商売には全く見向きをしていない。

娘の理々子は、安代が入院した次の日に、預けてある松阪市内の実家から引き取って来ていた。妻のよう子は、理々子を安代に会わせないようにしていた。

安代が入院すると、

「清々する」

と、よう子は口には出さないが、安代がいないと気分が爽快になって来ていた。つまり、よう子は義母の安代が気に入らないというより、真から嫌いだった。安代の何がどうこうと言うより、その性分が嫌いなんだろう。夫の準一の手前、安代に口答えもしないが、内心苛立つものがずっと溜っているようだ。

安代がいる時にはおおっぴらに店の中でぺちゃくちゃしゃべるわけにはいかなかったが、今は店の商売をほったらかして、仲にいい人・・・いや表面上気があっているだけかもしれない・・・が、誰かがやって来ると、あれこれとしゃべっている。当然、娘が邪魔になり、理々子が寄り添って来ても、

「あっちに行っていなさい」

と、素っ気ない。

当然、理々子が、

「遊んでくるね」

と、いうと、

「あいよ、気を付けるんだよ」

と、送り出す。国道から奥に入った本里のようなところは車も少ないし、松阪市内ほど危険な所という意識は当然なかった。

だが、この日、理々子は二度と大黒屋の家にもどることはなかったのである。

「河合さん、こんな所に、何かよう・・・?理穂ちゃんを早く探して下さいよ」

よう子が棘のあるいいようで、問い詰めて来た。

「分かっています。でも、今日は・・・。実は・・・もう知っていると思うんですが、寄合橋の下で身元不明の遺体が見つかったのは知っていると思うんですが、今の所、何処の誰だか分からないのですが、この本里でいなくなった人がいないか、調べています」

河合巡査は二人の女性をジローリと恐々睨み付けた。これは、ここに来た時の彼の決まった仕種だった。実は、彼はここに来るのを嫌っていた。だから、それなりの本里の見回りをすると、さっさと退散した。

「それで・・・なぜ、私たちに聞くの?私たちに分かるはずがないじゃないの、ねえ」

太田亜希子に同意を求めた。互いに目を合わせ、

「河合さん、本当に、いい加減にしてくださいよ」

こう言われると、河合巡査も反論できない。

結局、三人の男どもはそのまま引き下がるしかなかった。店の外に出ると、

「この後、どうします?」

熊井が河合巡査と相談する。

「とにかく、この・・・何というか、もっと村を回りましょう」

「分かりました」

それから一時間余り本里の村を回った。誰もいない家もあったが、

遺体が誰なのかという聞き込みは、何も収穫はなかった。


身元不明の男が誰なのか・・・一か月経っても、確かな判明はしなかった。ただ、亀屋秀雄らしいと、警察では見立てていた。家にいなかったし、年齢的にもぴったりのように思えたのである。ただ、科学的な根拠は、今の所何もなかったのである。


その日の夕暮れ、新たな事件が大台北署に飛び込んで来た。

第一報は、河合巡査のいる派出所にもたらされた。

副田安代の孫娘、準一とよう子の子・・・理々子が、夜のなって

も、家に帰らないとよう子が飛び込んで来たのだった。

「確かに・・・」

河合巡査は実に不快な気持ちになり、親のよう子を睨んだ。

「確かです、遊びに行って、まだ帰って来ていないんです」

派出所の時計は、午後八時を回っていた。

「お前さんの子供は、確か・・・松阪の方にいるんじゃなかった

のか?」

「学校が休みになって、こっちに帰って来ているんです。お母さんも・・・」

と言い掛けて、急に黙ってしまった。それでも、しゃべらなくてはいけないと思い、

「今、うちの人も知り合いの人に聞きに回っています。ええ、昼勤なので、今日はもう帰って来ているんです。駐在さん、河合さん、何とかして下さい」

河合巡査は、わかった、とは言わない。トラブルはゴメンなのである。身元不明の遺体もそうだが、何もなければ安穏にしていられるのに、なぜか事件が続いてしまっている。

「だいたいが・・・」

と、河合巡査は言おうとしたが、グッと我慢して、

「いなくなった時、どんな状況だったのか詳しく説明をしてもらえるかな」

と、デスクの前に行き、椅子にゆっくりと座り込んだ。

よう子が言うには、

今日駐在さんが来る前に、

「あの子は遊びに出て行ったんです」

「何処へ?」

「さあ、子供のことだから・・・」

分からない、と言いたげだ。

「それでも、あんた、子供の親なのか!」

河合巡査はまずいと思ったのか、声をしぼった。本当は、もっときつく言いたかったのだが、河合巡査はじっと我慢した。

「それじゃ、探しようがないじゃないか」

「それでも、探して下さい。あんた、警察なんだから。お願いしますよ。家の人も、明日は休む、と言っています。だから・・・」

普段の気の強いよう子とはまるっきり違って、おろおろとしていて、落ち着きがない。

「駐在さん、お願いしますよ。あの子は、何処へ行ったんでしょうね。何かあったら、私、どうしたらいいのか・・・」

副田よう子の気持ちも、河合は分からないでもない。あくまでも、この親としての気持ちを・・・である。義理の母の安代は、今糖尿病で入院をしている。母の安代とよう子は、店では表立ってやり合わないが、仲が良くないのは、本里では有名だった。

「小学校に入ったら、どうするの?」

太田喜美に聞かれると、

「まあ、お母さんの病状次第ね」

あっけらかんと言う。

今は、そんなことより、理々子の行方を探さなければならない。

「まあ、あっちこっち当たって見ようか」

河合巡査は立ち上がり、

「おい、ちょっと出かけて来るからな」

と、奥にいる妻の和子に声を掛けた。

「おっと、その前に、大台北署に連絡だけは入れとくよ」

河合巡査は型通りの連絡をした。そして、

「もう、家に帰って来ているかもしれませんがね。一度、家に帰って見たら・・・」

と、付け加えた。


次の日、朝から副田理々子の捜索が行われたが、何の手がかりも掴めなかった。もちろん、理穂の捜索も・・・である。

「これは・・・やっかいなことになるな」

と、河合巡査はぼやき始めた。

ただ、全く手掛かりがなかったわけではなかった。

「理々子ちゃんかどうか分からないけど、小さな女の子が・・・大きなウサギと手を繋いで歩いていたのを見かけた」

という情報があった。何だが、夢を見ているような知らせであった。


時間を三四時間だけ戻す。

理々子が、家を出た後、

「そうだ、喜美ちゃんと遊ぼう」

そう決めていたわけではないのだが、あそこで、大黒屋の店のことであるが、一人で遊んでいるのが嫌になったのだ。近くだから、太田喜美とはよく遊んでいたのだが、子供と言うのは何分気分やさんなのか、飽き性なのか、その日によって誰と遊ぶかころころと気分が変わるようである。

太田喜美の家は福田屋のすぐの十字路を西に十メートルほどいった宮川沿いにあった。家は自転車店で、そんなに大きくない店だが、中には十四五台の自転車が並べられていた。というより、乱雑に置いてあった。

祖父の達也がやり始めたもので、家族の誰もが手伝いもしなければ、子供も後を継ごうなんて思っていなかった。身長が一メートル八十以上あり、でかい。この本里の誰もが達也を見上げる。だが、なぜだが分からないが、この店で自転車を買う者は一人としていなかった。ただ、そこにあるだけの自転車店だった。

「あんな所で・・・」

誰が買う。店主である達也は無愛想の塊りだった。話し方が、人を馬鹿にしたような態度である。

理々子は、そんな店の中を覗き込み、

「喜美ちゃん?」

とちょっと小さめの声で言った。

店の中には達也が四歳の理々子を睨み付け、

「いない」

と、無愛想な態度を示した。

理々子も喜美のおじいちゃんが嫌いだった。だから、目を合わそうとはしないで、そのまま何処かへ行ってしまった。

(どうしようかな?)

という気持ちは少しもない。気分次第で、子供は行動する。理々子はそのまま歩き始めた。

ここまでが、理々子について分かっていることである。


この後、理々子が、どのような行動をしたのか、辿ってみる必要がある。

理々子はそのまま宮川沿いに歩いて行った。

多分・・・こんなことがあったのだろうと想像する。

宮川沿いには樹木と背丈の低い竹林がずっと続いていた。

「こんにちは・・・お嬢さん」

理々子の目の前に現れたのは、ウサギさん・・・しかも、すごく大きなうさぎさんでした。

「へへっ・・・こんにちは!」

「だあれ・・・?」

理々子は首を傾げた。ウサギというのは、理々子にも分かっている。しかし、このウサギは、人間の言葉をしゃべっているのである。もっとも彼女は実際のウサギを見たことはないし、こんなに大きなウサギを見るのも初めてだった。ウサギというものが、

(こんなに大きいとは・・・)

とは思わなかったのだから、当たり前のように目の前のウサギを見て驚いている。

「どうしたんだい?」

少しガラガラする声のウサギさんだった。

「どうして一人でいるの?」

「遊ぶ子が、誰もいないの」

「そうかい、そうかい、それなら、私と遊ばないかい?」

「うん」

理々子はすぐに返事をした。一人では何もすることはなかったのだから、仕方がない。

「じゃ・・・ウサギさんについておいで」

大きなウサギさんと理々子は、手を繋いで歩き始めた。

しばらくすると、理々子は訊いて来た。

「首の所についている赤い点々は、何?」

と、理々子が訊いて来た。

大きなウサギは、

「ウヘッ。これはねえ、イチゴだよ」

と、答えた。

「イチゴ、大好きなの?」

「うん、理々子ちゃんは・・・」

「好き」

理々子は笑った。理々子はよくしゃべる。

「何処へ・・・行くの?」

「とっても面白くて楽しい所だよ。きっと気に入ると思うよ。ウサギ、好きかい?」

「うん」

面白くて楽しいと聞いて、理々子は何だか嬉しくなった。そこで、

「ウサギさんは、どうして、大きいの?」

と、訊いた。

「大きいの・・・嫌いかい?」

理々子は返事に困った。だから、彼女なりに、

「そんなことはないよ」

と、いった。

軽快な足取りで踊りながら歩く大きなウサギみて、理々子は気分がいいのかキャキャと笑ったりしている。

大きなウサギと理々子は三叉路まで来ると、(真っすぐ行くと大きな雑木林があり、右側にある古い木の橋を渡って行くと、隣の在所行くことが出来る。

「いいかい。ここからは、秘密の場所に行くから、」

と、大きなウサギは、大きなタオルを取り出した。所々泥のようなものなのか茶色っぽく汚れていた。

「これで、目隠しするからね」

と、いう。

この後のことを想像するのは、それ程困難ではない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る