第18話
由紀子にはこの頃気になることがあった。大台署の刑事が何度も修に、訊きたいことがあるといって訪ねて来ていた。
「何なの?」
と由紀子が聞いても、修は何も答えなかった。彼女はそんな修の反応を窺った。この夫に不審を抱いているわけではない。一緒に生活して二十一年、夫の態度からこの人がどんなことを考えているか自然と読み取れるようになった。別に超能力らしいものを持っているのではない。
(この人は何かを隠している。それが何なのか分からないけど・・・何?何?何があったの?)
何かが、由紀子の心の流れを遮断した。
「えっ、えっ、何て言った?」
由紀子を耳を修に近づけた。余りしゃべらず、たまにしゃべっても小さな声の夫に、いつものように顔を近づけた。もっとも顔を近づけてもはっきりと聞こえることはあまりないのだが、そうすることが彼女のくせになってしまった。
「何でもない。何でもない」
こう言うと、修はまた山に行ってしまった。
八並朝美は感覚的に覚えのある体の震えに耐えられず足を止めた。彼女は、
「お父さん」
と、声を掛けようとしたのだが、一言も言葉を出すことが出来なかった。
八並修は娘が目の前にいるのに全く気付かないのか、前をぎょっと睨んだまますれ違っていった。
朝美の身体はカチカチに硬直していた。
「ああ・・・」
彼女は深い吐息を漏らした。すると、身体がふんわりと柔らかくほぐれて来た。
自分はどうすべきか、はっきりとした認識があったのではないが。彼女は何を思ったか、修の後をつけ始めたのである。
あの刑事は、俺を心底悪人だと思っている。
「違う」
俺はそんな人間、むっ・・・男ではない。修は今の自分の考えを否定し、恥じた。
彼はゆっくりと歩いていた。刑事たちは帰っていった。また、来ます、と修を睨みつけて、帰って行った。あいつらは前にも来た。確か、あの事件は大分昔のことだ。何年前だ?そうだ。朝美が四つか五つのことだ。まだ解決していないんだ。
修は足を止めた。何かが・・・いや誰かに見られているようないやぁな感じがしたのだった。
(誰だ?)
修はゆっくりと後ろを振り向いた。
「刑事・・・あいつらか!」
と、修は一瞬疑ったが、彼の感覚では刑事ではないと気持ちを切り替えた。
誰もいなかった。
そして、彼の誰かいるという確信は消えてしまった。大台町の一番賑やかな場所は国道四十二号線沿いの家並みだった。ガソリンスタンドがあり、大衆食堂もやはりあった。季節の農産物、みかんや柿の産物の販売店も短い距離の間に何件もあった。だが、少し道を逸れると雰囲気は一変した。歩いている人は極端に少なくなり、大昔の村に迷い込んだ錯覚に陥ってしまう。だが、けっして錯覚ではなく、ここはそのような場所だった。
「誰だ?気のせいか・・・」
こう叫んでしまったが、彼の目に人影はない。
修はまた歩き始めた。
十歩ばかり歩くと、修は再び足を止めた。今度は後ろに振り替えることはなく、空を見て、
「ふふっ」
と笑った。
朝美は雑草の中に体を小さく縮め、そんな修の様子を見ていた。幼い体は意味も分からず震えていた。
(何を考えているの、お父さん?)
彼女が人の心を読めるようになったのは、何時ごろからなのか。彼女は深く考えることはなかった。そんなことは自分の人生にとって何の役にも立たないと思ったからである。しかし、他人の心を読め、行動の先を読めるということは間違いなく面白いことではあった。
だが、時には無残な光景を目にしなければならない。
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