第七話 その天使の名は・・・

「・・・さん、カさん・・・チェルカさん・・・起きてください、リチェルカさん!!」


 アンの声でリチェルカは意識を取り戻す。


「急に倒れるから心配したじゃないですか・・・よかったぁ・・・」


 と、今にも泣きだしそうなアンに謝り、手に握られていた日記の頁をあるべき場所へと戻した。


「破れていた個所はそれで全部ですか?」

「そうみたいですね。」


 破れていた日記の頁を全て探し終えて、赤い日記帳が元の姿を取り戻す。

 その内容からは、短く不自由な人生の中でも、小さな幸せ一つ一つに目を向けて、懸命に生きているドロテアの生涯を垣間見ることができる。


「心根の優しい子だったんですね、ドロテアは。」


 自分に足りない何かを見つけられたような気がして、リチェルカが呟いたが、隣で一緒に日記を見ていたアンはどうやら腑に落ちない様子。


「そうでしょうか? なんか、いい子過ぎません?」

「確かにそうかもしれませんけど、日記ですよ? 取り繕う必要なんてないじゃないですか。ドロテアの亡骸も綺麗に着飾ってましたし、やっぱり素直で愛される子だったんじゃないかと僕は思います。」

「そう思いたいだけなのでは?」

「・・・。」

「愛しているのなら、そもそもどうして遺体を放置しているのでしょう。埋葬されずにこんな屋敷に、骨になるまで取り残されているんですよ? それでも愛されていたと、本当に思います?」

「それが・・・ドロテアの望みだった、とか?」

「そんな事・・・望んでない!!」


 突然、アンが声を上げた。


「あの研究室にあったのは、怪しげな薬と人のパーツ。あんな場所で研究と称して作られた薬を毎日飲まされて、結果、日に日に身体が動かなくなっていったんですよ?そして最後には誰も来てくれなかった。本当にパパはドロテアを愛していたと思いますか? ドロテアはただの実験体だった。使い物にならなくなったから捨てられただけなんじゃないんですか!?」

「落ち着いてください。はじめに「愛されている」と言ったのは、アンさんですよ?」

「私だってそう思ってた。思いたかった。でも、でも!!!」


 アンが叫び声をあげたと同時に、リチェルカの手元にあった日記が勝手に動き出して頁をめくる。最後の頁、白紙だったそこに、突然殴りがいたような文字が現れた。



 どうして来てくれないの? 何度も呼んでいるのに。

 身体が痛いよ。苦しいよ。 ねぇパパ アンジェリナ 私は一人じゃ何もできないのに。、私を置いて、どこに行ったの? 何をしてるの? 私を捨てたの? どうして? ドウシテドウシテドウシテドウシテ!!!!!!!!! 



 羅列されたドウシテの文字は日記を埋め尽くし、やがて床や壁へと侵食していく。リチェルカは日記を放りだすと、アンの手を引いて部屋を出た。


「いったいこれは・・・アンさん?」


 今の今までその手を引いていたはずのアンの姿がどこにもない。


「・・・・・・・・・。」


 それどころか、廊下の様子が先ほどまでとはまるで違う。

 ひび割れたガラス、張り巡る蜘蛛の巣、白く積もった埃と、息が詰まるほどのかび臭さ。とてもじゃないけれどその場にいられたものじゃない。

 ハンカチで口を覆いながら、とにかく外へと出る。先ほどは気づかなかったが、アンから借りたそのハンカチには、赤い薔薇の刺繡がされていた。


 軋む床、穴の開いた廊下、一瞬で何十年という時間が経ったよう。というより、本来の姿に戻ったのだろう。それでも、色のなくなった廃墟の中で、異質にも色を持った場所があった。彼女が愛した中庭。

 リチェルカは迷わずその中央に進み、そこで異形の何かになり果てた彼女の名前を呼ぶ。




 ――― 次回、エンディングが分岐します。どうぞお好きな結末をお楽しみください。

 彼女が生を受けた日。それが、彼女と対話する鍵となります・・・。

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