最終話 「久しぶり」

「久しぶり」


 ウィリアムの姿を見るとジョエルの瞳孔は広がる。


「えぇ……お元気にしてました?」

「うん。ジョエルこそどうなんだよ」

「まぁぼちぼちですかね」


 彼が、自分の知らない赤い半袖パーカーを着ていることが気になった。まだ寒いので下には長袖を着ているが、それだけで自分の知っている弟がずれていく。加えて、マスクはしているけれど、ファンデーションは塗っていない。彼は緊張していないのだろうか。それとも、自分が気にしすぎか。


 店に入って注文した料理が届くまでの間、二人は近況を話し合った。主に話すのはジョエルのほうだった。久しぶりに弟と話したことで気分が良くなった。ウィリアムはスマホを手に持ちつつ、相槌を打つ。


 料理が運ばれてくると、ウィリアムはそれを構えた。カシャ、と一度聞こえると、すぐにしまう。


「それ、撮れたのですか? 今ので」

「んー」


 見せられた画面に映るグラタンは見事なものだった。湯気が立ち上っていてチーズが輝いている。しかし、それを写す彼の顔のほうがとても楽しそうだった。


 写真にはハッシュタグをつけて投稿するらしく、『#今日のディナー』『#グラタン』『#チーズ』『#美味しい』などと打っている。


 まだ食べていないのに、とジョエルは微笑んだ。そして次に一言添えられていた言葉を見て、ジョエルの顔色は変わった。


『#リピート』


 テーブルの下で両手を強く握った。


(私は何を考えている……?)


 ただそれだけのことに、どうしてこんなにも心乱される必要があるというのか。

 自分の知らないところで、彼が新しい生活を送っていることを改めて実感させられた瞬間でもあった。ウィリアムが友達とこういう場所で楽しんでいることは喜ばしいことだ。それなのに、自分の中で何かが崩れ落ちたような気持ちになるのだ。


 もしかしたら、依存していたのは自分のほうだったのではないか。


「ジョエル、どうしたんだよ」

「いいえ」

「アップした。……サムいいね早っ」


 ウィリアムの投稿を、ジョエルは改めて見てみた。フォロワーが多いと、投稿したて数秒で数件のいいねが付くらしい。すると、こういうタグが付け加えられていた。


『#大切な人と過ごす時間』


 ジョエルはウィリアムを抱きしめそうになったが、公衆の面前なので抑え込んだ。彼はこちらを窺っている。


「さぁ、いただきましょう」


 ジョエルはいいねをタップすると、フォークを手に取った。ウィリアムはふっと鼻で笑い、マスクを下す。


「美味しいですね、これ」

「わかる、俺ここのチーズ好きなんだよねぇ」

「それはよかったです。さっきの写真、すごくよく撮れていましたね」

「っ……るせぇ」


 彼は照れ臭そうに睨むと、目を逸らしてバゲットに齧り付いた。その表情を見ているだけでジョエルは満足した。


「なあ、俺のアカウントフォローしてくれてるんだろ」

「それはもう、あなたのファンの一人ですからね」

「ふーん……」


 ウィリアムはそれきり黙って食べ始めた。


 ジョエルも黙って口に運んでいると、彼は話し出した。


「この間……案件が来てさ」

「……案件……ですか?」


 つまり、企業から依頼が来たということだ。金のやり取りが発生し、つまり、ウィリアムの写真は商品になりえるということ。


「新商品の宣伝してほしいって。受けるから」

「……そうですか」


 視界が暗くなる気がした。依頼された本人でもないのに心拍数が上がる。だが、ウィリアムの才能が世界に広まっていると、喜ばしいことなのだと自分に言い聞かせた。才能でお金を稼げるなんて、すごいことではありませんか。そう言ってあげるべきなのに、何故か口は動かなかった。


 最近彼は自分が不器用であることを認めて、複雑な作業があるバイトは止めたようだ。それでもインターネットは平均的な若者と同じように扱えるので、今は時折友人の協力を仰ぎながら、インスタグラマーとして生活している。


 財布を取り出していると突然、ウィリアムが「俺が払う」と言い出した。


「え、あなたが?」

「いいから」


 ウィリアムはレジに行き、店員に「ポイント使えますか」と訊き、センサーにスマホでタッチしていた。その一連の行動はとてもスムーズだった。こちらに戻ってくる表情が、どこか誇らしげだ。


「行こう、ジョエル」

「ああ、はい。ウィルあなた、電子決済できるのですか?」

「できるよ!」


 ふてくされたような彼に続いて外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。もう外は真っ暗だ。


 街中を抜けた後は、ぽつりぽつりと立っている街灯の明かりを頼りに歩いていく。ジョエルはコートの前を合わせて空を見る。星が瞬いていた。冬の星座を眺めていると、後ろからウィリアムの声が聞こえてきた。


「今日はありがと。じゃあ」


 ジョエルは向き直ると、


「はい、気を付けて帰ってくださいね」

「わかってるよ」


 ウィリアムの背中を見ながら、ジョエルも踵を返して自宅へと歩き出す。


「ジョエル!」


 振り返れば、ウィリアムはまだそこにいた。


「どうかしましたか?」


 ジョエルが首を傾げると、彼は肩をいからせ顔を赤くしたまま言った。


「あのさ、今度そっち行くから」


 ジョエルは何も言わずにただジッと彼を見ていた。


「飯、作ってくれないかなと思って」

「いいですよ」

「あと、泊めてほしいんだけど」

「いいですよ……ウィルはやはり、私がいないと駄目なのですね」

「そうじゃない」


 遮るように、ウィリアムは声を荒げた。荒げたというにはあまりにも小さな反抗だったかもしれないが、兄に対して臆することなく意見できるようになったのは確かに成長だった。


「一人でも大丈夫だと思ったから、あんたのとこにも泊まりに行くんだよ」

「そうですか、それはすみません」


 そう言うと、ウィリアムは驚いたような顔をしたが、すぐに安心したように息を吐いて走り去っていった。その足には、もう家の鍵はついていない。ジョエルはその背中が見えなくなるまで見送った。

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Brother~兄のジョエルは弟ウィリアムの親になれない~ 片葉 彩愛沙 @kataha_nerume

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