第25話 《お兄さんはどう?》
《お兄さんはどう?》
『ふつう』
《お前いい加減顔出せよ》
『うるせえ』
《いつでも来い》
三人からのメッセージを見て、ウィリアムはスマホを伏せた。通知が届くが、無視して冷蔵庫をのぞき込む。
事件が起こってから数日間、ウィリアムは家から出られないでいた。窓から見える雑草に霜が付いたのを見て寒くなる。出られないのは、ボロボロになってしまったジョエルの助けになりたかったからだ。そもそもの原因が自分にあることを今は忘れたい。
三人からは、毎日メッセージが届いている。溜まり場に来い、と。けど、さすがに家までは来ないようだ。彼らなりに気まずさがあるのだと思いたい。
トースターに食パンとベーコンをセットしていると、カタン、と玄関のポストが音を立てた。開けようとすると、鍵が冷たくて離してしまう。吐く息が白くなって、空気中に溶ける。二回目はきちんと開けると、ジョエル宛の封筒だった。大きさは普通だけれど、普通のより厚みがある。
中に戻って、隙間にハサミを入れた。ちょき、ちょき、と切っていると、ふと、『ハサミがあったら、誰かがジョエルを切ったのかもしれない』と思った。
あの時の三人は、怖かった。いつもの自分に対する扱いとは打って変わって、とても冷酷だったのだ。自分も彼らに、いわゆる『暴行』をされた身ではあるけれど、あれでも手加減されていたのだと思うと、今後どう接したらいいのかわからない。
でも、あの時体が動かせなかったのは、もしかしたら三人の優しさなのかもしれない。なぜなら、「無理やりだった」という言い訳ができるから。
怖い気持ちはもちろんある。けれど、ウィリアムを認めてくれたのは彼らだけなのだ。不良であることはわかった上だ。遠慮なく接してくれて、病気の時は助けてくれて、金稼ぎを手伝ってくれる。そんな仲間が、他にいるだろうか。
「あ」
封筒の中身を取り出すと、書類が真っ二つに切れていた。床に落ちてしまう片割れを拾い上げる。
「じょ、ジョエル……っ」
二階にいるはずのジョエルのもとへ転びそうになりながら向かう。うつ伏せになっている彼は、ウィリアムの手にしたものだけを見て、状況を判断したようだ。
「ウィル、これは、本人しか開けてはいけないのですよ」
「あっ、そうなの?」
ジョエルが指すところには、確かに『親展』と印刷されている。
でもそこまで見ていなかった。いつもジョエルはさっさと開けてしまうから。
そこに置いておいてください、と黒みを帯びた唇で指示される。机に紙を置くと折り目を伸ばすように手のひらを押し当てた。
その時、ジョエルの体に何かがよぎった。カーテン越しに何かが透けていて、はらはらと自分たちに影を落としているようだ。
ウィリアムが思いついてカーテンを開けると、視界に白いものが映った。
「わぁ……雪だジョエル!」
手を翳しながら言う。ジョエルは、眉をしかめながら窓に目を向ける。大きな雪が次から次へ止めどなく埋め尽くしていく。
「ああ、本当ですね」
「こんな時期に降るんだ」
ウィリアムは窓を開けると、犬のように息を弾ませ、その場でかかとを上下させる。
「積もるかな?」
「さて、どうでしょう」
ジョエルの反応は鈍くて、なんだか空回りしている気分になった。そう気付いてしまうと、ウィリアムは次の言葉を話せなくなってしまう。
「ウィル、寒いですし閉めましょうか」
ジョエルにそう言われて、初めて自分の鳥肌が目に入った。雪より、その言葉のほうがウィリアムの心を冷やしていく気がした。
このところずっとこうだ。会話が続かないことが寂しい。もっと話したいのに、何を話したらいいのかわからなくなる。
「わかった」
ウィリアムはまた窓に手をかける。と、ジョエルの視線がまだ雪に向けられていることに気が付いた。
「なに、ジョエル」
「いえ、なんでも……」
と言いながらも、ジョエルは立ち上がってウィリアムの横に並んだ。
「ほら、もうすぐクリスマスじゃないですか」
「うん」
ジョエルはまた黙った。彼の目のスクリーンを、雪がカーブを描いて滑っていく。ウィリアムはスノードームを思い浮かべた。
どうしたのと声をかけようとすると、
「今年も、あの輩と過ごすのですか?」
ドクンと、心臓の脈打ちが全身に染み渡る。言葉に詰まった。ジョエルは、ジッと見つめている。
「どうするのですか?」
ウィリアムは「うぅん」と声を上げて視線を逸らす。
去年はあの三人と過ごした。帰ってきてから、食卓の上に自分の分のチキンとケーキが置いてあるのを見て、ウィリアムは青ざめた。翌朝、ジョエルはそのことには何も触れずに、「おはようございますウィル。メリークリスマス」と笑みを浮かべてきて、ウィリアムはうんと頷くので精いっぱいだった。
正直、三人には、まだ、会いたくない。でも、ジョエルと一緒なのも微妙だ。
「ジョエルは、一緒に過ごしてくれる?」
おそるおそる尋ねると、ジョエルは口元を緩めて笑みを浮かべた。
「もちろん、喜んで」
ウィリアムはその笑顔を見ると、去年を思い出し口元が引き攣った。何とか埋め合わせをしたくなった。
「そうだ。今年は、俺がケーキ買う」
「ふふ、お願いしますね」
「えっと、どういうケーキがいい?」
「あなたの好きなものをどうぞ」
それから階段を下りていくと、どんどんと心臓の拍動に押される。頭がくらくらした。
ジョエルは怒っている、多分。でも、何も言ってこない。
ウィリアムは一階に着くと、立ち止まって俯いた。
昔、ジョエルが飼っていた虫を逃がしてしまったことがあった。わざとではない。確かに虫を飼うなんて、あり得ないしびっくりしたけど。周りに「変」だと言われてもジョエルは止めなかった。そうなってから、先生たちは何も言わなくなった。ほかの子もはジョエルを避けた。でもジョエルは気にしていないみたいだった。
ただ、段ボールの中にそれを飼いだしてから、ウィリアムのテストの成績への関心が薄れた。黒光りして角を持った気持ち悪いそれが、そんなに良いものなのか、と気になっただけだ。
その日、ジョエルは委員会で帰りが遅かった。誰も見ていない隙に、蓋を開け、こわごわと掴んで、指に乗せてみた。羽を広げるのが見えて、思わず顔を手で覆った。虫は羽音を立てて飛び立った。探したが、とうとう見つけられなかった。暗くなってから帰ってきたジョエルは、空のケースを見つけた。犯人捜しをされて、自分だと判明して、こっぴどく怒られるのだと、ビクビクしながらその様子を覗き込んでいた。でも、兄はいつもより大きく息を吐いて(多分、ため息)、机でテキストを開いて勉強を始めた。訳がわからなかった。きっと混乱しているだけだと思ったけど、翌日ケースがすっかり片づけられると、まるで最初から何も飼っていなかったかのように一度も話題に出さなかった。この出来事があってから、ウィリアムはジョエルのことがわからなくなっていた。彼に褒めてもらいたくて頑張っていた勉強の意味もわからなくなっていた。
嫌な思い出ばかりで息が苦しく、換気のために窓を開けた。寒さに身がすくんだけど、呼吸が楽になる。ぼんやりと外を眺めていると、不意に部屋が焦げ臭い。
「あっ! トースター!」
慌てて見に行くと、トースターから煙が上がっていた。
「あっ……! ああっ……うっ!」
煙たさに涙をにじませていると、ばしゃっ、と音がして、煙が途絶えた。肉が焦げた匂いが辺りに漂っていた。
いつの間にか、ジョエルが来ていた。手にはコップを持っている。
そこまでしなくても……とウィリアムが呆気にとられていると、「はああ」と大きなため息をジョエルが吐いた。彼の目を見て、ウィリアムはたじろいだ。殴ってきた時のものと似ていた。
謝るより先に、ジョエルが口を開く。
「本当に何もしないでください。家のことも、私のことも」
目の前が真っ暗になった。
ジョエルはそのまま、後始末をしている。
ウィリアムは何もできずに立ちすくんでしまった。自分がここにいる、という現実感がなかった。自分が死んで、幽霊になって突っ立っているような気持ちだった。
家のことも、ジョエルのことも、何もしなかったら、自分がここにいる意味がないじゃないか。
嗚咽のような呼吸が静かに洩れて、玄関に向かう。
だけど、出て行っても、どこに行けばいいのだろう。
ウィリアムはそのまま座り込んだ。頭の中が真っ白だった。
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