第21話 「ぅ……ぁあああああああッッッ!」
ソファで目覚めてから、重くのしかかった毛布の感触がした。押しのけようとすると全身が痛い。呻きながらウィリアムは抜け出して、ほの暗いテーブルに置いてあるラザニアとミルクを眺めていた。
その時、急に、兄の首の感触を思い出す。
溜まり場でのことを思い出す。
肛門から何かが垂れてくる。
カッと全身が熱くなり、頭が痛くなった。
「ぅ……ぁあああああああッッッ!」
悲鳴を上げると喉が痛む。冷たい床に涙が落ちた。うずくまって、頭痛が治るまで深呼吸を繰り返す。勉強はさっぱりできないのに、こういうことだけはしつこく思い出す。
肌の感触から、ファンデーションが落ちていることがわかる。多分、ジョエルがやってくれた。何か、察されたかもしれない。また彼に対して、不出来な弟として認識する材料を与えてしまった。
板挟みだった。
兄に怒られたくないし、三人に会うのも気まずい。
痛みが引いてからシャワーを浴びて、長らく悩んだ挙句、ウィリアムは重い体を引きずり溜まり場に足を踏み入れていた。
「おー」
「っ!……ウィ、ル」
三人の反応は様々だった。オスカーは相変わらずソファにふんぞり返っているし、サムは床から立ち上がったもののそのままフリーズしているし、アレクは無言のままこちらを凝視している。
「よく来れたな、お前。まさか昨日のこと覚えてないのか?」
「うるぜ、ぇ」
喉がひりつく。体のあちこちが痛いので嫌でも思い出す。言い出しっぺのオスカーに言われると腹が立った。
「もう、来ないかと思った、っ……」
サムの真っ赤な目から、宝石のような涙がポロっとこぼれた。マリファナの副作用ではないだろう。いつもは抱き着いてくるのに、罪悪感が邪魔して動けないらしい。アレクは目を逸らして、煙草を吸いにウィリアムと入れ違った。ソファの前に立つと、オスカーがちょっとだけ横にずれてくれたので座った。外で「あちっ」とアレクの声。
何をするでもなく、いつも通りに過ごしたかった。しかし、サムが壁際に座り込んでいていまいち調子が出ない。
「どうだ?」
急にオスカーが訊いてきた。目はスマホを向いている。
「何が?」
「そんな寒くねぇだろ?」
「あぁ……まあ」
溜まり場の中は、塗ったペンキのおかげで思ったより寒くない。それでもウィリアムは無意識に抱き込んでいた腕を擦った。
「寒いんじゃねえか、だらしねぇな、ガリガリがよ」
「うるせぇ」
「まあ、そのうちストーブ持ってくるけどな。古いのがあったんだよ家の倉庫に、不良もなさそうだった」
「じゃあそれ、頼むわ」
「灯油代が……クソっ……」
オスカーがぼやきながら、そのまま会話はフェードアウトした。スマホをいじりながら、視界の端に映るサムが気になる。目が合った。すると、膝を抱えていた腕を解いて、こちらへ話しかけてきた。
「あの、ウィル……寒いなら、何かあったかいの買ってきてあげよっか?」
泳いでいる視線。ウィリアムは頷いた。ぱっとサムの顔が晴れた。
「何がいーい?」
「うん……何でもいいけど」
「じゃあ、ダンキン行ってくるよ! 待っててね!」
戻ってきたサムは、紙袋二つと三ダース分のドーナツを抱えていた。ドーナツの甘い匂いと、サンドイッチのスパイシーな匂いがする。ドーナツの争奪戦が起こり、食べ進めているうちに寒さが緩んでいく。皆の間に張っていた緊張の糸も解れていくように思えた。
食べ終えた後、ソファで横になりまどろんでいると、腹に衝撃が落とされた。
「っええ……」
吐きそうになりながら目を開く。甘いドーナツの香りが喉奥から込み上げた。
部屋の電気がウィリアムの寝ぼけ眼を射抜いた。夜が近づいてきているらしい。
腹を触ると、オスカーの靴だった。当の本人は、いじわるそうな笑みを浮かべている。
「で、今日も金稼ぎするわけ?」
一瞬何を言っているのかわからなかった。
「ちょっと……」
サムがオスカーの腕を掴んだけど、振り払われた。
三人の視線が突き刺さるのがわかって、胸の奥がヒクついた。今回は自分の意志で決めるのだ。今度こそはアレクにもやられるかもしれないと思うと体がこわばった。あんなものが入るとは思えない。手で済ませた時も恐ろしくてたまらなかったのに。正直、やりたくない。腹への圧力が高まって、返事を急かされる。
どうして自分ばかりがこんなことになるんだ。
羞恥と兄への屈辱と怒りで、ウィリアムは焼け焦げてしまいそうだった。
そこまで考えて、はたと、ウィリアムの脳内に浮かぶものがあった。それはとても下衆なアイデアだ。
ウィリアムは、オスカーの足を握って下させる。
「良いけど、家に来いよ」
三人に向かって、マスクの下で乾いた笑みを浮かべた。
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