第18話 《もう起きた? こっちは着いたから》
ギラギラ。レースのカーテンから、日差しが差し込んで、ウィリアムの寝ぼけ眼を射抜いていた。
シーツの感触から、すぐに昨夜の記憶がよみがえった。アレクの家に行き、なぜかいたサムと一緒に、母親が用意してくれた夕飯を食べて一泊したのだ。
体を起こしつつ見回したが、二人の姿はない。スマホのメッセージ通知が光っていた。
《もう起きた? こっちは着いたから》とサムから一言。
《お前は来んな》とオスカーから一言。
どこへ行ったのかと記憶をたどると、今朝、肩を叩かれて「溜まり場行ってくるね」と声をかけられたことを思い出した。
リビングへ出ると、食卓にラップされたコップと皿があった。ココアとトーストだ。傍にヌテラが置いてある。母親もいないようだ。腹は減っていなかったが、せっかく用意してもらったのだから、と席に着いてありがたくいただいた。
玄関を出てから、鍵はどうしようと右往左往していると、ガチャと音がした。オートロックらしい。
階段とエレベーターが見えて、ウィリアムはエレベーターに乗った。六階分降りる体力はなかった。
■
溜まり場に着くと、扉が開けっ放しだった。化学的な異臭がして、ウィリアムはコホッと噎せ、涙が滲む。
ラジオがアップテンポな曲を流している。室内ではなく外から聞こえる。
横へ回ってみると、三人は壁にペンキを塗っていた。垂れたペンキが、風で運ばれてきたらしい足元の枯れ葉を彩っている。
「ウィ〜ル〜! 着いたんだね!」
サムが刷毛を足元のペンキ缶の淵に横たえた。オスカーも気付いて「来んなっつったろ」と言いながら手を動かし続ける。
壁のほとんどは白で塗られていた。高いところはアレクがローラーを転がしている。
「悪い、遅れた」
「匂い大丈夫か?」
オスカーがそんなことを言う。なぜ自分が来るのを拒まれたのか、ウィリアムは理解してホッと息を吐く。
「すぐ、慣れる」
「オスカーがね、後から何か描くって。何描こっか?」
よく見ると、隅のほうにまだ開封されてない色々なペンキがあった。
「候補はあるのかよ?」
「四人のイニシャルとか~?」
「クソダセェ、却下」
ちぇ〜、っとサムが枯れ葉を蹴り上げる。それでもウィリアムを見ると笑顔でピースをしてきた。ウィリアムはスマホを向けて撮ってあげる。
一通り壁と三人の様子を撮っていると、ふと、扉が開けっ放しなのが見えた。中を伺うと、すでにクリーム色に染められていた。
「まだ入んなよー、昨日から開けっぱだけど完全に乾いてない」
昨日ということは、ウィリアムが帰った後、オスカーが一人で塗ったのだろうか。
訊くと、遮熱と保温の効果がある下地のペンキを塗っただけらしい。
「でも多少塗っても大丈夫っしょ。中のデザインから考えようぜぇ~」
「塗るの? 塗らなくてよくね」
「賑やかだろ」
足元には透明なビニールシートや『ワシントン・ポスト』が敷いてあり、歩くとピチッと音を立てる。三人はアノラックを着ていたがウィリアムの分は無かった。
しばらくは眺めていたが、そのうち自分も塗りたくなってくる。
「俺もやる……」
「はぁ?」
オスカーから非難の視線を浴びたが、ウィリアムも刷毛をペンキに浸した。壁に塗ろうと持ち上げた途端、垂れて手首へ伝ってくる。
「うわぁっ!」
「バーカ!」
オスカーがげらげらと嘲笑った。腹が立って向き合うと、ピチャッとパーカーに何かが掛かった。オスカーが刷毛を振りかざしたのだ。襟からポケットにかけて赤い飛沫に彩られる。
「ぅわっ? おま、っ!」
「良いデザインじゃねぇか。あるだろー? 自分で模様描くスニーカー的な」
「ふざけんな!」
わあ、とサムの声が近づいた。
「ハート描いたげるよ」
背中に刷毛の感触が走る。
「やだっ、やめろって」
「アレクも塗れよ」
三人に囲まれると逃げ場がない。危ないから目をつぶってて、というサムの言葉におとなしく従う。兄が買ったパーカーだ。確実に怒られる。
「わりといいな」
「ウィル~似合ってるぅ~」
しばらくして目を開けると、白い部分は無くなっていた。そのかわり、たくさんの色が混ざり合って、絶妙な色合いになっている。内心、良いと思った。兄に怒られる恐怖より、今は嬉しさのほうで満たされていく。
「名付けて、レインボーウィル!」
オスカーがドヤ顔でそんなことを言った。
「ぐふっ」
つかの間の沈黙の後、アレクが噴き出した。え? という顔をするオスカー。
「バカじゃね?」
「ネーミングセンス無~」
思わずウィリアムとサムが言うと、オスカーの頬にカッと赤味が走って、ギッと歯を食いしばる。
「うるせー」
ウィリアムは、オスカーからまた、べちゃーっとペンキを頬に塗られた。
「わっ……へへっ」
不思議と気分が良くて、笑いが込み上げた。オスカーのこういう顔を見たのは初めてだ。
何だか楽しくなってきて、ウィリアムも刷毛を取ってオスカーの服に塗り付けた。
「は? 馬鹿野郎ッ!」
「じゃあ俺も塗っちゃおうかな~」
「クソが!」
オスカーが反撃したことによって、四人とも臨戦態勢に入った。
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