第13話 「何すりゃいーの?」

 アレクが札を数枚渡してきた。ウィリアムはめくって数えると、顔を上げる。


「何すりゃいーの?」


 機械的な返事をすると、アレクは首を振った。


「いや……お前にあげるから」


 ウィリアムは目を細めた。

 溜まり場には二人しかいなかった。このタイミングを見計らって渡してきたのだろう。



 あれからウィリアムはたびたび彼らに対して仕事を始めた。オスカーはたまに機嫌が悪い時に。サムのほうはというと週に二回以上金を持ってきてくれた。


『ねえ、金渡したらさ、俺のもしゃぶってくれんの』


 物陰でそう何枚もの札を見せられた時、ウィリアムは頷いたのだ。彼からはうまいやり方をレクチャーされた。そのおかげで、初めての時より早く済ませられるようになってきた。



 そんなことがあってから今回、アレクから金をもらった。彼から申し込まれたのは初めてだ。今までで一番大きな額をもらったから、できる限りのことをしようとしたが、慈善事業らしい。それだけだと、兄から生活費を受け取る生活と何が違うのだろうか。


 アレクの心遣いは分かったが、嬉しさよりも、ほのかな屈辱感が胸の中に沈殿していく。積み上がっていくにつれ、怒りが込み上げてきた。


「ならいらない」と押し返す。


「い、いや、受け取れって」アレクに握りこまされ、胸元に押しやられる。


 彼に力で勝てないことはわかっている。舌打ちしそうになるのをこらえた。ウィリアムはとりあえず握ったまま、ソファに座る。アレクはそわそわすると、入り口で少しだけ扉を開けると煙草に火を点けた。外はだんだんと寒くなってきていて、夏と同じままの服装の二人は同室するしかなかった。



 三十分ほどして、オスカーとサムの声がした。


「よぉ」とネックウォーマーの首を緩めるオスカー。


「ああ、アレクぅ、お腹すいた〜、何か買ってきてぇ」とクリーム色のカーディガンのサム。下には長袖の黒い上下。


「あ、ウィルもいたのか?」


 昼も近く、自分も腹が減っていた。


「そうだ。おごるから食べ行こうぜ」


 と握っていた札を見せる。

 アレクの口があっけにとられて開くのが見えた。


「わあすごい。大金~。使っちゃって大丈夫?」

「大丈夫」

「ずいぶん羽振りがいいな?」


 オスカーが蔑んだ目で見てくる。

 ウィリアムは無視して、ドレスコードが合う場所を探すと、「行くぞ」と駅まで皆を先導した。



 ■



 切符の買い方がわからなかったがサムが教えてくれた。電車でワシントンD.C.へ向かい、バイキングレストランに行った。前払い制になっていて、男性の料金が女性より少し高い。アメリカ料理はもちろん、シーフード料理やスペイン料理などが並んでいる。


「いっぱい取っちゃった」


 サムがプレートを二枚置いて、隣に座った。揚げ物とピザ、パスタがほとんどで、どれも枠からはみ出している。


「ウィルもい〜っぱい食べなよ。せっかくのバイキングなんだからさ」

「そんなに入らない」

「だからガリガリなんだよ〜。あ、アレク、食欲無いの?」


 斜め前に座ったアレクは、フードは脱いでいるけど帽子は被ったままだ。皿に乗った料理はサムと同じくらいの量だ。しかし、いつもなら倍は食べる。そのおかげで彼のたくましい肉体は保たれているようだ。

 オスカーが遅れて、残っていたウィリアムの正面の席へ座った。健康的なサラダにしたようだ。


「さっき暑かったねぇ~」


 サムは脱いだカーディガンを背もたれに着せると、下に着ていた服のせいで真っ黒になるが、様になっている。ソーダをゴクゴクと飲み干すと、白くてきれいな喉仏が上下している。


「そうだな。今朝は寒かったのによ。ちょっと厚着し過ぎたかな」


 オスカーもスタジャンの前を開けて、脱いだネックウォーマーをポケットにしまった。コーラを飲んで、「うぐぅ」と唇に泡を付けて悶えている。

 ウィリアムはピザを一切れスマホで撮っていた。サムが横から覗き込む。


「わ、めっちゃ美味しそうじゃ〜ん! 相変わらず写真撮るのうまうま~!」

「う、うるせぇ」

「ね! これ、後で俺に送ってね」


「は? じゃあグループチャットに貼れよ」と気になったらしいオスカーも覗き込んでくる。


「もう、焦らないの~」


 二人とも喋りながらも次々と口に運んでいる。よく入るものだと思った。自分は食に興味が無いから、たくさん食べられる彼らを見て羨ましいとは特に思わない。ただ空っぽのおなかが鳴るだけだ。


 でも皆で食べる料理は、少なくとも兄と二人だけで食べるよりは美味しいとわかっている。ピザは熱々で、先のほうを齧り取るとチーズが垂れてきた。足を椅子の上に立てたかった。オスカーにどやされそうなので、椅子の足に引っ掛けてやり過ごす。


「これそんな美味くねえな。アレク食えよ」


 大根のサラダをアレクに押しやるオスカー。アレクはフォークで刺してぽりぽり齧る。


「ドレッシングかけてないじゃん。そりゃあ味しないよ」

「ナッツ系のドレッシングしかないのクソだろ」

「あちゃー。あ、でもドリンクバーのとこにオーロラソースとかいろいろあったよ」

「先言えよ」


 が、彼自身は面倒くさいらしく立ち上がらない。サラダを食べ終えたアレクは炒飯を掻き込んでいる。彼は、本当はもっと食べたいのだろうけど、あげたお金だからと遠慮しているに違いない。


「うっま。ウィル〜! これ食べなよ、ほら」


 横から、フォークに刺したポテトが差し出される。唇にもはや触れていたので、食べることにした。甘くてスパイシーなソースが絡んでいる。


「おいしー?」

「うん、これどこあった?」

「向こうのほう、ガーリックシュリンプだよ。取ってこようか!」

「少しだけな」

「おっけ~」


 ルンルンと立ち上がって取りに行くサム。オスカーが視線で追いかけた。すると、思い立ったように、


「アレク、さっきのサラダ取って来いよ。ソースかけてな。ナッツだったらぶっ飛ばす」


 と、アレクが平らげたサラダの器を指す。アレクも席を外す。


 二人きりになると、いきなりオスカーはすねを蹴りつけてきた。うっ、と呻き声を漏らしながらウィリアムは視線で、何? と問いかける。


「キモいんだよ、ホモ」


 靴の裏を、ジーンズに擦りつけてくる。以前と同じ場所を蹴られたらしい。痛いのにふわふわと熱い。イラっと来たウィリアムも蹴り返す。オスカーは見下したように、両足を踏んできた。抜け出せない。そもそも、サムという存在がいるのに、今更どうしてそう蔑むのかわからない。こっちだって、やりたくてやってるわけじゃない。


 彼の翠眼が、ジッとウィリアムを捕えている。すると急に、周りの目が気になりだした。自分は、マスクを外している。マスクをつけたい。けれど、ここは食べる所なのに、つけたらかえって目立たないだろうか。ほかの二人の姿を探した。サムはなぜかデザートコーナーにいて、女子に絡まれている。アレクはドリンクバーにいて、ソースをじっくり吟味している。


 今まで平気だったのに、ウィリアムは俯いてしまった。頭痛の気配がする。こんなところでなりたくない、とウィリアムはピザに食いついた。温かいものを体に詰めていくと、次第に緊張も薄れてきた。


「ウィル~?」


 サムの心配そうな声がして、顔を上げた。覗き込んでいるその手元には、大量のガーリックシュリンプと、アイスが一つだけある。両方ともウィリアムの前に置かれた。いつの間にか、オスカーの足の重みはなくなっている。


「お腹いっぱい?」


 いっぱいだ。でも、せっかく用意してもらったものを無下にできない。

「これは?」とアイスを指さす。


「おまけ。いっぱいなら、それだけでも食べなよ」


 無意識に、スプーンを取る。ラズベリージャムがかかったミルクアイス。酸っぱかった。

 ぽりぽり、と音が聞こえてきて顔を上げる。オスカーがサラダを食べている。黄色いソースがかかっていて、マスタードらしい。隣には食べ残しを押し付けられるアレクの姿があった。サムはというと、ウィリアムが手を付けなかった山盛りのガーリックシュリンプのポテトだけを食べている。


「お前フライ食いすぎ、太るぞ」


 オスカーが白い目を向けながら端に追いやられたエビを口へ運ぶ。サムは忠告を物ともせず次から次へと手を伸ばす。


「フライドポテトは野菜だも~ん」

「アホ。客取れなくなっても知らね」


 いつもの調子の彼らに、ウィリアムの緊張は解れていく。


「ウィル、そういえばさ。次のバイト決まった?」


 ギクッとする。ウィリアムは素直に首を横に振る。サムは塩の付いた指をしゃぶった。


「カフェを経営してるパパがいるんだけどさ、バイト募集してるんだって。どうかな?」

「えっと……接客?」

「掃除だって、開店前と閉店後の。結構汚れるんだって。ウィルのことちょっと詳しめに話したらさ、それでならいいって。たまーに俺も手伝ってるからさ」


 ウィリアムはすぐに結論を出せなさそうだと思った。いまの仕事は、終わればあっという間だ。無心だと思い込んでやり過ごしているし、それなりに報酬は多い。オスカーは気まぐれで金額が上下するが、サムはいつも多い。彼の客からもらった分をそのままいただいているのではないかとも思うが、問い詰めないことにしている。人前でびくびくしながらする仕事よりずっと楽だ。でも、いつかは止めたいと思っている。サムの提案するバイトは魅力的だ。そういう時間帯であれば大丈夫かもしれない。


「ちょっと考えてみる」

「嫌なら断っとくからね」

「うん……」


 急に、頭を撫でてきた。


「俺みたいになっちゃ駄目だよ」


 ちらりとサムを見た。撫でてくる手と同じように穏やかな顔だ。でも、本当のところはどう思っているのかわからない。アレクが、スマホをいじっているのが見える。皿にはまだ料理が残っている。聞いてないふりをしているのだろうか。オスカーは視界のぎりぎりにいて、表情まではよく見えない。ジュースを持っていて、ストローがズゴゴゴゴッと音を鳴らしていた。


 皆、心配してくれている。オスカーは、わからないけど。遠回しに、こういう金稼ぎはやめろ、と言っているのかもしれない。


 残りの金はゲームセンターですべて消し飛んだ。身軽になったウィリアムと三人は、外へ出た。ヒヤリとした空気が全身を包み、鳥肌が立つ。


「さっむ」


 入った時はまだ明るかったが、外に出るとすっかり日は沈んでいた。海からの厳しい冷風にオスカーがくしゃみをして、スタジャンのチャックを引き上げる。


「俺も~、あ、ウィルの手も冷たい」


 さりげなく手を繋いできたので、言われるまで気付かなかった。絡めてくるその指も、先のほうが冷えている。

 オスカーが舌打ちし、


「目の前でいちゃつくな。ホモがうつる」

「黙れ~」


 サムはウィリアムの手を擦って温めようとしている。くしゃみこそ出なかったが、ウィリアムもブルっと身震いする。「帰るぞ」と呟くオスカーに従って、解散した。

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