1-7

「一樹君ー?ご飯、できたわよー」


 部屋で眠っていると、そういう声が聞こえて目が覚める。


「はぁい」


 目をこすりながら返事をして、息をつく。

 最近は、いつの間にか眠っていることが多い。

 これが一番時間を無駄する行為だと分かっているのだが、睡眠欲は退屈な一日のあらゆる隙間に入り込んで来る。

 そして食事の時間になれば、起きて腹を満たしに行くのだった。

 唸りながら体を起こして、部屋を出て行く。

 廊下は暗い。階段の下からは、オレンジ色の光が届いていた。

 それに向かって降りていけば、食卓に並べられた夕食が現れる。


「……おっ、来たか」


「お腹空いてるわよね。食べましょう?」


 夕食は、今日も美味しい。

 これが親父の料理だったら、素直に感想は言わないのだが。

 そうではないので「おいしいです」、と言葉にする。

 そうするとその人は、喜んでくれる。

 親父がそれを見て、慌てて口にする。


「も、勿論!俺もそう思ってたぞ」


「もう遅いですよ、剛志さん」


「くっ……!」


 ……二人のこんなやり取りを、何度も見て来た。

 そしていつもの通り、微笑ましいと思う。

 親父のその隣に座る女性は…………”裕子さん”だ。

 容姿や表情からも分かる穏やかな人柄と、綺麗であろう顔。

 毎日夕食を作ってくれる人であり、その腕前は申し分なく舌が肥えてしまいそうなほどだ。

 微笑ましいと言うのは、とても適切な表現に感じる。

 何故ならこの二人は、”夫婦”なのだから。

 ……いつから二人が夫婦だったのか。

 それは……ここだ、という断定は出来ない。

 俺がこの家に来た数年後に、初めてこの人はやってきた。

 最初は俺は、親父の古い知り合いという印象だった。

 子供だった俺は、この人がなぜこうしてご飯を作ってくれるのか分からなかった。

 数年経って分かったのは、親父と共同で俺を育てていてくれたんだ、ということ。

 二人とも働いていて、親父は残業のときもある。それで小学生の俺を、代わりに相手してくれていたのだろう。


「どうしたの一樹君?なんだかぼーっとしてるわよ?」


「ん……ああ、いや」


「お前どーせ、さっきまでまた寝てたんだろう」


「うん、まぁね」


 俺がこの親父に引き取られて、今年で十年目。

 こんな風に三人家族として過ごすようになってからは、もう二年が過ぎた。

 ここの所はずっと、この状況に対して感傷的になることもなかった。

 だけどどうやら……今日は違うみたいだ。

 久々に俺は、親父と裕子さんの会話に耳を近づけるように、口数すくなく食事をしている。


「こいつ最近、夏休みだからって寝てばかりいるんだ。裕子さんも何か言ってやってくれよ」


「いいじゃない、思うように過ごせば。宿題はちゃんとやっているんでしょう?」


「え……っはい。へへ……そりゃあもちろん……」


 やっていなかった。

 親父がジト目で見てくるが、無視する。


「なんか最近、暇で仕方なくて……気づいたら寝てるってことが多いんです。これでいいのかなって自分でも思うんですけど」


 俺は俺の中にあった、悩みのようなものを吐露するように話した。

 自分でも初めて言葉にしながら……。

 これが、小さな悩みの種だったことに気づく。


「ううん……そうねぇ……」


 裕子さんは箸を置いて、目を伏せて真剣に考えてくれている。

 親父はというと、腕を組んでその裕子さんをじっと見ている。

 まさか……どさくさに紛れて、見惚れてんのか……?


「……でもきっと、憂鬱に過ごすよりはいいんじゃないのかしら」


「はぁ」


「一樹君は別に、暗い気分じゃないんでしょう?」


「それは、……そうですね」


 たしかに俺はもう、四六時中落ち込んだりしない。

 一日の内、ときにはそういうこともある。

 でもどんな気分だろうと結局、夜になればこの食卓に着くのだ。

 今日だってそうだ。やるせない一日を過ごしたって、この時間によって俺は少し浮かばれる。

 心底憂鬱な人間に、暇などないのを俺は知っているし。

 もう俺は、そこには居ないのだった。

 ……そうか。

 俺はいつの間にか、暇を感じるようになっていたんだ。

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