1-8
次の日の朝は、どこか昨日までより少し軽くなった気分だった。
親父と裕子さんを見送って、自分も外に出る支度をする。
朝から今日は、午前中の散歩をすることに決めていた。
時間が余ってることに変わりはないが、とりあえず二度寝で無為に過ごすのはやめにしようと思ったのだ。
そうして玄関を出た俺の足は、向日葵畑へと向いていた。
特に理由なんてなく……強いて言うなら、あそこが一番有意義な時間を送れると感じたからだった。
……それから向日葵畑に着いた。
俺は……やはり他にすることもなく、花を眺める。
花は上向きに咲いていてまだやや小さく、成長の余地を残している気がする。
「…………」
静かだ。車が走る音さえも聞こえてこない。
……そして、今日は青八木は居ないようだった。
こないだ見に来ていたのはたまたまで、普段はこんな場所まで来ないのかもしれない。
有意義な時間かはよく分からなかったが、時間を少しだけ潰せた。
というかそもそも、有意義とはどういう時間のことを言うのか、俺は知らないんだったな。
「…………?」
……そのとき。
静寂の中に、なにかざわめきのような音が小さく響いた。
それから大きく、「ガサッ!」という音がした。
葉っぱの、音……?
風が吹いたわけでもないのに、なんでだろう?と思い、音がしたほうを見た。
「…………」
……そこには、右半身を向日葵畑から出した、青八木が居た。
右足を歩道に踏み出していて、体が半分畑に隠れている。
その体制のままで、向こうもこっちに気が付いて目が合う。
「……よ、……よぉ」
あれ……?
こいつ今多分、……この中から出てきたよな……?
「…………」
ばつが悪そうに目をそらして、畑から出てくる青八木。
分厚い半そでの、淡い灰色のパーカーを着ている。
下は青みの濃いジーパンである。
「う、うん…………おはよう」
「あー、えっと……」
さすがに聞かないのも、不自然な気がする。
「……何、してたんだ?」
「えっ?う……うーんとね……」
青八木は目をそらしたまま、頬をかく。
「……なんでもない、別に」
「あーう、うん。……そうか」
青八木は歩道に出て、体をはらう。
そして、「じゃあね」と言って去っていったのだった。
「…………」
なんだったんだ、一体。
……なんだ?この向日葵畑の先に、なにかがあんのか?
そういえば、見たことがないような。
でも、花が咲いていないときには向こうが見えるはずなんだけどな。やっぱりこのむこうの景色の記憶はない。
……青八木が去っていった道を眺める。
「……」
ちょっと……行ってみようかな……。
◇
畑に踏み入って、無論道なんてないのでひまわりの間を通って進む。
花畑に侵入した。
事実だけ見るととんでもないが、ひまわりの間には人一人が歩ける間隔があるので問題ない。
しかし、なんか、あれだな。
……けっこう暗いなぁ、この中。
周りの花が自分よりも高い位置に咲いていて、それらが日光を遮っている。
あたりを見回してみると……ひまわりの茎が雑多に並んでいる。
土の上には木漏れ日の様に、光が様々な形でぽつぽつと落ちていた。
目の前を流れていく地面の光が、俺の足の下をくぐっていく。
そこを一人でゆっくり歩き続けるが、居心地は悪くない気もする。
気づくと俺は、土を踏みしめる音に自然に耳を澄ませていた。たまに、葉っぱが肩に当たる音も聞こえる。
……やがて、向こう側に出た。
視界が徐々に明るくなっていって、まず木の柵が立っているのが見えた。
それから、小さい空間に出たのだと気付いた。
乾いた土に、限りなく低い芝がまばらに生えている。そんな地面が、少し潰れた半円のような形で広がっていた。
その地面を囲っている柵まで歩いて行く。
肩の高さまである策に手をかけて、その先を眺めてみる。
目の前には……海があった。
正直方向的に、少し予想は出来ていたんだが。
目の前と言っても俺は崖の上に立っていて、そこから道路越しに見下ろす形になっている。緩くカーブした道路の奥に、いつもの砂浜と海が続いていた。
「ふーん……」
この角度からこの海を見るのはきっと初めてだったと思うので、しばらく眺めてみた。
こんな感じかぁ。……なるほど。
畑の先には、こういう場所があったんだなぁ。
そりゃあ記憶にない訳だ。向日葵が無いときに見ても、何の変哲もない土地だろうからな。
「………………」
…………うむ。
もう十分だな。
景色はいいが、いつもの海には違いないのだった。
……さて、帰ろっかな……。
そうして柵から手を離し、振り返った。
(……お……?)
そこでなんと、ベンチがあったのに気付いた。
俺が出てきたところの右横に置いてあったのだ。
おそらく木でできている、真っ白なベンチだった。
近づいて見てみると、白いペンキが所々薄れて、黒い木目が見えている。
古そうなベンチだ。
ためしに座ってみると、案の定、ギシ……と音がした。
そのまま、空を見てぼーっとしてみる。
「…………」
うん、いいかもしれない……。なんか悪くないかんじだ。
こんな所に、こんな場所があったんだなぁ。
周りに目線を配ってみる。
あの木の柵、とてもじょうぶだ。しかも崖に沿って、ずっと続いているように見える。
このちいさな空間のために立っているというよりも、花畑を囲っているようなかんじなのだろうか。
個人が立てられるようなものには見えないけど……。
この花畑は、どこか近くに住んでいる農家のものだろうか?
実はさっきから密かに思っていた、自分が私有地に勝手に踏み込んでいるのではないか?という心配が、浮かんでくる。
「…………はぁ」
面倒なので考えるのを止めて、ベンチに深く沈む。
ああ、これが一息つくということかぁ。なんて思った。
んじゃあ…………そろそろ行くかな。
そして立ち上がり、向日葵畑を通って帰来た道をたどって花畑を出る。
やはり畑の中は薄暗く……さっきの場所は、日当たりが良かったなと思った。
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