4-15
「お前、こっからどっちの方向に行けば家があるかって、なんとなく分かるのか?」
「……うーん……と」
辺りを見回すも、大人達よりも低い視線はあまり見通しが良くなさそうだった。
「……ほら」
「……」
「乗れよ、その方が見えるだろ」
しゃがんで、背を見せる。肩車をしてやろうという魂胆だった。
「うん」
小学校低学年は、想像よりも重かった。二十キロ近くはありそうだ。それでも立ち上がることはできた。
「どうだ?」
「ん、と…………あっ」
「うん?」
「あっち!」
頭上で指差された方を見る。特になんともない視界だった。
「車でここから帰るとき、いっつもあの道路を使ってるから」
「そうか、……なら間違いないのかな」
その方向に向かって行くことにした。
「うし。そんじゃあ、降りてくれ」
「……」
「おい?」
「まだこれがいい……かも」
「え……いや……すでに首痛いんだけど」
「……んー……」
小さく唸る声が頭に響いて来る。
「……はぁ、じゃあおんぶにしてくれ。それでいいだろ?」
「うん」
どうやらいつのまにか懐かれていたようだった。……ほんとにいつだろう……?
こっちまで来るのに、いつも車を使うと言っていた。ということはまだ、そこそこの距離がありそうだ。
だが、この子供も俺と同じく今までずっと自力で歩いてきたのだ。きっと、ずっと前から疲れていたに違いない。
ここは年上の踏ん張りどころだろうと、今までにない形のモチベーションで進みだしたのだった。
周りからは、兄弟のようにも見られている気がした。変な気分だ。
背中のこいつは、何も言わずただじっとおぶさっている。
俺も黙って、しばらくひたすらに歩みを進めた。
高いビルが減って行き、マンションなどの高層住宅が多くなっていく。
その場所も過ぎていくと、今度は古そうな構えの個人経営らしき店が増え始めた。
小さな床屋やシャッターの降りたたばこ屋、よそ者の目には入りにくそうに見える閉鎖的な服屋。
それらが、新築の多い印象の住宅街に紛れながら佇んでいた。
何度も小学生とすれ違う。どうやら、ここらには子供がたくさん住んでいるらしい。
みんな家へ帰る様子に見えたので、通りがかりに公園の時計を見ると……五時を回って久しかった。
日はまだ落ちないが、すっかり夕方の時間帯だ。
「……なぁ、今どんぐらいなんだ?もうじき着くのか?」
背中にそう聞いても、返事が無い。「おおーい」と再度呼びかけてみたが、やはり答えない。
まさか、と思いゆすってみる。
「寝てんのかー?」
「…………ん……」
……やっぱりそうか……いつの間に。
「……起きたか?」
「んー……うん……」
「お前の案内がないと俺は路頭に迷うんだよ、ちょっとだけ我慢してくれ」
「あー……」
寝ぼけ眼という感じの目で、キョロキョロと見まわす。
「あれだ。僕の家……」
「……え?」
目線の先、公園の前にずらりと並んだ似たようなデザインの家がある。
まだ寝ぼけてるのかと思う。
だが、一応聞いておく。
「どれがお前の家だ?」
「……降りるっ」
「あ。お、おお……」
男の子はずるずると俺の背中から降りて、そのままかけていく。
もしや本当にあの子の家まで着いたのか?
ひとつの家の前で立ち止まる。
「そこなのか」
「うん」
焦げ茶色い木造風の、十年未満といった一軒家だった。
きっと外装に木を使っているだけで、中は普通の骨組みなのだろう。
子供が玄関のドアに向かって行き、チャイムを押そうとする。
「だれか居るのか?車は停まってないけど」
「わかんないけど、早くお父さんとお母さんに会わなくちゃだもん」
言うなり、チャイムを押し込んだ。
「きっと急に離れ離れになって心配してるから。とくにお母さんは、絶対そうだ」
「そうか……」
そうして誰かが、呼び出しに出てくるのを待つ。
俺の存在をなんて説明しようか……という心配もあったが、なんとなくその心配はないような気もしていた。
車は無いし、なにより中に誰かが居る気配がない。
チャイムが鳴れば人が動く音が聞こえてきそうなものだがそれもなく、一向に出て来やしないのだった。
「…………」
「……僕を探しに行ってるのかも、車で」
「まぁ、その可能性はあるわな」
俺は、玄関の前の段差に腰掛ける。
「そのうち誰か帰って来るんだろ。待ってようぜ」
「うん……」
並んで座って、待つことにした。
(もしかして、普通に仕事に行ってたりしてな……)
ふとそう思い浮かんだ。
住宅街は西日がきつくなってきて、じきに夕日に変わりそうだった。
目の前の公園には、まだ遊び足りない子供たちが駆け回っていた。
「あの中に、知ってるやつとか居たりすんのか?」
「ううん。たぶんあれ、四年生のひとたちだから、あんまり知らない」
「ふうん……」
言われてみれば、背丈がけっこう違う。
「暇だなぁ、いつ頃帰って来るんだか……」
「うん……」
ポケットに手を入れる。
そうすると冷たく硬い、硬貨の感触があった。
さっきの昼飯の会計のおつりだ。
手のひらに乗せて数えてみる。五百二十四円あった。
「……そうだ、ちょっと待ってろ」
「え……?」
立ち上がって、走ってその場を後にする。
そして来る途中にあったコンビニまで行った。
そこで一冊の本を探す。ただ探すまでもなく、思い通りの場所に置いてあった。
……店を出る。
「……よし」
これなら、小学生は退屈しないはずだ……。
実例に元ずく、確固たる自信を持って家の前に戻る。
「なにしてきたの?」
「ほら、これやるよ」
子供向けの、コミック雑誌だ。
「あ……これ」
「好きだろ?」
「いつも僕が読んでるやつ……」
「うむ、そうだろう。それで楽しく時間を潰せばいい」
「でもこれ、もう読んだやつだ……」
「え……っ」
「……」
「そうなの……?」
「うん。おじさんがこないだ買ってくれた……」
◇
一時間程経ち、住宅街は夕陽に照らされていた。
あかく染まった公園にはもう誰も居なく、歩いている人もさっきから見えない。
代わりに周りの家から、料理の匂いが流れてくる。
みんなもう、夕飯の時間なんだ。
隣の子供はというと、雑誌を読みふけっていた。
すでに読んだはずの漫画に、時折声を押さえてくすくす笑ったりする。
そういえば俺も、何度も何度も同じ漫画を読んだり、録画したアニメを見たりしていたな。
この漫画も、一か月に一回の楽しみだった。
だけどこれを買うと当時のお小遣いが全部なくなったんだよな。
だから欲しいものがあると、すぐ親父にねだって……親父はたまにそれに折れて、買ってくれたりした。
男の子の静かに本を読む様子を、横目で確認する。
こいつは親に何かねだったりするのだろうか?あまりそういう風にはみえない。
俺もそういう子供だったときがあるからか、想像ができた。
なんだか今日の一日は、昔の自分についてよく考える。
それはある意味必然で、こうして自分の過去と重なる人物と長く関わったからだろう。辻井だってそうだ。
あの向日葵畑の中で二人に会って、この街まできたことは……。なにか、偶然とは思えなかった。
偶然じゃないならばなんなのか、必然なのか。それは分からないんだけれど。
でもひとつ、こうして考えていると、少し浮んで来たこともあった。
それはあまりに、本当にあまりに突拍子もない考えだったけど。
それこそこの瞬間事態の存在を大きく揺るがすほどの……。
「…………」
黒い自動車が家の前を通り過ぎる。
今まで幾度となく、車が俺達の前を通り過ぎた。
だからその車も、同じくそのまま走ってくのだと思った。だが少し離れた所でそれは、若干急ブレーキ気味に停車したのだった。
自動車のドアが開いて、運転席から大柄の男性が出て来た。少し太っているともいえるかもしれない。
白いシャツと黒いスラックスで、会社員と言う印象のその人は……息を切らしながら、俺達の所までやってくる。
「あ……っ」
「はぁ、はぁ……ここまで来てたのかぁ……」
「…………ごめんなさい……」
「会社に連絡が来たから、途中で抜けてあちこち探し回ったんだけど……もしやと思ってここまで来てよかったよ」
「……うん、その……」
男の子は俺の方をちらりと見る。
「ん?君は……?」
「ああ、えーっと……」
「もしかして……君がここまで連れ添ってくれたのかい?」
「あ、はい……なんか、迷子みたいだったんで」
「そうかぁ……」
両肩にがしりと手を掛けられる。
「ありがとうっ。この子が、変に路頭に迷わなくてほんとに良かったよ」
「まぁ駅前からここまで来ただけなんで、散歩みたいなもんです」
「いや、本当にありがとう……」
やはりこう真摯に感謝されると、どんな顔をすればいいのか分からなくなる。
男の子が、俺がどうして嘘をついたのか、という顔で見てくる。
だがこれでいいのだ。あの長距離を俺が連れて来たとなれば、かえって話がややこしくになるだろうから。
「ということは、この町まで、歩いてきたのかい……?一人で?」
「えっと…………うん……」
俺の雰囲気をくみ取ったのだろう、子供が小さくそう答える。
「それは、まったく…………いや、しょうがないのかな……まだ飲み込めるような年じゃないもんな……」
そうだよな……。と独り言のようにつぶやき、うんうんと目を伏せてうなずく。
「……だってどうしても、お父さんとお母さんに……会いたかったから」
「…………そう、か……」
男性はその言葉に、深く息を吐き、黙ってしまう。
しばらくして、肩が浮くほどに大きく吸いこむと。子供を太い腕で、ぎゅっと抱きしめた。
「あ……」
「……お父さんとお母さんには、……もう会えないんだ」
「…………」
「それにここももう、誰も家でもない」
……そうだったのか。
だからこんなにも、生活の気配がなかったんだ。
「……なんで……こうなったの?」
「それは……」
…………。
「”りこん”、したの?」
「……」
「だからこんなことになったの?」
「……君は……分かってたのか……?」
「……だって……このうちはもう、誰も住んでないんでしょ?」
子供の目に、涙がにじみだす。
「ここはもう僕の家じゃないんでしょ?……だったらもう……それしかないじゃん」
言いながら、それはぼろぼろとあふれてくる。
「わかるよ、それくらい」
「……大丈夫だ……っ!」
とっさに男性が、男の子を抱きしめる。
「きっと大丈夫だから、僕とあの町に帰ろう……!!」
「……」
子供は……どうしていいか分からない様子だった。
俺はもう、この場でできることは無いように思えた。
玄関先から立ち上がる。
とても何かいいたげな、不安のにじむ目をして、こっちを見てくる男の子。
俺は何か言ってあげられることがあるような気がした。
だけどもう、その人の言葉通りなんだと思う。
きっと大丈夫だって。そう、信じるしかない。
人を本当の意味で信じることなんて、出来ないはずなのに。
なのに俺達は、信じざるを得ない状況へ追いやられたんだ。
「……行くのかい?」
「ええ。よかったです、保護者の人に会えて」
「そうだね。……保護者であり、親だね」
「……だってさ」
男性の腕から解放された子供は、とても小さく頷く。
俺はそれを見てから、「それじゃあな」と言って、その場を去った。
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