4-14
地方都市とは言え、街中を徒歩で移動するのはなかなか距離があった。
きっと、駅はもうそう遠くない。
それでも、大きな公園の中を通った際、自然に、一度休んでおこうという事になった。
その公園の一角にある噴水、その前の少し離れた所に設置されたベンチに腰掛ける。
白い石造りの噴水のまわりには、それぞれ四つ、同じベンチが設置してあった。
何組かの親子がそこに居て、子供が噴水で遊ぶのを、母親が見守っていた。
「……腹ぁ、減ったな……」
「ああ……」
二人、ぼやくような言葉を出す。
男の子は、俺の隣に座っていた。
地面に着かない足を揺らしながら、前方をじっと眺めている。
少しのあいだそうしていたと思ったら、ふとベンチから降りた。
そして噴水へと、ぽつぽつと歩いて行く。
噴水の前に立つと手を水の中に着けて泳がせて、黙って遊び始めたのだった。
その様子を辻井と、しばらくじっと眺めた。
「……なぁ」
ふと、辻井に声をかける。
「ん?」
「おかしいと思わないか?あの子供の状況は」
「え?まぁ……そりゃあ、変だなとは思うが」
子供の背中を眺める。
あの子にはずっと、必死さがない。
なんの前兆もなく家族から離れたのなら、一刻もはやく親の所に戻って安心したいはずだ。
だがあいつはずっと悲しむばかりで、無気力にすら見える時がある。
俺は、それと同じような気持ちを知っていた。
「なぁ、あいつの両親は多分……」
「ああ……。本当は、あの子供を向こうの町に預けたんだろうな」
「……」
驚いて辻井の顔を見る。
表情はなく、ただ子供の姿を眺めていた。
「なんでそう思うんだ?」
自分も同じ様に考えていた。それを、辻井も悟っていたということか?
「まぁ、他にも可能性はある気がするけど……なんでだろうな、なぜかそういう風に思えるんだよ」
これもまた、俺自身同じ感情だと思った。
「一樹は本当に、あの子を家まで届けるのか?」
「ああ、そのつもり」
「けどあの子の周りの大人は、それを望んでないかもしれないんだぞ?」
「……それは、そうかもしれないが。……本当に行ってみないと分からないことじゃないか」
「まぁ、そりゃあそうだが……」
辻井はまだ意見がありそうだったが、それきり黙った。
やがて俺は、ぼうっとあたりを眺め始めた……。
昼下がりの公園は街中と言えど、穏やかな雰囲気に包まれている。
噴水の前で遊ぶ子供の名前を呼ぶ、母親の声が耳に届いてきた。
「…………」
俺達の前方に居る男の子は、誰とも触れ合うことなく一人で遊んでいる。
この子の母親はここに居なく、他の子供とも遊ぼうとしない。やけにその背中が、寂しく映った。
そしてまた、どこかの母親の声が届く。
「気を付けてねー」と、自分の子供に向けた声色で呼びかける。
……デジャヴというのだろうか。
こんな場所で、同じような声色で呼ぶのを、いつか俺は聞いたことがあるような……そんな気がする。
それを聞いた俺は、安心した気持ちを抱いた覚えがある。
なんとなく隣の辻井の顔を見るが、表情は薄く、何を考えているのかは分からなかった。
少しして、男の子は遊ぶのに満足したようで、ベンチに戻って来た。
俺の隣に辻井。そのとなりに、子供が腰掛けた。
「楽しかったのか?」
「うん」
「……そうか」
ならばそろそろ出発しようか、と考えて腹が空いていたことを思い出す。
「帰る前に、どっかで昼飯を食わないか?駅前ならいろいろあるだろ」
「いいけどよ、俺はいま金欠なんだが……」
「奢るよ」
普段はこいつに対して言わない言葉が、すらっと出て来た。そして、少し後悔する。
「まじかっ?いいの?やったぁ!」
言ってしまったものは仕方がないと、尻のポケットを探る。
俺は今いくら持っていたかな……。
「…………」
「なに食おうかなぁ」
「ゴメン無理だわ」
「……は?」
「財布、家に忘れた」
「……おいっ!ふざけんなよ、じゃあどうすんだよっ」
「おごって」
「おごるか!!」
「えぇー……?腹減ったよぉー!!」
二人して、ベンチの上で騒ぐ。
そうしていると……。
向かいのベンチに座っていた女性のうち一人が、なぜか立ち上がってこっちへと向かって歩いてきた。
ああ……怒られるのか、これは……?
「……おい、どうした?」
「いや、あの人…………」
……あれ……?なんか、やけに見覚えのある顔だな……?
いや、本当によく見た顔な気がする。
と思っていると、女性はすぐそこまで来て目の前で止まった。
「あらっ。やっぱり、一樹君じゃない!」
「ゆ……裕子さん……?」
「こっちに来てたのね」
「ええ、まぁ……」
最初は、そんなつもりなかったけど。
「それより裕子さんは、なんでこんなとこに」
「わたしは今、丁度お昼休憩でね、ここで友達とお弁当食べてたのよ?いつもそうしてるの」
「ああ……」
裕子さんの職場はこのあたりだったのか。
「隣の子は、お友達かしら?」
「あ、はい。辻井です」
「……うす」
微かに頭を下げる辻井。
「うちの子と一緒に遊んでくれてありがとうねぇ、なにか一樹君のことで困ったことがあったら、なんでもおばさんに言ってね?」
「えっ、ああはい……?」
「言わなくていいぞ」
こいつ、人見知りしてんな。
「お昼はもう食べたの?」
「いや、まだなんですけど……その」
「こいつ、おごるって言ったくせに財布忘れてきてんすよ」
「……おい」
言うな。
「あら、お金持って来てないの?じゃあどうやってここまで来たの?」
「いやぁ、まぁなんていうか、気合で……」
言葉通りなんです。
「もう……しょうがないわねぇ」
裕子さんは持っていたバッグから財布を取り出し、それを開ける。
「お……?」
「お金あげるから、これでなにか食べないさい」
「……いいんですか?」
「特別よ、お友達が一緒みたいだからね」
「やった、ありがとうございます」
「……ところで、その子は誰なの?辻井君の弟さんかしら?」
ベンチに黙って座っている子供を、不思議そうに見る。
「……あー……えっと、この子は途中で会った迷子でして」
「……あら……ぼく、迷子なの?」
「今、家を探してる途中なんです」
「あらあら……可哀そうにね、親御さんとはぐれて心配でしょうに」
子供の顔を、心配そうに眺める裕子さん。子供の方はチラチラとそっちを見るだけだ。
「……一樹君、あの子の家まで連れてってあげるつもりなの?」
「ええ、そのつもりなんですけど…………って、ええっ!?」
言っている途中で、肩を抱かれた。
頭を撫でられる。
「えらい、えらいわねぇ」
「……あ、あの……っ」
「こんなに優しく育って……」
辻井が真顔でこっちを見ているのが、とても居心地が悪い。
「ここ数か月はなんだか元気がなかったから……実はとっても心配してたのよ。でもよかったわ、大丈夫そうね」
「……ちょ、恥ずかしいですよ……」
「あ……ああ、ごめんねっ。もう高校生だものね!」
そう言って再び財布に手を入れる。
「はい、三人分はこのくらいかしらね!」
「すいません、ほんと」
「いいのよ、しっかり面倒みてあげるのよ」
「はい」
「じゃあ、私はもうお仕事に戻らないといけないから。頑張りなさいね」
そう言って裕子さんは、元の場所に戻り、同僚らしき女性とその場を離れて行った。
辻井の方をうかがうと、やはり真顔でこっちを見ていた。
「……なんだよ」
「いいや、別に」
なぜかそう言い、頬をかいて顔を逸らすのだった。
男の子はというと、他の子供とその親をぼうっと眺めていた。
◇
駅の方へと歩くとチェーン店や、コンビニが格段に増えて来た。
コンビニで買って食べてもいいのだが、それにしては多く貰ったので、どうせなら店で食べろということだと思う。
なのでなにかめぼしい店がないかと探し回っていると、男の子が一つの店頭に置いてあったメニュー看板に目を付けた。
「それが食いたいのか?」
「うん……」
「じゃあ、ここにすっか」
「ん、俺はうまけりゃどこでもいい」
三人でその店に入った。
そこはビルに挟まれた木造の一戸建ての、喫茶店だった。
カランカランと、いかにもな音を立てて開いたドアをくぐると……コーヒーの匂いが鼻に入って来た。
周りに比べるとだいぶ古い建物なんだろうが、中は小綺麗で木造の温かみだけが残っていた。
エプロンの女性店員が近づいて、窓際の席に案内される。
「まぁなんでも頼みたまえ」
「あの人の金だろうが」
男の子目当ては最初から決まっていたので、俺と辻井は外にあった内容と同じメニュー表を眺め、適当に注文した。
それから、料理が出てくるのを待った。
肩のすぐ横には大きな窓があり、俺は自然に外を眺めた。
歩道の先の道路は休む暇なく車が通って行くが、ガラス越しだと微かな音しか届いて来ないので、それが逆に落ち着くものに聞こえた。
日は少し傾いていたがまだ高く、店内の時計をみれば、三時を過ぎたところだった。
俺達三人がこの街に向かい始めて、どのくらい経ったんだろう?
とても長い時間だった気がしていた。
「……なぁ」
「ん?」
ふと声をかけてきた辻井は、向かいに座った無表情で頬杖をついている。
「俺はさぁ、なんでそんなにこの街の人が嫌いになったんだっけか」
「え……知らんよそんなの。急になんだ?」
「よくよく思い起こしてみようとすると、理由がぼやっとしてるんだよ」
「ふうん……」
「昔の記憶にでなにか、嫌な心残りがあるはずなんだが……詳しく思い出せない」
辻井はテーブルを見つめながら、声を低くしていく。
「どんな顔のやつらと、どういうことがあったのか。どういう会話をしたのか……」
「……まぁ。なんか……そんなもんなんじゃないのか?子供の頃の記憶なんて」
「ああ……そうなのかもな」
辻井はそう言ったが、まだ何か考えている様子だった。
俺は自分の隣に座っている子供の様子を伺った。テーブルの木目をじっと見降ろしているのは、一体どういう意味があるのだろう。
「もしこのまま思い出せないとして……」
「ん、うん」
「じゃあこのもやついた心はどうすればいいんだろうな。確かにこの感覚はあるのに」
「…………」
俺は、窓に肩を寄せる。そうすると太陽が窓枠の上から顔を出して、眩しくなる。
「どうしたんだよ?なんつーかやけにナイーブに見えるけど」
「……いや、なんとなくだ」
俺がそう言うと、辻井は少し居心地悪そうに座り直す
そこで店員が、料理を持ってきた。
「おまたせしました」
男の子の前に、大きいオムライスが置かれる。
「でかいな……食べられんのか?」
「うん、オムライスすきだから」
子供ってオムライス、好きだよなぁ。
「こちら、ピラフ二人前になります」
俺と辻井に一皿ずつ。
そのほかに俺はサンドイッチ辻井はカレーを注文していたのだが、それらはあとから来るのだろうということで、食べ始めた。
「うん、普通に美味い」
「だな」
「オムライスも美味いか?」
「うん、おいしいよ……普通にじゃなくて、すっごく」
「ああうん」
しばらく黙々と食べる。
もうすぐ、他の料理も出てくる気がする。
「……」
スプーンを動かす手を止めて、窓の外を歩く人たちを見る。
行きかう人間の表情は確かに辻井の言う通り、柔らかさに欠ける気もした。
だけどそれは、ただ必死なだけなんじゃないかと……そう思えた。やはり他人の気持ちなんて、知る由も無いのだが。
「時間が経てば、ちょっとはマシな気分になる」
「え……?」
辻井も手を止めて顔を上げる。
「きっと誰でも、そのはずだと思う」
「……ああ、そうか…………うん……」
そこで店員が再びやってきた。
「おまたせしました」
ピラフよりも多いカレーが置かれる。
「俺も腹減ってたけど……お前、めっちゃ食うな」
「……そうか?これが普通だよ」
「ふむ、そうだったっけ」
◇
俺と辻井が食べ終えようとする頃。
男の子のオムライスは、まだ半分ほどが皿に残っていた。
食べ進めるスピードが明らかに遅くなり、チラチラとこっちを見てきた。俺は最後のサンドイッチを飲み込んで、一息ついてから言った。
「腹いっぱいなんだろ?よこせよ」
「あ、うん……」
そういった事情があったから、店を出た俺は腹がパンパンで苦しいのであった。
「ふぅ、……ふぅ」
「おい大丈夫なのか?」
「ああ、だいじょうぶ……駅に向かおう」
十分も歩けば、大きな駅の姿が見えて来た。
その建物の前に大勢の人が行きかっている。
休日の昼下がり、おそらく人混みは最高潮にのはずで。駅の中はもっとごった返しているだろう。
その前に立ち止まっていた俺達だが、辻井だけ、前に出る。
「んじゃあ、俺は行くぞ」
「ああ」
「お前、金持ってんのか」
「持ってるよ、お前じゃあるまいし」
「そうか」
「まぁ、頑張れよ。気のすむようにやりゃあいいんじゃねーのか」
それはきっと、子供のことだった。
辻井は、その子の方に目線を向ける。
「安心しろ、こいつはきっと最後まで付き合ってくれっから」
「……」
子供は無言で、ふんふんと二回うなずいた。
それを見て満足したのか、駅の方へ向き直って、「じゃあな」とだけ言った。
「ああ、待ってくれ」
「……なんだ?」
「お前、”青八木アオイ”っていう名前の女子を知らないか?」
「……?」
「たとえば中学でそういう名前を聞いたとか……なんでもいいから、聞いたことはないか?」
「…………いや、多分……会ったことも聞いたこともないと思う」
「……そうか……」
分かった。
俺がそう言うと辻井は、人混みをかいくぐり駅の入口へと歩いて行った。
だらついているような印象を受けるその歩みに、さっきの会話を思い出す。
あの答えで、あいつは納得できたんだろうか。
”時間が経てば”……っていうのは、素直に浮かんだ言葉をそのまま口に出したものだった。
だってそれを思いついたとき、本当にそうだと思ったから。
……そうだ。
本当にそうだった。
俺自身が以前、あの背中と同じ様に、居心地悪そうにこの街を歩いていたはずだった。
でも今、その気配はほとんどない。何気なくこうして立って居られる。
理由は明確で、あの頃より随分とマシな気分になったから。
この街の人間のことなんて知らないし、昔の記憶も、もう少しだけしかないから。
「……」
ガサ……という音がして、気づくと子供が俺のズボンを掴んでいた。
もう辻井の姿は、見えない。
「行くか」
「うん」
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