4-13

 俺が知る通りの道なんだとしたら、一時間強歩けば隣町が見えてくるはずだった。

 向日葵に囲まれたまま歩き続けて来たからか、道路の上は随分と楽に感じた。

 ……しかし、それも、最初の数分だけだった。

 すでに何時間も酷使してきた足の裏が、やがてコンクリートの硬さに悲鳴を上げ始める。


(……こいつは、本当に大丈夫なのか……?)


 傍らの子供の調子がいよいよ心配になってきた、そんな頃。

 辻井がつぶやいた。


「この道路は、隣町のどこに出るんだろうな?」


「多分、南側の中心から少し外れた所だ」


 俺が具体的に言うと、辻井は不思議そうに見てくる。

 知っている通りに行っただけだったが、こっちの世界ではこの道路は、知られざる道なんだろう。


「……駅までも、そこまで遠くは無いはずだぞ」


「ふうん……なら良かったが。着いたらとっとと帰ろうぜ」


「そうだな」


 特に残る理由もなかった。

 ……と。

 横を歩いていた子供が、ふと立ち止まる。


「ん……どうした、疲れたか?」


「……」


 うつむいたまま、首をよこに振る。

 じゃあどうしたというのだろう?


「本当は……僕、あっちから来たの」


「え?」


 道路の向こうを指さす。


「あっち、って。……隣町か?」


 辻井が聞くと、こくんと頷いた。


「えっと、どういうことだ?……お前の家は、隣町にあるって事なのか?」


「そう」


「さっきは、おじさんがどうとか言ってたが」


「おじさんの家に居たのはほんと……だけど、僕の本当の家はあっち……」


「じゃあそのおじさんの家には、遊びに行ってたのか?」


「ううん、こないだの日曜日におじさんが迎えに来て……それからあっちで住むことになったの」


 辻井が聞く。


「住む……?家族で引っ越したってことか」


「……ううん」


 男の子は目を伏せて、縮まった声を出す。


「僕だけ、おじさんの家に住むことになったの」


「…………」


「はぁ、そりゃあ……なんで」


「……わかんない……急にそうなったから」


「急に、って……なんじゃそら」

 

 辻井と男の子の話す姿を見ながら俺は、自分自身の昔話を聞いているような感覚になっていた。


「うーん……それはそのうち、親が迎えに来るんじゃねぇのか?」


 辻井はよく分かっていないのか、そう言う。

 俺はというと……ほとんど悟っていた。

 別に、証拠はないのに、だ。


「…………わかんない」


 そうなった理由も、これからどうなるのかもわからない。

 この子も、俺と同じ状態だった。

 これ以上説明できることもないのか、子供はそれで黙った。


「それで。……もしかしてお前は、その家に帰りたいって思ってるのか?」


 俺がそう聞く。


「うん……そう……」


 ……そうだと思ったんだ。

 こういうとき、子供の考えは似たようなもんだろう。


「それで僕、おじさんの家を抜け出してきたの……」


「はぁ……そうまでして、帰りたいのか?」


 フンと鼻を鳴らして、辻井はそう聞く

 男の子はうついて答えた。


「……だって、じぶんの家だから……」


 ◇


 そこから、またさらに歩き。

 日差しが昼下がりの色に変わり始めた頃__。 

 ついに、俺達はたどり着いた。

 道路の続く先に高層ビルの影が見えた時には、思わず声を上げた。


「来たっ、隣町だ!」


「……おお」


 辻井は、この町を見てもテンションが低いが……きっと心では安堵していたはずだ。

 初夏の太陽の下、おそらく五時間ほどかけて、やっと目的地に着いたのであった。

 俺達が進んできた道路が、ほかの複数の道路と合流していく。建物と人が増えてきて、代わりに植物が減っていった。

 そしてずっと隣にあった海が見えなくなった。


「……駅はどっちだ……」


「おい待てよ、そっちじゃないぞ」


 街中に入るなり、一人で先に行こうとする辻井を引っ張る。


「こっちへ行けば町の中心だと思うから、駅もそっちにある。俺達もそっちに行くから」


「……本当か?そうやって俺を、その子供の家まで着いてこさせようとしてんじゃないだろうな?」


「ちげーよ」


 疑いながらも辻井は、俺の言葉を信じることにしたようだった。

 俺達はまだ三人で歩く。

 男の子の、あの告白の後……。

 どうしようか、という話になり。

 俺は子供を、家まで送っていくことに決めた。

 そして早く帰りたい辻井は、町に着いたらそのまま駅に向かう。そういう事で、話は固まったのだった。


「なんだってそんなに早く帰りたがるんだ」


「言っただろ、嫌いなんだよこの街は……」


 何故か辻井は、辺りにチラチラと視線を送る。


「……お前は感じないのか?」


「……なにを」


「この街の人間は、全員変だ。なにか俺達の町とは違う」


 何を言い出すのかと思えば、とても抽象的なことだな……。


「なんか……表情とか、会話とか。そこから感じるもんが、こう……なんていうか……」


 そう呟いて歩きながらも、辻井は足元に目を向けている。


「…………冷たいって?」


「そ、そうだよ、そう!冷たく感じるんだ!なんだよお前も分かってるんじゃねーか!」


「いや、……別に」


 ただ、なんとなく今、こいつの言いたいことが分かった気がしただけだった。


「でも冷たいかどうかなんて、そんなの見ただけで分からんだろ」


「いいや分かるね。この周りの人達の中から、ここの町の人間じゃない奴を言い当てることだってできる!」


「いいから、そんなことやらなくて」


「む…………お前だあっっ」


 昼休憩の移動の最中という風に見える、半そでYシャツのサラリーマンに指を突き付ける。


「……あんた、この町の人間じゃないだろ?」


「えっ。いや、ここに住んでますね……」


 辻井を引っ張って、その場から離れた所に持って行く。

 やはりこいつの言っていることは当てにならんらしい。


「違うんだ。確かにあるんだ、その感覚が」


「そうかい、ならそういうことでいいんじゃないのか」


 面倒なので、そう言っておこう。


「…………違う……」


 そこで、ずっと黙っていた男の子が、小さく呟いた。


「……あん?」


「違うもん……お父さんお母さんも、そんなんじゃない」


「ふん。……ああ、そうかよ……」


 呟いたっきりうつむく男の子と、そっぽを向いて吐き捨てた辻井。

 俺は、何も言わずにただ眺めていた。

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