4-6
朝日は、気づけば登っていた。
少しの時間しか経っていないかのような感覚だった。
休んだ気はしなかったが体は別に何ともなかったし、意識が冴えていた。
俺は、しばらく黙ってベットに座ったのち……。
窓の前に立って、閉じているカーテンを掴んだ。
これを引けば、外の景色はどうなっているのか。昨日のすべては、夢だったのか。
……正直、期待もしていなかった。
だって……あれは、どう考えても現実だったじゃないか。
カーテンを引く。まぶしい透き通るような朝日が、部屋に流れてくる。
分かっていたはずの俺は。
しかしそこでまた、唖然とする事になった。
晴れた空の下の壮大な景色に、俺は息を飲んでしまった。
「…………」
広い広い……水平線までずっと続く、向日葵畑が窓の外にあったからだ。
向日葵畑は、俺の後ろから円を描くように大きくカーブして、家の裏手に回っていた。
ブロック塀のさらに二メートルほど外側を囲うように、家のうしろでつながっている。
……要するに。
……つまり。
(…………つまり、……どういうことなんだよ……これは)
この現状を理解ようとしたら、頭がくらりとした。
だけど……そうか、そういうことか。
この広大な向日葵畑の中に、この家は建っていたんだ……。
よく知る近所の家が、まばらにいくつも同じ様に建っているのが見える。でもそれは、見たことのない配置に変わっていた。
それらがすべてひまわり達に囲まれていて、やっぱり最初からそうであったかのように、依然としているのだった。
とてつもなく広い向日葵畑の中に、いつもの町が飲まれている。
そう表現することしかできない。そういう景観だった。
俺は打ちひしがれた気持ちのままベッドに戻って、どかりと腰掛けた。
「一体なんだってんだよ……これは……」
しばらくそうしていたが、ふと時計を見て時間を確認する。
……五時……。
外の様子から予想していたが、やはりまだ、早朝だった。
立ち上がり、部屋を出る。
親父の部屋に行き、歩く勢いそのままでドアを開けた。
親父はベッドに呑気な顔で寝ていて、いびきなんかかいていた。
「……親父っ!起きろ大変だ!」
「んが………………んっ?」
パチリと目を開ける。
「今すぐ起きろっ、まじでヤバいことが起きてるっ!!」
「あぁ??なにを言って……」
「早く!」
「づおわぁっ!!」
無理やり親父の腕を掴んで、ベッドから引きずり下ろす。
「……なんなんだ一体……」
「窓の外を見てよっ」
「……窓ぉ?」
親父はよろよろと窓際に寄って行く。
俺もその隣で再び眺めるが……この部屋から見ても、異様な光景は変わらずだった。
親父が外の様子を、じっと見つめる。
「…………」
「……なぁ親父。これは一体、どういうことなんだろうか」
「はぁ……なにがだよ」
「……え?」
「さっきからお前は一体、何に慌ててんだ?」
「い、いやだから、これだよっ!この景色!おかしいと思うだろ!?」
「いやぁ……思わんが……」
「……はぁ……っ?」
親父の顔を見る。
すると本当に、何でもないような表情をしていた。
「……いやいや……だって……」
これは、どう考えてもおかしい光景だろ?
「寝ぼけてんのか?……それとも、熱があるとか」
おでこに手を当ててくる。
「ないよ、熱なんて……っ」
「……ふむ」
「じゃあなんだ?これが普通の景色だってのか!?いつも通りだって言いたいのかよ?」
「……」
親父は、一瞬。俺の顔を心配そうに見る。
「ああそうだ。本当に、いつも通りだよ」
「……そんな……」
「どうしたんです?こんな朝早くに」
「あ、……裕子さん」
眠そうな裕子さんが親父の部屋を覗いてきた。
「聞いてくれよ、一樹が珍妙なことを言い出すんだ」
「え?どういうこと?」
「……裕子さん」
「なぁに?」
「これを見て、変だと思いますか?」
「これって……窓の外……?」
俺が指さしたガラス面をじっくりと見る。
「どれのことかしら。ひまわり?お隣さん?」
「全部、ですよ……」
「?ううーん……?」
その反応は、ほとんど親父と同じようなものだった。
「……ごめんね一樹君。わたし、よく分からないわ……」
「俺も、今だに駄目みたいだ」
「……っ」
俺は親父と裕子さんの顔を見て、頭をかきむしる。
じゃあなんだ?
俺が……俺だけがおかしいってのかよ……?
「一樹君、なにか悩み事でもあるの?」
「一樹お前、去年からどこか元気がなかったように見えたが……。それと関係があるのか?」
「いや…………分かった。……二人とも、一旦今のは忘れて」
「え、そう……?」
「大丈夫なのか?」
「まぁ……うん」
大丈夫……。
小さくそうこぼして、俺は自分の部屋に戻って行った。
部屋に入ったらカーテンを閉めて、ベッドに潜った。
目を閉じると、ほんの少しの安堵感が俺の心に被さる。
こんな異常な事態でも眠る事は、現実逃避になりえるようだった。
◇
「一樹君?今日は、学校は行かないの?」
「…………」
裕子さんの声で目が覚める。
「もしかして、体調が悪かったの?」
いつもの朝のように、起こしに来たのだろう。
「今日はお休みするかしら?」
「……」
そうだな……それもいいかもしれない。
なんたって、町がこんな状態だ。
…………いや、待て。
学校だって……?
「起きてないの?一樹君」
裕子さんがドアを開けて入って来る。
「あら、起きてるんじゃないの」
「……学校があるんですか?」
「え?それは、平日だからねぇ」
この状況でも、どこかに校舎が建っていてそこに生徒が通ってると?
……はは、まさか……。
「どこにあるんですか……?」
「どこって……この町には、一つしか高校はないじゃないの」
それは変わっていないらしい。
だが、こんな様子じゃ、どこに学校が建っているのかも分からないじゃないか。
「早くしないと、また太知くんを待たせちゃうわよ」
「……太知……」
「それで、今日は行くの?」
「ああ……はい、行ってみます」
「そう……」
裕子さんはまだ心配そうな顔をしていたが、起きて朝食を食べることにする。
リビングの大きな窓から見た外の景色は、ほとんどが向日葵で埋まっていた。上を覗けば、ほんのすこし空が見える程度だった。
親父はもう支度を済ませていて、もう少ししたら出ていく様子だった。
「なぁ親父……仕事場って、どこにあるんだ?」
「なんだ?そりゃ隣町だろう」
「隣町……」
「……んっ、そろそろ出ないと電車に間に合わないな」
「あらもうそんな時間、私も一緒に行きます」
「……電車……」
「どうしたの?」
「駅は、どこにあるんでしたっけ……」
「どこって、あっちよね……?」
裕子さんは曖昧に、方向だけを指さす。
「うん、あっちだな。……そうとしか言いようがない」
「……」
謎は、増えるばかりだった。
二人が家を出て数分後、自分もひとまず学校に行ってみようと、支度を終えて家を出た。
どうやら太知が迎えにくるらしいので、玄関先で待ってみる。
ずらりと並ぶひまわりを、目を細めて眺める。
玄関を開けてからずっとこの景色に目を取られていた。
隣町ってのも……一体どこにあるんだか……。
道路もないのにどうするのかと思えば、電車に乗るって言うんだからな。
それに、気づかなかったが、家の横に二人の車が止まっていないじゃないか。初めから車なんて持ってないことになってるのか?
いけない、また混乱してきた……。
「おはよ、一樹」
「……っ!?」
いきなり視界の端から、太知が飛び出してきた。
「どうしたの、そんなに僕の顔見て」
「あー……いや。なんでもないんだが……」
いつも通りの太知に見える。
「そう。じゃあ早く行こう」
「お前、どっから来た?」
「え、何が?……家でしょ?」
「お前が今来た先に、あの家があんのか?」
「……??」
当たり前でしょ、と言いたげな太知の顔。
「行かないの?遅刻しちゃうよ」
「…………行くよ……とりあえず」
学校はやはり、この向日葵畑の中を歩いて行くらしかった。
家を出たのは七時半過ぎ。俺が知っている通りなら、朝のホームルームは八時十分からだ。
「なぁこのまま歩いてて、学校まで三十分で着くんだっけ?」
「ん?全然余裕でしょ」
「そっか、そうなんだ」
「……ねえどうしたの?さっきから一樹、なんか変だよ?」
「あ、いや……」
ちょっと色々聞き過ぎたか。
前を行く太知は、今朝の両親と同じ心配そうな表情で振り返る。
「実はその……今日はさっき起きたばっかでよ、まだ頭が冴えてないんだ。だから頭を整理したかったんだよ」
「そっか……ふうん……」
それっぽい事を言ってごまかしたが、太知は多分、まだ違和感を持っていた。
◇
やがて向日葵の隙間から、遠くに高い建物が現れた。
つまり校舎が見えて来たのだ。
結局、いつもの通学と変わらないくらいの時間だった。
校舎に近づくにつれて、あたりからガサガサと音がしてくるようになる。
それが他の生徒たちが、登校している足音だと気付く。
__そして、広くひらけた空間に出た。
数メートル先に校門があり、普段通りの学校が建っていた。
踏み出した景色を見渡しても……特に変わったことは無かった。
ただ俺達の横からぽつぽつと、登校してきた生徒達が向日葵畑を分けて出てくるのは、とてもおかしな光景だと思った。
そのまま、生徒の流れに従って玄関に入る。
靴を履き替えるのも、教室まで行くのも普段通り。なんのことはなかった。
朝の教室で過ごしているクラスメートたちを見ても、同じだった。
「一樹、まだぼーっとしてる」
「ん、うん……」
流行りものの話、共通の趣味の話題。
教師が入って来て話すことも、いかにもホームルームという話題だった。
窓の外にはあんなにも異常なものがあるのに、誰もそれを話題にすら挙げない。
俺はここにきて、理解し始める。
こんな風に困惑した気持ちを抱いているのは、本当に俺だけなんだという事。
そう考えると、心細さが強くなった。
休み時間も、普段通り話しかけてくる太知。
「ねぇ。今日部活ないからさぁ、うちで遊ぼうよ」
「うん……」
「野中も呼んでいい?」
「……ああ……」
心ここにあらずで、返事をする。
「きっと来たがるだろうし」
「……なんか久しぶりだな、そうやって三人で遊ぶのも……」
俺が半分、上の空でそうこぼす。
正直それどころじゃないと感じる。
「そうだね。最近は一樹、すぐ一人で家に引きこもっちゃうんだもん」
「……気分じゃなかったんだ」
今はもう、その気分さえも、おざなりになりそうだった。
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