4-3

 六月の、中頃を過ぎたあたり。

 日曜日。

 また、自室にて一人過ごしていた。

 まだ梅雨には入っていないのだろうが、最近、空気が湿気を増してきている気がする。

 昼過ぎだし、そろそろ明日提出の宿題をしようと思い立ち、勉強机に向かう。

 

「……」


 机の上に、プリントが一枚置いてある。

 それは二度目の、進路希望調査の用紙だった。


 ◇


 __前年度の、十月の末頃。

 朝のホームルームを待っていると、担任が教室に入ってきた。

 そして教壇に立つと、話している生徒たちをたしなめてこう言った。


「今日は進路希望調査をするからなー、この紙を放課後までに提出するように」


 そうして、俺達の手元に調査表が配られる。

 皆、それを見てまた話し始める。周りが進路をどうするのかが気になるみたいだった。

 俺は黙って用紙に目を落とす。


「寺島は進路どうすんの?」


 横の席の、男子生徒が聞いて来る。


「んー、まだ何も考えてないが……」


「そうなんだ。俺はもう考えてるよ」


「そうなのか?早いな」


「絶対に大学に行くぜ俺は!」


「……ふうん?」


 そう言った男子生徒の用紙にはすでに、隣町の国立大学の名前が書いてあった。

 ……大学か……。

 俺も行った方がいいのかな?

 けど学費もかかるし、特に学びたいこともない。それとも特に目的はなくとも、行っておくべきところなのだろうか。


「だって、まだ学生で居たいじゃん?」


 ……まだ学生で居たい、か。

 そういう風に考えたのは、初めてだった。

 だって、高校生活はまだあと半分以上も残っている。焦るには早いようにも感じるし。


「て言ってもさぁ、あんたの微妙な成績で、その大学行けんの?」


 会話を聞いていたらしい後ろの席の女子が、男子にそう言う。


「う……っ」


「そこそこ勉強できないと入れないよ、あそこ」


「てことは、まさか来年は……受験勉強一色かよ……?」


 ……そうだ。

 進学するやつは、受験勉強をするんだ。

 おそらく大半の生徒は大学に行くんだろう。三年に上がってからは、学年の雰囲気も勉強ムードになるだろう。

 俺がもし進学するなら、その雰囲気にのまれざる得ない。

 そうなると遊んでいる暇はない。


「…………」


 今まで考えて来なかった、高校生活のこの先。

 もし、受験を選べば。

 やりたいことができる学生生活を過ごせるのは、もしかして……二年生の間までなのかもしれない。



 その放課後。

 ホームルーム直後に、教壇の前に立っている担任に紙を渡した。


「先生……これ」


「あ、おうありがとう。じゃあ……寺島は提出済みっと……」


 担任がなにかメモするのを尻目に、その場を離れる。

 そして帰る支度を整えて、教室を出た。

 太知がまだホームルームを受けているので、その教室の前で待つことにする。

 ……俺は、進路希望調査表の中にあった、ある欄に丸をつけた。

 それは…………就職の欄だった。

 一体どこに就職するつもりなのか、自分でも全く分かっていなかったが……あのとき他に、何と書けばいいかが分からなかった。


 ◇


 あれから数か月。

 こうして再び配られた調査用紙に目を落とすが、やはり自分の希望なんて分かってはいないままだ。

 とにかくなるべく長い時間、難しい事は何も考えずに気楽で居たかった。

 面倒になって、俺はプリントを端によける。

 それから、宿題に取り掛かった。

 勉強する時間も、去年よりは増えた。

 それは一人の時間に、考え事をしないためでもあった。

 受験勉強とは程度が違う。できればこのまま、この程度で居させて欲しい。

 道具を出すため、左手側の引き出しを開ける。


「……ああ……」 


 勢いよく開けた拍子で、普段は目に入らない引き出しの奥まであらわになってしまった。

 ひさびさに見る物たちが、詰められている。

 ____その中に、比較的新しいものが入ってあった。

 それを取り出して、眺める。


「…………」


 比較的新しく、しかしもう懐かしいと思えてしまうものだった。

 タバコ型の…………お菓子の箱。

 夏に、裕子さんから貰ったものだ。

 なぜか俺は、こんなところに空箱をしまっていた。

 ふと、去年の夏休みの記憶が浮ぶ。

 あのときはそう、あの畑の向こうで……。

 その日は青八木の様子が、少し落ち込んでいるように見えて。

 でも、俺が勇気を出しておどけて見せると……あいつは少し楽しそうになって。

 ……それから…………。


「……!」


 流れ出す様にあふれて来た記憶と感情を断ち切るように、頭を振った。

 こんなものを保管して、俺は何をやっているんだ。女々しいんだよ……。


(……これを……すぐに手放さないと……)


 無理やりにでも、あの頃と今の自分を切り離していかないと。

 こんな風に思い出していては、苦しくなるだけだ……。

 その後の勉強は、あまり手に着かなかった。

 さっき感じた記憶の余韻。それが容易に、俺の集中力を妨げた。

 夜になったら、町から人が居なくなる。

 家の中は駄目だ。

 だから良い場所を探して、あの箱を捨ててしまおう。

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