3-9
「おやすみなさい」
「あら、もう寝るの?まだ九時よ?」
「はい、少し部屋で休んだら……寝ようと思ってます」
「そう。……たまには早く寝るのも良い事ね。じゃあ、おやすみなさい」
「はい」
「……あっ、そうだ!」
「え?」
「明日は終業式だから、昼食が必要なのかしら?」
「ああ、そうですね……」
「分かったわ、作っておくわね」
ありがとうございます。と言って、二階に上がった。
……少し休んでからと言ったが、俺はすぐに電気を消して布団に入ったのだった。
◇
「…………」
そして俺は、町の中に立っていた。
白い寒空の下、冬用のコートを来て立ち尽くしていた。
ぼやけた空からは日が差す様子はなく、だけども暗いわけではない。
見上げながら……きっと、昼間なんだろうと考える。
「…………」
なんで立ち止まっていたのか分からない俺は、なんとなく歩き出した。
いつも歩いている住宅街には、人が居なかった。田舎の昼間なんてのはそんなもんだと思って、特に気に掛けずに進み続ける。
……でも、違和感があるのも事実だった。
その正体を探ろうと、町を見て回る。
しかしそこは、本当によく知る街並みそのままだった。
時折コートの隙間から、冷たい空気が入り込んで来る感覚があった。
けれどそれが寒いと言う感覚には繋がらない、そんなぼやけた頭だった。
そんな頭なりに、目を凝らして空間を見つめてみると……。
「あれ……っ」
ここにきて、声が出た。
いいや、そんなことより…………。
目の前を、紙切れのようなものが横切って行った。
そしてその向こうでも、なにやら空気を漂っているものがあった。
それらは無数にあり、数えるのも馬鹿らしいような数だった。
あちこちの空間を、町中の空気中を。頭上の空の中にも。
風に流れるようにスー……、と音もなく浮いていた。
紙切れ以外にも小さいスコップだったり、大きな家具だったりする。遠目ではよく分からないものも沢山あった。
蓋が外れ中身が飛び出た大きなペットボトルが、空中を漂っていたりもした。
こんな奇妙な物たちを、何故今まで気づかなかったんだろう?これらはさっきからずっとあったもののはずなのに。
ゆったりとしたペースで進んでいるものもある。同じところを渦巻いているものもあった。
そして……。
ふと、初めて耳に届いてきた、”音”があった。
"ピーーン"という、小さくて高い音。
鉄を、硬い物で小突いたような響きだ。
”ピーーンッ”
再び聞こえて、目を向けると。
その音が、浮いたもの同士が、ぶつかり合ったときの音色だというのが分かった。
「……」
よく分からない。
なので俺はその空間を、また歩き出したのだった。
今度はひとつの目的地へと、足が向いていた。
向日葵畑の前まで来ると、また立ち尽くす。
向日葵達は青々と茎と葉を伸ばし、大きな花を咲かせていた。
なぜここに足が向いたのか、理由なんて分からない。
そしてそこで俺は、急に思い立ったのだ。
(ああ……これは夢だ……)
こんな真冬の季節に、向日葵が咲いているのはおかしい。
どころか茎さえ伸びていないはずなのだ。
いや、というか、そうだ。この空中を飛んでいる物たちも異常じゃないか。なにを今更、夢だと気づいているんだ。
ならば、このぼやけた意識にも納得がいった。
なんだ……そうだったのか。と、息をつく。
夏に幾度となく通った時と変わらない花々と、冬の冷たい空気が混在している事に違和感を感じる。だがこれも現実ではないのだ。
するとふと視界の少し先に、茎の間を通るようにゆっくりと浮かぶ”本”を見つけた。
捕まえて引き寄せると……それは本ではなく、ノートだった。
しかも紛れもなく、俺自身のノートだった。
それも俺が、夏休みの宿題に使っていたのもの。
ぱらぱらとめくると、最初の数ページに数式が掛かれていた。
しかし本当に数ページしか書かれていない。まだまだ頑張らないといけなそうな状況だった。
数本のカラフルな棒が、浮いているのも見た。
ああ、あれは……あのとき使った、花火じゃないか?
一つの小箱が傾きながらゆっくり飛んでいて、その中身がバラバラと箱から宙に舞っていた。
……タバコだ。
どうやらこれらの物すべては、俺が夏休みに見たものだということに気付いた。
一体なんでなのかは分からないが……夢ってのは、そういうもんだろう。
「……ん」
そこに新たな情報が加わる。
畑の上に広がる白色の空に、今まさに異変が現れていた。
空を埋めていた雲、ある一点から穴が出現する。
そして、みるみる押し広げられていく。
雲の向こうから現れたのは、あまりに大きすぎるほどの岩だった。
……隕石だった。
…………い、隕石……?
「…………っ!?」
ここに来て、心が段々と動揺し始める。
何故なら今こうしているあいだも、その隕石がこの世界に向かって落下して来ているように見えるからだ。
俺の頭上の大気を押しのけるように、グアアアァァーーッと迫って来る。
きっと隕石にしては小さいほう。でもその大きさは、少なともこのあたりを吹き飛ばすことのできるサイズ。もう手のひらくらいだった。
雲がその風圧で、丸く大穴をあけたような形になっている。そこから青空がのぞいていた。
その爽快なまでの青さと、広く壮大な景色に圧倒される。
しかしそんなことをしている場合ではないのかもしれない。なぜならあの巨大な物体は、正に俺が立っている、この場所に落ちようとしている気がするからだ。
隕石と俺が真っすぐ目を合わせている気さえする。
飛んでる物たちが、それぞれ微かに動きを早め始めた。
立ち尽くしながら俺は、……まずいかも、と考える。
けどこれは夢だよな?
俺が本当に痛い目にあうことは、無いんだよな?
だったら焦って逃げるような事はする必要もない。そもそも、これは逃げてどうにかなるもんなのかも分からない……。
そう考えているうちにも、隕石がかなりの大きさに育っている。
……ああ……もう本当に数十秒といったところか。
やっぱりちょっと怖くなってくるけど、意識がぼやけているおかげでそれもどこか麻痺している。
むしろ目の前の迫力に見入るように、俺はそのときを待つ。
「………………」
…………。
……その前に、一つ見ておこうかな……。
向日葵畑の向こうの景色を、見ておこうと思った。
どうせ、ただの冬の海なのだろうが。
風が吹き荒れる中、花畑の中に進み始める。
だが間に合うだろうか?風はどんどん強くなっていって、足取りがぶれる。
ノートが俺の手から離れて、飛んでいった。
それが空中の大きなものとぶつかって、大きく"ピィーーンッ!"と音を上げる。
あれは、うちのリビングのソファだ。
よく耳を澄ませば、風の音の向こうで沢山の同じ音が鳴り続けていた。
まるで焦るように、あちこちで物たちがガチャガチャとやっているのが、目に見えるようだ。
焦っているのは俺も同じ。
もう隕石の存在感は、見るまでもないほどに大きくなっている。
もう前だけを見て、ひたすらに走った。
……でも。
もうその時点で気付いていた。
これは、きっと間に合わない。
この向日葵畑は、まだ向こう側へは出ない。
俺は、上を見上げた。
「……」
そして立ち止まる。
息を切らしながらも妙に落ち着いた心で、俺はその時を受け入れたのだった。
とても大きい音がしている気もしたし、無音で衝撃だけが押し寄せているようにも感じた。
前方に落ちた隕石が、厚い風の波を放った。
向日葵の葉がバタバタと騒ぎ立てて、すべての花がのけぞるように同じ方向になびく。
俺は吹き飛ばされそうになりながら、前方を見る。
岩の破片が転がって来るのに混ざって、沢山の浮いていた物たちが飛ばされてくる。
その中に、回転しながらこっちへと向かってくるものがあった。
__見覚えのない、割れた白い木の板の破片。
それが台風で飛ばされる看板の様に、風に押されるみたいにバウンドしながらこっちへ転がって来る。
よける余裕もなく、そのまま木の板は俺の体ぶちに当たる。
「……!」
思わず目をつむった。
胸に板が突き刺さると思われた瞬間、俺は大きな音を聞いた。
"ピイィィーーーーーーンッッ!!!!"
耳がその音色でいっぱいになる。
板は俺の胸板に跳ね返り、体は衝撃で、後ろに吹っ飛ぶ。
そのままの勢いで土の上に、あおむけに投げ出された。
「……」
いまださっきの音の余韻が耳に響いている。
やはり、これは夢だ。こんな目にあっても痛くない。
けど、なぜかもう動けない。
そしてまだ吹き止まない暴風を眺める。
向日葵たちが耐えかねて、何本も折れたり飛ばされたりしていた。ここはいずれ何もなくなるんだろう。
隕石が作った丸い青空からは、畑一面に日が差していた。この喧騒が白昼に晒されている。
騒がしい音はもはや静寂と変わりがなく、ぼんやりと考えが巡った。
……青八木は、今もあの夏休みの事を思い返したりするんだろうか。
一緒にここで過ごしたあの時と、変わらずに居るんだろうか。
そんなのは、知る由もない。
それさえわかれば俺は、踏み出すこともできたんだろうか?それともなにか、別の理由を見つけてここに留まるだろうか。
なんだかとても、沈んだ気分だった。
きっと、信じることが必要なんだろう。
どこかで結局、俺は信じて進むしかないんだ。
でも、”信じる”ってなんだ?
何をどう信じればいい?
相手の性格か?
俺の勇気か?
あいつはああいう風に考えているだろうから、こうやって言ってみても大丈夫。
そんな風に思える根拠なんて……どこにある?
自分以外の人間のどこまでが見えているのか……。
そんなの、絶対に分かりっこないのに。
今まで幾度となく感じて来た違和感が、形を成してきていた。
信じるためのどの理由も……突き詰めれば、信用できる裏付けにはならないという事実に気づいた。
良い人だから、好きだから信じられる。それはよく考えれば、おかしなことだ。
どこも繋がっていない理論だし、意味が分からない。
長年育ててくれたから、というのだってそうだ。
それは本当に言葉通りの事でしかなく、感謝すべき事実というだけだ。
信用とは、なんら関係がない。
____だって実際、そうだったじゃないか。
スウ……と、空虚な気分で満たされていく。
今まで信じて来た理由はなんだったんだ?
そんなもの本当にあったのか?
本当の意味で誰かを信用することなんて、人間に出来るのか?
もしかして、そんな方法はないのだろうか?
……だったら……。
もっと早く気づけばよかった。
「…………」
青空は、その名の通りに真っ青。
俺は白けた日の光から逃れるように、傍らに倒れていた向日葵を引き寄せ、大きな葉を顔にかぶせるようにした。
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