2-7
夏祭りだというのに、いや……だからなのか?
俺はその日、昼間に目が覚めて、二時過ぎまでベッドでだらだらしてしまった。
今日は夕方からが本番、という思いがあったのかもしれない。
流石に腹が減ってきたが、なんとなく祭りのために我慢することにした。
裕子さんには、夕飯は要らないと昨日伝えてある。もうあとは時間を待つのみだった。
四時半あたりから、外を歩く子供や学生たちの声が聞こえ始めた。
すでに着替えてソファに座っている俺の気分も、それに合わせて少しずつ浮足立って来る。
女子達は今年も浴衣で来るんだろうな。
……でもあれだな。
高校生になって浴衣を着るのはダサい、みたいな風潮が生まれている可能性もある。
特に、都会が大好きなあそこら辺のやつらは、そこんとこどうなんだろう。
…………ああ、もうすぐ五時だ。
照らし合わせたかのように、太知と野中がやって来た。
「やっほ!」
「よー!はやく行こうよ一樹!」
二人はやはりテンション高めだった。
「二人一緒に来たのか?」
「まぁね」
「浴衣姿の私が可愛すぎて、危ないからね」
野中は浴衣を着る派閥の人間だった。
胸を張る野中の衣装は、水色の浴衣。帯は、濃い緋色のものだ。
髪はいつも通りのポニーテールに見えるが、普段より少し高い位置に結んであると思われる。
「じゃあ行くか、財布も持ってるし」
「ん、行こう行こう」
三人で町はずれの神社に向かう。
道中の歩道には、子連れの家族や小学生の集団。そして中高生がぱらぱらと歩いていた。目的地は皆同じだ。
昔同じクラスだったやつを何人か見かけたが、なんだか見たこと無い組み合わせになっていたり、違う喋り方になっていたりした。……特に話しかける理由はなかった。
十五分くらいかけて、山の手の神社に着く。
そして長い階段を上がっていく。
「……あっ、吹部の子達だ」
階段の途中で、野中が他の集団に寄っていった。
「あ、彩ちゃん」
「みんなも来てたんだね!」
「だって、彩ちゃんが行った方がいいって言うから……」
「だってそうでしょ?せっかくの夏休みに家に居るなんてもったいないよ!」
「そうかなぁ」
「ていうか彩ちゃん、浴衣似合ってるね……」
「そうでしょっ、ありがと!」
吹奏楽部の女子達は、全員普通の私服だった。
「ごめん、ちょっとのあいだ部員の皆で回るね」
「うん、わかったよ」
「先に行ってるぞ」
階段を上り終えて、赤茶色の鳥居をくぐる。
「おおー、やってるね」
子供とその親が金魚すくいやらを楽しんでいて、小学生は風船のヨーヨーを振り回しながら鬼ごっこをしていた。
中学生は少し遠慮がちに何個かのグループを作っている。
なぜそう見えるかと言うと、多分境内の真ん中に高校生の大きな集団が居るからだ。
そのグループの女子達が、お互いの浴衣や髪型などを褒めあってるのが聞こえてくる。
男子はその横で、ふざけあって大声で笑っている。
「やってんなぁ」
「ほら一樹、焼きそば売ってるよ。たこ焼きも」
「うん、食うか」
俺達はまず夕食になりそうなものを売っている屋台を、重点的に回ることにした。
「おいおい、焼きそばソースかけ過ぎだぜこれ」
「……そういうのってこういう場じゃ気になんないはずなんだけどねぇ。一樹には通じないんだね」
「……それってなんか、俺がいつでも冷静なやつみたいだな……」
「なんで嬉しそうなのさ……」
「ああ居た居た。おまたせーっ」
野中が人混みから現れて、同じテーブルの席に座った。
「いいなーっ、わたしもなんか食べたい!」
「僕ら、次はおでん食べようと思ってたんだ」
「おでん?夏祭りにそんなのあるの?」
「今年になって突然現れたんだよ」
例の屋台を指さす。
「結構人並んでる……」
「けどまずくて評判が悪ければ今年で終わり。美味ければ祭りのレギュラー入りだ。あっちのラーメンみたいに」
「ラーメンは去年の一度きりでなくなったよ」
「え……?」
代わりにそば屋が、おでん屋と同じ状態になっていた。
「あー、彩ちゃんじゃんひさびさぁー!」
「あ、高木さん」
「なんか中学以来かも、まともに話したのってぇ」
俺がぼーっと店を眺めているあいだに、野中が誰かと会話を始めていた。
というか、六人くらいの浴衣を着たグループが俺達のテーブルの前に立っていた。
「クラスも離れちゃったからね」
「だねー」
すぐに、その中に青八木の見つけた。
紺色の浴衣を着て、高木の隣で話を聞いている風だ。
むこうも一瞬、こっちを見る。
「あっアオイちゃん!この子たちと来てたんだね」
「……うん、毎年そうなの」
なんだか来るのを渋ってたわりには、とても澄ました態度に見える。
「なに?アオイと彩ちゃんって仲良かったんだ?」
「うん!最近何回か遊んだんだー!」
「へー?」
高木の後ろの数人が、ひそひそと小声で話始める。
青八木は、口を閉じたまま目線を落としている。
俺は、何となくそれらが見ていられなくて太知の方に視線を移した。
だが太知はなぜか、俺の顔を眺めていた。
(な……なんだよ……?)
「ああ。だから最近、遊びの約束急に断ったりしてたんだ」
高木の声が、喧騒の中でもやけに重く耳に届く。
「ごめんね、高木ちゃん」
青八木はいつも通り、少し微笑んだ涼しい表情でそう言う。それでもほんの少しだけ、表情は硬く見えた。
「まぁいいんだけどね。全然」
「もーっ、ごめんてば」
「いーよいーよ」
「あはは、良かった。わたしもうアオイちゃんと友達だと思ってたから」
野中が呑気にそう言う。
「ふうんそっか。じゃあもう行くね?」
高木はとても小さなバッグを腕にかけ直した。
「邪魔しちゃってごめんねー、寺島と眞田」
初めて俺達に向けての言葉を発して、グループを引き連れて去っていった。
青八木は去りぎわ遠慮がちな笑顔で、野中に「またね」という口の動きをしてみせた。
「……」
「高木さんのグループは、みんな大人っぽいねぇ」
「そうかなぁ」
太知が焼きそばをすすりながら言う。
「そうだよ、羨ましいなぁ。それにほら、アオイちゃんの浴衣姿可愛かったね」
「……」
「ね?寺島」
「え、あ?……う、うん」
「あ、盆踊りの準備してるよ。もうすぐ始まるんじゃない?」
「あー……ほんとだな」
だけど毎年、お年寄りと幼稚園児しか踊らないんだよなぁこれ。理由は俺自身にも理解できていて、単純に恥ずかしいからだと思う。
いいのだ。老人と幼児が和気あいあいと楽しだけでも、意味があるはずなのだ。
「おでん買って来るかな」
「俺も」
「わたしはかき氷食べよっと」
席を立って周りを見渡すと、どんどんと人の密度が上がっているのに気付く。
やぐらを中心に人がはけて、寄っているんだ。
いよいよ盆踊りが始まるみたいだった。
「危ないから着いてきてよー、太知くん」
「えっ、まぁいいけど」
「んじゃあ俺、太知の分も買ってくるよ」
軽く人混みをかき分けつつ、俺は一人屋台へ向かった。
明らかに人口密度によって、気温が上がっているのが分かる。
その、狭く暑苦しい道中……。
……俺はふと、目にとまってしまった。
夏祭りの客達のひざ元。
その位置で、立ち止まっている子供を。
……男の子だ。
頭を下げてすすり泣いている。それで、迷子だとすぐに分かる。
しかし親を探すでもなく、ただ泣き続けていた。
「……うぅ……っ、お母さん……」
「……」
「どこぉ……」
「…………」
……びっくりだよ。
驚くくらい周りの人間は、なんにも干渉しようとしない。
それとも、もしかして俺にしか見えてないのかよ?この泣いてる男の子が……。
俺は、気がつくと立ち止まっていた。
そして黙ったまま、すすり泣く音を聞く。
……俺はどうしたらいいんだ?他のやつらと同じく素通りすればいいのか?
と思ったら……老夫婦が、心配そうに声をかけた。
「ぼく大丈夫?迷子なの?」
ならば大丈夫だろうと少し安心する。
なんとかおでん屋の列の最後尾を見つけて並んでいる。
ぼーっと周りに視線を流していると……。
列の少し横で、流れる人たちの中に立ち止まった、青八木を見つけた。
他の奴等は居ない。
はぐれたのだろうか?
青八木は人混みからぼーっと、境内の真ん中のやぐらを見上げていた。
「……迷子か?」
「ん。……あ、寺島……」
「何してんだ」
「いや、なんか夏祭りっぽい感じだなーって。眺めてた」
「今更かよ?」
「はは……」
なぜか困ったような顔で、髪を触る。
「人混みがきつくなってきて、いつの間にかみんなとはぐれちゃった」
「何してんだよ」
なんか、途方に暮れてる感じでもなさそうだな。
「はぁ」
小さく息をついて、再び祭りの風景に視線を向ける青八木。
彼女はきっと、高木たちを探しているわけじゃない。
ただ風景を眺めている。なんだかそんな風に、俺には感じられた。
「青八木は、一人が好きなんだろ?」
「え……?」
自分でも考えてなかったはずの言葉が、口から出た。
青八木がポカンとするもんだから、的外れな事を言ったのだと思ってとても恥ずかしくなる。
「あ……いや、分からない。なんとなくだが……そういう言葉が浮んだんだ」
「……そっか」
青八木が苦笑いで言う。
「そう見えたんだ……それってなんか、根暗な印象ってことかな」
うーん……実は、そういうのとも違うんだが。
「でもまぁ当たってるのかもね。夏休みに、あんな場所に一人で居るくらいだから」
「んん……たしかに」
「お兄ちゃんはっ?おでんいくつ欲しいの?」
「へっ?」
いつの間にか列が進んでいたようだ。もうすぐ俺の番という所で、おばさんが先に注文を受けに来た。
「あー、っと……三個……」
「あっ、ちょっと待って!」
青八木が急に鞄を漁りだした。そして財布から三百円を取り出して俺に差し出した。
「あ……わたしのも頼んで欲しいんだけど、いい?」
「あ、うん。じゃあ四つで」
「はい四つね!すぐできるから待ってて頂戴!」
おばさんはすぐに俺の後ろの人にも注文を聞きに行く。
「ごめんね急に。見てたら食べたくなっちゃった」
「いやいいんだ」
おでんの屋台は回転が速く、順番がすぐに回って来た。青八木から受け取った百円玉を一緒に出して、おでんの入ったカップを四つ貰った。
「はい」
「うん、ありがとう」
屋台から少し離れた境内の端で、青八木に一つ渡す。
「二人がさっきの席で待ってるんだよね?」
「うん、多分。かき氷を買いに行くって言ってたけどもう戻ってるだろうし」
「……あっ……」
「ん?」
「……高木ちゃんたち、居た……」
人混みの中で、話し合いながら歩いていた。
周りの人間を見ながら進んでいるところを見ると、きっと青八木を探しているんだろう。
「行った方がいいんじゃないのか?」
「……うん」
真顔で頷く青八木。
そして背後の高木たちを見て、またうつむく。それっきり動かず、黙ってしまう。
「…………」
高木は、嫌味なところがあるやつだが……それでいて普通の女子高生だと思う。
そういう普通の女子の感性が、彼女と合わないのだろうか?
確かにあいつらは、一人でベンチで何時間も過ごしたり……一人立ち止まって、祭りの風景に想いを馳せたりしないのかもしれないな。
そして逆に、青八木にとってそういうことは大切なことなんだろう。
「……」
(今からでも、俺らと一緒にまわらないか?)
そう言おうかと迷う。
もし、一緒に来ることになったらどうなるだろう。
そうしたらきっと、野中は喜んで、それを見た太知も悪い顔はしなくて……悪い事はないと思う。
…………。
……いいや、違った。そういう問題じゃないんだ。
そうなった場合、一番動くのは高木たちの感情だ。
さっきもなんだか、どこか青八木が野中と遊ぶのを良く思ってない態度だった。だからきっと、まずいことになるんだろう。特に、青八木にとって。
「どうすればいいかな。行ったほうが……いいのかな」
「……え?」
青八木が、俺の真正面に立ち俺の目を捉えていた。
その目は困り果てたような、なにか力の抜けた色をしている。
「私……どうするのが正解だと思う?」
彼女は俺の目を見て、そう問いかけて来る。
「……」
どうったって……。
(そんなの、自分がしたいようにするのが一番だ)
どこからか真っ先に、そんな言葉が浮んで来た。
でも、とてもそうは言えない。
だってそれができないからこそ、彼女は俺に判断をゆだねようとしているんだ。
それに、なにより……俺自身がこういうとき、自分の気持ちに正直に生きて来れた自信がなかった。
それなのに偉そうに言い放つことは、できない。
「あーっと……まぁ、その」
「……」
「……うう……ん」
自分がとても情けなくなる。
ここで太知ならきっと、なんだかんだしっかりものを言うんだろう。
親父ならば、もっとはっきりと相手に自分の考えを伝える。
俺は……なんなんだ?
なんでこんなにも、心の言葉が、喉につかえたまま出てこないんだ?
青八木は好きに選んでいい、本当はそういう気がしているのに。
「……また、来いよ」
「え……?」
「おかげでさ、宿題があと少しで終わりそうなんだ」
視線を落としてかすかに微笑みながら、答えになっていない言葉を流し出す。
「だから、うちに……もしくはあの、向日葵畑の向こうでもいいから。また来いよな」
「……」
「明日とかでも、暇だったら」
またゲームでもしよう。また話し合おう。
今度は、何か別の事もしたい。
そこまで赤裸々に言えないのは分かっていたから、言葉を止めた。
青八木は黙っている。
なんだか変な奴だと、そう思っているだろうか?
「じゃあ俺、行くわ」
「……うん」
口を閉じたままそう頷く青八木は、もはや何を思っているか分からない。
「このおでんを待ってるやつが居るからな」
「ふふ、そうだね」
「お前も楽しめよ、せっかくの夏祭りなんだしな」
中身のない言葉が出始めたので、もう行こうとしたとき……。
……目じりを照らす屋台のランプが、俺の記憶を刺激した。
そして一瞬にも満たない、フラッシュバックを感じさせた。
俺は……とっさに口走っていた。
「なんかくわしくは知らんが、頑張れっ」
……。
「…………」
俺は、変に相手の目を見て言ったもんだから。黙った青八木を見て、とても恥ずかしくなってしまった。
「っ、じゃあなっ」
そそくさとその場から逃げて、人混みの中に入って行った。
人と人の間に体をねじ込んで、ぐいぐい進んで行く。
(ああ、頭が熱い……)
そんな瞬間、境内の人たちのざわめきが、急に重なった。
なんだろうと思いながら、通り過ぎる人の顔がみんな上を向いていたので、俺も歩きつつ空を見上げてみる。
その瞬間、夜空が光って……オレンジ色の花火が、まん丸に広がった。
……俺は、歩みを止める。
花火の光は散らばって、消えながら落ちていった。
今来た方向を振り返るが、人に遮られてなにも見えない。
周りの全員が空を眺めていたからだろう。頭の中に、どこかのドラマで聞いたような文章が浮んで来る。
そんな自分に少し恥ずかしさを覚えて、再び歩き出した。
「…………」
そういえば……あの男の子は、無事親の元に帰れたのだろうか?
「おっそいなぁー、寺島」
「もう花火始まっちゃってるよ」
「悪い並んでたんだよ、ほらおでん」
「やったあ」
席に座って、ぱらぱらと打ち上がる花火を眺める。
そうしてそれから、数時間後に俺たちは神社を後にしたのだった。
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