2-5
翌日、朝からテーブルに向かって宿題をしていた。
さすがにいくらか進んだが、まだまだ残りの夏休みの日数を考えると、不安な量だった。
昼過ぎからはどうせ太知が来るし、野中もまた来るんだろうな。
……なんとなく、そうやって同じ様に毎日繰り返して、残りの夏休みを消費するのが見えた気がした。
「……くあぁーーっ」
あくびをひとつ。そして椅子の上で、伸びをする。
……少し気分転換がしたいな。
残りの宿題の束の、一番下にある分厚いものを引き出す。
スケッチブックだった。
美術の宿題、たしか風景のスケッチだったよな……。なにをモチーフにしようか迷っていたんだが、風景といえばあの場所があるじゃないか。
外にも出られて丁度いいし、散歩がてら行ってみよう。
早めの昼食を軽く済ませて外に出た。
◇
今日は青八木は居ないみたいだった。
ベンチに座って、いざスケッチを初めてみる。
木の柵の向こうの、道路と砂浜と海。そしてその上の空、という構図にしよう。
鉛筆を立てて、何かしらを計ってみる。
なにを計るのかは忘れたけども。あれ……片目を閉じるんだっけ?
それから、なんとなく授業で習った手順で描き進めてみる。
「…………」
なんか、早速駄目だなこれは……。
……描き直すか。
てかスケッチって、どこまで描き込めばいいんだろう……。
一時間くらいのつもりだったんだが、それで完成するだろうか?
……それから集中して、なんとかざっくりと全体の形が見えるまでは線を引くことができた。
あとは細かい描き込みをしていけばいいんだろう。
「……ううむ」
残りは今度でいいかな。
またここに来た時に続きを描こう。
実はここまで描くまでにあった幾度の失敗で、もう俺の気力はボロボロであった。
俺って結構、絵心なかったんだなぁ……。
軽くため息をついて、ベンチに腰を沈ませる。
……そろそろ、帰ろうかな。
「おはよう!」
「……っ!!」
心臓が飛び出そうになって、おもわず立ち上がる。
「…………」
「え、……何?」
「……青八木……来たのか」
「うん、今日は一人なんだね」
「ああ……」
…………。
「あ……座るか?」
ベンチの前から退けようとする。
「いやいいよ。だってそれ、美術の課題やってたんでしょ?」
俺が持っているスケッチブックを指さす。
「うん、でももう切り上げようと思ってたんだ」
「ふーん……」
青八木が、スケッチブックを覗いて来る。
なので俺は体の後ろにそれを隠す。
青八木が回り込んで、さらに見ようとしてくる。
俺がまた隠して、それをさらに青八木が…………。
「…………」
なんだか変な気分になって来た。
「そ、そんなに見たいのかよ??」
「いやぁ、何となくね」
諦めてスケッチブックを差し出す。
「ありがと」
青八木そう言って俺のスケッチを眺め出す。
「…………ああ。ここからの景色を描いたんだ」
「うん」
「いいと思うよ。なんかこう…………とにかく、いいと思うよ」
「ああ……そう……」
そうして俺に手渡して来る。
俺が受け取ったとき青八木はもう一度、絵に目線を落とした。
「…………ぷふっ」
「え、わ……笑った?」
◇
淡々とした歩みで家に向かっていく。
「ごめんてば、ついなんだって」
「いや別に、怒ってるんじゃないって」
怒るというより、恥ずかしかった。
「じゃあなんで帰ってるの?」
「もともと、そろそろ帰るつもりだったんだよ」
「でもなんか、歩くの早くない?」
「それは……」
青八木が着いて来るから、周りを気にして距離を保ってるんだよ。
てか、なんで着いて来るんだよ?
「最初から思ってたけど、なんかいつもよりテンション高くないか?」
「うん、わたしも自分で気づいてた。実は昨日の夜からそうなんだ」
「……なんでなの?」
「きっと、昨日が楽しかったからかな」
斜め上を見上げて、そう言う青八木。
「昨日って、隣町に行ってたってやつ?」
「ううん、寺島の家での方」
「……?別に昨日のあれは何も、特別な事はなかっただろ?」
「まあね。でも居心地よかったよ」
「ふーん……」
「野中ちゃんと連絡先交換しちゃったし」
後半は結構仲良さそうにしてたもんな。
…………で、そろそろ……。
「家……着いたんだけど」
「うん」
青八木が玄関に向かっていく。
「じゃあお邪魔しまぁーすっ」
「……」
「なんて。あはは」
やっぱり、いつもと違う……。
「……上がっていけよ、これからあの二人も来るからさ」
「ほ、ほんとっ?やったっ!」
「そんなに喜ぶ事かぁ……?」
「い、いや。実は今日、一日暇でさー」
俺が鍵を開けて、二人で中へ入る。
それから嬉しそうに、靴を脱いで揃える青八木を見ていて……悪い気はしなかった。
「ソファにでも座ってくつろいでてくれ、あいつら、きっともう一時間もしないで来ると思うんだ」
「はーい」
あ……。さっきまでやってた宿題がローテーブルに広げっぱなしだった。
青八木がノートの中身に目を落とす。
「多分そんなに参考にはならないぞ」
「うーん……ていうか……。これって数学の宿題の、わりと最初のほうだよね?」
「ああ、そうだけど」
「数学結構あったけど、このスピードでちゃんと間に合うの?」
「え……まぁ、最後に追い込みかければ間に合うんじゃないか?」
「てかこっちに積んであるのも全部宿題だよね?これはもう終わってるの?」
「いや、それはこれからやるやつ。終わったのは反対に置いてあるやつ」
現代文の課題のみが、ぺらっと一冊置いてある。
「…………」
「……間に合わない、可能性も……なくはないかもな」
「いやいや、無理でしょ。あと二十日もないんだよ?」
「ちょっと今年は怠けすぎたんだ。なんだかだるい日が多かったから」
「……はぁ。……しょうがないなぁ」
青八木はローテーブルの前に座る。
そして俺にこう言った。
「私が教えてあげるよ。それで、なんとか間に合わせなよ」
「え……教えるって……」
俺は呟きながら、テレビの前の空間を眺める。
そこに映った、座った青八木を見て……今更自分の家に、女子と二人きりだと言うのを自覚した。
「え?嫌なの?」
「あー……、……ありがたい、です……」
とぼとぼ青八木の向かいの側に歩いて行き、ストンと座り込む。
「ん、じゃあわからないとこあったら言って」
「ああ……」
青八木は数学が得意なようで、俺がつまずいた所は全て解説してくれた。
どうやら、ひとに教えるのが得意みたいだった。
◇
「はぁ、こんなもんじゃないのか?」
「結構進んだじゃん。これなら頑張れば、数学は今週中にでも終わるでしょ」
俺は久々に、勉強という勉強をした気になった。
少し心に充実感を持ちつつ、咳ばらいをして言う。
「……あー、なんか……どうもな」
「ん?うん。いいよ別に」
そう言う青八木は、ふと机の端の、一枚の紙を見る。
俺もその紙に目を向ける。
「ああ、夏祭りか」
「うん。寺島は今年行くの?」
「ああ多分」
「やっぱ、眞田君と野中ちゃんと?」
「そうだな。太知が来れば、野中も来るだろうし……」
野中、あいつはあいつで友達と行かなくてもいいんだろうか?
友達は少なくないイメージだが。
「あたしも行きたいなー!夏祭り……」
「なんだ、青八木は行かないのか?」
「いや、行くよ。……高木ちゃんたちと行く約束してるし」
「?そうなのか」
「そっちのグループと一緒に行ってみたいなって話」
「グループって……」
ホントは、俺と太知でコンビなんだがなぁ。
青八木は、無言で夏祭りの写真を見る。
それを視界の端で見ていたら、ぽろっと言葉がでてしまった。
「……もしかして……嫌だったりするのか?」
「え……?」
「あーいやその、なんか……そんな風に聞こえたから」
「……ううん……嫌とかじゃない、と思う。かと言って、行きたいのかも分かんないけど」
「ふうん……」
そりゃまた難しい感情だ。
「だからいっそあんた達と行けたらなぁって、思っただけ」
……ん?
今……あんたって、呼ばれたのか、俺?
「あたしいつからこんな感じなんだろうな……」
「あれ……あたしって呼んでたっけ?自分の事」
「えっ、あ……」
青八木が恥ずかしそうに口を押さえる。
「……家族の前では、いつもそうなの」
「はぁん」
なんで、普段はわざわざ変えてるんだろう?
まぁ隠してるっぽいし、深堀はしなくていいのか。
「……んじゃあ多分もう、あの二人来るから今度こそゆっくりしててくれ」
「うん、分かった」
俺は、勉強道具を部屋に置きに行った。
思った通り、すぐに太知と野中はやってきた。
「あれ!今日も青八木ちゃんが居る!」
「やっほー」
「一樹が呼んだの?」
「いや、昼に会って。せっかくだしと思って招いた」
「家に連れ込んで、一体どういうつもりなんだか」
野中が邪推して、そんなことを言いやがる。
「なんのつもりもねぇよ、ただまた野中と遊びたそうだったからだな……」
「遊ぼう遊ぼう!こんな危ないやつほっといてさ!」
「うん。あ、危ないの?」
「そうだよー、どんなこと考えてるか分かったもんじゃないからね」
「勝手なこと言いやがって……」
まぁいい。
こいつが青八木と話しているあいだは、俺は太知と話すことができる。
「俺の部屋行こうぜ、太知」
「ん、あーそうだ。見せてほしい漫画があったんだよね」
俺達が階段を上り始めたときには女子二人はもう、話を弾ませ始めていた。
しばらく二階に居たあと、二人で降りて来た時……女子達はまだ楽しそうに話していた。やはり結構気が合うみたいだ。
だがそこでは、青八木は自分の事を”私”と言っていた。
俺が冷蔵庫から取り出したお茶を飲んでいると……青八木がソファから話しかけてきた。
「寺島。ありがとね、今日呼んでくれて」
「ん?うん」
そんなにもいいもんなのか、このなんでもない時間が。
それならば四日後の夏祭りも、その心持ちで楽しんでこればいいのに。
とそう、ぼんやり思った。
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