1-10

「ああー…………」


 今日もやっぱり、やっぱり暇だ。

 昨日は予想外にも太知の訪問があったからか、よけいになにもない今日は退屈に感じる。

 テレビでバラエティー番組の再放送を見ながら、超スローペースで宿題を進めていた。

 こう、ぼーっとしながら……玄関のチャイムが鳴らないかなーと考える。

 しかし何も聞こえてくるはずがなく、ただただ時間が過ぎてもう正午前になっていた。

 昼飯、今日は親父がつくったチャーハンがあったな。

 そう思い、ローテーブルの前から立ち上がったとき。……なんと。


(ピーンポーン)


 チャイムが鳴った。

 俺は驚きつつも、玄関に向かう。

 もしかしたら……太知かもしれない。

 俺は期待を込めて、ドアを開けた。


「太知くん居るっ??」


「…………」


「いやぁ今日吹部休みでねー、もしかしたらここに来てるかもと思ったんだけど」


「……来てねーよ……」


「えぇー??……なーんだ……」


 がっくりと肩を落とし、大きい溜息をつく。

 来ていきなりそれかよ……。


「はぁ。じゃあもういいや、帰ろ」


「なんだお前……」


 あからさまに気分が落ちた様子で、とぼとぼ去っていく。

 あれは、野中彩という女だ。

 俺と太知と同じクラスの、吹奏楽部員女子。

 背は女子の中でも結構低めで、いつも長い髪をポニーテールに縛っている。

 改めてどういう奴かと考えてみると、まぁ普段から今みたいな感じのやつだった。

 あいつはきっと、いや絶対に、太知のことが好きなんだろうと思う。

 一体なぜそうなるに至ったのか。それを俺は知らないし、知りたくもない。だがあいつの気持ちが強すぎるあまり、俺の生活にまで影響があるんだよなぁ。

 その後俺は、そういったことに改めて不満感を抱きながら、チャーハンを食べた。

 食べ終えると、再び宿題にとりかかった。

 あと十五ページあるから、五日使えば、数学の宿題は終わる。

 そうしたらあとは現代文と、生物と物理と化学と、世界史と美術の課題と……。

 ……ああ。

 ……やばい。

 ちょっと一回、考えるのをやめよう。

 今は、四時過ぎ。時間的にはもう夕方だ。

 ソファに頭だけあずけて息をつく。

 このまま一日が終わるのか……。なんか今日は、特に不毛な日だった。

 ……その途中ふと、窓を見る。

 今日も晴れていた。

 朝から、ずっとだった。

 俺の頭の中にも、朝からずっと一つ考えがあった。

 天気がいいならば、あの向日葵畑の向こうで過ごせばいいんじゃないだろうか?

 きっとこういう日こそ、居心地が良さそうだと思う。

 でも一つ、懸念点もあった。

 青八木が、今日もあそこにいるかもしれない。

 どうやらあいつはあの場所に通っているようだし、邂逅してしまう可能性がある。

 なんだか気まずいので、それは避けたいのだった。

 もしかしたら……夕方の今行けば、青八木は居ないだろうか?

 まぁとりあえず、行ってみよう。

 薄々思っていたけど、やはり昨日で俺は少し、あのロケーションが気に入ってしまったのかもしれない。

 俺は、特に何も持たずに家を出た。

 ただ、ひとつだけ、テーブルの上にあった裕子さんから貰ったお菓子をポケットに突っ込んだ。


 ◇


 外はまだ明るい。

 日もまだそこそこ高いから、日差しが暑かった。この気温が俺を家に籠らせていたんだ。

 花畑の前に着くころになって、やっと町に西日が差してきていた。

 少し薄暗さの増した畑の中へ、入る__。

 こめかみにじんわり汗を感じながらも、黙ってただ進んで行く。

 ……そうやって、静かに歩いていたからだろう。

 俺は早くに、その音に気付いた。


(……?) 


 高い音がかすかに耳に届く。

 しばらく耳を傾ける。


(……これ、……鼻歌だ)


 それは……きっと向こう側から聞こえている。さらに進んで行くと、やっぱり音は大きくなってくる。

 もうすぐで出るという所で、いったん止まった。そして花の隙間に目を凝らしてみる。


「……」


 青八木がベンチに座っていた。

 座ったまま、景色を眺めている。なんかとてもリラックスしているのが、後ろ姿からでも伝わって来る。

 いつ来たのかは知らないが、夕方に、しかも三日連続でなんて、そうとう好きなんだなこの場所が。

 うーん……。

 ……帰るか。……邪魔するのもあれだし。

 しかしあいつ、鼻歌なんて歌ってご機嫌だな。学校ではあんなかんじだったかな?


「……誰?」


「…………」


 ……まずい。

 そっと方向転換して戻るつもりだったんだが、音を出さずに動くことができなかった……。

 俺はなんか焦って、早歩きで逃げようとした。


「あの……誰か居ますか?」


 しかし青八木は、花畑の前に来て中を覗いてきた。

 向こうは警戒しているようで、恐る恐るといった感じの声色だ。


「あのぅ……」


 動くと見つかる……!


「…………っ」


「…………」


 …………どうだ?

 見つかったか?

 それとも、諦めて戻ったか?


「なにしてるの」


「……」


 振り返ると不満げな表情があった。


「なんでそんなとこに居るの……ていうかなに、そのポーズ」


「……いや……なんでって……別になんとなく」


「はぁ……なんで私が居る時に来るのさ……」


 ……それは、こっちのセリフだった。


「……俺は時間をずらしたつもりだったんだよ。なのに、こんな時間まで居るとは思わなかった」


「ふうん、まぁ私もさっき来たんだけど」


「え……なんで、こんな夕方から」


「午前中から隣町に行ってたの」


「はぁ」


「それで帰って来て、やっとここで落ち着けると思ったら……これだよ」


「わ……わかった、……もう来ないよ」


「えっ……」


「毎日来るんだろ、この場所」


「まぁ……毎日じゃないけど結構、来るね」


 俺は別に、そこま思い入れはない。ならば譲ろうじゃないか。俺がちょくちょく来てたらリラックスできないだろうしな。

 決して学生としての、意識の差に怖気づいたわけではない。


「そんなに好きなのか?ここ」


「まぁね……」


 俺は最後にと、ぼんやり景色を眺める。


「まぁ確かにいい場所だよな」


「うん……」


 青八木の答えもおぼろげになってきたので、本当にもう帰ろう。

 なんだか普段話さない女子に、喋りすぎた感じがする。


「じゃあ、俺……」


「……寺島もこの場所好きなの?」


「え?……ああ、うんまぁ結構……」


「ふうん」


 青八木はベンチに再び腰掛ける。


「いいよね、ここ」


「うん」


 俺はその場で立ったまま頷く。


「寺島は、いつからここに来てるの?」


「ん?昨日から」


「……え……あ、浅い……」


 浅い……?

 日付が?

 それとも、気持ちがか?


「私、幼稚園の頃から来てるよ」


「え……っ?」


「毎年の夏にね」


「はぁー……お前、ホントに好きなんだな……」


「うん」


「そういう奴には見えなかったな」


「…………」


 青八木が、急に黙る。

 ……なんだ?

 景色を見るターンか?

 えーっと……とりあえず俺は、しゃがんで落ち着こうかな……。


「ねぇ。私ってさ……皆に、どんなイメージ持たれてるのかな」


「……?」


 急に聞かれても……。皆ってのは同じ学年の生徒のことを言ってるんだろうが。

 

「うーん、俺はそういうのよく知らないんだけど……。まぁ、こういう場所が好きってのは以外だったかもしれない」


 俺にはあまり広い繋がりがないため、そこら辺の意見はあまり伝わってこない。

 だからこんな事しか言えなかった。


「……やっぱり、変かな。こんな場所で一人でぼーっとしてるのって。皆に知ったらどう思うんだろう」


「いや、別に変じゃないよ。ただなんていうか……中学の頃から数人で、それも隣町とかで遊んでるイメージがあったから」


「うん、そういうのもよくするよ……」


「……もしかして、そうやって遊ぶよりこっちの方が好きだったりするのか」


「………」


 何故か黙る青八木。

 見ると、少し目を見開いていた。


「多分……いや、うん。……そうだね」


「……向こうで遊ぶのは、嫌いなのか?」


「ううん、そういうわけじゃない。友達と出かけてるわけだし」


「ふうん」


「でも皆……ことあるごとに隣町に流れてくんだよね」


 それは、傍から見ててもなんとなく分かる気がする。


「小学校高学年くらいから、あっちに対するあこがれみたいなのを抱く子が増えてきた気がする。それが私には、……わかんないんだよね」


 俺にも、全然分からん。


「知ってる?隣町でバイトしてる子もいるんだよ」


「……わざわざ電車で、山を超えてか」


 憧れ、ねぇ……。俺にはそもそも、そういう発想がなかったな。


「私には正直そこまでする理由が分からないけど、でもやっぱり合わせないといけないことも多いからなぁって」


「ふうん、やっぱそういうものなのか」


「どうすればいいんだろうね……」


「…………」


 俺もちょっと考えてみたが、いい考えは浮かばない。

 なんか、頭が真っ白になる。


「全然分かんねー」


「うん。友達居ない寺島にはわかんないね」


「い、居るよ、太知とか……」


「あー、昔から一緒にいるよねぇ」


 はは……。と乾いた笑いが隣から聞こえた。

 目線だけで見上げてみると、遠い目をしたの横顔があった。

 ……態度は軽い感じだが、本当はかなり悩んでたりするのかな。

 いやそれとも、景色を眺めてるだけか。

 気がつくともう夕暮れが迫って来ている、曖昧な色の空だった。

 紫とも違う色は、心が不思議に浮つく感じがする。

 青八木は何も言わない。


「…………」


 過剰な強さの陽ざしを浴びていたら……。

 なぜか急に胸がいっぱいになってきて、股下の草にがくんと目線を落とす。

 

 (カタ……)

 

 と、音がした。

 ああ……そうだ。これを持ってきてたんだ。

 ポケットから紺色の箱を出した。

 箱には所々、金色のインクでデザインされている箇所がある。それがオレンジ色の陽と混ざって、手の中で輝いていた。

 これ、今日家でゆっくり一本ずつ、ぽりぽりと食べたんだ。

 あと何本残っていたっけな。

 開けると一本だけ、たばこの形をしたお菓子が入っている。

 …………。

 一本だけかぁ。


「……」


「夕日っていいよね」


「え、ああ……」


「お腹空いてきたー」


「そういえば、俺も」


 「そろそろ帰ろうかな……」と、青八木は呟く。

 このまま解散する流れが、手に取るように見えた。

 その瞬間俺は、……その場で立ち上がっていた。


「……寺島?」


「…………」


 おもむろに、箱から一本取り出す。

 そして俺は、それをそれらしく咥えた。


「えっ……それ……」


「お菓子だよ」


「……ああーなんだぁ、本物かと思った」


「すーー…………はぁ」


 わざとらしいくらいの、カッコつけた吸い真似をして見せる。


「どうだ、カッコイイだろ?」


 指に挟んだまま、青八木の目を見て得意げに言う。


「…………」


 青八木はそんな俺を真顔で見て……。


「…………くふっ、ぜんぜん……」


「……」


 少し、笑った。


「…………そうか、良いと思ったんだがなぁ」


「変なの」


 恐らく俺は何気ない顔をしている。だがなれないことをしたせいで、頭が熱かった。

 指の間のお菓子を口に放ると、熱くなった体には元々薄い味がまるで抜けたかの様に感じられた。

 それでも俺はぼりぼりと、しばらく黙って噛み続けたのだった。

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