08-24 ライデクラート来る

 一月三日、婚約届不受理の夜からオレはカゲシン離脱の準備を始めた。

 先立つものは金であり、物資も必要。

 金稼ぎだが、自重せず、ありとあらゆる手段を使った。

 魔法剣も作ったし、魔法防御性能の高い盾も作った。

 一番売れたのは薬。

 中でもハイアグラ。

 ハトンの実家ダウラト家には大量に売りつけたが、いくらでも売れると却って有難がられた。

 ガーベラ家の留守居にも売りつけたが、予想外に売れたのがナーディル家。

 セヴィンチ・カームラーン経由で持ち掛けたら、一〇万回単位で注文が入った。

 セヴィンチの独断とのことで大丈夫かと思っていたら、一〇日後には正式に許可が出たとかで追加注文。

 量が量なので原末を壺に入れて渡し、分包はそちらで代わりに値段は市場価格の八割にしたら、滅茶苦茶感謝された。

 高級医薬品の値段はケイマン戦役後に跳ね上がっていて、市場価格は以前の倍。

 ハイアグラは新発売だが需要が多く、当初クロスハウゼンで設定された価格の三倍になっている。

 市場価格の八割でもボロ儲けだ。


 儲けた金で物資を買い込む。

 ミッドストンでは穀物など食料を買っていたが、カゲシンは消費地であり穀物価格は高い。

 反面、加工品、職人が作った物は比較的安い。

 より正確に言えば、田舎ではそもそも品がない。

 あっても種類が少なく、数も揃わない。

 であるから、カゲシンで調達するのが良いだろう。

 具体的に買い込んだのは武具他一般兵士用装備が主。

 剣に盾、鎧、弓。

 作れるんじゃないかって?

 確かに作れる。

 だが、作れるというのと数を揃えるのとは別だ。

 オレが独立するとしたら自前の軍隊が必要となる。

 軍隊用には大量の物資が必要になる。

 揃えるのは簡単じゃない。

 辺境であれば金があっても買う事すら困難だろう。

 武具だけではない。

 背嚢や水筒、マントは防寒具であり野営でも重宝する。

 鎧下、兜下もあった方が良い。

 意外と大事なのが靴。

 近世以前の軍隊は基本徒歩移動なので靴の消耗、正確には靴底の消耗が顕著だ。

 幸いなことにオレは旅団長。

 新師団の物資調達に合わせて自分用も買っている。

 現在の帝国軍は軍閥化貴族化が進んでおり、上位士官は自前の兵員を連れて行くのが常識だ。

 中隊長でも一個分隊、大隊長では一個小隊規模が目安だが、上位貴族の御曹司だとその倍ぐらい連れてくる。

 ガーベラ会戦前の再編でオレがスルスー小隊を個人的に雇ったのがこれだ。

 現在のオレは新師団長候補なわけで、一個大隊一〇〇〇人、何なら二〇〇〇人でも問題ない。

 そんなことで、新師団の物資調達に併せてオレの個人物資も調達した。


 新師団の事務官僚が揃っていないのを名目にオレ自ら買い出しに出かけ、即金を条件に買い叩く。

 幸いだったのは現在のカゲシンでは軍需物資が過剰になっていたことだ。

 新師団設立で売り手市場になっているかと思えば、その前に過剰生産があったという。

 カゲシンの製造業者は第一軍、第二軍が相次いで敗北したとの知らせに、今回の戦役は長期化すると見込んで大量生産に踏み切っていたのだ。

 ところが、ガーベラ会戦での奇跡の勝利で戦役はほぼ終わってしまう。

 いや、厳密には終わっていないのだが、問題は買い手の三師団がカゲシンにいないこと。

 三師団はそれぞれ根拠地を定めてそこでの自給体制に入っている。

 カゲシンの業者は三師団がカゲシンに戻ってこなければ商品を買ってもらえない。

 帰ってこなくても敵と戦い続け移動し続けていたなら補充物資はカゲシンから運ぶことになっていただろう。

 一定地域に留まるのであれば現地調達した方が良い。

 品質ではカゲシンの方が上だろうが輸送費が高すぎるから現地調達だ。

 一方、新師団だが、実はまだ本格的な物資調達は始まっていない。

 正規の予算がついていないのだ。

 現在は予備費で何とかしている状態。

 これは連隊から師団へ拡充中であるモーラン師団も同様である。

 モーラン師団は旧ミッドストン領の防備のためタルフォート伯爵を総大将として突如出陣となったのだが、最低限の装備を『後年度負担』で買い集めて出て行った。

 よーするにつけ払い。

 業者は涙目だ。

 そこにオレが現金払いで買い付けである。

 面白いように買い叩けたのは笑った。

 業者は金が無い。

 物資の一部は売れたが、現金は入らず約束手形だけ。

 しかも、約束手形の期日は三年と阿漕。

 更に、普通なら約束手形を買い取る両替商がこれを買わない。

 ケイマン戦役から約束手形が乱発されており、三年物約束手形の価値は半額以下にまで落ちていた。

 なんか金融恐慌前夜みたいな気もするが、ヘルステン庶務課長、じゃなくて財務部算用所主席筆頭補佐によれば、これぐらいの状況、カゲシンは何度も経験しているという。

 約束手形を両替商に安く買い叩かせて、裏で政府がその安くなった債権を買うのだそうだ。

 政府の買値は両替商との取引だが六~七割とか。

 なので両替商の一般買い取り価格はそれ以下になる。

 完全にモラルハザードだ。

 いーのかね?

 まあ、取りあえず今のオレには好都合だ。

 現金払いを餌に平均半額以下で購入。

 購入した物資はオレが個人的に借り受けた倉庫に運び一時保管。

 政府から正式な金が出たら、現金分だけ新師団に卸す。

 四割引きで。

 一割鞘を抜いている形だが、実はこれ合法。

 ヘルステンからは『仲介一割とは欲が無い』と感謝されたぐらいである。

 ここで肝心なのは、購入した物資の大半はオレの倉庫に一時保管の形になっている事だ。

 師団用という建前だから誰も不審には思わない。

 倉庫の物資は順次亜空間ボックスに移動している。

 倉庫は複数借りているので、物資が消えていることに気が付く者は少ないだろう。

 名目上は新師団のためにオレが事前に物資を確保しているとの建前でヘルステンらは有難がっているが、実際にどれだけ買い入れているか彼らは知らない。

 大量の物資が消えているのだが、気が付いたから何かできるとも思えない。

 金を払ったのはオレなのだ。

 こうして、オレは短期間で一万人規模の軍需物資を手に入れた。




 オレが薬作りやら物資購入やら忙しくしている間も世間は動く。

 動き過ぎの気もする。

 まず、アーガー家からオレの第二正夫人になったとの女性が押しかけてきた。

 いきなり大量の荷物と共に屋敷にやってきたのにはびっくり。

 どこかで見た記憶がある女性で、・・・確かめたら例のアーガー・シャーフダグ美人局要員の一人だった。

 シャーフダグの親戚だがピールハンマドの親戚でもあるらしい。

 まあ、そーだよね。

 あんなことして臆面もなく良く来られるものである。

 改めて見るが、そんなに不美人ではない。

 少なくとも筋肉量はオレが見ても女性なのだが、魔力量は従魔導士程度。

 何より性格が最悪だ。

 アーガー僧正家から来てやったのだから最上級の待遇をしろとの態度。

 まだ話が付いていないと断ったが、何としても屋敷に入ろうと粘ること粘ること。

 どうやら本人はオレの屋敷に居座り金を自由に使うつもりだったようで、屋敷に入れないのなら金をよこせとか言い出す始末。

 穏便に断ろうとしたが、全く聞く耳を持たない。

『アーガー家の娘を断るのなら師団長も少僧正も取り消しになる』とか脅し始めたので、開き直って『あなたを妻に迎えるぐらいなら師団長は諦めます』と断言したら、『覚えていなさい』とか怒声を発しながら去っていった。

 カゲシン離脱までは事を荒立てないよう考えていたが、家の中に入られて好きに金を使われてはたまらない。

 まあ、一か月ぐらいは条件闘争で誤魔化せるだろう。




 一月七日には、上にも書いたがモーラン師団とタルフォート旅団が旧ミッドストン領、正確にはその手前のクリアワイン領に出陣していった。

 旧ミッドストン伯爵領は領主がいない状態となっている。

 ミッドストン伯爵はガーベラ会戦後にケイマンに内通していたのが確定し、断絶。

 ミッドストン伯爵家は伯爵家としては大きな方でその統治はガーベラ会戦直後から問題視されていた。

 トエナ公爵家に事実上隣接する領地なのだ。

 正確に言えばトエナ公爵家とミッドストン伯爵家の間には多くの中小諸侯がいるのだが、中小諸侯しかいないので、トエナ公爵軍がミッドストン方面に侵攻した場合はミッドストン市まで遮る物が無い。

 であるからミッドストン領の防備は重要なのだ。

 このため凱旋式直後に隣接するクリアワイン伯爵がミッドストンに入っていた。

 勿論、これは一時的な処置である。

 クリアワイン領もトエナ領に近いから、クリアワイン軍だけでミッドストンとクリアワインの両方を守るのは不可能だ。

 ネディーアール旅団が新師団として形になったら、モーラン師団とタルフォート旅団がクリアワイン方面に出陣と昨年末に計画されていたのである。

 その出発が一月七日となったのだが、・・・新師団が形になったって誰が言ったんだ?

 宿舎に突っ込まれた難民が一万人を超えたってだけじゃねーか。

 師団長も決定したとか言ってるが、オレ、正式受諾してねーぞ!

 だが、飛び切りの驚愕はこの一月七日の午前に『クチュクンジ蜂起』の一報が入ったことだ。

 例によって最初の伝達は狼煙によるので詳細は分からない。

 詳細が分からないのにタルフォート伯爵らは予定通りに出陣してしまったのである。


「クチュクンジ蜂起は織り込み済みってことなのでしょうが、少しは慌てた振りぐらいすべきですよね」


 アシックネールが溜息を吐く。

 クチュクンジ蜂起の一報にオレは師団幹部を集めて待機したのだが、上からは『クロスハウゼン師団が対処するから、新師団は何もする必要はない』との妙に冷静な命令が下りてきた。


「以前から予測されていたってことでしょうか?

 クロスハウゼン師団本隊も知っていたってことですか?」


 レニアーガーは怪訝な顔だ。


「クチュクンジが蜂起するって分かってたら事前に潰すべきだよね。

 アルダ=シャール要塞って、対セリガーの重要拠点だって聞いてたけど。

 何か、変な話だよね」


 タイジが言うように、昨年九月にギガ・ウオック要塞が陥落した時の右往左往と比較すると差があり過ぎる。


「アルダ=シャール要塞が敵対勢力の手に渡ったのなら、敵軍の侵入が問題になるよね。

 この場合はセリガー共和国だけど、普通は要塞が陥落したら、次の報告はそこを通って敵軍が進撃中って話になる。

 なのに、続報を待たずにカゲシンで待機中の軍を西に動かしちゃうなんて、おかしいなんてもんじゃない。

 セリガー軍は来ないって分かってるの?」


「ゲレトは上がクチュクンジの蜂起を事前に知っていたって言いたいのか?」


 タイジの疑問にレニアーガーが反論する。


「私は、単純に軍事知識が欠如しているだけって気がしますがね。

 一報を受けて、モーランとタルフォートの知り合いにそれぞれ問い合わせたんですが、そもそもクチュクンジ蜂起を知りませんでした。

 あいつら、何も知らされないままクリアワインに向かうところだったんです」


 レニアーガーが呆れたように両手を挙げる。


「その辺りを問い合わせたら、クリアワインに行く軍隊には関係ないからそのまま出陣しろって上から返答されました。

 モーランの親父殿は『金さえ払うのなら命令には従う』とか、すんごく不機嫌な顔で出ていきましたよ」


 モーラン親父、パンティーの恨み?

 ・・・まあ、オレが知ったこっちゃないか。


「そもそも、軍事関係では自護院に意見を求めるべきでしょう。

 そして、現在のカゲシンで意見を求めるとしたら、カンナギ殿とモーラン・バルスポラト殿、そしてタルフォート伯爵になります。

 その誰にも相談していないのですから、単純に要塞陥落の意味が分かっていないのでは?」


「うーん、ゲレト殿の意見も、レニアーガー殿の意見も、どちらも正しいと思いますね」


 二人の意見にアシックネールが意味深な言葉を返す。

 なるほど、そーゆーことか。

 しかし、それでどーするかと言えば、取りあえず待つしかない。

 結果から言えば、セリガー進撃の報は来なかった。

 オレはそのまま日々を過ごす。

 金稼ぎと、物資購入と、寝室通いと、種付けの生活である。

 そうして、情報がないままに日は過ぎた。




 一月二〇日、オレはクロスハウゼン屋敷に呼ばれた。

 部屋に通されたのは、ネディーアール殿下とアシックネール、そしてオレの三人だけ。

 中で待っていたのは一人だけ。

 なんとライデクラート隊長だった。

 久しぶりに会った気がするが、相変わらず男前だ。

 色の濃いト〇・クルーズが女だってーのが慣れない。


「私はここにいないことになっています。

 御内密にお願いします」


 驚くネディーアールにクロスハウゼン当主の第三正夫人が神妙な顔で宣言する。

 聞けば、カゲシン正門を経由していないという。

 クロスハウゼン系の衛兵の手引きで通用門から入ってきたらしい。


「クチュクンジ殿下がアルダ=シャール要塞で蜂起した話は聞いていると思います」


「聞いてはいるが、ろくな情報が入っておらん」


 第一報があってから一〇日以上。

 自護院に回ってきた情報は極めて乏しい。

 クロスハウゼン師団がシュマリナから速やかに出動し要塞を包囲したことぐらいだ。

 要塞包囲後の情報は少なく、セリガー関係は全くない。


「カゲシンの情報不足については我らが意図的に情報を上げなかったのがあります」


 ライデクラート隊長が言う。


「ただ、カゲシンから詳細を知らせろとの命令も有りませんでしたが」


「つまり、彼らは他から情報を得ていると?」


「恐らくは」


 アシックネールの問いにライデクラートが答える。


「少しは隠す努力をしろと言いたいですね」


「その辺りの軍事常識がないのだろう。

 それを助言する者もいない」


「それで、バャハーンギールかピールハンマド、あるいはその両方がクチュクンジと取引をしているのは確実って事ですか?」


「クチュクンジと直接ではなかろう。

 取引相手は恐らくはセリガーだ」


「ほう、その証拠は?」


 ネディーアールが問う。


「それを今からご説明いたします」


 ネディーアールの問いにライデクラート隊長は説明を始めた。

 アルダ=シャール要塞だが、アルダ河の河口にある要塞で、対セリガー用防衛施設の一つである。

 国境から離れているが、アルダ河とそれに合流するアスカリ河から海に出る経路を抑える物で、最も重要かつ、最も堅固な要塞として知られる。

 シュマリナ太守の管轄下ではなく、帝国中枢の直轄だ。


「知っているとは思うが、これまでアルダ=シャール要塞はシャブジャーレ騎士団が守っていた。

 シャブジャーレ騎士団、元はアルダ=シャール要塞を主たる根拠地としてアルダ騎士団と呼ばれていた。

 その後南方のシャブジャーレが帝国傘下に入り、騎士団の主力はそちらに移動。

 シャブジャーレ騎士団と呼ばれるようになり今日に至っている」


 ライデクラートの話は主としてオレに聞かせるためだろう。


「シャブジャーレ騎士団になっても、アルダ=シャール要塞は騎士団の第二根拠地として機能し、副団長が駐屯していた。

 だが、昨年末にカゲシンから急使が届き、アルダ=シャール要塞を使者に引き渡しシャブジャーレに集結するよう命令されたという。

 それも直ちに、と。

 シャブジャーレ騎士団側はクロスハウゼンが要塞を管理すると考えたらしい。

 使者もその様に匂わせたとか。

 副団長は団長と相談してからと抵抗したが、カゲシン側は強固だったらしい」


 アルダ=シャール要塞はアルダ河河口の西岸にある。

 要塞は純軍事施設で、要塞の北方にアルダ=シャール市が広がっている。

 要塞は普段の生活や執務には不便なので、騎士団副団長は普段はアルダ=シャール市にあるアルダ=シャール中央寺院、つまり市庁舎に居住し執務を行っていた。


「騎士団側も既得権益を簡単に手放すことなどできない。

 やむなく折衷案として、要塞本体だけを引き渡し、アルダ=シャール市と中央寺院、行政書類や市職員の管轄権などは、シャブジャーレ騎士団団長とカゲシンの話し合いが終わってからとなった」


「なるほど、要塞は軍事的な意味しかないですからね。

『アルダ=シャール要塞を引き渡せ』との命令は、アルダ=シャール要塞とそれに付随する市施設の全てという意味でしょう。

 現実問題としてアルダ=シャールの統治には要塞本体よりも市庁舎や市街の支配権の方が重要です。

 でも使者の面子もありますからね。

 要塞本体だけを引き渡して使者の面子を立てたわけですか」


 アシックネールの言葉にライデクラートが頷く。


「その通りだ。

 要塞本体は普段は若干名の衛兵がいるだけで、引き渡しは簡単だったらしい。

 そうして、使者一行が要塞に入ったのだが、その日のうちに『クチュクンジがアルダ=シャール要塞で再起』との報が各地に出された。

 驚いた副団長が自ら要塞に入ろうとしたが、あっさりと返り討ちだ」


「死んだ、戦死ってことですか?

 シャブジャーレ騎士団の副団長ってそんなに弱かったですか?」


 アシックネールが驚く。


「守護魔導士だったと聞く。

 だが、相手が悪かった。

 要塞内にはセリガーの第九位がいたのだ」


 流石に驚いた。




 ライデクラートの説明では、アルダ=シャールは特殊な要塞なのだという。


「強力な魔導士が一人いれば守れる要塞なのだ。

 この要塞を落とすには防御側以上の魔導士を投入するしかない」


 簡単に言えば狭い一本道での戦いだという。

 要塞に入った人員は使者が率いてきた二〇〇人というが、攻撃側に数があっても攻めきれないそうだ。

 説明を聞いたが今一つ理解できない。


「その一本道でセリガーの第九位が待ち構えているというわけですか。

 しかし、別にそれと戦わないでも攻略は可能ですよね?」


 オレの問いにライデクラート隊長が苦笑する。


「それはその通りだ。

 要塞内の人員全てを殺してよいのなら、だが。

 ここで問題となるのが、クチュクンジを殺してはならないという制約だ」


 クロスハウゼン軍はクチュクンジ蜂起の一報が入った時点で出陣した。

 副団長を失ったシャブジャーレ騎士団からの要請である。

 そして、カゲシンからの命令でもあった。

 驚いたことにカゲシンからの命令は一月一〇日に届いたという。

 時系列を整理する。

 クチュクンジによるアルダ=シャール要塞占拠が一月五日。

 同日午後、シャブジャーレ騎士団副団長戦死。

 同日夜にシャブジャーレ騎士団からの援軍要請がシュマリナのクロスハウゼン師団に届く。

 一月七日、クロスハウゼン師団がシュマリナを出陣。

 一月一〇日、クロスハウゼン師団アルダ=シャール要塞に到着、同日要塞を包囲。

 同日、アルダ=シャール要塞に到着したクロスハウゼン師団にカゲシンからの正式な命令書が届く。


「クチュクンジがアルダ=シャール要塞で蜂起したとカゲシンに狼煙で知らせが入ったのが一月七日なんですけど。

 早馬での使者到着が一月九日です」


「時系列がおかしすぎる。

 バャハーンギールらの側近は馬鹿しかいないのか?」


 アシックネールとネディーアールが呆れ果てる。

 軍事知識に疎いため、軍の出陣と移動にどれぐらいの時間がかかるのか分かっていない。

 使者の移動速度すら計算に入れていない可能性がある。


「クロスハウゼン師団に届いたカゲシンの命令書だが、事前に用意されていた物であろう。

 早馬で届いた命令書との体裁であったが、持ってきた兵士は明らかに馬に乗り慣れていなかった。

 恐らくは宗教貴族の従者だ」


 ライデクラートが皮肉気な顔で言葉を繋げる。


「頃合いを見計らってシュマリナに『命令書』を届けるように言われていたのであろう。

 恐らくは最初にアルダ=シャール要塞に来た使者が我らへの『命令書』も持参していたと思われる。

 シュマリナに届けろと言われていたが、クロスハウゼン師団がアルダ=シャールに移動してしまったので、そちらに届けてしまった」


「『命令書』がシュマリナに届けられて、そこからアルダ=シャールに転送された形であればまだ信憑性があったでしょうに」


「自護院関係者を一人でも連れていればこうはならなかったであろう。

 自護院関係者は信頼できないと考えたのであろうな」


 軍事に疎い集団が軍事的策謀を企んだ結果という訳か。


「問題は『命令書』の内容だ。

 クロスハウゼン師団に対して、アルダ=シャール要塞を速やかに奪回しクチュクンジを捕らえろ、とある」


「殺すな、ということですか!

 確か、最初に宗主の名で出されたのは『討伐の詔』でしたよね?」


「その通りだ。

『討伐の詔』では、殺しても良いことになっていた。

 それでも、前例を見れば宗家一族を殺すのは危険だ。

 そして、今回は明確に『捕らえろ』とある。

 命令書は新しいものが優先となる」


 アシックネールの問いにライデクラートが答える。


「やっかいなことになったな」


 ネディーアールがボソッっと呟く。


「一ついいですか?

 クチュクンジは要塞内に居るのでしょうか?」


「確認はされていない。

 だが、恐らくはいる。

 いや、確実にいるはずだ」


 オレの問いにライデクラートが断言する。


「キョウスケ、其方の言う所は分かる。

 先ほども言ったように、手段を択ばぬのであればアルダ=シャール要塞の攻略方法はある。

 時間をかけて良い、守備側を全滅させて良いのであれば、手段は幾つか考えられる。

 だが、要塞内にいるクチュクンジを生かして捕らえるとなると、方法は限られる。

 逆説的に言ってクチュクンジは要塞内にいるだろう」


「待ってください。

 状況を整理しますね」


 アシックネールが手を上げる。


「要塞内には、クチュクンジとセリガーの第九位がいる。

 クロスハウゼンが要塞を攻略しても、クチュクンジが死んでいれば、クロスハウゼンは罪に問われる。

 要塞攻略を拒否、あるいは引き延ばした場合は、これも恐らく罪に問われる。

 つまり、クロスハウゼンが取れる手段は、セリガーの第九位を倒してクチュクンジを生け捕りにするか、あるいは、全てを捨ててシュマリナで自立するしかない」


「シュマリナで自立を選んだ場合は、カゲシン中央がクロスハウゼン討伐軍を編成するだろうな。

 恐らくはセリガーがこれに加担する」


 アシックネールの結論にライデクラートが付け足す。


「カゲシン中央軍、仮にナーディル師団が出てきてもそれだけなら何とかなるかも知れぬ。

 だが、セリガーが出てくると話は絶望的だ」


「シュマリナにクロスハウゼンが居座るのはカゲシン中央にとってもセリガーにとっても面白くないって話ですか」


 それで、バャハーンギールとセリガーが取引したって事か。


「この事態を迅速に打開するとしたら、セリガーの第九位と戦って勝つしかない。

 実は、一月一〇日夜の時点で、カラカーニー様は自分がセリガーの第九位と戦うと決断されていた」


「それは、おじいさまと言えど、かなり危険であろう」


 ネディーアール殿下が真剣な表情になった。


「その通りです。

 ですが、バフラヴィー殿を出して敗北した場合、クロスハウゼンは致命的な打撃を受ける。

 バフラヴィー殿は、カラカーニー様が戦うにしても後ろに自分が控えて補助すると言われたが、カラカーニー様は却下された。

 それも危険だと」


 ・・・なんか、不穏な流れになってきたな。

 ネディーアールとアシックネールも緊張した顔になっている。


「だが、その夜、カラカーニー様は身罷られてしまった。

 私がお相手していたのだが、最後かもしれないと頑張られたのが原因であろう」


 えーと、・・・・・・戦ってないの?


「おじい様が、・・・そうか、おじい様は最後まで家長としての、男性としての義務を果たされていたのだな」


「カラカーニー様、ご立派です」


 ネディーアールとアシックネールが涙を流して、カラカーニーの『立派な最期』を悼んでいる。

 そうだった。

 ベーグム・アリレザーもそうだったが、こちらでは男性の腹上死は名誉なんだよな。

 しかし、何というか、・・・素直に悼む気持ちになれないのはオレが悪いのだろうか?

 取りあえず、沈痛な表情だけは保つ。

 しかし、カラカーニーの死は影響でかいな。

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