08-18S インタールード 十二月二四日

 後世、激動の最初の年として記録されることとなる帝国歴一〇七九年も数日を残すのみとなったある日、マリセア正教公子バャハーンギールは苛立っていた。

 側近たちも同様である。

 後世の評価は兎も角、この時点で彼らは『帝国は平穏に戻った』と判断していた。

 ケイマン族とフロンクハイトの連合軍は大きな打撃を受け、クチュクンジの本拠シュマリナも陥落している。

 バャハーンギール一派は、これらは主としてバャハーンギールの功績と見做した。

 帝国宰相ピールハンマドら一部の反対勢力は残っているもののバャハーンギールの次期宗主就任は帝国内で広く支持されている、はず。

 その彼らが計画したのが新年礼拝に合わせた祝賀会であった。

 帝国内外の諸侯・勢力を集め、バャハーンギールが如何に支持されているのかをピールハンマドらに見せつけ、次期宗主就任を確実にしようと考えたのである。


 このためバャハーンギールの摂政代理就任直後から各地に『親書』が送られていた。

 シュマリナ陥落後には、帝国とセリガー共和国との緩衝地帯である東部帝国外諸侯にも、そしてクチュクンジとの噂が囁かれるセリガー共和国にまで使者は出されている。

 通常なら一か月は要するセリガーとカゲシンの距離を縮めるため早馬と早船を駆使した『親書』が多額の費用をかけて出されたのだ。

 ところが、である。

 次期宗主に媚びを売る諸侯が大挙訪れる筈の祝賀会、敵対した者にも恭順の機会を与える祝賀会にまともに参加を表明した者は極めて少数であった。

 大半は代理出席。

 それもカゲシン在住の役人が出席という。

 バャハーンギールらから見れば馬鹿にされたとしか思えない。

 当然、問い詰めた。

 だが、それでも諸侯の反応は変わらない。

 帝国の交通網は、中世レベルとしては最高に整えられているが、移動には時間がかかる。

 帝国の辺境からカゲシンに向かうには通常一か月は必要であり準備も含めればそれ以上となる。

 外敵と内乱により国土は荒れ果て治安も悪化しているから護衛も多く必要であり支出もかさむ。

 次期宗主のお披露目と言われても無理な物は無理なのだ。

 そもそも当面は領地で内政に専念したいのが多くの諸侯の本音だろう。

 バャハーンギールとその側近たち、意欲と欲望と権力欲に溢れたカゲシンの若手宗教貴族たちの、『次期宗主のお披露目とあれば諸侯は争って参加する』との目論見は木っ端みじんとなる。


 斯くして『祝賀会』は延期された。

 中止ではない。

 あくまでも延期だ。

 新たな日程は三月一〇日。

 武芸大会に合わせて執り行われる。

 武芸大会であれば参加者も増えるとの読みである。

 財務部からは財政難を理由に来年の武芸大会の中止が提言されていたが、当然のように無視された。

 バャハーンギールの威厳を維持するためには帝国の財政など些細な事である。




 こうして、一党は新たな目標に向かって走り始めた。

 だがそんな彼らを再び苛立たせる事態が発生する。

 バャハーンギールの正夫人選定が進まない。

 カゲシン宗主は慣例として帝国七諸侯から七人の正夫人を娶る。

 近年はシュマリナ侯爵家が断絶したため、多少の変化はあったが基本は変わらない。

 今回の政変以前、バャハーンギールは一人だけ正夫人を迎えていた。

 帝国諸侯序列第四位のゴルデッジ侯爵家の娘である。

 新たに六人の正夫人を揃えることになるが、これが難航した。

 帝国七諸侯のうち、ウィントップ公爵家とシュマリナ侯爵家は潰れている。

 序列第一位のトエナ公爵家は敵対中。

 シュマリナ陥落後に、『バャハーンギールに正夫人を差し出すなら穏便に扱う』と非公式ルートで伝えたが、返信はない。

 序列第三位のボルドホン公爵家は『遠方』を理由に露骨に時間稼ぎをしている。

 どうやら、バャハーンギールが確定とは見ていないらしい。

 第五位のクテンゲカイ侯爵家は侯爵を自称するアウラングセーブが前侯爵第一正夫人の娘を出すと言ってきた。

 第一正夫人の不倫で生まれた不義の子とカゲシンの半分に知られている娘。

 受け入れたらバャハーンギールは帝国中の笑いものだろう。


 結局、まともに娘を送ってきたのはアナトリス侯爵家だけであった。

 ただし、である。

 アナトリス侯爵家の娘は現在のアナトリス侯爵の娘ではあるのだが、母親は侍女。

 元はアナトリスの名を許されない庶出の娘であった。

 急遽第一正夫人の養女となり、バャハーンギールの正夫人候補として差し出されたのである。

 バャハーンギール側は不信感を示したが、アナトリス側の説明には反論が難しかった。

 アナトリス侯爵家は帝国七諸侯の一つであり、アナトリス侯爵自身もそれなりの魔力量。

 公式提示は『上級魔導士』である。

 直系の娘たちは皆、正魔導士かそれ以上の魔力量を持つ。

『バャハーンギールの子を妊娠可能な娘』を選定した結果だとアナトリス側は主張した。

 バャハーンギールは、公式には『従魔導士』だが実質はそれ以下である。

 現実問題としてバャハーンギールでは正魔導士以上の娘は妊娠させられないだろう。

 受け入れるしかない。

 受け入れるしかないのだが、直後にアナトリス侯爵家で最も美人で最も魔力量の高い娘がシャールフに送られたと聞かされると複雑な感慨を抱かざるを得ない。

 元庶子の娘はアナトリス侯爵家伝統の肛門性交の秘事も充分ではないというのだから猶更である。

 更に、アナトリス侯爵家は『正夫人序列』の改善を求めて来た。

 アナトリス侯爵家の序列は、以前は第七位であり、シュマリナ侯爵家失墜後に第六位になった。

『敵対しているトエナ公爵家、断絶したウィントップ公爵家の序列は下げるべき』とのアナトリス側の要求に根拠があるのは事実だ。

 更に言えば、本拠地が灰燼に帰したゴルデッジ侯爵家、後継者争いが収まっていないクテンゲカイ侯爵家もある。

 現状、カゲシンにとって最も頼りになる諸侯がアナトリス侯爵家だ。

 バャハーンギール側は『一段階』の序列上昇を提示し、アナトリス側は『三段階』を求める。

 交渉は紛糾した。

 アナトリス侯爵家の序列を上げるということは何処かが下がるという事である。

 トエナ公爵家の穏便な帝国復帰を考えるバャハーンギールとしてはアナトリス侯爵家だけを優遇するわけにはいかない。

 最終的に、両者の交渉はアナトリス侯爵家の序列を『二段階』上昇させることでまとまった。

 勿論、帝国諸侯会議で承認されていないから『暫定』ではあるが、現状第二位、最終的に七諸侯が揃った状態でも第四位かそれ以上を『バャハーンギールが可能な限り努力する』との合意である。

 この交渉がまとまったのが、十二月二三日。

 途中、激しいやり取りはあったものの半月余りで纏めたのだから、結果としては悪くない。

 だが、これらの結果はバャハーンギールたちに『現状』を突き付けた。




 十二月二四日、バャハーンギールの下、御前会議が開かれた。

 バャハーンギールはあくまでも『マリセア正教宗主摂政代理』であり、御前会議など開ける身分ではない。

 そもそも帝国宰相アーガー・ピールハンマドが呼ばれていない時点で帝国政府の会議ではなく非公式会議なのだが、バャハーンギールたちは正式な物と考えている。


「カゲシンを取り巻く現状は予想外に厳しい」


 会議を取り仕切るのはバャハーンギール側近で、先日のガーベラ会戦での功績で大僧都に昇進したミズラ・インブローヒムである。


「ガーベラ会戦での勝利、そしてシュマリナ陥落。

 これにより、トエナ公爵家が恭順するのは時間の問題と思われたが、そうはなっていない。

 トエナ公爵家は旧ウィントップ公爵領の大半を手放したものの、スタグウッド騎士団領に戦力を集中し攻略を進めている。

 我らと講和する気配はない。

 更に、早晩捕まると思われたクチュクンジも依然として消息不明だ。

 これに関してはクロスハウゼン師団の探索が手ぬるいとの話はある。

 ただ、師団長カラカーニーが病とのことであり、致し方ない話かもしれぬ。

 逆に、以前あったクロスハウゼン家の勢力抑制策は現状後回しにしても良いと思われる」


 ガーベラ会戦後、バャハーンギールがシャールフ及びクロスハウゼン・バフラヴィーの先行離脱とクロスハウゼン師団本隊との合流を認めたのは、クチュクンジ討伐後にクロスハウゼン師団を『間引き』する前提であった。

 一つの師団に帝国軍の名声が集中するのはカゲシンとしては許容できない。

 これはカゲシン宗教貴族にとっては常識である。


「軍全体では、出征した帝国三師団の全てがカゲシンに戻っていない問題がある。

 クロスハウゼン師団は占領したシュマリナ地区の治安とクチュクンジ捜索を名目に留まっている。

 ベーグム師団、今はガーベラ師団だが、ゴルデッジ侯爵領及びギガ・ウォック要塞の奪回が進んでいない。

 ガーベラ会戦の敗北で撤退するとみられていたケイマン族はゴルデッジ領で騎馬隊による襲撃と略奪を繰り返しており、帝国側はギガ・ウォック要塞にすらたどり着けていないという。

 これは、ガーベラ師団に同行しているゴルデッジ侯爵閣下からの連絡でも裏付けられている。

 つまり、ガーベラ師団は当面カゲシンに戻ることはない」


 参加者たちが頷く。

 この辺りの情報は以前から共有されていた。


「良く分からないのが、ナーディル師団だ。

 クテンゲカイ侯爵軍と共に裏切り者ジャロレーク伯爵家を討伐したところまでは分かる。

 その後、ジャロレーク伯爵が逃亡したジャロンキフを包囲し、それを陥落させたらしいが、正式な報告は無い。

 はっきり言って不穏だ」


「厳密に言えば、カゲシンから第二軍に派遣されていた兵士の大半はジャロレーク伯爵の裏切りによる第二軍の敗北の後、タルフォート伯爵に従ってガーベラ会戦に参加しています」


 ナーディル師団の情報を担当していた男がミズラ大僧都の言葉を引き継ぐ。


「ジャロレーク要塞の攻略はクテンゲカイ侯爵軍とナーディル師団で行われており、カゲシンからの兵士は参加していないのです。

 自分が探し出した例外がセヴインチ大僧都家の三男カームラーンです。

 彼は第二軍の正魔導士として従軍しましたが、その後ナーディル師団の医療部隊に転属となり、そのままナーディル師団に同行していました。

 ジャロレーク攻略まで同行し、ジャロンキフには行かず、カゲシンに戻っています」


 セヴインチ大僧都家は宗教魔導士の家系であり、カゲシン宗教貴族界では『身内』である。


「カームラーンによりますと、ナーディル家は副師団長、ナーディル家継嗣セイフッディーンを失っており、新たな継嗣選定で紛糾しているようです。

 また、攻略したジャロレーク市及びジャロンキフ市の権益についてクテンゲカイ侯爵家と折衝したいようですが、交渉相手が分からないと」


「クテンゲカイ侯爵家の後継ぎ問題か!」

「そろそろ仲裁しないと猊下の威光に傷がつくぞ」

「ナーディル家の継嗣も本来は猊下の裁可であろう」

「皆様方、話を戻しますぞ」


 紛糾しかけた会議をインブローヒムが手を打って戻す。


「今回、我らは些か手痛い失策をしでかしたことを認めねばならぬでしょう。

 猊下の摂政代理就任及び宗主継嗣認定の祝賀会は些か時期が早過ぎた。

 これは猊下の罪ではない。

 猊下の威光が無かったわけでもない。

 世情に疎かった我ら側近の失策です。

 現状、帝国は戦いの傷跡が癒えていない。

 今しばらくの時間が必要。

 これは認めねばなりません」


 会議参加者が厳粛な顔で頷く。

 目深なフードとヴェールに隠されたバャハーンギールの表情は例によって分からない。


 バャハーンギール派の主体はカゲシンの宗教貴族である。

 それも上級ではなく、中下級貴族の出身が多い。

 カゲシンで生まれ育ち、外出先はカゲクロか精々カゲサトまで。

 カゲシン近郊から出たことが無い純粋培養のカゲシン貴族だ。

 マリセア正教の威光を素直に信じ、軍隊は人殺し集団と認識し、金勘定は下賤な仕事と疑わない。

 治安の良いカゲシンとその近郊では軍の必要性は薄いし、貴族としての生活は国家からの俸給で賄われる。

 領地経営や貿易など、諸侯や上級貴族が行う事業には縁が無い。

 故に理想主義で現実離れした感覚なのは否めない。

 マリセア正教の威光は永遠であり、これまでのカゲシンでの生活が未来永劫続くものと信じている。

 故にアーガー・ピールハンマド一派のような改革志向も無い。

 一言で言えば現状維持派だが、実はカゲシン貴族の実数では最も多いだろう。

 バャハーンギールの側近集団は、その数多い母体から選ばれている。

 壮絶な競争、足の引っ張り合いに生き残った若手貴族たちだ。

 彼らは決して馬鹿ではない。

 今回、ヘロンに遠征した経験もある。

 会議を主催するミズラ・インブローヒム自身もヘロンではカゲシン貴族の常識が通用しない現実を思い知らされていた。

 反省もする。


「現状の問題点として、まず挙げねばならないのが政府機構の整備です。

 先の政変では、最初にエディゲ僧正家とウィントップ公爵家関係者が追放され、続いてトエナ系列とシュマリナ系列が粛清されました。

 トエナとシュマリナの関係者はともかく、エディゲ家とウィントップ家系の復帰も芳しくありません。

 結果として現在のカゲシンには信用に足る貴族が減っている。

 官僚が足りない。

 結果として政府機能がうまく回らず、情報も上がってこない」


 インブローヒムは淀みなく話を続ける。

 反論する者もいない。


「宰相のアーガー・ピールハンマド殿がバャハーンギール猊下に否定的なのも問題でしょう。

 少なくなった貴族と官僚が二派に分かれて争っている。

 これでは、うまく行くはずがない。

 本来であればあの宰相は排除したいところですが、彼に少なくない支持者がいるのは認めねばなりません。

 また、千日行達成者もかの者だけです。

 勿論、千日行達成者だけが帝国宰相に就任できるという慣例は嘘まやかしです。

 ですが将来は別として、現状はまだ千日行達成者の威光は大きい。

 我らはアーガー・ピールハンマド殿と妥協する必要があります」


「だが、あのガチガチの修行至上主義が『妥協』するのか?」

「あの男は譲歩と言う言葉を知らん」

「こちらが譲歩しても己の信じる正論とやらを振りかざしてくるだけだ」

「あの男の修行時代から何度も交渉してきたが徒労だったではないか」


 反対意見が続出するがインブローヒムは笑みを絶やさない。


「実はバャハーンギール猊下のお許しを得て内々に接触しております。

 感触は悪くありません」


 爆弾発言だった。

 驚愕で場が凍り付く。

 アーガー・ピールハンマドはそれほど『交渉不能者』と見做されていたのである。


「ご静粛に。

 ある意味、ピールハンマド殿も現実を知ったという事でしょう。

 皆様方もピールハンマド殿が我らのカゲシン帰還以前から宰相位に付き、様々な政策を矢継ぎ早に行っていた事はご存じでしょう。

 そして、それが不評なことも。

 ピールハンマド殿も百日行達成者だけで政府の要職を占めるのは不可能という当たり前の事実を認めたようです。

 彼が本当に必要と見做す役職以外は百日行未達成者でも構わないとの線で妥協できそうです。

 勿論、具体論はこれからですが。

 また、シャールフ殿下が、あのクテンゲカイ・ジャニベグ殿と婚約したこと、そしてガーベラ会戦後に行った彼女との公開初夜の儀も人伝に聞いたとの事。

 結果として、ピールハンマド殿はシャールフ殿下擁立に以前ほど熱心ではなくなりました。

 また、それに伴いネディーアール殿下との婚姻も拘らなくなっておられます。

 結果として、彼との婚姻政策が可能となりそうです」


 インブローヒムの言葉は説得力があった。

 特に、シャールフのやらかしは今回の参加者の多くが直接見ている。

 あれは、衝撃だった。

 満場一致でアーガー・ピールハンマドとの本交渉が可決され、交渉人員の選定が行われる。




「課題は、まだ幾つかあります」


 ピールハンマド関係の話し合いが一段落したところでミズラ大僧都が再び言葉を発した。


「これはピールハンマド殿が提議された話ですが、以前からカゲシン自護院は独立性が高く政権の統制が効きづらいという問題がありました。

 現状、三師団がそれぞれカゲシンから離れており、当面戻る気配も有りません。

 これではトエナ家に圧力が掛からない。

 カゲシンの防備も不安です。

 抜本的な改革が必要でしょう」


「タルフォート伯爵に何時までもいてもらう訳にはいかぬでしょうな」


 インブローヒムの言葉に出席者の一人が同意する。

 現在のカゲシンは牙族傭兵であるモーラン旅団を主体に、臨時編成のネディーアール旅団、そして特別に残留しているタルフォート旅団により担われている。


「今の言葉通りで、タルフォート伯爵は宗家に最も近しい血統の諸侯ですが、何時かは領地に戻らねばなりません。

 三師団が戻らない以上、カゲシン軍備の再編は急務です」


「人殺し集団を増やすのは気が引けるが、・・・」

「算用所は金がないと煩い。

 金食い虫を増やすのはどうなのだ?」

「カゲシンに戻ってこない三師団の金を減らせばよかろう」

「致し方ないか」

「具体論は?」


 バャハーンギール派、ピールハンマド派に共通するのは軍関係への忌避感である。

 マリセア正教絶対の貴族たちにとって軍隊は必要悪であり、最低限以上は認めたくない。


「まずモーラン旅団の拡充を前倒しで急がせます。

 ですが、モーランは所詮傭兵。

 金の切れ目が縁の切れ目で、マリセア正教を守る兵士とは言い難い。

 そこで、現在のネディーアール旅団を拡大再編して新師団を作る方向で検討しています。

 予算は従来の三師団の物を減額して調達しましょう」


「金の面はそれで良いが、新たな師団を作るのであればマリセア正教の教えに忠実でなければ困る」


 マリセア正教に忠実とは宗教貴族の下僕という意味である。


「それは、当然でしょう。

 新師団長には、カンナギ・キョウスケを想定しております。

 先のガーベラ会戦では多くの功績を挙げた男です。

 現在はクロスハウゼン師団所属ですが、新師団長に抜擢すると言えば引き抜きは容易でしょう」


 カゲシン貴族の常識では、カンナギ・キョウスケがこれを断るなど有り得ない。


「その男の名は聞いている。

 確か平民出身の魔導士だったな。

 ただ、かなりの変態とも聞く」


「フサイミール殿下の弟子と聞きます。

 男性でありながら自慰行為が大好きでコンニャク大王と呼ばれているとか」


「最近はネディーアール殿下の愛人になったようですが、殿下の下着を売って小銭を稼いでいるとか」


 最後の発言に会議場全員が顔色を変える。

 多くの者にとって初耳であった。


「待て、結婚前の内公女が愛人を作った例は幾つかあるが、下着を売って金を稼ぐ愛人など聞いたことがないぞ!」


「それ以前に、自分の女の下着を売るという行為そのものが異常だ!」


 カゲシン内公女の下着が売られる。

 前代未聞の醜聞であることは間違いない。


「ご静粛に。

 カンナギ・キョウスケについてその辺りの調べは付いております。

 皆様方の懸念は尤もでしょう。

 ですが、師団長を任じられるほど魔力量の高い軍人は帝国内でも数人です。

 カンナギの軍人としての力量は高く、モーラン家当主バルスポラトも絶賛しております。

 品行方正ではありませんが、百日行を達成しているため資格審査は問題ありません。

 そして、はっきり言えば瑕疵のある者の方が御しやすいのです。

 彼の不行状を公にすればカゲシンからの追放もあり得ます」


「なるほど、カゲシンから追放されたくなければ我らの意見を無視できない訳だな」


「しかし、師団長と言えば少僧正の職。

 そのような異端の変質者を少僧正にしてよいのか」


「実はカンナギの登用にはもう一つ利点があります。

 バャハーンギール猊下の正夫人問題の解決です」


 インブローヒムが議場を支配する。


「猊下の正夫人問題、特に第一正夫人は問題です。

 これについて、以前、ネディーアール殿下を猊下の第一正夫人に迎えてはとの案が出ました」


「ガーベラ会戦の英雄を第一正夫人にという話だな。

 ネディーアール殿下の本来の出自はともかく、一般にはバャハーンギール猊下の異母妹になっている。

 異母姉妹との婚姻は許されてはいるが少ない。

 第一第二帝政時には前例があるが、マリセア宗家では前例がない。

 何より、本人から強く拒否されたと聞いているが」


「それをカンナギに説得させるのです。

 平民出が師団長、少僧正になれるのです。

 この機会を逃す馬鹿はいないでしょう。

 その条件としてネディーアール殿下を説得させるのです。

 拒否するのならばカゲシン追放と言えば必死に説得する事でしょう」


「なるほど、ネディーアール殿下も断ればお気に入りの愛人が追放と聞けば受けざるを得ないか」


「勿論、殿下には母親同様、毎日充分な数の男性を提供すると約束します」


「良い話ですな」

「素晴らしい」

「それならば間違いないでしょう」


 議場は賛成一色となった。

 デュケルアールへの愛人提供は宗主とデュケルアール本人にとって互いに利益と受け止められていた。

 高い魔力量を持つデュケルアールは常に多くの男性を必要とする。

 一方でデュケルアールとの性交許可は一般男性貴族には『褒章』とされている。

 美人で魔力量の高いデュケルアールとの性交は一般男性にとっては常識外れの悦楽であったからだ。

 現宗主シャーラーンが作り出したこの仕組みは、宗主の売春宿と陰口を叩かれたものの、宗主の権力維持に大きく貢献していたのである。

 そのデュケルアールにネディーアールという後継者ができる。

 会議参加者たちは当然自分たちにも褒章が当たるものと信じ切っていた。




 ━━━後に激動の年と言われた帝国歴一〇七九年、その年末に帝国首都カゲシンを支配したバャハーンギール=アーガー・ピールハンマド政権は矢継ぎ早に様々な新しい施策を打ち出した。━━中略━━後にあまりにも性急と非難されたが、当時の状況からは致し方のない面があったのは事実である。即ち政治環境が変化しており従前の施策が実行不可能になっていたのだ。━━中略━━後世から見て致命的と言えるのは財政の完全な無視である。━━中略━━帝国内は外乱と内乱、それに伴う飢饉で荒廃が進行していた。この時期の帝国税収を推測した研究によれば、税収は少なく見積もっても三割減であり、荒廃地区の支援を考慮すれば実質マイナスであったという。━━中略━━しかしながら新政権はそれらを考慮することなく、また戦乱による戦費、多くが御用商人からの借り入れで賄われたと推測される、にも頓着しなかった。経済的視点が欠如していたと言える。━━中略━━象徴的とされるのが翌年三月の武芸大会の開催決定である。カゲシン市民最大の娯楽が中止される事は確かに政権の威厳を損なう話であった。しかしながらこの決定は当のカゲシン市民からすら歓迎の声は少なかったのである。━━━

『ゴルダナ帝国衰亡記』より抜粋

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