08-01S プロローグ
セトリア地区は古来よりカナンの中心と言われていた。
南北のセトリア山脈に囲まれた広大な盆地は天然の要塞とも言える地形である。
山脈で囲まれた盆地の天候は安定し、また周囲の山脈は多くの河川、つまり豊富な水資源を約束した。
ゴルダナ河その他の下流域が手付かずの湿地帯であった時代、セトリアはカナンの穀倉と称されていたのである。
古来、カナンを支配した帝国、月の民によるフロンクハイト帝国、そして第一次セリガー共和国連邦がこの地区を根拠地としたのも故ないことではない。
当時、セトリアの中心はセトリア盆地中央に置かれた。
広大な盆地を治めるにはその中央が最もふさわしい。
多くの街道が敷設され、豊富な河川を利用した河川交通も密に整備された。
だが、人族の帝国、その第四帝政と言われるマリセア教導国主導の帝国がカナンの大半を支配する現在、セトリアの中心はそこにはない。
現在のセトリア地区の中枢はウィントップ市である。
北セトリア山脈の中央に位置するウィントップは、元はセトリアの北を守る要塞であり、ノーストップ要塞と呼ばれていた。
第四帝政初期、時の将軍ウィンター公リチャードは国母ニフナニクスよりセトリア地区の支配と治安を任され、ノーストップに入る。
彼は、この要塞をそのまま本拠地とした。
ノーストップ要塞はウィンター公のノーストップと呼ばれるようになり、後に『ウィントップ』と正式に呼称される事となる。
そのウィントップ市の坂を一乗の『輿』がゆるゆると登っていた。
峠を守備する砦を基とするウィントップは地形的に坂が多い。
特にウィントップ要塞、つまりウィントップ市中枢部は坂と階段だらけ、それも急峻な物ばかり。
当然、馬車は使えない。
乗馬も困難だ。
この都市で威厳を持って移動するには輿しかない。
だが、ウィントップの坂道用に作られたとはいえ、その乗り心地は決して良くはない。
輿の主は何度も自力で歩こうかと考え、その度に断念していた。
彼は帝国貴族の常として肥満している。
カナンの領主は裕福である事をその身で示さねばならない。
領主がやせていては領土が貧乏と見做される。
領主は可能な限り太らねばならないのだ。
だが、肥満体型に坂道はきつい。
登れないことは無いかもしれないが、着いた先で疲労困憊では交渉に支障が出る。
故に、輿で揺られるのは耐えるしかなかった。
今日の交渉は失敗するわけにはいかないのだ。
「よくぞ参られた!」
ウィントップの南正門にはスラウフ族の族長エルテグスが自ら出迎えていた。
輿を降りた男は鷹揚に、尊大ではないが卑屈でもない態度を心掛けてその挨拶に応じた。
「族長自らお出迎えとは恐れ入ります。
トエナ公爵継嗣マンスールと申します。
父の代理として全権を任されてここに参りました。
よろしくお願いしたい」
「トエナ公は齢六〇を超えておられると聞く。
未だ衰えぬと聞きますが、流石に遠出は無理ですかな?」
「いえ、未だかくしゃくとしており、見習いたいところが多い父です。
今回は私がエルテグス殿に会いたいと志願してここに参りました。
父はエルテグス族長と面識があると聞きますが私は有りません。
この機会にお会いしておきたかった次第」
マンスールは先日二七歳となった。
カナンでは人族の寿命は一般に五〇年とされる。
貴族は十五歳前後で成人するが、色々な面で一人前と言われるのは二五歳ぐらいからだ。
その意味でマンスールは『若造』ではない。
ただし、マンスールには実績がない。
父親のトエナ公爵は老齢だが未だ全権を掌握している。
二歳年上の甥であるクチュクンジは既にシュマリナ太守として何年も実績があり、周囲からも一人前の政治家と見做されている。
トエナ公爵の評価も高い。
マンスールとしては負けるわけにはいかなかった。
今回の交渉は重要だ。
ケイマン族が敗北した現在、スラウフ族との同盟は絶対に維持しなければならない。
維持するだけでなく、強化しなければならない。
ヘロンからカゲシンに進軍するであろうバャハーンギール軍に対抗するにはスラウフ族の軍勢が必要なのだ。
実を言えば、トエナ家が担ぐクチュクンジはこの前日にカゲシンを退去していたが、マンスールはそれを知らなかった。
マンスールは、同盟継続自体は楽観視していた。
スラウフ族にはウィントップ領の半分と、そして、このウィントップ要塞を与えた。
トエナ家と組んで帝国領を占領したスラウフ族をバャハーンギール一派が敵と見做すのは必然である。
スラウフ族も念願である小麦の生産地を手放すことは出来ない。
少なくとも、スラウフ族が直ちにトエナ家と敵対する事は有り得ないだろう。
問題は、スラウフ族の軍勢を対バャハーンギール戦に動員する事だ。
そのためには、スラウフ族とセリガー社会主義共和国連邦との和平を実現させる必要がある。
スラウフ族は帝国とは友好的だ。
西のケイマン族とも、小競り合いは頻発していたが、この一〇年大きな戦いはない。
スラウフ族がこの一〇年戦ってきた相手がセリガーだ。
不倶戴天の敵と言って良い。
だが、こうなっては講和してもらう必要がある。
セリガーとスラウフがクチュクンジ派となれば、帝国貴族の大半もクチュクンジ派になるだろう。
セリガーとの講和、スラウフ族が簡単に応じるとは思えない。
スラウフ・エルテグスは馬鹿ではない。
現状の政治状況ではそれが最善と理解している筈だ。
マンスール一行が通されたのはウィントップ宮殿の大広間だった。
舞踏会などが開催される最も大きく豪奢な広間である。
マンスール自身も何度か訪れた記憶がある。
トエナ家とウィントップ家は犬猿の仲であったが、それ故に一定の交流は保たれていた。
その大広間には巨大なテーブルが設えられ、交渉の舞台が整えられている。
そして、大広間に入って左側、つまりマンスールたちが着席する側の壁際には少なくない財宝が積み上げられていた。
金貨などもあるが、絵画など換金し辛い物が多いように見受けられる。
「時間を省こうと思いましてな」
エルテグスが満面の笑みで説明する。
「ウィントップ要塞を占領した暁には、その財宝は等分にする約束でした。
故に、ここにトエナ家の取り分を纏めておいた次第。
どうぞ、お持ち帰り頂きたい」
トエナ側がざわつく。
「想定量の十分の一もありません!」
側近がマンスールの耳元で囁く。
これが、強欲のエルテグスか。
今回の交渉の最大の懸念がこれだ。
『強欲』を頷かせるには代償が必要。
だが、その代償は可能な限り少なくする必要がある。
「ウィントップ家の財宝としては、いささか量が少ないように見えますが?」
「ふむ、言われてみればそうかも知れませぬな。
ですが、城内はあらかた調べました。
集めた財宝はきっちり等分したのですが」
エルテグスは全く顔色を変えずに答える。
「いえ、エルテグス殿を疑うわけではありません。
ウィントップ家は想定以上に困窮していた、ということでしょう」
「我らも期待外れでしたぞ!」
エルテグスの配下がドッと笑う。
マンスールとしては、多少の皮肉は込めた言葉だったが全く堪えていないらしい。
ただ、この程度の事は彼も予想していた。
しかし、マンスールとしても、妥協し難い点はある。
「一つだけお尋ねしたい。
この大広間には、ウィントップ家の家宝であり、帝国でも有数の至宝として名高い、『黄金のニフナニクス像』があったはず。
あれは、どうなったのでしょう?」
黄金のニフナニクス像は一般に初代ウィントップ公爵が作らせたとされる。
現存する数多いニフナニクスの肖像画、彫像の中で最も実物に近いとされる逸品だ。
等身大の像は、全身に金箔が張られ、使用された宝石は千を越えるとされる。
特に両眼にはめ込まれた濃緑のエメラルドは片方だけでも金貨一千枚以上と言われる逸品だ。
「彫像?ニフナニクス像ですか?
そんな物があったのですかな?
自分がここに踏み込んだ時には、そんな物は無かったと思いますが?
誰か見た者はいるか?」
「さあ、自分も見ていません」
「そんな物があれば目立つでしょうな」
「どんな像でしょう?大きさは?」
スラウフ族長の問いに部下たちがトボケた返答を返す。
真面目腐った顔の者もいるが、ニヤケ顔を隠せない者も少なくない。
「ふむ、無かったようですな。
やはりウィントップ家の財政が悪化して売り払ったのではありませぬか?
昨今はどこの貴族も財政は苦しいと聞きますからな」
完全にしらを切りとおすらしい。
マンスールは怒りで叫び出しそうになったが、なんとか堪えた。
黄金のニフナニクス像は帝国の至宝、儀式の度ウィントップ公爵家当主がその足に接吻する聖遺物だ。
ウィントップ家がどんなに困窮しても売り払うなど有り得ない。
だが、ここでマンスールが激昂してもニフナニクス像は出てこないだろう。
「あるいは、どこかに隠したのかもしれませぬな。
疑問でしたら、そちらで家探ししては如何ですかな?」
エルテグスの突然の提案に、マンスールは虚を突かれた。
「それは、このウィントップ要塞にトエナ家の兵士を自由に出入りさせる許可を与える、ということになりますが?」
「全くかまいません。
この要塞の管理権は帝国にありますからな。
帝国の重鎮たるトエナ公爵閣下に探索する権利があるのは当たり前でしょう」
一体、何を言っているのか?
「先日の取り決めによりウィントップ要塞はスラウフ族が所有する所と記憶しています。
スラウフ族の新たな根拠地にすると聞いておりましたが?」
「ああ、その件ですか。
そのような事を言ったかもしれませぬな」
言ったも何も、スラウフ・エルテグスが強固に主張したと聞く。
マンスールの横には、エルテグスと直接交渉した者も控えている。
「だが、実際に入ってみると、どうにも窮屈ですな。
我らにはやはり草原が似合っている。
広々とした空間、多くの馬が身近にいる場所が心休まるのです。
そのような事で、このウィントップの支配権は謹んで返上したい。
いや、一度も支配していないのですから、返上と言うのはおかしいか。
我らは逆賊ウィントップの討伐に参加し、ここを一時的に占拠していただけ。
トエナ公の軍が到着したのですから、我らは引き上げましょう」
「お待ちを。
このウィントップ市はセトリア地区と北の草原とを繋ぐ、この地区の最重要交通路でもあります。
ここの支配権を放棄すれば、スラウフ族が支配したセトリアの北部と東部の支配に支障が出る。
それは、拙いのではありませんか?」
「問題ありません。
それも、放棄いたします。
いえ、それらの地区もこのウィントップ同様に我らは一時的に占拠していただけですから、この場を以て正式にマンスール殿に管理をお願いしたい。
我らは北の草原に戻ります」
「北に戻る、ですと?
それは、何時です?」
「今、これから、直ちに、です」
エルテグスは笑みを絶やさない。
「北の草原で大事がありました。
元来、帝国北部の大地は我らスラウフの支配の下にありました。
しかしながら、ここしばらく、その西部はケイマンを名乗る蛮族が跋扈していたのです。
ですが、今回、そのケイマンの族長オライダイが戦死したとのこと。
これはマリセアの正しき精霊が、このエルテグスに北の大地を統一せよと命じられた物でしょう。
故に我らは直ちに軍を纏め、西部に出陣する次第。
そのような事で、逆賊ウィントップの後始末は帝国の重鎮たるトエナ公にお任せしたいと考えました」
「何を言われている!
我らはクチュクンジ殿下を新たなマリセア宗主に戴き、帝国を作り直すと決めた同志。
固く同盟を結んだ間柄ですぞ!
今更、帝国内部の争いから手を引くと言われるか!
まさか我らを裏切るとは思いませんが、今一度お考え直し頂きたい。
帝国はスラウフのエルテグス殿の加勢を必要としております!」
「極めて大きな誤解があったようですな」
エルテグスの笑みが更に深くなる。
「我らスラウフ族は帝国の盟友。
それは、以前も現在も、そして未来も変わりありません。
トエナ公爵家との同盟も、トエナ家が帝国を裏切らない限り、永遠に続くでしょう」
「そうであれば、ここはクチュクンジ殿下の宗主就任にお力を頂きたい。
クチュクンジ殿下の宗主就任後には帝国も総力を挙げてエルテグス殿の北方での偉業に加勢するでしょう」
「何を言われているのか今一つ分からないのですが」
気色ばむマンスールに、スラウフ族長の顔色は全く変わらない。
「以前、お聞きしたところでは、『クチュクンジ殿下の次期宗主就任はほぼ決定している』とのお話でした。
話が変わったのですかな?」
「それは、・・・」
当然変わっている。
まさか、ケイマンが敗北するとは考えてもいなかったのだ。
「我らは、帝国の盟友ではありますが、帝国内部の民ではない。
帝位の、マリセア宗主の継承に口を出す立場ではありません」
今更何を言っているのか。
マンスールは感情が爆発するのを懸命に抑えていた。
「そう言えば、先日、カゲシンを訪ねた際にはクロスハウゼン家に大変世話になりました。
カラカーニー殿の後継ぎであるバフラヴィー殿にも勿論お会いいたしました。
なかなかに優れた方とお見受けしました」
エルテグスが唐突に語り始める。
「そのクロスハウゼン家との下交渉に派遣されてきたのがカンナギ・キョウスケという若者でした。
バフラヴィー殿の片腕と紹介されましたが、いささか若すぎると疑問に思ったものです。
ですが、今回の戦いではその二人が大活躍したと。
ケイマンとフロンクハイトを打ち破った戦いを総大将として指揮したのがバフラヴィー殿で、ケイマン軍総司令部に突入してオライダイを討ち取ったのがカンナギだと言うではありませんか。
今から考えればクロスハウゼンは我らに最大限の好意を示していたのでしょう」
マンスールだけでなくトエナ家一行が驚愕する。
エルテグスがケイマン軍の敗北の報を受け取っている可能性は低くはないと考えられていた。
だが、これ程詳細に知られているとは。
「カンナギには我が娘の婚姻と初夜の儀にまで立ち会ってもらいました。
共に酒を酌み交わした仲です。
惜しむらくは、あの男に我が娘を提供しなかったことです。
オライダイを討ち取る男であれば我が婿として充分すぎる。
私としたことが機会を逃してしまったと後悔しております」
エルテグスは露骨にクロスハウゼンとの友好関係を強調する。
「今回も知らせを受けて、直ちにカラカーニー殿に戦勝を祝す使者を送りました。
同時に、今回のウィントップの顛末もお伝えしております。
我らスラウフはあくまでも、クチュクンジ帝国宰相臨時代理閣下とトエナ公爵閣下の要請を受けて、一時的に力を貸しただけだと。
今回のオライダイの件を聞き、直ちにケイマン領に出兵すると。
帝国内部の問題には当面かかわることはできないし、そのつもりもないと」
それは、露骨な手のひら返しであった。
スラウフ族はトエナ側の懸命な執り成しを無視して引き上げていった。
会談が始まってから、ウィントップ要塞の完全退去まで一時間もかからなかったのである。
マンスールはただ茫然とそれを見送る事しかできなかった。
この日、トエナ公爵家とスラウフ族の同盟は事実上消滅したのである。
そうして、取り残されたトエナ家一行には頭の痛い知らせが相次いだ。
スラウフが支配していた旧ウィントップ領北部と東部で反乱が相次いでいる。
ウィントップ領東部の要衝を預かるローカード伯爵がウィントップ家再興を掲げてこれを扇動している。
ローカード伯爵はスラウフ族により殺されたはずだったのだが。
更に、時間と共に判明したのは、とんでもない食糧不足だった。
スラウフ族は、クチュクンジ帝国宰相臨時代理とトエナ公爵の命令として強制徴収、つまり徹底的な略奪を行っていたのである。
それも、帝国軍兵士の制服を身に纏い、兜を深く被り、人種を隠した兵によって、である。
スラウフ族は占領地の財宝と食料を根こそぎ奪って去っていったのだ。
住民たちは、これを以前から敵対していたトエナ家によるものと信じ、一斉に蜂起を開始する。
一方、トエナ公爵領北方では、窮地に陥っていたはずのスタグウッド騎士団が再活性化した。
今回の戦役で、トエナ公爵家はまずウィントップ公爵家の占領に主力を投入している。
そうしなければ、短期間でのウィントップ領制圧は無理だっただろう。
トエナ家はスタグウッド騎士団とも険悪な間柄であったが、こちらは当初は二線級の兵士で交通を遮断する程度に留めていた。
その余裕が無かったのと、北のケイマンと南のトエナの両方から交通を遮断されればスタグウッド騎士団など直ぐに降伏すると考えられていたからである。
だが、ケイマン軍は敗北し、スタグウッド騎士団北方の封鎖は事実上終了した。
騎士団は窮地を脱し、トエナ家との対決姿勢を鮮明にする。
スラウフ族の助力を失ったトエナ公爵家は混迷を極めた。
各地に使者が送られ、少なくなった陣営の引き締めが行われる。
だが、スラウフの穴を埋めることは不可能だった。
議論と逡巡の末、トエナ公爵家はスタグウッド騎士団に全力を傾注すると決める。
これは、旧ウィントップ領の大半を放棄することを意味していた。
トエナ家は旧ウィントップ領の西端アイリスホールド要塞を維持するに留まり、旧ウィントップ領は中小勢力が入り乱れる無政府状態に突入する。
帝国歴一〇七九年十二月。
トエナ市に戻ったマンスールは憔悴しつつも、対スタグウッド騎士団戦の指揮を執っていた。
クチュクンジはカゲシンから追い出されていたが、トエナに助力する力はない。
あの後、スラウフ族には、『黄金のニフナニクス像』だけは戻してもらいたいと交渉した。
『スラウフ族の荷物に偶然紛れ込んでいたなら高く買う』と。
『黄金のニフナニクス像』は一般にはウィントップ公爵が作らせたとされるが、正式にはニフナニクス護衛騎士出身の三公爵、すなわち、ウィントップ、トエナ、ゴルデッジが資金を集めて製作した物である。
三公爵は国母ニフナニクスの『失踪』後、順に帝国宰相として帝国を主導したことでも知られる。
これを妬んだカゲシン貴族の陰謀により第四代宰相ゴルデッジ公爵が謀殺され、カゲシン僧正家が宰相を担うようになるが、元はこの三家が帝国の中枢であった。
旧ゴルデッジ公爵家、そしてウィントップ公爵家が途絶えた現在、あの像はトエナ公爵家が保有すべきだろう。
いや、トエナ公爵家以外有り得ない!
あれだけは、どうしても取り戻したい。
今となっては望み薄と分かっているが。
ウィントップ家の遺産と言えば、その女性たちも問題だ。
ウィントップ公爵家の女性と言えば、美人で魔力量が高く、前立腺マッサージと鞭打ちの達人として名が高い。
マンスールの配下にもその分配に期待していた者は少なくない。
マンスール自身も密かに期待していた。
まさか、こちらに一人も渡さないとは。
トエナ・マンスールは『強欲』スラウフ・エルテグスを仇敵と定めた。
━━━帝国歴一〇七九年末から一〇八〇年初頭にかけて帝国では大規模な飢饉が発生した。━━中略━━この飢饉は一般にはケイマン族の侵攻とそれに伴う略奪、そして帝国側の焦土戦術によるものと理解されてきた。━━中略━━だが、発掘資料などに補足された最近の研究によれば、ケイマン軍の侵攻を受けたゴルダナ地区西部も深刻であったが、より被害が大きかったのはセトリア地区、特にその北部、東部であったとされる。━━中略━━この飢饉による死者は、統計により異なるが、少ない物でも一〇数万、多い物では一〇〇万を超えるとされる。この飢饉がその後の帝国衰退の一因となったのは間違いないであろう。━━中略━━ケイマン=フロンクハイト軍の侵攻に伴うウィントップ公爵家の反乱は、すばやく鎮圧されたものの、その原因や経過、そして結末に不明な所が少なくない。古来より、隣接するトエナ公爵家の陰謀とする説は多い。客観的に見てトエナ家が時の二人の宗主の一方、クチュクンジ宗主派であったことを考慮すれば極めて疑わしいと言わざるを得ない。ただし、ウィントップ公爵家の無実を証明する資料もほぼ無い。━━中略━━この時の飢饉はセトリア地区では『トエナ飢饉』として長く語り継がれる事となる。━━━
『ゴルダナ帝国衰亡記』より抜粋
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