07-46S エピローグ

 帝国の事実上の首都であるカゲシンに帝国軍勝利の報が届いたのは、帝国歴一〇七九年十一月十一日の事であった。

『帝国軍大勝利』の報に狼煙担当官は絶叫し、一時間以内に首都の全員が知ることとなる。

 その知らせは住民を歓喜させ、クチュクンジ政権を困惑に包み込んだ。

 狼煙であるから勝利以外の情報はない。

 クチュクンジは配下に即応体制の維持を命じつつ結論を先送りにした。

 翌十一月十二日、近隣諸侯より早馬が届く。

 第一軍並びに第十一軍からの直接の連絡はない。

 だが、クチュクンジ派中小諸侯からの情報だけでも内容は驚愕であった。


「まさか、ケイマン軍が敗北するとは。

 それも、ケイマン・オライダイに加えてフロンクハイトの枢機卿二名が戦死とは、一体何があったのだ?」


「ヘロン高原で包囲されてからの逆転劇というではないか。

 奇跡の勝利と民衆は熱狂しているが」


 カゲシン正堂前広場ではアーガー・ピールハンマドが祈祷の成果だと絶叫し、民衆と共に騒いでいる。

 だが、カゲシン正堂の会議室に集まった者たちの表情は暗い。


「それで、フアラジュが捕らえられたのは確かなのか?

 どこまで喋ったのだ?」


 クチュクンジがヘロンに送った使者フアラジュの消息が分からない。

 連絡もない。

 帝国軍が一旦包囲されたとの情報からすれば、フアラジュの『命令』は実行され、少なくとも最初の部分は成功したのだろう。

 展開としては最悪に近い。

 死んでいれば良いが一部の情報ではバャハーンギールに確保されたとある。

 会議室内の空気が重い。


「焦る必要は無かろう」


 そこにクチュクンジが入ってきた。

 次期宗主就任準備を進めている男は微塵も揺らいでいなかった。

 会議室に入るなり、部下たちに声をかける。


「根本的な話として、こちらはカゲシンと宗主、そして仮印だが帝国玉璽とマリセアの聖遺物を押さえている。

 宗主の署名と帝国玉璽が無い書類は帝国の正式な書類ではない。

 現在は我らが正式なマリセア中枢であり帝国だ。

 我らを逆賊にすることはできぬ。

 ヘロンの帝国軍が我らに逆らうのであれば、彼らが反逆者だ」


 クチュクンジの言葉に会議室の者たちが落ち着きを取り戻す。

 そう、こちらが『正統』なのだ。

 仮にバャハーンギール一派がケイマン軍からなんらかの書類を入手したとしても、決定的な物はない。

 クチュクンジが実名でサインした書類は皆無である。


「フアラジュだが、独断専行をしたようだ。

 あの男は『ケイマンと内通していたエディゲ宰相家』との関係が深かった。

 軍事知識がないにもかかわらず、とんでもない事をしでかしたようだ。

 本人が強く望んだため任命したが、独断専行は余の責任ではない。

 帝国軍が一時的に苦境に陥ったのはフアラジュの責任だ。

 当然、その罪は容認できん。

 フアラジュ親族の動向は掴んでおるな?」


「はっ」


 部下の一人が立ち上がって応える。


「捕らえて殺せ。

 男系は六親等以内全員、女系も本人の姉妹は異母妹も捕らえろ。

 その子供もだ。

 本人の子供と孫、その配偶者も全員捕らえて殺せ。

 ケイマンとの内通罪、並びに帝国軍に虚偽命令を出した罪だ。

 審議は必要ない。

 即刻殺して闘技場前広場にさらせ!」


 無慈悲な命令だが、異論は出ない。


「フロンクハイト屋敷には本日中にカゲシンとその近郊からの退去を命じろ。

 ああ、男一人と女数人の身柄を提供させろ。

 死体をフアラジュ一族の横にさらせ」


 フロンクハイト屋敷は三月の性病騒ぎで閉鎖されたが、クチュクンジの政権獲得と同時に再開されていた。


「もう一度確認しておくが、ケイマン並びにフロンクハイトと内通していたのはエディゲ宰相とその一派だ。

 文書は全てその内容で『確認』しろ」


 つまり、書類を書き換えておけという命令である。


「カゲクロのクロスハウゼンに動きは?」


「今のところありません」


 カゲシン北東、カゲクロからその北に集結しているクロスハウゼン師団はカゲシンの守備隊として温存されていた。

 帝国最強と謡われる師団である。

 クチュクンジが政権を獲得した時点で、クロスハウゼンにはエディゲ宰相の交渉路線を引き継ぐと説明している。

 カラカーニーは特に疑わなかったようだ。

 妥当な話と考えたのだろう。

 クチュクンジが出した使者フアラジュも、カラカーニーに対してはケイマンとの予備交渉の使者と説明している。

 カラカーニーは少なくとも十一月十日までは孫たちがヘロン郊外でケイマン軍と対峙していたと考えていただろう。


「現状、クロスハウゼンの支持を取り付けるのが最重要だ。

 早急に、『誤解』を解く必要がある。

 明日にも直接面談したいと伝えろ。

 そうだな、・・・」


 クチュクンジはここで少しだけ言葉を区切る。


「交渉材料、まずは、クロスハウゼン家の僧正家昇進、都督補から都督への昇進、そしてシャールフのウィントップ太守就任、というところか」


「ウィントップ太守ですか!」


 側近の一人が声を上げる。


「トエナ公爵の許可が必要かと」


「かまわん。

 状況からすれば致し方ない。

 それしかないと公爵閣下も納得されるだろう。

 それと、・・・」


 帝国宰相臨時代理はまた思考に入る。


「そう、デュケルアール殿の『薬』の件だが、宗主乳母サライムルクを『説得』して材料と製法を聞き出したと伝えよ。

 デュケルアール殿はそのまま私の正夫人の一人として迎えたいと。

 勿論、序列はより上位を約束する」


 宗主乳母サライムルクはエディゲ・アドッラティーフの同母妹である。

 エディゲ家が失脚した現在、彼女は後ろ盾を失い、その威勢は落ちている。

 そうして、クチュクンジは十二日の夜中に使者をクロスハウゼンに送り出した。


 しかし、である。

 翌十一月十三日午前、使者は大慌てで帰ってきた。


「門前払い、だと!」


「書面は渡せましたが面会は拒否されました。

 どうやら、私が交渉中にヘロンからの急使が着いたらしく」


 ヘロンからの使者が着いた?

 それだけで、何故、門前払いになる?


「実は、もう一つ、・・・」


 そこに、もう一人の部下が大慌てで入室してきた。


「フサイミール殿下が脱走しました!」


 変人として知られるフサイミールは、現宗主シャーラーンの同母弟で、クチュクンジの異母兄である。

 大僧正で宗主補を務める。

 軍では都督、つまり最高司令官だ。

 クチュクンジの政権掌握に理解を示し、彼の宗主就任時には推薦演説をすると確約した男でもある。

 当然、監視対象だが、クチュクンジ派と見做されていたため行動の制約は緩かった。


「なんだと、直ちに捕らえろ!」


「それが、クロスハウゼン師団の駐屯地に逃げ込まれてしまい、・・・」


「引き渡しを求めればよかろう!」


「拒絶されました。

 代わりに渡されたのが、この書類です」


「私が受け取ったのも同じ書類です!」


 二人の男が同じ書類を差し出す。

 クチュクンジはそれを見て目をむいた。

 カゲシンでは『印刷魔法』が一般化している。

 これにより、重要な書類は多数のコピーが作られ、広く配られる。


「余の討伐書だと!

 馬鹿な!

 一個しかない帝国玉璽の仮印はこちらが保管している。

 宗主も監視下だ。

 この様な書類が作れるはずがない。

 調べれば偽書類であることは簡単にわかる筈だ!」


 書類は『クチュクンジ討伐書』であった。

 クチュクンジを帝国の敵、マリセアの正しき教えに反する者、反逆者と認定し討伐を命じている。


「それが、署名も帝国印も本物です」


「馬鹿な、あり得ん!」


「その、日付を、・・・」


 クチュクンジは日付を見て再び驚愕した。


「十一月二日、だと」


 エディゲ・アドッラティーフの暗殺が十一月一日、その仮葬儀が三日である。

 クチュクンジ一派がカゲシン本堂内に入り、政権を掌握したのが十一月二日、正確にはその午後だ。

 フサイミールは十一月二日の早い時間に宗主の認可と署名を貰い、その日中に印刷させ、保管していたらしい。

 フサイミールはこの書類を手にしておきながら、クチュクンジに媚びを売り、帝国玉璽の仮印を引き渡し、何食わぬ顔で機会を窺っていた事になる。

 詳細が判明するにつれクチュクンジと側近たちの顔色が悪くなる。


「宗主の署名は確保してあるな?」


「はっ、ニセ書類を利用して数枚確保してあります」


 宗主が署名する書類は偽造不可能なインクが使用される。

 宗主が直に署名する書類は重要事項ばかりだ。

 だが、一日の宗主署名書類は数十枚に及ぶ。

 クチュクンジたちは、『消すことが可能なインク』で書かれたニセ書類を作製。

 宗主に署名させ、本文を消すという手法で『白紙』の宗主署名を数枚手に入れていた。


「ならば、直ちに譲位と余の即位の書類を作製しろ。

 宗主就任式を行う!」


「は、宗主就任式、でありますか?

 予定では年末ですが」


 クチュクンジの問いに部下が全く分かっていない返答をする。


「直ちにと言ったであろう!

 三〇分で準備しろ!

 クロスハウゼンが今日明日にも攻めてくるかもしれんのだぞ!

 それを防ぐには余が宗主になるしかあるまい!」


 部下たちが大慌てで動き始めた。




 十一月十三日夕刻、セリガー屋敷の一行はカゲシンを離脱した。

 一路、オルダナトリスを目指す。

 クチュクンジからの知らせに責任者ユーリーは直ちに退去を選択した。

 元々、カゲシン・カゲシト市内には、セリガーの上位者、特に男性は入ってはならないことになっている。

 今回はクチュクンジの特別許可があったが、あくまで特例だ。

 いてはならない者が存在していれば面倒が起きるのは目に見えている。

 更に言えば、クロスハウゼン師団が攻めてきたら、カゲシンの防衛はまず無理だ。

 カゲシン・カゲシト守備隊は、帝国三個師団の留守旅団と宗主護衛騎士団等の宗主直轄部隊からなる。

 だが、今回の戦争でベーグム師団、ナーディル師団は留守旅団から多くの兵員を引き抜いている。

 現在の守備隊は半数弱がクロスハウゼン系だ。

 宗主護衛騎士団などの宗主直轄部隊も素直にクチュクンジの命に服すか疑問だろう。

 信じられる兵隊はクチュクンジがシュマリナから連れてきた四千人だけ。

 精鋭だが魔導士は少ない。

 シュマリナ領は十三年前の内乱のあおりで魔導士が不足している。

 これでは戦えない。

 ユーリーやバイラルは高位の魔導士だが、数人ではできることも限られる。

 魔力が有限である以上、何時かは魔力切れで敗北する。

 そもそも、クチュクンジにそこまで付き合う義理もない。


 夕日に馬を走らせながら、バイラルは前任のセリガー共和国対帝国外交担当トゴン・イェスデルの報告書を思い起こしていた。

 マリセア・フサイミール、宗主の同母弟にして宗主補、大僧正、そして都督。

 ブンガブンガと呼称する乱交パーティーを頻繁に主催し、男一人愛同盟なる変態集団の事実上の会長も務める。

 曰く付きの変人であり、カゲシン一般貴族からの評価は底辺だ。

 だが、トゴンは書く。

『変人ではあるが無能ではない』と。

 フサイミールの宗主補と都督就任は現宗主シャーラーンが宗主に就任して最初に行った人事の一つである。

 以来十数年、フサイミールは解任される事なくその地位を維持している。

 部下となった三人の都督補はカゲシン三個師団の師団長だが、彼らからフサイミール解任が提議されたことは無い。

 帝国宰相エディゲ・アドッラティーフも、しばしば苦言は呈したものの、更迭することは無かった。

 フサイミールは彼らから見て、解任する必要はない男だったのだ。

「あえて人望が集まらないように行動している節がある」とトゴンは纏めていた。

 フサイミールとは、いったい何者なのか?

 分からないが今回はしてやられたのだろう。

 変態だから無能と侮ってはならない。




「クチュクンジは宗主就任式を強行するようです」


 クロスハウゼン・カラカーニーの報告にマリセア・フサイミールは「ほう」と感嘆の声を上げた。


「どうやって、兄上に譲位を納得させたのだ?

 ああ、うまくだまくらかして白紙書類に署名でもさせたのだな。

 後から否定されるのは確実だが、やった者勝ちの思考であろう。

 現状では悪い手ではない」


 フサイミール宗主補は膝の上に乗せた『白綿毛モフモフで小型でありながら筋肉もしっかりしたネコ系牙族奴隷』を愛でながら他人事のように評する。


「何が何でも止めろと言われるかと思いましたが」


「書類を作れるのならば儀式を止めても意味がない。

 そうであろう?」


 聞いたおまえも分かっているはず、との態度にカラカーニーは苦笑する。


「しかし、正直、クチュクンジは期待外れであったな。

 まさか、フロンクハイトやセリガーとまで取引しているとは。

 帝国軍をまるごと敵に進呈しようとしていたとは普通考えん」


「確かに」


 カラカーニーも目の前の宗主補と同じだった。

 彼もクチュクンジの政権掌握自体は傍観していた。

 政権トップが交代しても、カゲシン三個師団、特に筆頭のクロスハウゼンの地位は揺るがない。

 誰が帝国トップになっても政権の暴力組織は絶対に必要なのだから。

 それに、クチュクンジはクロスハウゼンに対しては対外的にはエディゲ宰相の路線を引き継ぎ、ケイマンと領土交渉に臨むと説明していた。

 まさか、クロスハウゼン師団自体を潰してセリガーに引き渡そうとしていたとは。

 カラカーニーがカゲクロで傍観していた間、彼の孫たちはヘロンで死闘を繰り広げていたのである。

 十一月十三日未明にヘロンから到着したブルグル・タミールワリーの報告で詳細を知った彼は激怒していた。


「と言うか、其方がそれを尋ねたという事は、カゲシンを直ぐには攻めぬということか?」


「まあ、そうですな」


 カラカーニーはまた苦笑する。


「カゲシンを攻めれば市街と住民に被害が出るのは避けられません。

 それでクロスハウゼンが恨みを買うのは避けたいかと。

 クチュクンジはそのうちカゲシンから離脱します。

 そこを叩くのが得策」


「ふーむ、私なら宗主を抱えて籠城するが。

 それに、時間が経てばトエナから援軍が来るのではないのか?」


「ケイマン・オライダイが戦死した状況ではトエナにそのゆとりはないでしょう。

 クチュクンジには籠城して耐えるだけの胆力はありますまい」


「そうかもしれぬが、時間がかかるのではないか?

 時間がかかれば色々と面倒が起きかねん」


「そう時間はかかりますまい。

 殿下が提供された『クチュクンジ討伐の詔』、カゲシン市内にもばらまいております。

 アーガー・ピールハンマド殿や、宗主護衛騎士団にも届けました。

 クチュクンジはケイマンやフロンクハイトと共謀していた。

 裏切りに怒った帝国軍がヘロンからカゲシンに向かっている。

 クロスハウゼン師団が売国奴の討伐を命じられた。

 などの情報も添えて」


「ピールハンマドか、あれは派手に騒ぐであろうな。

 カラカーニー、流石に喰えぬな」


「喰えないのは殿下の方かと」


 二人して笑う。


「しかし、こうなると、次はバャハーンギールか。

 クチュクンジ程の馬鹿でなければ良いが」


「まだ、決まったわけではないかと」


「うん?だが、シャールフは宗主にさせぬのであろう?」


 他に候補はいないという顔をする宗主補。


「殿下が即位されれば良いかと」


「私が?

 馬鹿を言え、私には子がいない。

 種なしは宗主になれぬ」


「作ればよろしい」


「私が子をなせば猊下は謀反と見做すであろう」


「もう、シャーラーン猊下におもねる必要は無いかと」


 フサイミールは過去に何人もの女を妊娠させたが、秘密裏に堕胎させている。

 カラカーニーはその情報を掴んでいた。

 現宗主シャーラーンが最も信頼し、最も警戒しているのが同母弟フサイミールだ。

 フサイミールが子供を作らないのは兄を警戒させないためとカラカーニーは睨んでいる。


「そもそもの話として、私は宗主のような面倒な地位につきたくはない。

 其方もそれは分かっていよう」


「そうですな」


 カラカーニーは引き下がった。

 そう、この男にはそのような野望も意欲もないのだ。

 だが、とカラカーニーは思う。

 宗主の健康問題は深刻だ。

 現状で次期宗主として最も期待できるのは目の前のこの変人だろう。

 今回のシナリオはこの男が書いたものだ。

 カラカーニーですら登場人物の一人に過ぎない。

 一体誰がエディゲ・アドッラティーフ暗殺という混乱の中で、病床の宗主にクチュクンジ討伐の命令書を書かせる発想を持つだろうか?

 どこから情報を、判断材料を得たのか?

 更に、それを秘匿してここで使うとは。

『クチュクンジ討伐の詔』があってもケイマン軍が帝国内にいてはカラカーニーも反クチュクンジは明言できなかっただろう。

 だが、今ならば旗幟を鮮明にするのに躊躇はない。

 カゲシン内の貴族もこちらに雪崩を打っている。

 今から考えれば、宗主自身も適当なところでフサイミールがクチュクンジを排除すると踏んでいたからおとなしかったのだろう。


「ところで、カラカーニー、『白綿毛モフモフで小型でありながら筋肉もしっかりしたネコ系牙族奴隷』で手を付けていないのが一人いるのだが、其方、いるか?」


「いりません!」


 カラカーニーは大声で答えた後、フサイミールの耳元に囁く。


「殿下、そのような事を大声で言われるのは困ります」


「おお、そうか、すまぬ」


 フサイミールはカラカーニーの後ろに控えるその第一正夫人を見て肩をすくめた。


「ああ、事が一段落したらライデクラートを寄こしてくれ。

 新しい護衛用の奴隷を一人提供しよう」


 フサイミールはこまめな礼を欠かさない男である。




「やはり、シャールフ殿下は宗主の器だ!」


 カゲシン正堂の一室で、マリセア宗主護衛騎士団団長ラーグン・ホダーイダードは感涙にむせんでいた。

 ヘロンからの報告書にはシャールフが戦場の最前線に立ち、味方を鼓舞したとある。

 バャハーンギールはヘロン城内に籠っていただけだ。

 ラーグンは以前からシャールフこそが次期宗主にふさわしいと主張し、周囲にも働きかけていた。

 宗主シャーラーンは未だトエナ系あるいはウィントップ系の公子を得て、それを次期宗主にとの望みを捨てていない。

 だが、昨今は自身の健康に自信がなくなっている。

 エディゲ・ムバーリズッディーンの死、そしてアーガー・ピールハンマドの失脚も大きかった。

 幼い宗主を補佐する次世代の宗主補佐が消えたのである。

 ラーグンらの説得もあり、宗主は新たな公子が成人するまでの暫定宗主としてシャールフを考慮し始めていた。


 だが、そこに今回の政変が起きた。

 クチュクンジが次期宗主に名乗りを上げる。

 宗主シャーラーンの意思を無視しているだけでも許しがたい。

 それ以前にラーグンが見る所、クチュクンジは宗主の器ではない。

 正確に言えばクチュクンジだけでなく、バャハーンギールもシャーヤフヤーも宗主には不適格だ。


 宗主護衛騎士団は現宗主シャーラーンにより復活した古の組織である。

 団員は全員男性であり、宗主個人との直接的な紐帯、宗主に己のマナを直接捧げることで団員の証とする。

 正団員二四名という数は、国母ニフナニクスの護衛騎士団に由来する。

 団員全員で行う『結束の儀式』もニフナニクス時の儀式を復活させたものだ。

 シャーラーン宗主は、『奥書庫』だけでなく、宗主専用書庫の資料も参考に護衛騎士団を作り上げたのである。

 正に、帝国の、国母ニフナニクスの伝統を再現する偉業であろう。

 にもかかわらず、バャハーンギールもシャーヤフヤーも全く理解を示さなかった。

 ラーグンは懸命に説明したのだが。

 これはクチュクンジも同様である。

 更にクチュクンジはカゲシン正堂、つまり帝国政府中枢に押し入り、正堂の奥、宗主の個人領域にまで踏み込んだ。

 これを守る宗主護衛騎士団との戦闘となり、ラーグン自身が負傷して取り押さえられる事態に発展する。

 護衛騎士団の損害は大きく、現在任務に就いている団員は十一名に過ぎない。

 これでは騎士団の任務に大きな支障が出る。

 月に二回行われていた『結束の儀式』も行えていない。

 十一名ではうまく輪が作れないのだ。

 シャールフ殿下がおられれば、とラーグンは思う。

 宗主護衛騎士団は早急に補充する必要がある。

 だが、それには、新団員と宗主の儀式が必要だ。

 現在は宗主の健康問題のためこれが行えていない。

 実を言えば宗主の健康問題はこの春からずっと続いている。

 病床の宗主の代理を務めていたのがシャールフであった。

 シャールフはマリセアの伝統に理解が深く、護衛騎士団の活動を積極的に後押ししている。

 病床の宗主の代理として団員のマナを受け入れたばかりか、自らのマナを団員に注いでもいたのである。

 シャールフは自ら申し出て『結束の儀式』にも参加したのだ!

 団員たちが感激したのは言うまでもない!

 次の宗主はシャールフしか有り得ない。


「団長、クチュクンジ一派に動きがあります。

 どうやら猊下を、そしてデュケルアール様を連れ出そうとしているようです」


「来たか!」


 従騎士の報告にマリセア宗主護衛騎士団団長ラーグン・ホダーイダードは立ち上がった。

 既に武装は整っている。


「クチュクンジめ、前回は不意を打たれたが今回はそうはいかんぞ!」




 クチュクンジは焦っていた。

 既に宗主就任式は終わっている。

 だが、その就任式がクチュクンジを打ちのめしていた。

 参列貴族が十名に満たなかったのだ!

『クチュクンジ討伐の詔』は劇的な効果をもたらしたらしい。

 市内ではクチュクンジがケイマンに帝国を売ったとの噂が広まっている。

 カゲシン貴族の支持は失われたのだ。

 これではカゲシンに籠るのは無理だろう。

 クチュクンジはカゲシンからの離脱を選択する。

 せざるを得なかった。

 勿論、帝国玉璽の仮印、宗祖カゲトラの錫杖、ニフナニクスの冠など『国宝』は確保する。

 更に、前宗主シャーラーンの身柄を確保しようとした。

 シャーラーン第七正夫人デュケルアールも、である。

 だが、これもうまく行かなかった。

 政権掌握時にはあっさりと宗主寝室までたどり着いた。

 それ以降、常に部下が前宗主の身辺に張り付いている。

 故に、前宗主の身柄確保が難航するとは考えてもいなかった。

 ところが、である。

 いざ確保に向かえばクチュクンジの配下は排除されていた。

 宗主護衛騎士団に加えてカゲシン守備隊からも人員が回っているらしい。

 激戦となった。

 しかし、敵は少数。

 そのうち押し切れると思っていたら、そこに増援が到着する。

 アーガー・ピールハンマドがカゲシンの貴族と民衆を率いて押しよせたのだ。

『売国奴クチュクンジを殺せ!』

 ピールハンマドの檄により一帯は大混乱に陥る。


 そうして、クチュクンジは逃げ出した。

『国宝』は確保したものの、前宗主シャーラーンそしてデュケルアールの身柄確保には失敗している。

 だが、カゲシン・カゲシトの貴族と民衆を敵に回しては、逃げるしかなかった。


 十一月十五日未明、黎明にカゲシンの城壁が浮かび上がる。

 クチュクンジはそれを見て、必ず帰ってくると誓った。

 必ず戻る。

 マリセア宗主として、帝国の主として、正当なる地位を取り戻す。

 そうして、次こそ、デュケルアールの幼児母乳プレイとライデクラートの前立腺マッサージを同時に味わうのだ!

 クチュクンジはマリセアの正しき精霊に固く誓った。




 ━━━ガーベラ会戦は帝国の偉大な勝利で終わった。当時、最も称賛されたのは若くして全軍の指揮を執り、最後はフロンクハイト枢機卿と一騎打ちまで行ったクロスハウゼン・バフラヴィーである。彼は以後、『雷鳴』と称される。これは豪雨と雷鳴の中勝利を勝ち取ったことによるとも、魔導砲の音が雷鳴のように聞こえたからとも言われる。また、後に帝国最後のカリスマと称されたマリセア・シャールフもこの戦いで注目を浴びた。━━中略━━滅亡寸前のベーグム家に奇跡の復活を齎したガーベラ公爵夫妻。後に覇者と称されたKKもこの戦いが転回点となった。━━中略━━KKの活躍は彼に同行したモーラン・マンドゥールンの手記に詳しい。特にケイマン・オライダイの両手をその籠手ごと切り落とした逸話は有名であろう。━━中略━━ガーベラ会戦が偉大な勝利であることは間違いないが、これが帝国の延命に寄与したのかとなると意見は分かれる。━━中略━━ガーベラ会戦の結果として帝国は二人の皇帝、当時の呼称でマリセア正教宗主を、持つこととなる。帝国玉璽その他の遺物を抱えるが首都から追い出された宗主と、首都を押さえるが歴史的遺物を何一つ持たない宗主とである。帝国は分裂したのだ。━━━

『ゴルダナ帝国衰亡記』より抜粋

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