07-44S シャハーン・アウラングセーブ 私の時代
私の名はアウラングセーブ。
シャハーン伯爵家の出身で現在はカゲシンに留学中の身である。
比較的順調に行っていた私の留学生生活に影が差したのは帝国歴一〇七九年の八月の事であった。
なんと、私の施薬院入講を取り消すとの通知が舞い込んだのである。
それも、私に直接ではなく、私が居住するカゲシンのクテンゲカイ侯爵家屋敷の家令を通して、であった。
この様な無礼な通知は、そもそも不当としか言いようがない通知であるが、百歩譲ったとしても直接私に通知するのが筋という物であろう。
それを居住する屋敷の家令に、では、礼を失するにも程がある。
「アウラングセーブ、其方の言い分は意味不明だ」
クテンゲカイ屋敷の家令、クテンゲカイ侯爵の弟ではあるが庶嫡でクテンゲカイの名乗りを許されない立場の男は、不当にも私に楯突いた。
「入講試験で不正を働いたというのはなんだ?
既に、シャイフ主席医療魔導士殿に直々に諮問を受け施薬院入講に値する学力に非ずと直接言い渡されていたそうではないか。
正式な手続きのため学生課に呼び出されていたにもかかわらず無視していたからこの様になったのだぞ!」
私は、そもそも突然の口頭試問が不当である事、遡って施薬院の入講試験の内容が不当であることを、るると説明したのであるが、頑迷なことに彼は全く納得しなかった。
「頭が痛すぎる話だが、クテンゲカイの一族が施薬院の入講試験で不正を働いたなど記録に残るのは拙い。
其方の名誉などどうでも良いがクテンゲカイ侯爵家の名誉は保たねばならん」
意味不明の説教が繰り返されてうんざりしたのだが家令もそれなりに儀礼は弁えていたらしい。
彼はシャイフ主席医療魔導士と交渉し、結果、私は施薬院を自主退講する形となった。
私の施薬院銀色徽章は守られたのだ。
今後は施薬院の施設に足を踏み入れない約定となったが、元々通う必要のない場所である。
医師として必要な社交が施薬院の建物で行われる事は、一部の例外を除いて、ほとんど無かったのだから。
あとは二年ほどカゲシトに滞在すれば医師の箔付けとしてのカゲシン留学は充分であろう。
「施薬院の正式行事に参加できないのは痛いのかな?」
社交の席でバヤズィト殿が言った。
この方はクテンゲカイ侯爵の年の離れた同母の弟である。
ここ数年はカゲシンに滞在しており、私も社交の席でしばしば同席させて頂いている。
「同期と記念の『移し身の姿絵』を撮るのでしたら、マリセア正堂前で充分です。
別に問題はありません」
「ふーむ、そうなのか。
しかし、私はシャハーンが施薬院の学生だったなんて、今日、初めて知ったよ」
「バヤズィト殿、それはあまりにも。
私は、そこのバフシュ先生の愛弟子ですよ」
「ほう、そうなのか?
おい、アフルーズ、そうだったのか?」
「えー、なんだって、シャハーンが俺の弟子?
ああ、女の口説き方の弟子ではあるな」
バフシュ師は膝の上に乗せた女の胸を揉みながら答えた。
「いや、だから、なんかの時に医者として使っていいかって話だよ」
「あー、うん、女を口説く時なら医者と言っといてもいいんじゃねーか」
「あー、そーゆーことか」
バヤズィト殿は納得していた。
そんな事で、私のカゲシン社交生活は順調だったのだが、クテンゲカイ屋敷の家令が必要経費と称して私の留学費を強制的に徴収したのは想定外の話であった。
私はたちまち社交費用に窮することとなる。
バフシュ師などに社交に誘われた時には良質な酒を手土産にする約束であり、それなしには社交は有り得ない。
私は止むを得ず、自護院関係から資金を調達するしかなかった。
そしてそれは、更なる悲劇を生んだ。
なんと、戦争が勃発したのである。
私は、また、ベーグム師団に徴兵される事になってしまった。
「また、前回と同じではないか!
其方のために払う金はもう無い!
素直に兵士として戦ってこい!」
クテンゲカイ屋敷の家令は相変わらず傲慢であり、私の身柄はベーグム師団に差し出されてしまった。
私の苦難は続く。
今回の戦いは、野蛮人と吸血鬼相手の本格的な戦争であった。
私の妻たちは全員が従軍を拒否したのである。
私は付いてくるのを拒否するのならば離婚だと通告したのだが、彼女たちは一考もしなかった。
斯くして私は、急遽、自護院の女性兵士を従者として迎え入れて従軍する羽目に陥ったのである。
戦争は過酷であった。
私は、毎日毎日、朝から晩まで歩くことを強制された。
そして、夜になれば女たちに搾り取られる。
正直、見目も悪く、戦士としても二流以下、何より不潔でフシダラな女たちだ。
だが、そんな女たちが強制的に私を搾り取る。
苦行としか言いようがない!
何度か逃げ出そうと試みたのだが、その度に捕まり、気が付けば私は小隊独身女性の共有物として常に誰かに見張られる状況となっていた。
毎晩毎晩、粗悪な精力剤を強制され、性交を強制される。
もはや、逃げようがない。
「こいつ、モノは細くて精力も貧弱だが見た目は悪くないし、精液は結構濃いからな」
当たり前だ。
私は由緒正しき貴族の出で、上級魔導士に近い魔力量があるのだ。
だが、後ろ手に縛られて首に縄を掛けられている状態では如何ともしがたい。
こんな地獄が何時まで続くのかと絶望しかけていた時、私は唐突に解放された。
気が付けば私は一人、取り残されていたのである。
何があったのかと言えば、戦闘があったのだ。
敵が迫ってきたため、女たちも流石に私の戒めを解き、普通に鎧を着せて魔導士として戦場に立たせた。
だが、戦場に出てみれば、やることなど限られている。
敵が迫ってくるのだ。
私は『君子危うきに近寄らず』を実践し近くの茂みに隠れることにしたのである。
そして、気が付けば私は一人になっていた。
敵も味方も周囲から消えていたのである。
斯くして私はさ迷い歩くこととなった。
ここがどこかすら分からない。
二日目になってようやく、地域住民と出会うことが出来たが、残念ながら彼らは下賤な貧民であった。
高貴な身分である私の言葉に耳を貸すことなく私を捕らえ、下卑た女たちの生贄にしたのである。
鎧どころか着衣まではぎ取られ、代わりに粗末なむしろだけを与えられて私は解放された。
ただ、現地点がゴルダナ西部でゴルダナ河の北側であることだけは確認できた。
それからも悲惨だった。
地域住民には学も教養も礼儀もなく、私は女たちの相手をしては飢えを凌ぐという悲惨な状況に陥ったのである。
何度か村の共有精液奴隷にされかけたが、隙を見て逃げることが出来たのは、僥倖だったのだろう。
私のファイアーボールやライトニングボルトが役に立ったのだ。
ゴルダナ河にたどり着いたのは、何日後だったのだろう?
私はここで、やっと、正式な帝国軍の砦を見出したのである。
だが、困ったことに様子がおかしかった。
砦の兵士たちは私を当たり前に捕らえ尋問し、更に精を搾り取ってから監禁したのである。
「そいつがテルミナスの貴族だって言うのは確かなのか?」
「ええ、多分。
こいつの精は結構濃いです。
正魔導士ってーのは嘘ではないかと。
で、正魔導士ってーのが本当なら、貴族って言うのも強ち嘘ではないんじゃないかと」
「こんな、卑屈な根性無しが本当に貴族だって言うのか?」
砦の隊長らしき男は礼儀も教養の欠片もない人物だった。
「本当なら、テルミナスに差し出せば礼金ぐらい貰えるかもしれん」
男は不敬な言動を隠しもせずに、私を値踏みする。
「だが、今はちょっと様子見だな。
ヘロンでバャハーンギール殿下が負ければテルミナスの主も変わるかもしれん。
それまでは、お前たちで好きに使っておけ」
下級兵士たちが下卑た笑い声をあげ、私の悲惨な日々が始まった。
第一軍の行軍中も、ゴルダナの田舎をさまよっていた時も、それぞれ悲惨だったが、この砦での日々は最悪だった。
食事は、量だけは豊富だが、内容は最悪。
そして、昼夜なく大量の精力剤、更には幻覚剤まで強制され、女たちの相手を強いられる。
逃げ出すこともできなかった。
田舎の村人は私が魔法を使うだけで恐れおののいて逃げて行ったが、砦の兵士たちは魔導士を知っている。
呪文を唱えても、それが終わるまでは魔法が出せないことを知っているのだ。
呪文の途中で殴られて終わりである。
今が昼なのか夜なのかすら分からない。
昼夜を問わず、下卑た下賤な不潔で不細工な女たちの相手を強いられる。
朦朧とした意識の中で、私はこのまま衰弱して死んだ方がマシではないかと考えていた。
だが、死ぬことも許されないのだ!
永遠にこの地獄が続くのかと諦めに似た感情が私を支配したころ、私は唐突に解放された。
何があったのかは全く分からない。
分からないが私は船に乗せられ、そしてテルミナスに運ばれた。
風呂に入れられ、身だしなみを整えられ、有り合わせだが、かろうじて貴族に見える服装となった私はクテンゲカイ家の兵士に引き渡されたのである。
どうやら助かったらしい。
私は安堵と疲労でへたり込んだ。
へたり込んだのだが、その私を兵士は強制的に立たせて、馬車に放り込む。
連れていかれたのはクテンゲカイ侯爵家の本屋敷、それも、最も奥の一角だった。
どうやら、また、クテンゲカイ侯爵の説教が待っているらしい。
私はうんざりした。
確かに、下賤な者に捕らわれて身ぐるみ剥がされたのは失態だろう。
だが、敗残兵として逃れてきたのだから、致し方ないと思う。
せめて、少しは休憩させてくれても良いではないか。
説教はそれからで充分だ!
ところが、通された部屋にクテンゲカイ侯爵はいなかった。
いたのは二人の女性だけ。
従者もいない。
クテンゲカイ屋敷の奥まった部屋に私を含めて三人だけ。
一体何が起こっているのだろうか?
幸い、二人のうち一人は見知った顔であった。
私の母である。
もう一人の女性も見覚えは有る。
それなりの美人だが、歳は三〇を優に超えているだろう。
まあ、私の社交の相手としては、許容範囲の女性だ。
「アウラングセーブ、良く戻りました。
丁度いい所に戻ってくれました。
これも、マリセアの正しき精霊のお導きでしょう」
そう言って母は話し始めた。
母が話した内容は、それなりに大きなニュースであった。
ただ、疲れ切った私に休憩も与えずに聞かせる内容かと言われれば極めて疑問だろう。
クテンゲカイ侯爵軍とナーディル師団を中核とする帝国第二軍はケイマン軍との戦いで敗北していた。
ジャロレーク伯爵が裏切ったのが原因だという。
そして、その敗北で、クテンゲカイ侯爵の息子二人が戦死したという。
シャーヤフヤー公子とナーディルの継嗣セイフッディーンも死んだらしい。
第二軍は一旦、テルミナスに後退。
その後、裏切り者ジャロレーク伯爵討伐のため西方のジャロレーク市目指して出陣した。
ジャロレーク市の攻防戦がどのように推移したのかは不明だが、最終的にジャロレーク伯爵は逃亡したらしい。
なんでもヘロンでの戦いで帝国軍が蛮族を叩きのめし、当てが外れたジャロレーク伯爵は本拠地を捨てて海の向こうに逃げたという。
半島突端のジャロンキフ、あるいは海賊の本拠地として悪名高いジャロンディグ島に逃げたとの噂だが詳細は不明だ。
「問題は、この戦いの直後に侯爵ルタシェブリが死んだことです」
母によれば、クテンゲカイ侯爵ルタシェブリは息子たち、そしてシャーヤフヤー公子の敵討ちのために陣頭指揮を執っていたという。
だが、侯爵自身息子たちがやられた毒を受けており、内臓が弱っていたらしい。
ジャロレーク市攻略戦が終了した直後に力尽きてしまったという。
「ルタシェブリは遺言を残しませんでした。
正確には、以前の遺言を書き換える暇が無かったのです。
この様な場合、帝国の規定では男系の最も近い親族が侯爵となります。
現状では、ルタシェブリの同母の弟バヤズィトが第一候補となるでしょう。
ルタシェブリには現状、嫡子はいないからです。
ですが、ルタシェブリに庶子はいます。
分かりますね?」
急な話に頭が付いていかない。
私は目の前に置かれたワインの水割りを一口飲んで息を整えた。
改めてもう一人の女性に目をやる。
「では、まさか、ですが、アミールマフ様が、・・・」
何とか、名前を思い出した。
マリセア・アミールマフ。
現在のマリセア宗主シャーラーンの異母妹であり、クテンゲカイ侯爵ルタシェブリの第一正夫人である。
マリセア宗家よりクテンゲカイ侯爵家に降嫁された方だが、魔力量が低く、クテンゲカイ侯爵家の継嗣を産むには不適当とされた方である。
このため、ルタシェブリに正式な後継ぎが得られるまでは、名目上の結婚とされていた。
ところが、この方は寝屋に男性を引き込んでいたという。
ここまでであれば普通。
立場を考えれば致し方ない話だろう。
高位貴族の成人女性が男性無しで何日も何年も過ごすのは耐えられないだろうから。
だが、問題は妊娠してしまったことだ。
そして気が付いた時には堕胎する時期すら逃してしまっていたのである。
いささか、いや、かなり思慮の足りない方と言える。
彼女の最側近の侍女も同時にその愛人の娘を出産したというのだから、主従共に貴族の常識に欠ける救い難い人々だろう。
幸いなことに彼女が出産したのは女児であった。
勿論、クテンゲカイ侯爵家の血は受けていない。
これが男子であれば問題となったのは間違いないが、女児であったため、ルタシェブリは名目上は自分の娘として認知した。
ちなみに、件の愛人は口封じのため『処分』されたと聞く。
生まれた娘は、私やジャニベグよりも年上だが、未だに嫁いでいない。
色々と話はあるのだが、それなりの地位の男性からは忌避され、受け入れる男性は彼女自身と母親が納得しない。
完全な行き遅れだ。
現在、アミールマフ殿はその娘と共にテルミナスでは『腫物』扱いとなっている。
だが、ここで重要なのは彼女がマリセア宗家出身で、クテンゲカイ侯爵の第一正夫人であることだろう。
最も地位のある第一正夫人なのだ!
私は懸命に帝国法を思い出す。
帝国法では、貴族の息子でも正夫人以外の夫人から生まれた者は、父親の姓を名乗ることはできず、その相続権もない。
だが、庶嫡の男性が正嫡になることは不可能ではない。
正夫人の養子となれば良いのである。
マリセア宗家のバャハーンギール殿下は、下賤な母親の息子であるが、ゴルデッジ系の第四正夫人の養子となり、正式にマリセア宗家の一員となった。
第四正夫人が養子にしたいといい、宗主猊下が認めた結果、そうなったのである。
ここで重要なのは、この規定では『正夫人の意向』は絶対的に必要だが、『貴族家当主の意向』は必ずしも必要ではない、ということだろう。
バャハーンギール殿下の例では、シャーラーン宗主の意向が絶対に必要だった。
だが、貴族家当主よりも夫人の地位が上の場合は、当主の意向は無視される。
そして、当主が既に死去している場合は、夫人の意向だけで『養子』を決定できるのだ。
当主が突然死して後継ぎがいない場合に、正夫人が適切な庶嫡の男性を後継ぎに指名できる規定なのである。
「アウラングセーブ殿、どうやら私の顔は覚えていたようですね」
アミールマフ殿が意味ありげな笑みを漏らす。
「私はあなたを養子にすることが出来ます。
そして、養子にした後でも、何時でも廃嫡することもできます。
分かりますね?」
私はアミールマフ殿に向き直り、にこやかな笑みを浮かべて頷いた。
「あなたが私を母親として適切な地位と待遇を保証してくれるのでしたら、私はあなたを養子にすることを考えましょう。
断っておきますが、候補はあなただけではありません」
「私でしたら必ずご満足いただけることと思います。
最大限の愛と奉仕を約束いたしましょう」
「娘のハビーブッラーの縁談にも尽力してほしいのです」
「勿論です」
私は彼女の前に跪き、その手を取って口づけする。
「アミールマフ母上、宜しければ、母子の情を深めるためにも二人だけで語らう機会が得られたらうれしいのですが。
今宵、いや、今からでも」
私が瞳をのぞき込むと彼女は恥ずかし気に視線をずらした。
「このような年増にそのような話をするものではありません」
「いえ、アミールマフ様はお美しい。
充分にお若い。
失礼かもしれませんが、男性に擦れていない所が大変に魅力的です」
恐らく、男に飢えていると踏んだのだが想定通りらしい。
軽く視線を母に送ると、彼女は黙って立ち上がり、部屋の外に控えていた使用人に指示を出した。
「隣の客室にはソファーとベッドもあります。
質の良い酒と、つまみを運ばせました」
戻ってきた母が耳元でささやく。
「うまくやりなさい。
分かっていますね?」
私は軽く頷くと、アミールマフ殿の手を引いて立ち上がらせる。
突然の進展に驚いている彼女の腰に手を回してエスコートする。
ぴったりと体を寄せて耳元でささやく。
「二人だけの時にはアミールマフと呼び捨てにしても?」
彼女は驚いた顔をしたが恥ずかし気に頷いた。
幸い船に乗せられていた数日間で私の精力は回復している。
横では母が親指を立てていた。
こうして、三時間後。
私はクテンゲカイ侯爵家第一正夫人アミールマフ殿の養子となり、クテンゲカイを名乗ることになった。
「大至急で内外に使者を送りなさい。
アウラングセーブがクテンゲカイ侯爵となるのです!
バヤズィト殿がテルミナスに戻る前にクテン市内を固める必要があります!」
母が近しい貴族を呼び集めて指示を出す。
どうやら私の時代がきたようだ。
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