07-43S インタールード 敗走?する者

 ガーベラ会戦から一夜明けた帝国歴一〇七九年十一月十日。

 ケイマン軍第二騎兵旅団は第二親衛大隊と共にゴルダナ西部の荒野を爆走していた。

 軽歩兵で構成される第二親衛大隊も現在は騎乗している。

 第二騎兵旅団の予備の馬と第201歩兵師団の輸送用馬匹を徴用したのである。

 第二騎兵旅団と第二親衛大隊、この二つの部隊には共通点があった。

 決戦時は共にメハン川の東岸に派遣され、ガーベラ会戦本戦にはほぼ参加しなかったため無傷に近い。

 そして、共に名目上の指揮官はケイマン・オライダイの継嗣。

 オライダイ継嗣は若年のため今回の遠征には同行していない。

 現在はそれぞれ代理指揮官が指揮を執っている。


 メハン川東岸にケイマン・オライダイ第一正夫人ケイマン・ハバルト・イェケが訪れたのは十一月九日の夕闇が訪れた頃だった。

 イェケは、ケイマン軍重装歩兵部隊の突撃失敗、ケイマン・エルベクの戦死、そして、ケイマン・オライダイの戦死という驚愕すべき知らせをもたらした。

 イェケ自身はケイマン総司令部から命からがら離脱したというが、詳細は分からない。

 彼女自身が語らない。

 そして、第二騎兵旅団長代理も、第二親衛大隊長も、彼女を問い詰めることは無かった。

 イェケはケイマン族内部ではオライダイとは別の派閥の出身である。

 激烈なケイマン族の族長争いの終盤、オライダイとイェケの派閥が同盟した時に、その証としてオライダイの第一正夫人に送り込まれたのがイェケである。

 イェケが産んだオライダイ継嗣を名目上の指揮官とする二つの部隊、その指揮官代理は共にイェケの派閥から選抜されている。

 突撃失敗、オライダイとエルベクの戦死、この時点で彼らは撤退を決めた。

 ヘロン河を南方で越える。

 越えた時点で第201歩兵師団とは別行動とした。

 第201歩兵師団は二線級の部隊であり、強行軍に堪えられない。

 第二騎兵旅団と第二親衛大隊だけであれば、強行軍も容易であり、何より、イェケ派の中核部隊となりうる精鋭だ。


 とにかく急いで戻る必要がある。

 一刻も早くケイマン族の本拠地シェーカーズテンプルに戻り、イェケの息子、オライダイ継嗣の次期ケイマン族長即位を行わねばならない。

 それによりイェケ派がケイマン族の覇権を握るのだ。

 幸い移動しているのは帝国内でも占領地だ。

 ケイマン軍の後方警備部隊、連絡部隊、補給部隊も散在している。

 ある程度だが交代の馬もあるし何より馬匹の糧食が確保できるのは大きい。

 これで移動に専念できる。


「息子はまだ若い。

 頼れる補佐役が必要ですわ」


 イェケはそう言って隣で馬を駆る第二騎兵旅団長代理に秋波を送る。

 彼女は牙の民には珍しい魔力量が高く筋肉量が少ない女性である。

 容姿も良い。

 ケイマン・オライダイが帝国やフロンクハイトの有力者と交渉する際に隣に侍らせて様になる女性として選ばれた経緯がある。

 カンナギ・キョウスケが見ても美人と評する外見だろう。

 そんなイェケに第二騎兵旅団長代理は露骨に鼻の下を伸ばす。

 実際うまく行けば、彼が次期政権で要職を占めるのは確実。

 族長生母の未亡人イェケの『世話』をすることも可能だろう。

 彼の第一正夫人も夫の出世のため、これを容認していた。

 カンナギ・キョウスケが見ればどうにも理解できない光景だろうがカナンでは普通の話である。




 イェケたちの集団の後方にはケイマン軍敗走部隊の主力がいた。

 率いるのは第二軍団長バト・モンケ。

 部隊は、第二軍団を主体に第一騎兵旅団の半分と第一軍団の一部。

 現在は停止して第四軍団との合流待ちだ。

 第四軍団が合流すれば軍勢は五万を数える。

 帝国軍も戦うのに躊躇する数。

 取りあえず全滅の危機は脱したと言って良いだろう。

 実際、帝国軍の追撃はほぼ確認されていない。

 近隣の帝国軍地方勢力が蠢動している程度だ。


「そうか、イェケはとうにここを通過したか」


 バト・モンケは報告に独り言ちる。

 たった一日で三〇キロは差を付けられている。


「先にシェーカーズテンプルに戻り、イェケの息子を族長に推戴するつもりでしょう」


 部下が、「よろしいのですか」と問いかける。

 ケイマン軍内での話題は既に次期ケイマン族長に移っている。

 遊牧民であるケイマン族は最優先事項を順に処理する。

 帝国軍に対する敗北と復讐は、長期的には最優先事項だが、短期的には考える必要はないのだ。

 今考えるべきはリーダーを失ったケイマン族を纏める新たなリーダーの選出である。

 ケイマン・オライダイは戦死し、その長男で充分に後継を担えたエルベクも戦死している。

 重鎮の第一軍団長ニグスレクチもいない。

 ケイマン次期族長は混戦模様だ。

 部下としてはモンケに族長に就任してもらいたい。

 彼は、傍系であるがケイマン族の出身であり、ケイマン軍内では最も大きな部隊を率いている。

 現状では彼がケイマンを名乗っても反発は少なそうに見える。


「次期ケイマン族長にはオライダイ様一族で本拠地に残っていた方々の意向が大きな意味を持つでしょう。

 彼らを味方につけることが肝要。

 イェケ殿が先にシェーカーズテンプルに戻り、彼女の息子を推戴すれば面倒なことになります。

 オライダイ様の関係者もオライダイ様遺児の族長推戴には反対し難いでしょう」


「好きにさせとけ」


 モンケは鷹揚に手を振る。


「今から追いかけても追いつけん」


「では、イェケ一派のシェーカーズテンプル占拠を許容するのですか?」


「まあ、そうだ」


 不満気な部下にモンケは笑う。


「誤解すんじゃねーぞ。

 イェケの息子の族長就任を認めるわけじゃない。

 一時的に預けとくだけだ」


 バト・モンケは、自身に野望が無い訳では無いと説明する。

 だがここで、無理に族長を取りに行くのは無謀だ。


「そもそも、あのイェケとそのガキにケイマン族長が務まると思うか?

 絶対、揉めるぞ!

 そのど真ん中に居てもいい事なんかねぇ」


 モンケの言葉に部下が笑う。

 だが、全てではない。


「イェケがシェーカーズテンプルを取るなら、こちらはギガウォックを取る。

 あそこは帝国騎士団が本拠にしていた要塞都市だ。

 交通の要所だから、フロンクハイト、ケイマン、帝国の交易を仕切ることもできる。

 本拠にする場所として悪くない」


「帝国の攻勢の矢面になりませんか?」


 部下の一人が質問する。


「どうかな?

 帝国の攻勢が無いとは言わんが、そう大きなのは来ないだろう。

 ヘロンで死ぬはずだったバャハーンギールが生き残った。

 カゲシンのクチュクンジとの内戦は必至だ。

 こちらに構っている暇はあるまい。

 ボルドホンの第三軍とやらは来るかもしれんが、それなら今の軍勢で何とかなるだろう」


「イェケのために帝国軍の矢面になるだけではありませんか?」


「俺はどっちかと言えば帝国よりもスラウフが問題だと考えている。

 ケイマン軍大敗北、ケイマン・オライダイ戦死に、スラウフが何もしないと思うか?」


 スラウフ族はカナン中央大陸北方を二分する牙の民の有力部族だ。

 ケイマン族とは互いに正統を主張し合うライバル。

 その族長エルテグスは老練で一筋縄ではいかない男だ。


「なるほど、イェケたちにはスラウフ・エルテグスの矢面になってもらうという算段ですか」


 バト・モンケ。

 魔力量と筋力、すなわち個人の戦闘能力では、ケイマン・オライダイは勿論、かつての第三騎兵旅団長ラト・アジャイトにも劣るだろう。

 だが、その頭脳はケイマン随一と評されてきた。

 ケイマン・オライダイが第二軍団長にした男である。

 部下たちは自分たちのリーダーが十分にその任に堪えることに安堵する。


 部下たちの称賛を浴びながらモンケは、手に入れた捕虜、吸血鬼と化したベーグム家母子をどう使うか思案に沈んでいた。




「ここで、休憩にしましょう」


 草原とも森林とも言い難い荒野の一角、朽ちかけた廃屋の横にまだ使える井戸を発見したところで、イマムーサは休憩を命じた。

 フロンクハイトの名門シュタールに所属し、現在はアハティサーリ家の枢機卿ウルホの正夫人でもあるイマムーサが今いるのは、ヘロンから北西五〇キロほどに位置する荒野である。

 あえて街道は避け、田舎道を方位磁石とフロンクハイト製古地図を頼りに進んでいる。


「イマムーサ、済まぬな」


 声をかけてきたのはアハティサーリの息子。

 名目上はこの集団の長とされる男性である。

 イマムーサの夫、アハティサーリ枢機卿ウルホは戦死した。

 彼女の目の前で、体に油を掛けられて焼かれたのだ。

 どうにもならない敗北であった。

 アハティサーリの夫人たちも死を選んでいる。

 長年連れ添った月の民の夫婦、特に正夫人格で男性との間に子を成している女性は夫に大きく依存している。

 精神的にも肉体的にも一体化と言って良いほどの存在となるのだ。

 吸血鬼、月の民は精神的に死亡する。

 長年連れ添った夫人を失った男性も時に死を選ぶ。

 女性の場合は夫である男性が死ねば、ほぼ終わりである。

 稀に『上書き』と称される手法で生き延びる女性もいるが、この場合は元の夫よりも魔力量に優れる男性が必要となる。

 アハティサーリのような枢機卿ではどうにもならない。

 そのようなことで、アハティサーリの正夫人は全員死を選んだ。

 イマムーサを残して。

 イマムーサもアハティサーリの正夫人ではあった。

 決して粗略な扱いではなかった。

 だが、彼女がアハティサーリの正夫人となったのは『永遠の霊廟』事件の後だ。

 未だ一年に満たない。

 故に彼女はアハティサーリの子を成していないし、それほど染まってもいなかった。

 実を言えばイマムーサもアハティサーリの後を追おうとしたのである。

 しかし、他の正夫人たちから止められた。

 今回の遠征にアハティサーリは多くの一族を引き連れてきていた。

 男性血族も多かったが大半は戦死していた。

 魔力量の高い男性指揮官が集中的に狙われた結果である。

 だが、一人だけ生き残っていた。

 まだ五〇歳にも満たない若年。

 しかし、その年齢でありながらアハティサーリが遠征に連れてきただけあって魔力量は高い。

 百年二百年の後には枢機卿も狙えるかもしれない。

 生きてほしい。

 生きて、彼を支えてほしい。

 アハティサーリ家を断絶させないで欲しい。

 正夫人たちに懇願され、息子本人にも頼まれ、イマムーサは生きることを選ぶ。


 そして、イマムーサたちは逃げた。

 戦場から脇目も振らず、全てを捨てて逃げた。

 もはやケイマン軍がどうなろうと知ったことではない。

 十一月九日の夜は夜通し歩いた。

 夜は、夜目が効き魔力探知に優れた月の民が有利である。

 だが、翌十日の日が明けた頃から休憩を入れた。

 二時間ごとに小休止、四時間ごとに大休止。

 追手が少ない事が幸いした。


「我ながらこんなに体力がないとは、な。

 其方に頼ってばかりで済まぬ」


「お気になさらないでください。

 休止することで合流者が増えます。

 人数が多い方が何かと有利です」


 月の民は魔力探知に優れる。

 特に、同族、遺伝的に近しい者の存在は何となくわかる。

 具体的な位置までは分からないが、大体の方向と距離が分かるのだ。

 休止することで同族の合流が期待できる。

 実際、十日の朝から合流する者が増え、当初五〇人に満たなかった集団は既に一〇〇人を超えている。

 ウルホ家の系列が大半だが、もう一つの大隊マウノ家の系列も何人かいる。

 男性も増えた。

 まだ一桁だが女性の魔力補給からすれば貴重である。


 集団を見渡してイマムーサは思う。

 そろそろ同族の合流は頭打ちだろう。

 脱出のためには移動速度を上げねばならない。

 時間の経過と共に敗北が広範囲に伝わり、落ち武者狙いが増える。

 だが、とイマムーサは思う。

 移動速度を上げたら脱落者が続出するだろう。

 集団は若者が多い。

 若年で能力が低めで大隊の後方にいた者ばかりなのだ。

 後ろにいたから助かった。

 アハティサーリの息子をはじめとして彼らの能力は決して低くはない。

 引き籠り体質のフロンクハイト貴族の中から遠征に志願した者たち。

 意欲もあれば能力もある。

 だが、経験が圧倒的に少ない。

 挫折も知らない。

 故に敗北で打ちひしがれ、一族の長を失って意気消沈している。

 今立って歩いているだけで精一杯の者も少なくない。

 アハティサーリの息子からして疲労困憊だ。

 彼は、知識も教養もある。

 しかし、フロンクハイトの外に出たのは今回が初めて。

 地図の使い方、野営の仕方、戸外での警戒の仕方、知識として習っていても実践は初めてなのだ。

 故にイマムーサが指示を出さねばならない。

 最も年上で魔力量も高く、経験に優れるイマムーサが実質的なリーダーなのだ。

 アハティサーリの夫人たちがイマムーサに懇願した理由が良くわかる。

 彼女がいなかったら集団はとっくに崩壊していただろう。


 それでも限界は近い。

 若者たちには休憩が必要だ。

 まとまった睡眠と食事、それがなければ活動は継続できない。


「あー、やっと見つけた。

 良かったわー、獲物が無駄にならなくて」


 いきなり目の前に少女が立っていた。

 正確には、集団のリーダーらしき少女と、その従者らしき数人。

 従者の女性が背負っていた鹿の死体をどさりとおろす。


 どこから現れたのか?

 見張りは何をしていたのか?

 今更ながら慌てた見張りが剣を抜いて走ってくる。

 野営地の中央まで入られた時点で手遅れだが。


「一応、味方よ。

 ほら、フロンクハイトの紋章。

 ああ、見張りは怒らないでおいてね。

 私、最近、魔力隠蔽を勉強しているの。

 ご主人様の横に立つのに必要だからね。

 中々うまくなったでしょう。

 下っ端だと分からなくて当然だから」


 イマムーサは身振りで見張りに剣を下すように命じた。


「鹿は食べちゃって。

 どうせ、あんまし食べてないんでしょう?

 それから、こっちの男」


 少女は後ろにいた男三人を手招きする。


「近場で見つけて威圧した魔導士よ。

 下の者に吸わせてやって。

 三人とも従魔導士だけど、この際文句は言わないで欲しいわ。

 いないよりはマシなんだから。

 ああ、殺すのはダメよ。

 死体が見つかったら色々と面倒だから」


 少女は一方的に話し続ける。


「其方は何者だ?」


 イマムーサの横にいたアハティサーリの息子が尋ねた。


「ああ、名乗ってなかったわね。

 ウィルヘルミナよ。

 そちらの、シュタール家のイマムーサさん、だっけ?には昨日、じゃなくて一昨日の夜に会ってるわ。

 その時は覆面してたけど」


「恐らく味方です」


 イマムーサはアハティサーリの息子に断って少女に向き直った。


「それで、ウィルヘルミナさん、ですか?

 ご用は何でしょう?」


「同族の好で、ちょっとした情報交換と今後の相談って所かしら。

 私、ヘロン河の西から望遠魔法で観戦してたんだけど、どうも肝心な所を見逃したみたいなのよ。

 途中で雨が降ったでしょう。

 あれで、ご主人様を見失っちゃって。

 最前線見とけば何とかなると思ってたんだけど、まあ、アハティサーリ殿とクロスハウゼンの戦いが見られたのはそれなりだったけど」


 アハティサーリが戦死した戦いを『それなり』扱いする少女にイマムーサたちがムッとするが、少女は空気を読まずに話し続ける。


「なんかよく分からないんだけど、帝国軍の一部がケイマン総司令部を襲撃したって話じゃない。

 誰か詳しく知っている人はいない?」


 イマムーサたちがいたのは最前線だ。

 ケイマン総司令部襲撃など知る筈もない。

 だが、合流したハロネン系の者が情報を提供した。

 総司令部の横でマウノ・ハロネンの死体を守っていた者である。


「ふーん、やっぱり襲撃は本当なんだ。

 マリセア・ネディーアールがオライダイにつっかけて、それから、カンナギ・キョウスケが追いついて、オライダイの両手首を切り落としちゃったと。

 ふーん、すごいわね。

 すごいけど、なんか、フツー。

 もっとさあ、なんかすごい事なかったの?

 オライダイを威圧しちゃって、おしっこちびらせたとか、百人ぐらい一発で潰しちゃったとか、こう、明らかに常識をブッチするようなとんでもないのは?

 えっ、パンツだらけになった?

 生パンツ大王?

 あんた、何言ってんの?

 ジョーシキ、ないの?」


 この少女には誰も常識とは言われたくないだろう。


「うーん、明らかに帝国内に居られなくなっちゃうぐらいの活躍をするって見込んでたんだけど、ある意味、期待外れ?

 あー、でも、注目はされるだろうから、やっぱ、帝国から追い出されるのは既定路線でしょうね。

 問題は、それが何時かって話で、・・・」


 一人思考に浸る少女に、イマムーサたちが困惑する。


「ああ、ゴメン。

 鹿、食べちゃって。

 おなかすいてるでしょう。

 そこの男たちも、限界まで吸っちゃっていいから。

 食事しながら話しましょう」


 食事が欲しかったのは確かである。

 イマムーサたちの集団は昨日からわずかな携帯食料以外口にしていない。

 吸血鬼と言われる存在でも食事は必要なのだ。


「それで、あなたたちはこれからどうするのかしら?

 結構、限界のように見えるけど?」


 ある程度、食事が進んだところで、少女がイマムーサに尋ねた。


「確かに、限界が近いのは自明でしょう。

 このままではフロンクハイトまで持ちません。

 せめて、ギガウォックまでたどり着ければとは思いますが、それもきつい」


 イマムーサは、素直に窮状を訴えた。

 僅か一日と少し放浪しただけで集団はボロボロだ。

 少女がやったように野生動物を捕らえることすら実行できずにいる。


「同族としてお願いしたい。

 近くで休養できる場所に心当たりは無いだろうか?

 食事があるだけでも良い。

 数日でも休養できればかなりマシになる」


 イマムーサは少女を信じているわけではない。

 だが、このままでは限界だ。

 この近辺は、ケイマン軍と帝国軍の双方が略奪した地域である。

 近隣で残っているのは廃屋だけだ。

 使える建物はあるかもしれないが、食糧は残っていない。


「まあ、この辺りでまとまった食事と休養場所があるのはケイマン軍か、帝国軍のいる所だけでしょうね」


「現状、ケイマンも信頼は難しいと思う」


「確かに!」


 イマムーサの指摘に少女が即答で同意する。

 元々、ケイマンとフロンクハイトの関係は劣悪だ。

 こちらが同盟を継続していると認識していても、あちらがそう考えている保証はない。

 何より、この地区では貴重な食料を分け与えてくれるかは疑問だろう。


「まあ、当てがないとは言わないわ。

 だから、ここに来たわけだし」


 少女はいたずらっぽい仕草で笑う。


「でもね、根本的な話として、あなたたち、このままフロンクハイトに戻るのかしら?」


「戻るしかないと思うが」


「戻って、いえ、戻ったらどうなると思います?」


 そこまで、言われてイマムーサは気が付いた。


「今回の敗北、フロンクハイトには大事件だわ。

 二人の枢機卿と二千人の同族魔導士を失った。

 これだけでも被害は甚大。

 加えて、ケイマンに提供した物資と技術、資金。

 帝国内の工作に費やした費用も巨額。

 フロンクハイトで責任追及という名の吊し上げが始まるのは確実かしら」


 イマムーサの横では、アハティサーリの息子が愕然としている。


「情報が伝われば残った枢機卿の間で凄絶な政争が始まるでしょうね。

 そこに、アハティサーリ・ウルホの息子や、ハロネン・マウノの息子が。アハティサーリの正夫人がのこのこ戻ってきたら、責任がなすり付けられるのは確実だと思うけど」


 イマムーサもフロンクハイトの体質は熟知している。

 少女が言う所は正しいだろう。

 通常の精神状態ならばイマムーサもとっくに気が付いていたはずだ。

 だが、眼前の事態に、そこまで気が回らなかった。


「あなたなら、私たちに行く先を提示できると?」


「まあね」


「見返りは?」


「あのね、私、僕が欲しいの」


 意味が分からない。


「私、これでもアハティサーリの事、高く評価していたのよ。

 彼はフロンクハイトの現状を憂え、その打開策を模索していた数少ない人物だった。

 アハティサーリ、そして、ハロネン亡き後、フロンクハイトが内部から改革できる見込みはないわ。

 残りの枢機卿は自己保身だけ。

 教皇は現状を憂えてはいるけど、それを打開できる体力が無い」


 この少女は、一体何者だろう?

 イマムーサもフロンクハイトでは上位の貴族。

 枢機卿の正夫人にまでなった女だ。

 だが、目の前の少女はフロンクハイトの中枢により近い可能性がある。


「つまり、私たち若者が生き延びるには、外に出るしかない。

 外から改革するしかない。

 そして、現状、月の民を改革できる人物として最も可能性が高いのは、ご主人様なのよ。

 預言者の自覚が無い預言者、ね」


 この少女はなにを言っているのだろう?

 先ほどから意味不明の言動が多すぎる。


「そして、私がご主人様に取り入るのに、私個人だけでは今一つ力不足。

 付加価値を付ける必要があるわ。

 だから僕が欲しいの」


「つまり、私たちにあなたの部下に、僕になれと?

 そうすれば助けてやると?」


「まあ、そんなとこかしら。

 あなたたちにとっても、フロンクハイトという沈みかけた船に乗っているよりはマシだと思うのだけど」


 イマムーサは思考を巡らせる。

 確かに、このままフロンクハイトに戻っても良いことは無さそうに思える。

 本来ならば国家のために戦い敗北した者に国家は応分の配慮を示すべきだろう。

 だが、現状のフロンクハイトはそうではない。

 イマムーサがフロンクハイトに戻れば、良くて記憶抹消刑だろう。


「まずは、お聞きしたい。

 ウィルヘルミナさんと言いましたね。

 あなたは何者です?」


「フロンクハイトの高位の貴族の一人ってとこかしら」


「それで、信じろと?」


「あなたたちに選択肢があるとは思えないのだけど」


 少女は笑みを絶やさない。


「私はフロンクハイトの貴族、シュタール家の者として百年以上、二百年近く生きてきました。

 ですが、私はあなたを知らない。

 アハティサーリ様はあなたの事を知っていたようです。

 アハティサーリ様はあなたを優遇していました。

 失礼だが、あなたは大変、若く見える。

 一つだけ教えて欲しい。

 あなたは何歳ですか?」


「十三歳よ」


 少女の返答にイマムーサは驚愕した。




 ━━━ガーベラ会戦の活躍によりKKは一気に歴史の表舞台に躍り出た。しかしながら、その活躍はしばしば揶揄の対象とされる。KKとケイマン族長オライダイは双方下着を被った状態で戦ったとされる。これが後に『孤高の変態』と称されたKKのデビューであると。━━中略━━この説話が真実なのか否か、記録は曖昧である。『KK記』には『KKがオライダイとの戦いで下着を被ってはいなかった。KKの兜や肩の上、あるいはその手の上に下着が積まれたのは戦闘終了後である』とある。━━中略━━『KK記』はオライダイが下着を被っていたことを否定していない。また、KK自身も戦闘の後には複数の下着を被っていたと示唆している。━━中略━━結局、どのような事情でこうなったのか、諸説あるが結論としてKKが特殊性癖者であることは揺るがないのであろう。━━中略━━しかしながら、そうであってもKKが一躍帝国内外の耳目を集める強者として台頭した事実は残る。━━中略━━そして、この戦いで多くの捕虜を獲得したKKはその類稀な精力でも脚光を浴びることとなる。━━━

『ゴルダナ帝国衰亡記』より抜粋

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