07-38S インタールード 結末

 ケイマン軍第一軍団長ニグスレクチは当惑していた。

 オライダイ庶長子エルベクの第三正夫人バールマタ。

 彼女は夫が謀殺されたと主張している。

 エルベクは敵魔導砲の直撃により戦死していた。

 この戦死はエルベクの盾に細工が成されていたから、というのがバールマタの主張である。

 そして彼女は、それがオライダイ第一正夫人イェケの指示で行われたと主張している。

 証人もいるという。


 ニグスレクチはオライダイの若年時よりその才能を認め、後援してきた男である。

 周囲からはオライダイの父代わりと言われている男だ。

 エルベクもニグスレクチにとっては孫のような存在である。

 だが、戦場での話はまた別。

 今回の戦いは予定外の激戦だ。

 エルベク自身何度も敵に狙われている。

 エルベクの第一正夫人は魔導砲の直撃を受け戦死、第二正夫人も重傷だ。

 第三正夫人であるバールマタがエルベクの補佐を務めていたのは、そのような事情からである。

 特に、今回の突撃ではエルベクは先頭で突撃している。

 敵魔導砲が狙うのは当然。

 エルベクの力量でも、少しでも受け損なえば終わりだ。

 報告では、敵の魔導砲には二種類あるという。

 同じように見えても威力と射程が異なると。

 今回、エルベクが受け損なった魔導砲は高威力の物だったようだと。

 そうであれば、エルベクの戦死は単なる名誉の戦死である。


 だが、一方で、エルベクの盾に細工の痕跡が残っていたのも事実らしい。

 更に、オライダイ第一正夫人イェケが軍議の後に、何故か、第一軍団司令部に存在していたのも事実である。

 ニグスレクチ自身が驚いて、何故ここにいるのかと問いただしたぐらい不自然な話であった。

 イェケは直後に総司令部に戻ったというが。

 そして、彼女にはエルベクに死んでほしい理由もある。

 何とも頭の痛い話だ。


 だが、戦いは継続している。

 エルベクの死は確認が必要だが、緊急にではない。

 ニグスレクチは意識を切り替えた。

 目の前の戦いに勝つこと、それが最優先事項だ。

 幸い、戦いは順調に推移している。

 既に味方重装歩兵集団は敵第五線陣地、尾根を越えている。

 後続の親衛騎兵大隊も尾根の向こうに消えた。

 第一騎兵旅団も突撃を開始している。

 予定では、重装歩兵大隊は第六線陣地前で中央を開けて、騎兵を通す手筈だ。

 攻撃は順調に推移しているのだろう。

 敵の第六線陣地がどの程度かは分からないが、これまでの陣地と大差ないはず。

 下り坂で勢いをつけた親衛騎兵大隊での突破は問題ないだろう。

 後は、敵魔導砲と、カンナギ中隊、そして、クロスハウゼン・バフラヴィー、この辺りの抵抗がどの程度になるか。

 そして、損害がどうなるか。

 精鋭の第一親衛大隊、親衛騎兵大隊、重装歩兵集団が、どれだけ生き残ってくれるのか。

 勝利したとしても、二つの親衛大隊の損害が大きければ、今後の戦略に支障をきたすのは明白だ。

 重装歩兵もせめて二〇〇〇は残ってほしい。

 しかし、これまでの推移からすれば、突破成功と引き換えに大量の損失が出るのは避けられないだろう。


 ニグスレクチは焦れる。

 ニグスレクチは根っからの戦士である。

 正直、エルベクが戦死したと聞いた時には反射的に自ら前線に立とうと宣言したほどだ。

 だが、周囲から止められ、本人も考え直し、今に至る。

 部下に任せることも軍団司令官の責務だ。

 どの道、最前線の突撃には間に合わなかっただろう。


 ジリジリと、待つ。

 伝令が次々と飛び込んでくる。

 第六線の攻防は未だに良くわからない。

 そこに、無視できない伝令が来た。


「左側面に敵ベーグム師団が攻勢を開始しました。

 第一歩兵連隊です!」


「来たか!」


 ニグスレクチが立ち上がる。

 帝国軍唯一の正規部隊ベーグム師団。

 その最精鋭とされる第一歩兵連隊はこの日一度も確認されていない。

 帝国軍の最終予備であるこの部隊がどこに投入されるのか、それがケイマン軍にとって最大の懸案であった。

 恐らくは第六線陣地に投入されるだろうとの予測。

 しかし、反撃での使用も想定されていた。

 そして、反撃で投入されるとすれば、突撃部隊の側面。


「正確な反撃位置は?」


「我が方の第一軍団と第二軍団の結節点です」


「カンナギ中隊は同行しているか?」


「少なくとも現在の所、ベーグム師団以外の部隊は認めておりません」


 ニグスレクチは一息つく。

 想定していた場所への攻撃。

 だが、カンナギ中隊がいないのであれば恐れる必要はない。


「第二軍団に通達。

 第二軍団第四歩兵師団の指揮権は現時点を以て第一軍団に移す。

 第四歩兵師団に命令。

 攻勢は中止。

 事前の想定、敵反撃対応第二案に従い、ベーグム師団の反撃に対処せよ」


 帝国軍の内情は調べがついている。

 今回の帝国軍で、個別に対処が必要な戦闘力を持つ敵魔導士は全てクロスハウゼン旅団にいる。

 ベーグム師団は今年春のレトコウ紛争で損害を受けており、魔導士が少ない。

 ベーグム師団副師団長ニフナレザーは事前に捕虜になり、師団長アリレザーも直前に倒れたとの情報だ。

 今現在、ベーグム師団にいる魔導士は、上級かそれ以下だ。


 元々、ケイマン族の兵士と帝国軍兵士ではケイマン族兵士の方が身体能力は高いとされる。

 帝国軍が優れるのは投射魔法の質と量であり、故に帝国軍はこれに大きく依存していた。

 そして、帝国軍の攻勢では、上級魔導士以上、特に守護魔導士、国家守護魔導士の存在が重要とされる。

 防御戦闘であれば、呪文詠唱の暇もある。

 だが、攻勢では臨機応変な魔法支援、つまり、短縮詠唱あるいは無詠唱魔法が必須。

 でなければ戦況に追随できない。

 攻勢を維持できないのだ。

 現在のベーグム師団には、その高位魔導士が決定的に少ない。

 カンナギ中隊が同行した場合は厄介だが、ベーグム師団だけの攻勢であれば短時間で失速するだろう。


「ベーグム第一歩兵連隊の反撃に対処する部隊に伝えよ。

 敵の攻勢は確実に息切れする。

 最初の勢いは受け流し、ある程度引き込んでから殲滅せよ」


 ニグスレクチの冷静な指示に部下たちが信頼の眼差しを向ける。

 だが、その次の報告にはさすがの彼も平静ではいられなかった。


「申し上げます。

 総司令部の、オライダイ陛下の旗が倒れております!」


 慌ててテントを出る。

 後方を見れば総司令部テントが崩壊していた。

 場が騒然とする。

 だが、直後、総司令部の旗が立て直された。


「何らかの要因で、テントが崩壊しただけ、でしょうか?」


 幕僚の一人が不安を打ち消すように問いかける。

 ニグスレクチが反射的に考えたのは、オライダイ第一正夫人イェケである。

 あの女は、自分の利益のためであれば何でもやる。


「総司令部は無事だ。

 我らの任務に戻るぞ!」


 幕僚の問いには答えず、第一軍団の司令部テントに戻る。

 今はベーグム師団の反撃に対処するのが最優先だ。

 勿論、総司令部に伝令は送ったが。

 だが、テント内で業務を続けられたのは数分だった。


「総司令部の旗が再び倒れました!」


 再度の報告は厳しいものだった。

 テントを出てみれば確かに総司令部の旗がない。


「狼狽えるな!

 総司令部の旗が倒れたからと言って、オライダイ様が死んだとは限らん!

 いや、必ず生きておられる!」


 正直な話をすれば、総司令部テントが崩壊し、一度立て直された旗が再び倒れた状況はかなり厳しい。

 だが、ここは、こう言わねばならない。

 しかし、そこに、前線からの伝令が到着する。


「アハティサーリ枢機卿が戦死されました。

 第一親衛大隊、親衛騎兵大隊もほぼ壊滅との話です。

 現在、残存部隊が、尾根筋のライン、帝国軍第五線陣地跡を利用して防衛に努めておりますが、兵士が浮足立っており、長くはもたないとの事であります!」


 何を言っているのか理解できない。

 ニグスレクチだけでなく、第一軍団司令部幕僚全員が呆気にとられている。


「帝国軍第六線陣地で苦戦して、追い返されたということか?」


 第一軍団首席幕僚が問う。


「いえ、自分が聞いたのは、壊滅という話です」


 伝令が冷や汗を拭う。


「第一親衛大隊だけでなく、第一歩兵師団の重装歩兵大隊、第二歩兵師団の重装歩兵大隊も、ほぼ全ての重装歩兵が堀に落ちた、との話です。

 自分は第五線陣地の手前までしか行っておりません。

 それ以上前は、混乱が酷く、とても進めない状況でした」


「アハティサーリ枢機卿が戦死したのは確かか?」


「は、敵総司令官クロスハウゼン・バフラヴィーと戦い戦死されたとの話です。

 アハティサーリ枢機卿は一対一では優位に戦っておられたそうですが、牙の民でありながら帝国に従う魔導士ゲレト・タイジがバフラヴィーを助け、枢機卿は敗死されたと」


 伝令が心底悔しそうに報告する。

 ゲレト・タイジは確かガウレト族とかいう弱小部族に出現した投射系魔導士だ。

 守護魔導士の資格を取ったとされる逸材とニグスレクチは聞いている。


「何故、アハティサーリ殿を一人で突出させたのだ!

 他の兵士は、何故、続かなかったのだ!」


「敵陣地には巨大な堀があったそうです。

 それを飛び越えられたのは枢機卿だけでした。

 よほど、身体魔法に優れた者でなければ飛び越えられなかったと。

 エルベク様が加勢されていれば、こうはならなかったと、現場を見ていた大隊長が証言しておりました」


「たった一人で、敵の総大将を引きずりだすまで戦ったが、最後の最後で力尽きたということか」


 老齢の第一軍団長が瞑目する。


「それで、現在、前線の指揮は誰が執っているのだ?」


「それも、ご報告すべき重要事項であります。

 現在、前線では、生き残った大隊長が個別に指揮を執っております。

 師団長、旅団長、連隊長で生き残っている者はおりません。

 第一親衛大隊長、親衛騎兵大隊長も戦死と聞いております。

 第一騎兵旅団長代理も所在不明で、戦死した可能性が高いと。

 このため、全体の戦況を把握している者がおりません。

 早急に全体の指揮を執る者が必要と愚考いたします」


 ニグスレクチは頷くと第一軍団首席幕僚に向き直った。


「第一歩兵師団、師団長臨時代理に任命する。

 前線に赴き、事態を収拾せよ。

 しかる後、可能な限りの兵を救い撤退するのだ」


 首席幕僚が敬礼する。


「最前線には出るな。

 その兜飾りも外しておけ」


 首席幕僚が不満気な顔になる。

 兜飾りなど目立つ軍装は高級士官の誇りである。


「敵魔導砲に狙われる。

 撤退戦で武功は不要と心得よ」


 首席幕僚が、兜飾りを外し、自分の配下を引き連れて退出する。

 彼と入れ替わりに入ってきたのは総司令部に向かわせた伝令だった。


「こちらに来い!」


 伝令の顔色を見た瞬間にニグスレクチは怒鳴っていた。

 近くまで来た伝令の耳元に囁く。


「オライダイ様はダメか?」


 伝令が首を縦に振る。


「誰だ?」


「名目上は、カゲシン内公女マリセア・ネディーアール。

 実質は、カンナギ・キョウスケとの事」


「不意打ちか」


「それが、正面からの一騎打ちで倒された由」


 伝令の言葉にニグスレクチが天を仰ぐ。


「わしがいいと言うまで誰にも言うな」


 伝令が畏まる。

 どの道、一時間もしないうちにオライダイの戦死は全軍に知れ渡るだろう。

 だが今は、その一時間、いや、数分でも貴重だ。

 最前線で突撃した第一軍団の精鋭はケイマン族の次代のために一人でも多く救わねばならない。

 彼らの撤退の目途が付くまでは、第一軍団司令部が崩壊するわけにはいかないのだ。

 ニグスレクチは動揺を微塵も出さずに指示を出し続ける。


「ベーグム第一歩兵連隊はどうなっている?」


「それが、まだ止まっていない、ようです」


 幕僚の一人が報告する。


「第四歩兵師団は?」


「戦線に参加していますが、ベーグムの勢いを止められません」


 別の幕僚が答える。


「実は、もう一つ要因があります。

 前線に突撃していた第一騎兵旅団が停止し、敗走しているのです。

 これが丁度、ベーグム第一歩兵連隊の突出地点と重なり、混乱が増幅しております」


 第一騎兵旅団は総司令部直属で、厳密には第一軍団にも第二軍団にも所属していない。

 退却してきた第一騎兵旅団はベーグム第一歩兵連隊の突出で退却路を塞がれ、混乱状態に陥っているという。

 命令系統の異なる部隊が混在し、混乱を助長する。

 典型的な負けパターンだ。

 何をやっているのか。

 ニグスレクチは舌打ちする。


「わしが前に出る。続け!」


 ニグスレクチの決断は早かった。

 混乱を収めるには高位指揮官が出るしかない。

 それにしても、と老指揮官は思う。

 ベーグム師団第一歩兵連隊は確かに精鋭だ。

 朝から温存されていたから体力もあるだろう。

 だがそこに、優秀な魔導士はいない。

 クロスハウゼン・バフラヴィーも、カンナギ・キョウスケも、更に言えばゲレト・タイジも他で確認されている。

 魔導砲もないのだ。

 ケイマン軍の正規歩兵がそれを止められないなど有り得ない!


 ニグスレクチは軍団司令部を次席幕僚に任せて前線に出る。

 出てみればそこは混乱の坩堝だった。

 そして、彼は素早く状況を把握する。

 確かに、棒立ちになり、闇雲に敗走する騎兵が混乱を助長しているのは確かだ。

 だが、それ以上に敵軍の攻勢が厳しい。


「敵に高位の魔導士がいます。

 少なくとも三名。

 うち一人は、国家守護魔導士と思われます。

 このままでは守り切れません。

 増援が必要です」


 前線の大隊長の報告にニグスレクチは目をむく。


「敵の国家守護魔導士は全員、他の方面で確認されている。

 ここにその様な者はいない!」


「しかし、・・・」


 その時、巨大な爆発が襲った。

 敵のファイアーボールだ。

 まだ雨は残っている。

 雨の中での、この威力。

 確かに、並の魔導士ではない。

 周囲の兵士が吹き飛ばされる。

 爆発が収まった時、立っていたのはニグスレクチと大隊長の二人だけだった。

 長年、ニグスレクチを支えてきた夫人たちまでもが、膝をつき、あるいは倒れている。

 かなりの火傷を負ったらしい。

 間髪入れずに敵兵が躍り込んでくる。


「敵指揮官!師団長、いや、軍団長だ!」


 どうやら狙われたらしい。

 兜飾りを外していなかったのは間違いだったと、ニグスレクチは後悔した。

 部下には指示していたのに、既に撤退戦なのに、だ。

 白兵戦が始まる。

 真っ直ぐにニグスレクチに突っ込んできたのはまだ若い兵士だった。

 若いが高級な鎧に身を包んでいる。

 高位貴族だろう。

 魔力量もかなりある。

 ニグスレクチは兵士の紋章がクロスハウゼンであることに気付いた。

 重い一撃が来る。

 強い。

 魔力量だけなら負けているだろう。

 だが、基礎筋力は彼の方が上だ。

 そして、経験が違う。

 クロスハウゼンの兵士は技量も体力も充分。

 だが、その剣筋は真直ぐで読みやすい。

 ニグスレクチが負けることは無い。

 しかし、それが彼の油断を誘った。


「レザーワーリ!」


 兵士が叫ぶと同時に屈みこむ。

 直後、ライトニングボルトが来た。

 咄嗟に盾を出したのはニグスレクチの経験の賜物だろう。

 しかし、彼は驚愕した。

 魔法を受け止めた盾にひびが入ったのだ。

 この盾はニグスレクチが初めて旅団長に就任した際に時のケイマン族長、オライダイの父親から下賜された物である。

 長年愛用してきたから劣化していたのはあるだろう。

 だが、ここで壊れるとは。

 いや、敵の魔法が尋常でないのだ。


 半ば破壊された盾を敵に投げつけると、両手で剣を構える。

 ニグスレクチは冷静に計算する。

 目の前の兵士には負けないが、その後ろの魔導士は脅威。

 ここは逃げるべきだろう。

 彼は逃げを打とうとして、そして、躊躇した。

 ここで、彼が逃げたら前線は崩壊する可能性が高い。

 その迷いが悪かった。

 再びのライトニングボルト。

 魔法には呪文詠唱が必要だ。

 短縮詠唱、無詠唱と言っても頭の中で呪文を構築するのは変わらない。

 よって、次の魔法には三〇秒、極めて優秀な魔導士でも十五秒はかかるとされる。

 だが、まだ十秒と経っていない!

 こんな短時間で、これ程の魔法を連発してくるとは!

 ニグスレクチは質の高いプレートメールを身に着けている。

 盾無しで魔法を受ける訓練もして来た。

 帝国正魔導士のライトニングボルトであれば、直撃でも耐えられる。

 だが、今回のはダメだった。

 喰らった瞬間、体が硬直するのが分かった。

 そのまま地に倒れる。

 誰かがのしかかってくる。

 頭部に打撃が加わる。

 そして、彼の意識は途絶えた。


 ケイマン軍第一軍団長、ケイマン軍最古参の将軍ケイマン・ニグスレクチは、クロスハウゼン・ガイラン・トゥルーミシュにより討ち取られた。




「そうか、オライダイ陛下は身まかられたか」


 ケイマン軍第二軍団長バト・モンケはケイマン族特有の縞模様の頬髭を捻りながら軽く息をついた。

 彼の目の前には総司令部から脱出した士官の一人が畏まっている。

 恐怖のためか、今も顔色が悪い。


「しかし、カンナギ・キョウスケ、か。

 オライダイ様の籠手を両方とも切り落とし、周りの兵士十数人も一撃で、って、そんなこと有り得るのか?」


「確かに、俄かに信じがたい話ではありますが、他の兵士も同様な証言をしております。

 どうやら事実かと」


 モンケの言葉に幕僚が応える。


「よくわからんが、総司令部が壊滅したのは事実みてーだしなぁ」


 第二軍団長が熟考に入る。

 そこに再び、報告が入った。


「第一軍団司令部の旗が倒れました!」


「撤退だ!」


 モンケは瞬時に立ち上がる。


「直ちに第二軍団全軍撤退だ。

 北上して、北のヘロン河渡河点に向かう。

 商隊にもそのように伝えろ!」


「まだ、第一軍団の敵陣突破が成るかもしれません!」


 幕僚の一人が叫ぶ。


「ねーよ!」


 モンケが反射的に怒鳴る。


「第一軍団の突破が順調だったら、第一軍団司令部が崩壊することは無い。

 ニグスレクチ殿はそんなヘマはしない。

 第一軍団の突破が失敗して、その余波で第一軍団前線が崩壊したんだろう。

 総司令部を潰した、カンナギってーのもいる。

 まごまごしてるとこちらもやられるぞ!」


「第三軍団との連携は如何いたしましょう?」


「あー、ダヤンの奴は前に出過ぎだ。

 こちらは逃げる、とだけ伝えておけ。

 メハン川東の部隊にも、だ。

 ヘロン河西岸の第四軍団には、メハン川東岸の第201師団経由で連絡させろ」


「逃げる、と伝えるだけでよろしいのですか?」


「他に、どーしろってんだ?」


 モンケが声を張り上げる。


「ダヤンの第三軍団は前に出過ぎだ。

 今、目の前にいる帝国軍、ベーグム師団とアナトリス旅団は敵の中でも精鋭だ。

 こいつらを抑えながら第三軍団との間の戦線を作るだけの兵力はない。

 やるとしたら、第二軍団の全部で第三軍団と合流だが、それだと、丸ごと包囲される。

 こっちはこっちで、あっちはあっちで、それぞれ逃げるしか手はない」


 モンケは第三軍団が前線で包囲された方が、第二軍団の撤退成功確率が上がると計算していたが、それは口に出さなかった。




 ケイマン第三軍団長ボラト・ダヤンは憔悴していた。

 第三軍団の最終攻勢は順調に推移していた。

 第三軍団は比較的軽微な損害で帝国軍陣地を奪取し、前進していた。

 ダヤンは前日の汚名返上とご機嫌だったぐらいだ。

 だが、隣の第一軍団がまずおかしくなる。

 続いて総司令部が倒れ、更に第一軍団司令部も崩壊。

 そこに、敵が反撃を開始した。

 ダヤンは取りあえず、敵の攻勢を食い止めた。

 敵は、ミッドストン旅団とタルフォート旅団、ヘロン城内から守備隊の一部も出てきているらしい。

 だが、兵力はこちらが多い。

 敵の攻勢は余裕で止めた。

 止めたが、後から考えるとこれが良くなかったらしい。

 とっとと逃げるべきだったのだ。

 こちらより劣勢の敵が攻勢に転移した時点で気付くべきだったのだろう。

 敵は、こちらが後退できないよう攻勢に出たのだから。

 止めている途中で第二軍団からの伝令が来たのだが、「第二軍団はヘロン河北方の渡河点まで撤退する」と一方的に通告して去っていった。

 質問の暇すらない。

 そこに、東から第一軍団の敗残兵が押し寄せる。

 後ろに帝国軍を引き連れて。

 ダヤンは敗残兵を再編成し、懸命に退却戦を戦ったが、正面だけでなく、東側面からも攻勢を受けての退却戦は容易ではない。


 そして、気が付けばダヤンの第三軍団はヘロン河を背に半円形の防御陣を敷く羽目に陥っていた。

 辺りは既に暗い。

 敵の攻勢は止まっている。

 一時的な物だろう。

 帝国軍からは降伏勧告の使者が来た。


「最後のチャンスだ。

 暗闇に乗じて逃げる。

 敵中突破だ。

 動ける者を全て集めろ!」


 残っている兵士はまだ一万を優に超える。

 だが、敵中突破を実行しうる者は三〇〇〇に満たない。

 それでもダヤンは敵中突破を選択した。

 降伏は論議されなかった。

 ベーグム・ニフナレザーを吸血鬼の精液奴隷に堕とし、それを見せつけたのはつい昨日。

 今、降伏すれば男性は全員、自殺すらできない自我を失った精液奴隷にされる。

 実際の話をすれば、帝国軍が捕虜をそこまで過酷に扱うかは、疑問だろう。

 だが、ダヤンたちはそうは考えなかった。

 何故なら、つい数時間前まで、自分たちが帝国軍捕虜をそのように扱おうと決めていたからだ。

 勝者がそんなぬるい話をするわけがない!


 こうして、最後の突撃が敢行された。

 結果は、兵員の過半がヘロン河に追い落とされるという結末だった。

 突撃を率いたとされるケイマン軍第三軍団長ボラト・ダヤンの死体は確認されていない。


 帝国歴一〇七九年十一月九日二十一時、ヘロン高原における主要な戦闘が終結した。

 後世、『ガーベラ会戦』と呼称される事となる戦いは、帝国軍の奇跡的勝利で幕を閉じたのである。




 ━━━ガーベラ会戦における帝国軍の勝利の最大要因が、中央部第六線陣地を利用した反撃であることは論を待たない。KKが発案し、クロスハウゼン・バフラヴィーが採用した『反斜面陣地』は初めてであるが故に破滅的な効果を発揮した。━━中略━━KKは『反斜面陣地』をアーサ・ウイーズリー、伝承により諸説あり、の模倣であると証言しているが、恐らくは彼の独創であろう。━━中略━━帝国軍の勝利が『大勝利』へと発展したのはKKによるケイマン総司令部襲撃・ケイマン・オライダイ抹殺、そして、ガーベラ公爵夫妻、当時はベーグム姓、による第一軍団長ケイマン・ニグスレクチ討ち取りが大きい。特に、ケイマン軍最古参でありある意味オライダイよりも信頼されていたニグスレクチの死はケイマン軍の継戦意欲を破壊した。━━中略━━ニグスレクチはケイマン族長家の傍系に生まれ、オライダイの幼少時よりその才能に着目し、その後見役となった。当日、最後の軍議では、他の参加者が一枚の所、彼だけは二枚の下着を下賜されたという。彼は、この二枚の下着を被ったままその後の指揮を執り、戦死時にもそのままであったと伝わる。━━中略━━この事実は、後に帝国で揶揄と嘲笑の的となるが、ケイマン族では長く『美談』として語り継がれる事となる。━━━

『ゴルダナ帝国衰亡記』より抜粋

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