07-35S ゲレト・スラウフ・テスナ 第五線陣地

 少しだけ小降りになった雨の中、ケイマン軍が前進を開始したのが分かりました。

 私たちの大隊は第五線陣地の東の端にいます。

 正確に言えば、第五線陣地はもっとずっと東に延びています。

 敵が現在制圧している第四線陣地は広くありません。

 私たちの西側には第五線陣地とクロスハウゼン旅団の第一歩兵連隊が、北側にはモーラン旅団の戦線が伸びています。

 私たち第二魔導大隊は戦線の曲がり角の最奥ですから、比較的安全な位置でしょう。

 最前線には変わり有りませんが。


 敵軍は真直ぐに前進してきます。

 第五線陣地は尾根の頂上、ヘロン高原で最も高い位置にあります。

 ですが、敵に露出しているのは五〇〇メートルほどに過ぎません。

 ここに突進すれば左右から攻撃を受けるのは必至です。

 ですから、まずは左右に残存する第四線陣地、縦方向の陣地を制圧するのではないかと期待されていました。

 時刻は既に夕暮れ。

 敵軍が慎重に攻めてくれば、時間切れです。

 元々視界の悪い重装歩兵部隊は、夜は活動が困難でしょう。

 夜まで持ち込めばケイマン軍の攻撃は中止で引き返すしかなくなる。

 そう期待していましたが、かないませんでした。

 敵軍重装歩兵は真直ぐに第五線陣地に進んできます。

 同時に両脇には通常歩兵が展開、中央突破と同時に側面陣地へも攻撃を行うようです。

 敵も時間が無いのを理解しているのでしょう。

 犠牲は承知で猛攻するようです。


 戦場にはまだ雨が残っています。

 日は落ちていませんが、雨雲のため薄暗く視界は不良。

 射撃戦闘に頼る帝国軍には不利です。

 そして、敵が接近すると更なる衝撃が待っていました。

 敵の重装歩兵戦列、その中央が違います。

 全員のプレートメールが赤く塗られているのです。

 兵士がざわつきます。

 赤い鎧は、ケイマン軍の最精鋭、親衛部隊の印です。

 目の前が暗くなりました。

 敵は止めを刺しに来たようです。

 兵士たちが怯えています。

 兵士を鼓舞するのは指揮官の役目。

 ですが、どう言えばいいのか。


 帝国軍は、絶望的な状況で今日の戦いを始めました。

 士気が維持されていたのは、戦い直前のシャールフ殿下の演説、陣地で戦う安心感などもありますが、負ければ全員、惨殺されるとの恐怖感が第一だったでしょう。

 そして、魔導砲の威力と、カンナギ中隊の活躍、天祐とも言える豪雨のおかげで、ここまで士気は保たれていました。

 ですが、最後に残っていた士気が崩壊していくのが感じられます。

 私自身、どうしたら良いのか分かりません。

 その時に、拍子抜けの、能天気な言葉が横から出ました。


「すごいよ!

 本当に敵の親衛部隊がきちゃったよ!

 僕たち、勝てるかもしれない!」


 私の夫であるゲレト・タイジ様です。


「勝てるって、敵の親衛部隊に、ですか?

 一番強い敵ですよ!」


 私の同僚、タイジ様の第二正夫人であるオルジェイトが聞き返します。


「変わらないよ、親衛部隊だろうと何だろうと、重装歩兵としては同じだよ。

 白兵戦になったら、ちょっとは強いかもしれないけど、魔導砲の相手としては同じだもの」


「それは、そう、かもしれませんが」


 言われてみれば、その通りかもしれません。

 魔導砲の前では、鎧の色は勿論、技量もほぼ関係ありません。

 大隊で最も臆病なタイジ様が逆に冷静な事に、私は少しだけ勇気を取り戻します。


「確かに、重装歩兵としては同じですが、それで勝てる、というのはどういう意味でしょう?」


 私の質問に、周囲の兵士が聞き耳を立てているのが分かります。


「キョウスケが言ってたんだ。

 敵の親衛部隊が出てきたら、最高だって」


 タイジ様は妙にカンナギ・キョウスケ殿を信頼しています。

 カンナギ殿は、異様な変人、重度の変態ですが、その戦闘力、軍事的才能、医学的才能は傑出しています。

 タイジ様に言わせれば、天才だから変人でも許される、天才だから変態性癖を治す必要がないのだと。

 確かに、凡才の変態でしたら誰も相手にしないでしょう。


「僕たちの魔導砲は敵に損害を与えていたんだよ。

 ただ、それがどの程度かが分からなかった」


 タイジ様が得意げに話を続けます。


「敵はこれまでに、八個の重装歩兵大隊を投入している。

 でも、敵は重装歩兵大隊をもう一つ持っている可能性が高かった。

 ケイマン族は伝統的に最も強い大隊を親衛大隊にしている。

 つまり、重装歩兵の親衛大隊がいる、いや、いた」


 タイジ様が戦場でこのように落ち着いているのを見るのは初めてです。


「敵重装歩兵部隊の損害が軽かったら、そのまま攻撃し続けたと思う。

 でも、敵は親衛部隊を出してきた。

 つまり、敵は重装歩兵部隊が足りなくなっている。

 今、目の前にいる敵重装歩兵大隊は三個。

 第一歩兵師団の重装歩兵大隊が一個に、第二歩兵師団の重装歩兵大隊が一個、そして、親衛大隊」


 何時の間にか、兵士たちがタイジ様の言葉に聞き入っています。


「恐らく、敵はもう三個大隊分の重装歩兵しか残っていないんだと思う。

 敵はこれまで、一回の突撃で四個の重装歩兵大隊を並べて使用していた。

 それが今回は親衛大隊を含めても三個大隊なんだからね。

 僕たちの、魔導砲はすんごく効果があったんだよ!」


 泣き虫で弱虫のはずのタイジ様が兵士たちに声を張り上げます。


「いいかい、精鋭部隊っていうのは諸刃の刃なんだ。

 勝てばいいけど、精鋭部隊が敗北したら、全軍の攻勢意欲が折れてしまう。

 敵に残された重装歩兵部隊は、目の前の三個大隊だけ。

 これを潰せば、特に中央の親衛大隊を潰せば、敵は引き上げるしかない。

 第六線陣地に誘い込めば、勝てるよ!」


 兵士たちの顔に生気が戻ります。


「作戦通り、魔導砲がつきかけているように見せかける。

 最初に十門で一斉砲撃。

 それから五門ずつ、三回砲撃。

 そして、三門ずつ三回砲撃。

 砲撃が終了次第、部隊は順次第六線陣地に後退。

 キョウスケの中隊がいないから、早めに後退だよ。

 最後に残るのは、大隊本部の長射程砲二門。

 それも、余裕を持って後退する。

 あとは、・・・ファラディーバーさんに期待だね」


 相変わらず軍人らしくないですが、せっかくタイジ様が自ら命令されたのです。

 私は、そのまま、指示に従うように命令します。

 そうして、戦いが始まりました。




 帝国軍第五線陣地は、本来は最終防衛線として構築された陣地です。

 ヘロン高原の尾根、最も高い地点に構築され、前の四つの陣地に比べれば倍は強固です。

 一直線ではなく、ジグザグに掘られているのは同じですが、白兵戦闘に備えた胸壁も整備されています。

 ただ、帝国軍陣地に詳しい者が見れば、少しだけ違和感を覚えたでしょう。

 櫓が無いのです。

 実は、ここまでの四つの陣地にも櫓は有りませんでした。

 帝国軍陣地では一般に、一〇〇メートルおき、余裕があれば五〇メートルおきに櫓を立てるのが普通です。

 これは、高所から攻撃の為です。

 ですが、今回のような後退戦の場合は放棄した櫓が敵に占拠され、次の陣地攻撃に使用される恐れがありました。

 このため、ベーグム師団の担当戦線を除いて櫓は構築されていません。

 第五線陣地も当初は櫓が建設されたのですが、第六線陣地が作られたため、廃棄されていました。

 当然ある物が無いのですから不自然ではあります。

 ですが、これまでの陣地にも櫓は無かったのですから、敵も気にしないとは思いますが。


 第五線陣地を守るのはクロスハウゼン旅団の第一歩兵連隊。

 指揮官は総司令官バフラヴィー様の第二正夫人であるファラディーバー殿です。

 バフラヴィー様が最も信頼する指揮官と言って良いでしょう。

 敵は、着実に前進してきます。

 第一歩兵連隊は、クロスボウの射程に入り次第、射撃を始めました。

 重装歩兵部隊に対して一般的なクロスボウは、ほとんど効果がありません。

 ですので、これまでは、側面、後面からの射撃に徹していました。

 ですが、今回は、最初から、正面から射撃しています。

 戦場は先ほどまでの豪雨で濡れています。

 小降りにはなりましたが、現在も雨は続いています。

 盾や鎧は撃ちぬけなくても、当たった衝撃で多少でも体勢を崩せば滑って転ぶ可能性があります。

 それを狙っての射撃ですが、敵も精鋭です。

 特に中央の親衛大隊は、全く隊列を崩すことなく着実に前進してきます。

 実を言えば、三個ある魔導砲大隊のうち、中央部の第三大隊は最初から第六線陣地に配置されています。

 カンナギ中隊の後退援護が期待できないこともありますが、第三大隊隊長のレニアーガー殿、副隊長アスカリ殿の魔力が限界に近いこともあります。

 第三魔導大隊は第六線専用にされたわけですが、これもあって、敵中央部に対する火力が絶対的に不足です。

 両脇の第一、第二魔導大隊、特に長射程の長砲身魔導砲が優先的に敵中央部を狙いますが、両脇の敵部隊もあって、あまり効果はありません。


 そうして、ついに、敵部隊が味方陣地に取り付きました。

 これまでの陣地線では、敵重装歩兵との白兵戦は避けて、敵が陣地線にたどり着く直前に後退していました。

 ですが、今回は違います。

 壮絶な白兵戦が展開されます。

 敵は、プレートメール装備の重装歩兵部隊。

 白兵戦に特化した部隊であり、白兵戦闘では無類の強さを発揮します。

 最も早く突進してきたのは敵親衛大隊です。

 ですが、それでも後退するわけにはいきません。

 そのために陣地も整えられているのです。

 事前の指示通り、三人の兵士が組になって一人の重装歩兵を狙います。

 帝国軍の作戦は第六線を利用した反撃です。

 そのためには、敵に勢いをつけて第六線陣地に殺到してもらう必要があります。

 敵が、『最終防衛線』を突破したと考えて、一気に突破攻撃を仕掛けてくるのが理想です。

 その為には、第五線陣地で可能な限り奮闘しなければなりません。

 簡単に退却しては敵が疑問に思うでしょう。

 故に第五戦陣地の部隊は死力を尽くして戦い、それでも突破されてしまった、という体を作る必要がありました。


 特に戦線中央部、ファラディーバー殿が直率する第一歩兵連隊第一大隊は『死兵』たることが求められました。

 このため雨天中断の間には、バフラヴィー様、そしてシャールフ殿下が自ら、第一歩兵大隊の主だった女性下士官に精を注いだ程です。

 人族では、このような場合でも人目に付かない場所で行うのが多いと聞きます。

 しかし、今回は、場所も時間も限られる事、そして、シャールフ殿下が望んだことで、公開の場で、屋根だけの簡易テントの下で行われました。

 牙の民では当たり前ですが、人族では異例の行いだそうです。

 ですが、結果的には大成功を収めました。


 簡易テントの屋根に降りしきる豪雨。

 テント地の隙間から滴る雨。

 その中で、絶叫するシャールフ殿下。


「言葉は飾らぬ!

 帝国のために死んでくれ!」


「ハイィィィィィィィィィィィィィィィィィ!

 必ずや殿下のご期待に応えますゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!」


 女性下士官も、絶叫しながら絶頂します。

 彼女も死ぬ前にシャールフ殿下に精を注いで貰えたのならば本望でしょう。

 見学していた私も目頭が熱くなりました。


「すごいよ、この状況、この相手で、できちゃうんだ!」


「ああ、何とも言い難い光景だ。

 あの女下士官、殿下の三倍は体重があるが」


「それを満足させちゃうだけの精液出してるんだね。

 それ以前にすごい臭い。

 僕だったら、臭いだけで萎えちゃう」


「前から思ってたんだが、シャールフ殿下って、ある意味カンナギを越えてないか?」


「うん、そうかもしれない。

 ところで次で三人目だよ。

 僕ら、何時までこれを見る必要があるんだろ?」


 横では第三魔導大隊のレニアーガー殿とアスカリ殿が呆然としていました。

 良くわかりませんが恐らく感動に打ち震えていたのでしょう。

 ちなみに、バフラヴィー様は影の方でこっそりと行われていたようです。

 バフラヴィー様は優れた軍人と考えますが、少しはシャールフ殿下を見習うべきでしょう。




 シャールフ殿下の力もあってか、第一大隊は予想以上に奮闘しています。

 白兵戦が継続します。

 しかし、両脇の敵重装歩兵大隊も帝国軍陣地に突入しました。

 更に、親衛大隊の後ろからは敵魔導大隊が突入してきました。

 極悪非道、人ならぬ外道、フロンクハイトの吸血鬼部隊です。

 遠目にも大量のライトニングボルトが光るのが分かります。

 更に、雨を圧倒するような巨大なファイアーボールが爆裂します。

 犠牲を出しながらも敵重装歩兵に耐えていた第一大隊が見る見る減っていきます。

 陣地内部に魔法を撃ちこまれては抵抗も困難でしょう。


 第二魔導大隊で残っていた私たちも、第六線陣地に後退します。

 反対側では第一魔導大隊も後退しているでしょう。

 しかし、私たちが第六線に後退しても、なお、第五線陣地は保持されていました。

 第五線陣地が完全に崩壊したのはそれから十分後。

 第一歩兵連隊の兵士たちが後退してきます。

 潰走と言ってよいでしょう。

 その数は多くは有りません。

 特に、中央部の第一歩兵大隊で後退できたのは四分の一に満たないでしょう。

 最後に後退してきたのは指揮官であるファラディーバー殿でした。

 指揮官として最後までその勤めを果たされていたのです。

 その姿は体中血まみれでした。

 ファラディーバー殿が生き残れたのは、その優れた能力と、装備によるでしょう。

 彼女のプレートメールは一級品です。

 ですが、それでも、体の各所から血が滴っていました。

 返り血も大量です。

 雨の中でも体中が血まみれとは、一体、どれだけ戦ったのでしょう。

 ファラディーバー殿は味方陣地にたどり着いた瞬間に倒れこみ、気を失いました。


 後にファラディーバー殿は『血まみれの後衛』と称賛される事になります。

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