07-31 中断と別離

 招集先は、帝国軍司令部、ではなく、ヘロン城の東城門前だった。

 二重の遮音障壁が張られた簡易テントに通されたのは、オレと、ネディーアール殿下、そして、アシックネールの三人だけだった。

 待ち受けていたのもバフラヴィーとファラディーバーの二人だけ。


「ダック船が三隻ある。

 其方らは中隊を率いて、それに乗れ。

 ヘロン河を北上し、背後からケイマン軍総司令部を奇襲するのだ」


 ファラディーバーの突然の命令にオレたちは顔を見合わせる。


「モーラン・バルスポラト殿に精鋭を選んでもらった。

 彼らはケイマンから奪った鎧を着て、ケイマン軍に偽装している。

 ヘロン北西部の船着き場にはケイマン側の商人がいるが、彼らを先頭に立てればやり過ごせるだろう。

 雨も降っているからな。

 そのまま、突破して、ケイマン軍総司令部の後ろに出るのだ」


「ちょっと待て。

 ケイマン商隊は兎も角、ヘロン河の両岸には敵軍がいるのだぞ!」


 オレより先にネディーアール殿下が口を出す。


「キョウスケは認識阻害魔法が使えたであろう。

 センフルールの二人も使えたはずだ。

 普通なら無理だが、この雨だ。

 この雨は、二時間は続く。

 強い雨の中でならなんとかなる、筈だ」


「ひょっとして、この雨、人工的な物ですか?」


 オレの問いにバフラヴィーが頷く。


「天候魔法、特にこれ程の雨を降らせるには相当な魔力が必要なはずですが?」


「龍神教の斎女殿が引き受けてくれた」


 成程、バフラヴィー自身が魔力を使ったわけではないわけか。


「だが、仮に敵後方への移動が成功したとして、一個中隊で何ができる?

 敵総司令部は少なくとも一個大隊以上の規模であろう。

 親衛部隊もいる筈だ」


「敵総司令部にファイアーボールを撃ちこめ。

 一回だけで構わん。

 ある程度は混乱するであろう」


「それが何の意味がある!

 その程度で、敵の指揮系統が崩れるはずがない!」


「私たちに、逃げろ、ということですか」


 激昂するネディーアール殿下にアシックネールが静かに言葉を発した。


「敵総司令部を奇襲するとの名目で、ネディーアール殿下を脱出させる。

 うちの中隊にはモーラン・マンドゥールン殿もいます。

 バルスポラト殿が選抜したのは、モーラン家の若手幹部有望株、ですか」


 アシックネールって、こーゆー所の理解が速いよな。

 モーラン親父が協力したのは、それか。


「逃げる?

 バフラヴィー、私に戦場から逃げろと言うのか!」


「そうだ。逃げろ。頼むから逃げてくれ!」


 バフラヴィーは悲痛な顔だ。


「なんとか天候で中断させたが、あのまま敵の攻勢が続いていたら、こちらの第五線もあっさりと抜けていただろう。

 こうなれば、キョウスケが仕組んだ第六線での反撃に賭けるしかないが、それが成功するかは分からん。

 成功したとしても、それだけで敵軍が崩れるかは疑問だ。

 そして、戦線中央部を突破されれば、少なくとも我が軍右翼は助からん。

 我らは壊滅する。

 そうなれば、最悪だ。

 だが、私はクロスハウゼン家嫡子として最悪は避けねばならん!」


「だから、私に逃げろと言うのか!」


「そうだ。

 ここで、このまま、我らが全滅したら、クロスハウゼン家に三〇歳未満の国家守護魔導士、いや守護魔導士すらいなくなる。

 国家守護魔導士は五〇を超えた祖父上だけになる。

 カリーシャムスは二歳、ハムダムサルは一歳にもなっておらん。

 クロスハウゼン家は壊滅の危機だ」


 カリーシャムスとハムダムサルは、確かバフラヴィーの子供だ。

 スタンバトア姉御との長男がカリーシャムスで、ファラディーバーの子供がハルダムサムだったと思う。


「ならば、其方が逃げればよかろう。

 あるいは、シャールフを逃がすべきだ」


「シャールフも私も逃げられん。

 敵は私の首を確保するまで血眼で探すだろう。

 シャールフも同じだ。

 敵の最重要目標だからな。

 この辺りは、モーラン・バルスポラト殿や、ベーグムのレザーワーリも同じだ」


 確かに、この状況でバフラヴィーは逃げられないだろう。

 敵は、確保できるまで追及の手を緩めないだろう。


「だが、ネディーアール、其方は女だ。

 我らに比べて敵の追及は緩い。

 特に、私やシャールフの死亡が確認されれば、其方への追っ手は少なくなるはずだ」


 バフラヴィーがネディーアール殿下の手を取る。


「ネディーアール、兄として其方に命じる。

 クロスハウゼンを頼む。

 カゲシンに戻ったら、マリセア公女としての身分は捨ててくれ。

 マリセア公女ネディーアール殿下は死んだことにして、祖父上の庶子として、顔を隠して生きてほしい。

 祖父上の死後は其方がクロスハウゼンを率いるのだ」


「無理だ。私一人でクロスハウゼンを支えろと言うのか!」


 ネディーアール殿下が泣き出す。

 なんだかんだ言っても十五歳だもんな。


「だから、キョウスケを付ける。

 アシックネールも、だ。

 キョウスケは、現状、其方に付けられる男としては最も能力の高い男だ。

 アシックネールも、其方を支えてくれるはずだ」


 ヘロン城外での会合は短時間で終わった。

 ネディーアール殿下は泣いて抗議したが、バフラヴィーは頑として聞き入れず、姫も最後は頷いたのである。

 オレとアシックネールは、ネディーアール殿下をくれぐれも頼むと念を押された。


 それからは大変だった。

 わずかな時間で、三人の魔導大隊長を集め、第六線での反撃の詳細を説明する。

 数分の引継ぎで理解できたかは、はなはだ疑問だが、彼らに託すしかない。

 そうして、オレたちは船に乗った。




 用意されていたのは、ヘロン城内に残されていた船で最も大きなもの三隻だった。

 規定の大きさのダック船。

 なんでダック船と言うのか良く分からないが、バイキングのロングシップに似た構造で、河でも海でも使える優れもの。

 ただし、甲板らしい甲板は無く、部屋の仕切りもほとんどない吹き曝し。

 定員は一〇〇人ちょっと。

 我がクロスハウゼン魔導連隊司令部直属中隊は、元は二五〇人弱いたのだが、この時点で無傷だったのは二〇〇人弱。

 そこに、モーラン家の偽装ケイマン兵が加わり、更に、ヘロン旅団から水先案内人と船の操作要員が付き、総員は三〇〇人弱まで膨れ上がった。

 土砂降りの雨の中、出航。

 先頭の船にはオレとネディーアール殿下、二隻目にシノさん、三隻目にシマが乗り、認識阻害魔法を展開する。

 この魔法、効果範囲の音や光を遮断する物だが、夜間は兎も角、日中では、『良く見えない空間』が出現することになるので、無いよりましな程度である。

 だが、スコール並みの雨の中でなら、それなりだろう、多分。

 前も見づらいが。

 三隻はロープで繋げて、はぐれない様にしているが、これも心配である。

 当然、帆は役に立たず、河を遡るので動力は人力のみ。

 総員、総出でオールを漕ぐ。

 結構なスピードだ。

 考えてみれば、中隊は大半が魔力持ち。

 モーランの選抜隊も全員、高位の魔力持ちだ。

 速いはずである。

 オレは『マナ視』全開で航路を確保する。

 先頭を航行する船の責任は重大だ。


「まるで、全て見えているような操船ですね。

 私の出る幕がありません」


 オレの船に乗っている水先案内人は、前ヘロン伯爵の庶子だという。

 二〇台半ばの男性。

 今回の船の手配をしてくれたのが彼だ。

 バャハーンギール公子には含むところがあるようだが、逆にそれ故にバフラヴィーには協力したらしい。

 聞けば河川航行というのは意外と危険だそうで、特に昨日と今日の雨で増水している状況では、厳しいという。

 オレのマナ視は、雨を無視できるからな。

 水中もある程度は見える。

 彼から見ると驚異的な操船らしい。


 横ではネディーアール殿下が黙りこくっている。

 無理もない。

 色々と思う所は有るだろう。

 恐らく、直前までは自分たちが負けることなど考えていなかった筈だ。

 特に我が中隊は、退却戦ではあるものの、敵を圧倒していた。

 直前にはフロンクハイト枢機卿も倒している。

 であるから、今は頭の中がグルグルしているだろう。

 実を言えばオレも人の事は言えない。

 いざとなれば、センフルール勢と一緒にヘロン河を渡河して逃げようとか考えていたが、まさかこんな脱出劇になるとは。

 ひょっとして、このまま帝国軍が敗北して、オレたちが脱出に成功したら、オレってネディーアール殿下のお婿さん候補なのだろうか。

 帝国から離脱しようっていうオレの計画はどうなるのだろう?

 芸能人クラスの美少女を嫁に出来るのはいいが、エビデンス豊富な我儘だしなぁ。

 クロスハウゼン家は歴史ある名家なわけで、ポッと出のオレの命令が通じるのか疑問だし。

 帝国中枢との折衝も必要となる。

 あの変態マイスターのマリセア宗主や、色々な意味で経験豊富過ぎるロリコン宰相と渡り合えと言うのか?

 ゆーうつなんてもんじゃない。

 シノさんたちとの関係も微妙だよなぁ。

 そう言えば、ピンクのお姉さんは『三〇年ぐらいは待つ』ような事を言ってたけど、それでもいいんだろうか?

 面倒を考えると、逃げたくなる。

 でも、バフラヴィー、シャールフ戦死って状況で、ナディア姫を肛門メイス閣下に引き渡して、ハイサヨナラって言うのは、流石のオレでもやりにくい。

 でも、三〇年我儘姫に滅私奉公つーのも、・・・。

 バフラヴィー、勝てないかなぁ。

 勝ってくれれば、それで万事、解決なんだが。

 第六線の反撃は、個人的に自信はあるんだけど、確かにそれだけで勝てる状況じゃない。

 最前線の精鋭を敗走させたとして、それで全軍崩壊とは行かないだろう。

 横からプロイセンが集結中とかなら話は別だが。

 いや、そもそも反撃は成功するのだろうか?

 オレが現地に居れば兎も角、・・・魔導砲も減ってるし。

 魔導砲だが、現在まで全て撤退に成功し、敵に破壊されたり鹵獲された物は皆無だ。

 だが、故障は少なくない。

 五四門のうち、十三門が故障している。

 新兵器ならではの不具合というか、これほど酷使する想定ではなかったというか。

 バフラヴィーは、ヘロン城の大型クロスボウ、バリスタとか言われる奴を引っぺがして持って来るとか言っていたが。


 オレたちがこれからケイマン総司令部を襲撃して、仮にケイマン・オライダイを敗死させたとしても、それで勝てるのかも疑問だ。

 ケイマン族は族長専制とは聞くが、月の民みたいに血族関係で完全従属とかではない。

 軍団制を採用しているぐらいだから、各軍団長はそれなりの権限がある筈。

 オライダイが死ねばその後継争いが勃発するかもしれないが、取りあえずこの戦いの間は一致団結して勝利に邁進するだろう。


 結局、帝国軍の勝利はベーグム師団にかかっている。

 クロスハウゼン旅団が、第六線での反撃に成功し、尚且つ、ベーグムの反撃が成功した場合にのみ、勝利が見える。

 ドMのレザーワーリと、その崇拝するトゥルーミシュの活躍にかかっているわけだ。

 あの二人、信じていいんだろうか?

 正直、不安しかない。

 やっぱ、オレがクロスハウゼンの面倒を見るのか?

 我儘姫と一緒に?

 あー、見た目は好みだけど、・・・。

 最低、バフラヴィーの子供が一人前になるまでは面倒見ることになる、のかなぁー。


 うーん、暗くなる。

 取りあえず、目の前の事に集中しよう。

 今船に乗っている三〇〇人は、オレの指揮下、オレの責任だ。

 可能な限り多く生き残らせてやらねばならない。

 ・・・敵総司令部襲撃って、無謀だろう。

 でも、対外的な言い訳にするためには、ネディーアール殿下とモーラン・マンドゥールンがカゲシンに帰った後で肩身が狭くならないためには、アリバイ作り的に襲撃が必要になる。




 船着き場に着いた。

 周辺にはケイマン側商人の仮設小屋が林立している。

 結構立派な作りだが、物資は・・・そう多くないように見える。

 雨なのに開け放たれたままの倉庫、空の倉庫が多いのだ。

 敵もギリギリなのかも知れない。

 雨が小降りになってきた。

 商人たちが出てくるが、先頭に立つ偽装ケイマン部隊が、問答無用、急いでいると追い返す。

 モーラン一族はスラウフ族だが、ケイマン族とは遺伝学的にはほとんど差がない。

 本人たちは毛の色が異なると主張しているが、個体差もあるし、当の本人たちでも仔細に比べなければ分からないぐらいの差だ。

 それに続くオレたちはフードを深くかぶり、無言で通り過ぎる。

 雨が残っているからフードを被っていても不自然ではない。

 驚いたことに、偽装部隊はその場で軍馬まで調達してしまった。

 十頭ほどだが悪い話ではない。




 商人の仮設村を出る。

 付近にケイマン軍はいない。

 望遠魔法を起動してみれば、ケイマン総司令部はかなり南方に移動していた。

 商人村から、東のメハン川渡河点まで人影はなく、渡河点にもまばらだ。

 少し前に出て、モーラン選抜隊の隊長に話しかける。


「想定通りに、東の渡河点の防備は手薄だ。

 ケイマン総司令部は南方、少なくともその北側、こちら側には敵部隊はいない。

 好都合だ」


 選抜隊隊長が無言で頷く。


「五〇〇メートルぐらいまで近寄れば、風魔法併用で飛距離を伸ばしたファイアーボールなら撃ち込める。

 撃ち込んだら、全力で渡河点に向かって逃げる」


 隊長が固い表情で頷く。


「カンナギ殿は冷静ですな。

 流石は、バルスポラト様や、バフラヴィー殿が認めた方だ」


 モーラン選抜隊の隊長は三〇歳ちょっとの少佐。

 カゲシン風に言うと代坊官だが、モーラン内部では普通に少佐と言うらしい。

 モーラン親父が、モーラン家新当主の補佐役として選んだ男である。

 オレたちの任務、最優先の任務が戦場から離脱してカゲシンに逃げ帰る事だというのは、部隊の大半には知らせていない。

 自分たちだけで戦場から逃げるというのは、少なくとも若い兵士たちには受け入れられないからだ。

 ナディア姫が容易には受け入れなかったように、逃げるとなったら、最初から船に乗らない者が続出しただろう。

 マンドゥールンなんか絶対に乗らない。

『逃げる』ことを伝えられているのは、オレとネディーアール殿下、アシックネールの他には、センフルール勢と、モーラン選抜隊の数人、そして前ヘロン庶子以下ヘロン勢の数人。


「ファイアーボールを撃ち込んだら、有無を言わさず逃げる。

 マンドゥールンの説得を頼むぞ」


「命に代えても」


 彼も逃げたくて逃げるわけではない。

 モーラン親父に懇々と説得されたと聞く。

 ナディア姫は、まあ、大丈夫だろう。

 アシックネールが付いているし、姫様自身もうマナが足りない。

 アシックネール他が適時『男性の精』を摂取してマナを回復させていたのに対し、彼女はそれを全く行っていない。

 元の魔力量が豊富と言っても、そろそろ限界のはずだ。


 ケイマン総司令部に近づく。

 幸い、今のところ咎められてはいない。

 偽装部隊の効果だろうか。

 小雨が降っているのも効いていると思う。

 南方からは大きな喧騒が響いている。

 戦いが始まったのだろう。

 オレたちに構う暇はないってことかもしれない。

 所詮は中隊なのだ。

 距離は五〇〇メートル。

 オレとシノ、シマの三人で風魔法併用の長距離ファイアーボールを撃ち込む。

 ネディーアール殿下やアシックネールは、撃てるかもしれないが実行したことが無いので、控えさせた。

 リタも同様である。

 合図とともに、ファイアーボールが飛ぶ。

 轟音と共に着弾。

 敵司令部の人員が慌てている。

 手筈通り。

 このまま、退却。

 と、思っていた時だった。


「続け!」


 ネディーアール殿下が突撃を開始した。

 ちょっと待て、何で馬に乗っている?


「行くぞ!遅れるな!」


 続いてモーラン・マンドゥールン。

 そして、その側近たち。

 こちらも馬に乗っている。

 誰だよ、こいつらに馬を与えた奴!

 そりゃ、二人とも身分的には上だが。

 止めようにも、もう馬はいない。

 なし崩し的に中隊が突撃を開始する。

 呆然と、モーラン選抜隊の隊長と顔を見合わせる。

 センフルール勢も唖然としている。


 オレは急遽、追いかけた。

 走って。

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