07-28 ヘロン 十一月九日午前 (一)

 叩き起こされたのは夜明けの一時間前だった。

 ナディア姫が怒鳴り込んできたのだ。


「夜明けとともに敵が来る。

 計画では、その直後に反撃であろう。

 我らも移動するのであろう。

 何時でも移動できるよう、そろそろ待機せねばならぬぞ!」


 時計を見れば一時間ちょっとしか眠れていない。

 オレが寝ていたのは第二塹壕線のやや後方にある屋根付きの待避所の一つだ。

 所謂、屋根が付いた塹壕で、屋根は圧縮レンガを組んで作られている。

 外部からの攻撃には結構耐えるが、内部から特定のレンガを外すと一瞬で崩壊するようにできている。

 勿論、敵に使用させないためだ。

 用途としては、負傷兵の応急処置や、前線司令部などである。

 オレが寝ていたのは、何個も作られたその簡易シェルターの一つ、クロスハウゼン旅団魔導連隊司令部に指定した所だ。

 突貫工事で作った物だから、屋根はあるが壕内は地面がむき出しで設備は何もない。

 その何も無い地面に毛布を敷いてオレは寝ていた。

 そこを叩き起こされたわけである。

 殺風景な暗い壕の中で、寝ぼけ眼で、下半身はハトンやアシックネールたちにしゃぶられている状態で説教されるオレ。


「すいませんが、これが終わってからにしては頂けませんか?

 正直、ちょっと恥ずかしいもので」


 オレは下半身を指さしながら抗弁する。


「そんな物、戦場で恥ずかしがっていてどうする。

 それより、時間が無いのだぞ!」


 いや、恥ずかしいでしょ、普通、・・・恥ずかしがっちゃいけないのかね?

 そこの君たちも平然と、しゃぶり続けているけど、・・・恥ずかしくないの?


「ああ、すいません。

 反撃計画ですが、取りあえず延期です。

 よって、時間は有ります」


 ケイマン軍は、その戦術、地形、首領の性格、そして昨日夕方の部隊配備状況から、ヘロン高原中央部、街道沿いに主力の第一軍団で突撃してくることが予想されていた。

 この予想は正しかったらしい。

 現在のケイマン軍は中央に第一軍団、東側メハン川沿いに第二軍団、西側ヘロン川方面に第三軍団が配置されている。

 帝国軍だが、最右翼、東側にベーグム師団、そこから順に、アナトリス旅団、モーラン旅団とレトコウ連隊、クロスハウゼン旅団、タルフォート旅団、最左翼、西側ヘロン川沿いにミッドストン旅団となる。

 帝国軍で最も質が高いのがベーグム師団、それに次ぐのがアナトリス旅団である。

 モーラン旅団は兵員の質としてはアナトリス旅団を上回るが、魔導士がほとんどいない。

 アナトリス旅団は独立した魔導大隊を持たないが、指揮官クラスに多数の魔導士を抱える。

 このため、部隊としての戦闘力はモーラン旅団より上だ。

 クロスハウゼン旅団は魔導部隊、正確には魔導砲部隊を持つが攻撃には適さない部隊である。

 恐らくはミッドストン旅団が最弱で、タルフォート旅団はそれよりマシだが、やはり攻勢には不向き。

 帝国軍の作戦は、敵第一軍の攻撃を、クロスハウゼン旅団を中心として受け止め、その間に右翼、メハン川沿いにベーグム師団、そしてアナトリス旅団が反撃を行い、敵戦線を突破。

 メハン川の街道渡河点に達したら、そこから脱出するという物であった。

 敵に勝つというよりも脱出優先の作戦だが、帝国軍としてはこれが精一杯との見立てである。

 突破する敵、ケイマン軍第二軍団は、第一軍団ほどではないが充分に精鋭なのだ。


 予定では、敵第一軍団がクロスハウゼン旅団との戦闘に入ってから、ベーグム師団は攻勢を開始することになっていた。

 帝国軍が先に攻撃した場合、敵第一軍団が第二軍団の助けに来てしまうだろう。

 そうなったら、万に一つも突破の可能性はない。

 であるから、敵第一軍団が戦闘に突入し、容易には配置転換できなくなるのを見計らう必要がある。


 我が魔導連隊だが、まずは、敵第一軍団を迎撃。

 適当な所で、オレ直属の連隊司令部直属中隊はモーラン旅団の加勢に向かう予定であった。

 連隊直属中隊は、昨日の奮闘から貴重な攻撃戦力と認定されていたのである。

 魔導砲部隊は防御戦闘で真価を発揮するのでそのままだ。


 オレは集まった魔導連隊指揮官たちに説明する。


「作戦計画が漏洩している可能性が高いから、作戦を変更するというのか。

 それは分かるが、しばらくは敵の攻撃を受け止めて、敵の息切れを待つというのはどうなのだ?

 クロスハウゼン旅団は兎も角、ミッドストン旅団など突破されるのは時間の問題であろう。

 反撃せねばどうにもならぬと思うが」


 ネディーアール殿下が焦った顔で意見する。


「その可能性は、あります。

 こちらの戦線が先に突破される可能性は低くはないでしょう。

 ですが、こちらの反撃計画が敵に漏れているのなら、当初計画の成功確率は、更に低いと考えます。

 それに、最後まで反撃しないとは言っていません。

 バフラヴィー様を信じましょう」


 全員、悲壮な顔つきで頷く。

 ジャニベグとシャールフのコンビも真剣な顔つきになっている。

 モーラン・マンドゥールンは相変わらず意気軒高だが、顔は引きつっている。

 レニアーガー・フルマドーグは悟りの表情になっており、アスカリ・アブルハイルは「みんな何時かは死ぬんだ」と放言しつつも顔色は良くない。

 例によって一番顔色が悪いのはゲレト・タイジ。

 二人の正夫人、テスナとオルジェイトが左右から、「ここで倒れるのならケツにぶち込みますよ」とか、「これを乗り切ったら前立腺マッサージをたくさんして差し上げますから」などと励ましている。

 相変わらず下品だが、タイジには有効?なのだろうか?

 普段と変わらないのはシノさんたちセンフルール勢だけだ。


 取りあえず説明を終わらせて、解散する。

 と、何故かカルガモのようにセンフルール勢が付いてくる。


「今日は、できるだけあなたから離れないつもりです」


 シノさんがしたり顔で言う。


「・・・それは、また、なんで?」


「いざと言う時は、敵陣を突破して私たちだけで逃げ延びるためです。

 私たちは泳げますから、最悪、ヘロン河を泳いで渡ればなんとかなるでしょう」


「・・・それ、昨夜のうちにやっとけば良かったのでは?」


 センフルール勢は、この戦いに巻き込まれただけだ。

 勝手に逃げても帝国側がとやかく言う事はできない。

 今は、ニフナニクス様の依頼書があるが。


「私たちだけでは突破できないからです。

 追っ手を掛けられたら、体力は兎も角、魔力が持ちません。

 ですが、魔力供給源がいれば何とかなります。

 ですので、最悪の場合はあなたを中心に落ち延びようと考えています」


「・・・えーと、オレが逃げないうちは協力してくれると考えて良いでしょうか?」


「本音を言えば、ほどほどで諦めてほしいです。

 冷静に考えれば、あなた自身、帝国にそう借りがある訳ではないでしょう」


 まあ、確かに、それは、そうなんだが。


「オレじゃなくても、最悪、どこかの男性魔導士を拉致るとか」


「あなたの血液は一般魔導士の十倍以上の価値がありますから」


「一応、注意しておきますが、オレの血はちょっと特殊です。

 飲み過ぎると依存が始まる可能性がありますよ」


 少し前にセンフルール勢を味方にする方法を考えた。

 その際に、最も簡単と考えたのが、オレの血液中毒にしてしまう方法だ。

 だが、黙って実行するのは流石に良心の呵責がある。

 オレだって良心、・・・らしき物はあるのだ。


「ああ、それについては、今更です。

 姉からも、あなたは『ニア預言者』だから、時間がかかってもいいから絶対に確保しろと厳命されています。

 そーゆーことで、できれば、血液ではなく、精液を飲ませてほしいのですが。

 その方が効率的ですし」


 ニッコリ笑ってとんでもないことを言い出す黒髪美女。

 慌てて横を見たらいたのはハトンだけだった。

 シマは頭を抱えているが。

 しかし、『ニア預言者』って、あの人らしい表現だが。


「では、ずっとオレに付いてくると?」


 精液の件はスルーする。


「生き残るためにはそれが最善ですから」


 そー言えば、オレ、なんだかんだ言って負けた場合を考えていなかったような。

 本当に、負けたら、どうしよう。

 まあ、逃げるしかないけど。

 みんなを見捨てて逃げるしかないけど。

 あー、でもハトンは助けたいな。

 できれば、ナディア姫とアシックネール、それとタイジも。

 ジャニベグやレニアーガーとも腐れ縁だし。

 センフルール勢は勝手についてくるんだろう。

 バフラヴィーとかは自分で何とかしてもらうとして。

 ・・・あれ、誰か忘れているような、・・・あー、そうそう、サムルも連れて行かないとハトンが悲しむな。




 東の地平線がほのかに輝く。

 幸か不幸か雨は上がっている。

 曇天ではあるが見通しはそこそこ。

 敵陣地では、拡声魔法による演説が始まった。

 ケイマン・オライダイと思しき声が、ケイマン族の栄光と帝国軍の虐殺を鼓舞している。

 物騒もいいとこだ。

 こちらでも、演説が始まる。

 バフラヴィーかと思ったらシャールフだった。

 どうやら第一魔道大隊にバフラヴィーが行っているようだ。

 まあ、総司令部は魔導連隊司令部の横にあり、その横に第一魔道大隊がいるのだが。


「帝国軍兵士の諸君、私は、マリセア宗主シャーラーンが一子、シャールフだ」


 まだ幼さが残る甲高い声でシャールフの演説が始まる。


「我が兄、バャハーンギール殿下の名代として本日の決戦の総指揮を任せられている。

 私はまだ成人前の身であり、経験に乏しいことは皆が知るところだ。

 だが、帝国とマリセアの正しき教えが危機に瀕している状況で、私だけが安穏としているわけにはいかない。

 故に私は自ら望んでこの場にいる。

 私自身、一人の兵士、一人の魔導士として今日の戦いに臨む覚悟だ」


 中々、うまく話している。

 と、思ったら、後ろから「私が書いたんですよ」とアシックネールが自慢してきた。


「兵士の諸君、我らは現在、苦境に陥っている。

 だが、敵は無慈悲で野蛮なケイマン族であり、我らの無条件降伏以外は認めないと宣言している。

 我らは戦うしかない!

 傲慢で卑劣なケイマンの捕虜となれば、悲惨な扱いを受けることは、昨日のベーグム・ニフナレザー殿のありようを見れば明らかだ!

 故に、我らは戦うしかない!」


 定番だが、なかなかうまく話を持って行っている。


「戦って勝つしかない!

 私は死を恐れない。

 マリセアの正しき教えに殉じ、帝国のために死ぬことを恐れない。

 敗北して、捕虜となり、無慈悲な扱いを受けるぐらいなら、私は自ら死を選ぶであろう。

 マリセアの正しき精霊のために、帝国のために死ぬのは私の義務である!」


 シャールフは感情たっぷりに原稿を読み上げる。

 十三歳にして、稀有な才能だ。

 浪川〇輔さながらだ。

 漢字ぐらいは読める知能があることを祈ろう。


「だが、それでも、私は勝利を求める。

 マリセアの正しき教えを守るため、帝国を守るため、祖国を、我らの家族を、愛しき人々を守るため、勝利を求める。

 兵士の諸君、帝国の兵士の諸君、どうか私に力を貸してほしい」


「簡潔で、いい内容だったでしょう」


 帝国陣地から歓声が沸く。

 アシックネールが鼻高々だ。

 これで、終わりと思ったのだが、・・・。


「最後に、一つ、申し伝えておくことがある。

 本日の戦いで帝国が勝利し、私が生き残ったならば、帝国の勇敢な兵士に私自身が精を注ぐことにしたい。

 帝国の勇敢な兵士にこそ、私の子を孕んで欲しいと考えるからだ!」


 何故か、拡声魔法の後ろの方で「やめさせろ!」と叫ぶバフラヴィーの声が聞こえたような気がしたが、帝国軍陣地からは、ひと際大きな歓声が沸き上がる。


「各連隊長は戦いの後、各三名の勇者を推薦せよ!

 うち、一人は士官、一人は下士官、一人は一般兵士とする!」


 下級兵士も最低一人は推薦しろって事か。

 しかし、連隊毎に三人って、三〇人を軽く超えそうなんだが、・・・いや、シャールフならば余裕か。


「更に、その中から数名を私の夫人、あるいは高級使用人として召し抱えることを約束しよう!」


 歓声が更に増強される。

 カナン軍隊の一般兵士は大半が女性だ。

 女性だが、ほぼ全員、筋肉ガテン系。

 声も野太い。

 それが一斉に歓声を上げている。

 キャァァァァァァァァァァァ、ではなくて、ウオォォォォォォォォォォって感じ。

 まるで地鳴りのようだ。


「勿論、精を注ぐのは公開で行う。

 私が嘘をつかぬ男であることを皆に確認してもらおう!」


「第一魔道大隊で行ったのが失敗ですね。

 あそこは、シャールフ殿下の命令が最優先ですから」


 アシックネールが、第一魔導大隊方面を指さして放言する。

 第一魔導大隊はシャールフ親衛大隊を自称している。

 シャールフが暴走しても、それを助長する者ばかりだ。

 バフラヴィー、ミスったな。


「なんか、歓声というか絶叫が止まらないんだけど、コレ、本当に大丈夫なの?

 部隊の士気が上がるのは良いけど、勝った後でシャールフ殿下が約束を反故にしたら、暴動が起きるわよ。

 その、・・・かなり極端な容姿の女性が出てきたらどうするつもり?」


 センフルールの銀髪娘シマは流石に、という顔だ。


「いや、その点については心配はいらぬ。

 あれの女の趣味、許容度はゴルダナ海よりも広い。

 どんな女が出てきても拒否することは無かろう」


 ナディア姫がげっそりした顔で答える。


「それよりも心配なのは、シャールフのシナリオだ。

 あれは恐らく、戦いに勝利したら、・・・」


 あー、その心配は、・・・杞憂じゃないだろうな。


「間違いありませんね。

 そして、もはや止めようがありません」


 アシックネールは諦めきった表情だ。


「何を諦めているのだ!

 今からでも止める方法を考えるのだ!」


「流石にそれは、決戦の前に考えるべきことではありません」


 アシックネールに窘められてナディア姫は不承不承頷いた。




 夜が明ける。

 そして、ケイマン軍の前進が開始される。

 中央の敵第一軍団は二個師団編成。

 掲げられている軍旗からすれば、向かって右側、東側が第二歩兵師団の第三歩兵旅団、向かって左、西側が第一歩兵師団の第一歩兵旅団のようだ。

 二個師団、それぞれ四個の連隊が、所属する三個大隊を縦一列に配置して前進してくる。

 第二歩兵旅団、第四歩兵旅団はそれぞれ、第一、第三歩兵旅団の後ろにいるのだろう。

 更に、二個師団の間にはフロンクハイトの魔道大隊が配置されている。

 狭正面に精鋭歩兵を縦列で配置、完全に中央突破の構えで、それを隠そうともしない。

 先頭の四個大隊の兵士は全員金属製の大盾を持ち、膝までを覆うマントを身に着けている。

 陣形には全く乱れがない。

 ケイマン精鋭歩兵は楽隊による太鼓のリズムに合わせて整然と前進してくる。

 先頭の四個大隊は、基本同じ隊形だ。

 密集隊形で、横に一二〇人、それが八列、九六〇人。

 所々に楽隊と指揮官が挟まっているので総員は一千人以上だろう。

 整然とした密集隊形で、基本無言で前進してくるのは不気味であり、脅威である。

 そして、彼我の距離が五〇〇メートル程になった時だった。


「突撃態勢!」


 敵指揮官の号令が轟く。

 号令に、兵士が着ていたマントを跳ね上げた。

 壮観だった。

 脅威だった。

 ビックリだった。

 唖然だった。

 ケイマン軍第一軍団の先頭四個大隊の兵士は全員、プレートメールを身に纏っていたのだ!

 ローマ軍団のような胸甲と腰部だけの鎧ではない。

 中世騎士のような、両手両足を覆う完全プレートメールだ。

 フルフェイスの兜に大盾もセットである。

 一列目だけではない。

 どうやら、四個大隊が全員プレートメールらしい。

 四千人がフルプレートメール!

 何、考えてんだ!


 帝国軍の装備は基本、皮鎧だ。

 魔獣の皮を加工した鎧は下手な金属鎧を凌駕する。

 コストパフォーマンスに優れた鎧なのだ。

 帝国軍で金属鎧、特にフルプレートメールを装着しているのは極少数に留まる。

 トゥルーミシュとか、モーラン・マンドゥールンが装着しているが、この鎧は極めて高価だ。

 単純な金属鎧ではなく、装着者の魔力を利用して防御力を上げる一種の魔道具だからである。

 高価なだけでなく、装着者も選ぶ鎧。

 わざわざプレートメールにしているということは、この四千人の鎧は全て『魔道具』であり、兵員は全員正魔導士、少なくとも従魔導士以上だ。

 牙族は、投射系魔法は使えないが、魔力持ち自体は人族より多いとされる。

 しかし、身体魔法の使い手が多いと言っても、それを四千人集めて訓練を施すって、とんでもない労力だろう。

 更に、だ。


「一体、四千領のプレートメールを揃えるのにいくら使ったんだよ!

 少しは、効率ってもんを考えろよ!

 金、掛けすぎだろ!」


「いや、取りあえず、今、金の問題は関係ないから」


「目の前に鎧が揃っているのですから、それを揃える労力を論じても意味がないと思います」


 オレの叫びに、冷静に突っ込むアシックネールとハトン。

 そうは言っても、驚くのは仕方がないだろう。

 ケイマン族って金持ちなんだな。


「おい、あれ、どーするのだ!

 弓どころか、ファイアーボールも通じんぞ!

 遠距離攻撃が役に立たぬ。

 かと言って、白兵戦はもっと分が悪い」


 ネディーアール殿下も目を丸くしている。

 確かに、強そうだよな。

 正面から通じるのは、ロングボウと魔道砲ぐらいか。

 どちらも数が少ないが。

 魔道砲は一個大隊十八門、三個大隊合計で五四門。

 ロングボウは、バフラヴィー直属中隊を除けば連隊に数人程度。

 、

・・・どーやって止めるんだ?

 とりあえず、最前線を指揮するファラディーバーの所に走る。


「正面から迎え撃つのは無理です。

 第一陣地線は放棄しましょう!」


「馬鹿な、戦わずに陣地を放棄しろというのか!」


「あの集団が、ただ歩いてくるだけでここは突破されます。

 第二線に引きましょう。

 第二塹壕線はジグザクになっていますから、横矢が効きます。

 クロスボウでも側面や背面からの射撃であれば多少は戦果が望めます」


 ついでに言えば、魔道砲部隊も第二線の配備だ。

 ファラディーバーは、数秒間固まっていたが、着実に近づいてくる敵重装歩兵の太鼓とラッパの音に決断を下す。


「分かった。

 ギリギリまで敵を引き付けた段階で撤退する。

 総員、撤退準備だ。

 ただし、敵には気取られるな!」


 ギリギリまで待つのは、敵を少しでも疲弊させるためだろう。

 重装歩兵は強力だが欠点も色々とある。

 視界が悪く、音も聞こえ辛いから、臨機応変に隊形変換や攻撃方向の変更ができない。

 密閉されているから中は暑く、重量もある。

 このため移動速度は遅く、稼働時間も短い。

 魔道具型鎧だから、魔力の損耗も大きい。

 帝国軍でフルプレートメールを使用する者が限られているのは、コストだけの問題ではない。

 ライデクラート隊長のような、体力と魔力が豊富な者でなければ、あっというまに動けなくなってしまうのだ。

 帝国でフルプレートメールは上級魔導士以上にのみ推奨とされるのはそのためである。

 カゲシンでは金のある上級貴族が自護院実習でフルプレートメールを使用していた例も少なくないが、従魔導士だと、三〇分もしないうちにバテバテだった。

 目の前の重装歩兵集団だが、四〇〇〇人もの集団が全員上級魔導士のはずがない。

 大半は正魔導士、従魔導士も多いだろう。

 ファラディーバーもそこら辺を考えているらしい。


 最前線をファラディーバーに任せてオレは直ぐに魔導連隊本部に戻ると、バフラヴィーに伝令を送る。

 そして、連隊直属中隊を率いて第二線に向かった。

 帝国軍左翼は、それぞれ部隊を二つに分けて第一線、第二線に配置している。

 クロスハウゼン旅団では第一線に第一歩兵連隊、第二線に第二歩兵連隊だ。

 戦力集中の原則から言えば、全ての部隊を一線に並べた方が良いが、彼我の戦力を考慮すると、集中しても抜かれる可能性が高い。

 戦線を突破されて後方に回り込まれるのが最悪なので、それを防ぐための二線防御である。

 部隊休憩の意味もある。

 第二線の責任者、第二歩兵連隊長ブルグル・タミールワリーに第一線退却を知らせる。

 ヘロン高原の陣地は斜面に築かれているから、第二線は第一線よりやや高い位置にある。

 だが、第一線は目隠し的な土塁があり、第二線からでは敵の様子は良く見えない。


「直ぐに退却するだと?

 四千人のプレートメール?

 そんなの有り得るのか?」


 ブルグルは大慌てで部下に命令を下す。

 第一歩兵連隊は、第一線放棄後第三線に退却して再編成の予定である。

 つまり、実質的な最初の戦闘は第二歩兵連隊の担当になるわけだ。

 少なくとも三〇分は余裕があると見込んでいたのが直ぐに戦闘なのだから、慌てるのは分かる。


「正面からのクロスボウでは、無理ということか?」


「全身プレートメールに金属製の大盾ですからね。

 正面から通る攻撃は魔導砲ぐらいでしょう。

 あとは、軍司令部直属のロングボウを引っ張ってくるか」


「敵のプレートメールはどのような形だ?

 魔導防御の度合いは?」


「戦っていませんから全く不明です。

 ただ、あえてプレートメールにしているのですから、それなりの魔導強度は有るでしょう」


「通常型のプレートメールと考えれば、狙うのは下半身か。

 ここの陣地ならば、少なくとも片側は側面が取れる」


「それしかないでしょうね」


 一般的な鎧は上半身、特に胸部と頭部の装甲が厚い。

 前面より側面、後面が薄い。

 クロスハウゼン旅団他の第十一軍所属の新兵は大半がクロスボウ部隊だ。

 穴掘りとクロスボウの訓練しかしていない、白兵戦など全くできない部隊である。

 そして彼らの唯一の武器である粗製乱造のクロスボウは威力が低い。

 正面から大盾装備のプレートメールを抜くのはどう考えても不可能だ。

 盾を避けて側面から装甲の薄い部分を狙う。

 それでも攻撃が通るかは分からない。

 ただ、それしかないから、それでやってみるしかない。

 ブルグルもオレもそれは分かっている。


「あとは、魔導砲だな。

 期待しているぞ!」


「可能な限り頑張ります」


 ブルグルの顔は蒼白だ。

 ブルグルはクロスハウゼン・カラカーニーの庶子になる。

 蒼白になった顔は、肛門メイス騒ぎの時の閣下の顔を思い起こさせた。


 第一歩兵連隊の後退が開始されたのは、その直後だった。

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