05-21 ドロドロの現実を見つめる必要はある? (一)
あの事件から二日、捜査は進展していない。
政治中枢も麻痺したままで、スラウフ族歓迎の話も進んでいない。
自護院関係でも警備やら閲兵やら話は色々とあったのだが、全て止まっている。
ピールハンマドとネディーアール様とを取り持つ話も一時停止だ。
ピールハンマドはアーガー本家に入れず、未だに分家の小さな屋敷にいる。
怒り狂っているらしいが、・・・かかわらない方が良いだろう。
一方、宗主の容態はSGLT2と利尿剤、そして、食事制限でかなり改善した。
エディゲ宰相の方も、緊急性はなくなった。
この爺さんは、分かってはいたが、精神的にかなりタフだ。
貴族間のトラブルというか殺人事件は未だに、というかすんごく多いのだが、オレが必要とされることは少ない。
そんなことで、オレは施薬院待機から解放された。
一日一回は顔を出さねばならないし、居場所を報告しておく必要はあるが、取りあえずはフリーだ。
オレは個人的な仕事に戻っていた。
この日は、アフザル・フマーユーンとの会合である。
場所は、算用所のザイヌルを接待したレストラン。
食事も同じ、牛肉五キロ。
オレが接待する方というのも変わらない。
言っとくけど、牛肉って言ってもガチガチに硬いゴム草履、それを十枚ぐらい重ねたような代物だ。
だが、こちらの貴族にはやたらと好評。
従者は互いに一人。
内密の話が多いから、互いに人数を絞った。
オレはハトンを連れている。
ジャニベグ、アシックネール、スルターグナの三人は、情報収集のためカゲシン各地を回っている。
ここら辺は全てアシックネールの手配だ。
ブローニングの癖にやけに仕切るんだよな。
悔しいことに適切なので、文句も言えない。
更に、オレの財政迄仕切りだした。
オレは権僧都だが、収入は僧都どころかそこらの大僧都家よりも上だという。
軍人としては十六歳で代坊官、つまり少佐待遇だが、これは異例中の異例。
医者としては全金徽章で常任講師兼宗主侍医団所属。
このままだと数年で宗教系少僧正家よりも上になるだろうと。
実は、多分、現時点で超えている。
最も額が大きい高級医薬品代金はアシックネールに開示していないのだ。
それなのに使用人は数分の一。
金がたまる一方だ。
まあ、それでも使用人も増えたから、支出も増えている。
現実問題として、そこら辺を仕切ってもらうのは楽だ。
「この収入、下手に露見したら騒ぎになる額ですねー。
あと、十年ぐらいはひっそりと、暮らしましょう。
屋敷を大きくしたり、使用人を増やしたりするには、それを管理する人材も必要ですし」
アシックネールはハトンにそこら辺の指導を始め、ハトンは真剣にメモを取っている。
・・・まあ、楽でいいと思おう。
アフザルとの話、名目上は『シャイフ薬術便覧』、詳細の打ち合わせである。
昨日、正式承認された話の続きだ。
カゲシン施薬院にアフザル家は三つある。
大僧都家と僧都家と小僧都家である。
諸侯で言えば伯爵家、子爵家、男爵家。
三家合同で、施薬院アフザル教室を運営している。
施薬院では歴史ある大きな教室の一つ。
突出した才能は無いが、真面目に誠実に地道に仕事をすることで知られている。
『真面目で誠実』が選定の決め手と話すと、アフザル・フマーユーンは少しだけ嬉しそうな顔をした。
「うちは魔力量も少ないし、シャイフ教室のような派手さはないから、それしか取り柄が無いんだよ。
例外というか、鼻つまみ者はいるけどね」
一族が多いと、仕方がないよな。
オレがフマーユーンを実務担当に指名したのは、彼が施薬院同学年で、アフザル僧都家の跡取りであり、薬術便覧に当初から参加して、中心的役割を果たしていたからである。
シャイフ教室がアフザル教室と締結した内容だが、簡単に書くと以下のようになる。
最初の薬術便覧のフォーマットで、新しい情報に改定する。
作業は毎年行い、年に一回薬術便覧を発行する。
改定作業はアフザル教室が全面的に責任を持って行う。
初年度(二冊目)は、アフザル教室が改訂を行い、シャイフ教室が確認作業を行う。
出版経費はアフザル教室が負担する。
初年度の出版利益の内、五割をシャイフ教室の取り分、残り五割をアフザル教室の取り分とする。
初年度の改定が充分と判断された場合は次年度以降、題名を『シャイフ=アフザル薬術便覧』に変更する。
題名が改訂された以降は、出版利益の内、一割をシャイフ教室、九割をアフザル教室の取り分とする。
失敗した場合など細かな取り決めは有るが、大筋はこんな所である。
アフザル教室は大喜びだった。
「私は、この本の専属になると思う」
アフザル・フマーユーンは、にこやかな笑みで言った。
「やりがいのある仕事だと考えているよ」
確かにそうだ。
オレ自身は、根気が続かなくて、やってられないだろうが、こーゆー地味な仕事をする人は必要なのだ。
こーゆー人が社会を支えているのだと思う。
「それで、カゲシンの貴族について教えて欲しいってことだったね」
『薬術便覧』が一通り終わったところでアフザルの方から話を振って来た。
オレがアフザルをここに誘い、尚且つ、接待までしているのはこのためと言って良い。
「知っての通り、オレは平民出身で、貴族の基本知識がない。
宗主猊下や宰相閣下の治療に係ることになったが、貴族関係の情報に疎くてね。
それで、誰かに集中して教えて貰いたかったんだ。
シャイフ先生とかだと、建前だけの話になりがちだろ。
一般貴族の本音が知りたいんだよ」
これまで、貴族の上の方とは関係しない、したくも無かったのだが、現状ではそうも言ってられない。
自衛のためにもある程度の知識は必要なのだ。
「カンナギ殿とは今後も親しくしておきたいから、構わないよ。
いくらでも聞いてくれたまえ。
こんなに肉と酒を並べてくれたのもあるしね」
アフザルは早速、肉を頬張りながら機嫌よく答えた。
「まずは、今話題の宰相の話かな?」
「それも聞きたいけど、宗主と公子の話が先かな」
「えーと、どういう意味かな?」
一応、聞きたいことは考えては来ている。
オレは、メモをチラ見しながら質問する。
「そもそもの話なんだが、どうしてこの状況で、継嗣が決まっていないんだ?
宗主の健康が不安定で、息子が三人いて、うち二人は成人している。
それで、継承順位すら決まっていないのはなんなんだ?」
「ああー、そうか。確かに、外から見れば不思議だろうね」
太っちょ君は言われて気付いたと、うんうんと頷いている。
「万が一の時の継承が決まっていないわけでは無いんだよ。
現状では、宗主同母弟のフサイミール殿下が一時的に継承して、五年以内に宗主の息子の中から新宗主を選ぶって話だ」
「つまり、実質的には決まっていない」
「その通り。うーん、どこから話せばいいのかな」
アフザルは肉を食べるのを止めて考えだした。
彼が語った内容は予想以上に長く複雑だった。
現状、宗主には三人の息子がいる。
第四公子バャハーンギール殿下、第五公子シャーヤフヤー殿下、そして、第七公子シャールフ殿下の三人である。
良く分からん呼び名だが、それぞれ第四正夫人、第五正夫人、第七正夫人の息子という意味だという。
何でこんな風に呼ばれるかと言えば、三人とも、宗主の継嗣とは見做されていなかったからだ。
第一正夫人か第二正夫人の所に男子が生まれれば、その子供が宗主継嗣になるはずだった。
「歴史的な話としてカゲシン宗主は歴代、帝国内の七大諸侯から七人の正夫人を迎えてきた。
中でもトエナ公爵家とウィントップ公爵家の二つが特に勢力が強かった。
この二つの公爵家は同格とされている。
歴代宗主は、トエナ、ウィントップのどちらかを母としていた。
トエナ系宗主とウィントップ系宗主が交代しながら統治してきたのがカゲシンの歴史だ。
トエナ公爵家を母に持つ宗主はウィントップ公爵家の娘を第一正夫人に、トエナ公爵家の娘を第二正夫人にする。
ウィントップ公爵を母に持つ宗主の場合は逆になる。
第三正夫人以下の序列は変わらない」
「ここ一〇〇年以上、たまたま、トエナ系かウィントップ系の正夫人が男子を産んでいたから、統治が安定していたってことなんだな」
「たまたま、じゃないよ。
懸命に頑張って男子を確保していたんだ。
正夫人に生まれなければ、系列の側夫人って話だけど、十人以上も当たり前。
他の男性に嫁いで男子を産んでいた女性を離縁させて、側夫人に押し込んだ例もある」
宗主の側夫人には系列がある。
正夫人に男子が生まれない場合、正夫人が親族から女性を見繕って側夫人に入れる。
側夫人が男子を産んだら、紹介した正夫人の養子にするという。
これが系列の側夫人だ。
現宗主はトエナ系にもウィントップ系にも男子が生まれていない。
「宗主猊下の夜のお渡りは、十日のうち、トエナ系ウィントップ系それぞれ四日、残り二日が他の系列って噂だ。
トエナ系、ウィントップ系、それぞれ三〇人以上側夫人がいる。
お渡りの日に生理周期が良い女性を選んで寝所に入れるって話だよ」
それで、毎晩、励むってことか。
「何となく分かって来たが、宗主の健康状況は悪い。
三人も男子がいるんだ。
諦めて誰かを継嗣に決めた方がいいだろう。
今から男子が生まれても幼少で即位することになる。
完全に傀儡だ」
オレの意見にアフザルも嘆息する。
「客観的には、その通りだろうね。
でも、これまでの権力構造が崩壊する話だよ。
関係者は必死。
あと、今の宗主は子供が少ない。
三人も、じゃないよ、三人しか、なんだよ」
「でも現宗主も四人兄弟だよな」
変態求道宗主シャーラーン、
男一人愛同盟フサイミール、
反宰相でぶっちょクチュクンジ、
ネズミ男ユースフハーン、で四人だ。
「正夫人の息子だけで四人だよ。
前宗主には他に側夫人から三人、更に宗主の息子と名乗れない、母親が卑賎な男子が複数名いるらしい。
男子だけで十人を超えているんだ」
正夫人の子供だけで四人いるから、側夫人の子供を正夫人の養子にする必要が無かったという。
現在の宗主はかき集めて三人。
「現在の第四公子バャハーンギール殿下の生母は第四正夫人の使用人、小間使いだったと聞いている。
今は、側夫人になってるけどね。
宗主が戯れで相手をして、その一回で妊娠して男子を産んだって話だよ」
西漢の文帝みたいな話だな。
第四公子バャハーンギール殿下が成人したのは十五歳の時。
今から三年ちょっと前だ。
その少し前までは父親の宗主ですら、存在を知らなかったという。
母親の身分が低く、宗家の子を名乗るに不適当とされていたが、ゴルデッジ侯爵の引き立てで、第四正夫人が正式に養子に迎えて成人させたという。
「世間的には、いきなり公子が現れたって事か」
「そうだね。
急遽認知された公子だから、そのまま継嗣になると考えた人も多かったけど、そうはならなかった。
聞いた話では、宗主はゴルデッジ侯爵らの強い要望で認知はしたものの、少なくとも当時は継嗣にするつもりは無かったらしい。
第一正夫人か第二正夫人の所に、直ぐに男子が生まれると信じていた訳さ」
第四公子バャハーンギール殿下は公子の中では最年長だが微妙な扱いだという。
「成人した際に改名したいと要望したが宗主に断られたって話もあるんだ」
現宗主の名前は、シャーラーン。
第五公子はシャーヤフヤー、第七公子はシャールフ。
二人とも名づけは父親自身で、自身の名前にちなんでいる。
話題のアーガー・シャーフダグも宗主の名付けだ。
シャーフダグの父親と宗主は若いころは親友だったらしい。
「その所為か、第五公子のシャーヤフヤー殿下は彼を兄と認めていない。
年齢は上でも、『宗主の公子』をやっていた期間は自分の方が長い。
だから長男は自分だと主張している」
「第五公子にしてみれば、いきなり兄が出現したって話なんだな」
「第五公子がそんな態度だから、第四公子の方も面白くない。
二人の公子の関係は、控えめに言っても険悪だ。
公式の場では口もきかなければ目も合わせない」
しかし、第五公子が継嗣という話にもなっていない。
「宗主は、絶対にトエナ系かウィントップ系の公子を作る、作ってその子を継嗣にすると言い続けている。
過去に継嗣を決めた方がいいと進言した人もいたけど、みんな宗主の勘気を被っている。
後継者問題は公式の場ではタブーなんだよ」
結果として水面下の争いになっている。
最近の貴族襲撃合戦も後継者争いに関係していると思われるが、どちらが優勢なのかはアフザルでも良く分からない。
大半の貴族は公式にも非公式にも旗幟を明らかにしていないからだ。
そして、宗主継嗣が決定しない最大の要因はエディゲ宰相だという。
「この状況は、エディゲ宰相が作り出したんだからね」
アフザルに言われてオレも気が付いた。
エディゲ宰相一派には、この状況が良いのだ。
仮に、これからトエナ系かウィントップ系の公子が生まれたら、幼少で即位することになる。
そうなれば、宰相一派が権力を掌握できる。
新たな公子が生まれないならば、現宗主の死後に認定を引っ張った方がいい。
宰相の意向が選定に関与するから、新宗主は宰相に逆らい辛い。
「エディゲ宰相は宗主が子づくりに固執するのを妨げず、むしろ推奨している。
宗主が新公子誕生の望みを失わない限り、正式な継嗣認定は無い。
下手に継嗣が決まったら、三人の誰が成るにしても、エディゲ家が排除される可能性が出てくる」
道理で、中途半端な状況が続いているはずだ。
一連の話は五年前にエディゲ宰相が病に倒れてから始まったという。
第四公子が認知されたのは三年ちょっと前。
「第四公子バャハーンギール殿下、積極的に推したのは勿論、第四正夫人の実家であるゴルデッジ侯爵だけど、エディゲ宰相がそれを許容したのも事実なんだ。
それまでは、何かあったら第五公子というのが暗黙の了解だったからね」
第五公子シャーヤフヤー殿下と第七公子シャールフ殿下ならば、より高位の夫人の子供で年長のシャーヤフヤー殿下が跡継ぎだろう。
「五年前の宰相の病気の時、クテンゲカイ侯爵は、表立っては宰相の嫡子エディゲ・ムバーリズッディーン殿を推したが、裏では自分と懇意なナーディル・アッバースリーを擁立しようとしたんだ。
これがエディゲ家に露見した。
ムバーリズッディーン殿は激怒したらしい。
次の宗主はシャールフ殿下という話を流し、更にナーディル師団のライバルであるクロスハウゼン師団のカラカーニー殿を宰相という話を流した。
結局はエディゲ・アドッラティーフ宰相が持ち直したから話は有耶無耶になったけど、エディゲ家と第五公子及びクテンゲカイ家との間はひびが入った。
エディゲ家が第四公子バャハーンギール殿下を許容したのは、クテンゲカイ家に対する恫喝なんだ」
「だが、その割には、現在、ゴルデッジ侯爵とエディゲ家は仲がよろしくないように見えるが。
事件の前の演説合戦は聞いているのだろう?」
「うん、聞いてるよ」
太っちょ君はワイングラスを一気に空ける。
「第四公子とゴルデッジ家にとっては、エディゲ家は裏切者なんだよ」
ゴルデッジ侯爵は第四公子の認知から、改名、継嗣指名までがセットと考えていたという。
結構な運動費を掛けたようで、確かに、単なる公子ではうまみは少ないだろう。
だが、エディゲ宰相にはそんな気は毛頭なかった。
「クテンゲカイ家の勢力が衰退するのはいいが、ゴルデッジ家の勢力が取って代わるんじゃ意味がないよな」
「その通り。
ゴルデッジ侯爵家やベーグム家がニクスズ派に入信したのもエディゲ家に媚びを売るためと聞いてる。
そこまでしたのに、ってことさ」
エディゲ宰相からすれば、公子として認知しただけでも恩に着ろという事だろうが、ゴルデッジ家はそれでは満足できないのだろう。
まとめると、現在の継嗣未定という情勢は、宗主自身とエディゲ家が望んだもの。
現実問題として、次の宗主は現在の子供の誰かだが、誰になるかは全く定まっていない。
「だが、情勢は変わった。変わっちゃったね」
「やはり、ムバーリズッディーンの損失は大きいか」
アフザルは大きく頷いた。
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