05-20 一期一会

 千日行達成祝賀会の事件はカゲシンを震撼させた。

 ムバーリズッディーンはエディゲ・アドッラティーフ帝国宰相の嫡子で、その筆頭補佐官だった。

 仕事の大半を彼が切りまわしていたという。

 シャーラーン宗主猊下は回復傾向だが入院中であり、アドッラティーフ宰相も精神的ストレスによる急性心不全で入院。

 宰相も命に別状は無いが、数日は入院を要する。

 カゲシンの政治機構はほぼストップした。

 実行犯とその父親は収監されているが、事件の捜査は引き続き行われている。

 極めて政治的な案件だから、背後関係は徹底的に調べるという。


 主犯の取り扱いも面倒だ。


「アーガー・シャーフダグとその父親を厳罰に処せばいい、という単純な話にはならぬ」


 捜査の一員であるライデクラート隊長は、微妙な表情を見せた。


「僧正家の当主が、もう一つの僧正家の継嗣を殺した大事件だ。

 犯人は斬首で家は取り潰し、あるいは爵位を二段階落として分家に継がせるぐらいが相場だろう。

 だが、二段階降格だと、アーガー・ピールハンマドは僧正家ではなく大僧都家を継ぐ形になる。

 取り潰しだと僧都家のままだ」


「千日行を達成したピールハンマドでも大僧都家、僧都家では帝国宰相になれないって事ですか?」


 公爵家を継ぐはずが伯爵家や子爵家では大きく違う。


「千日行達成者で祖先が宗家に繋がる血筋だから、・・・無理とは言えぬが、二〇年ぐらい必要だろう。

 どう考えてもエディゲ宰相の寿命が先に来る」


 予定だと、二年ぐらいで僧正にする話だった。


「法律上、罪を『過失致死』にして、当主交代だけで収めることも可能だ。

 その場合は僧正家のままピールハンマドが当主になれる。

 だが、この場合はシャーフダグに大きな罪は問えぬ」


「それだと、エディゲ宰相もピールハンマドも納得できないでしょうね」


「それ以前に、公的な祝賀会で剣を抜いて政府高官を切り殺した馬鹿を厳罰としない先例を作ることなどできん」


 エディゲ宰相とピールハンマドにとっては、にっちもさっちも行かない状況だな。

 ゴルデッジ侯爵他には願っても無い展開か。

 事件の黒幕っているのかね?

 いたとしても想定外の結果だと思うが。


「主犯の取り扱いが決まらねば、それ以下の処罰も決まらぬ。

 騒ぎを起こす馬鹿も収まらぬ」


 昨日の事件は治安面にも影響していた。

 昨日から本日朝までに発生した貴族の殺害事件は十七件。


「エディゲ宰相の派閥を潰したい者、それに対抗する者、騒ぎに乗じて政敵を始末しようとする者、何がどうなっているのかさっぱりだ」


 ライデクラート隊長は憂鬱そうだった。




 そんなことでオレは翌日朝から施薬院に詰めていた。

 ただ、意外とやることは少ない。

 宗主も、宰相も、基本、経過観察である。

 貴族の殺害事件は、被害者の大半が死んでいるから、これまた、やることは少ない。

 生き残った者は逆に元気だから、若い者で対応できる。

 つまり、オレに回ってくる症例は少ない。

 いや、オレ、若いって言えば若いけど、中身アラフォーだからね。

 それでも、何かあったら困るのと、捜査関係者が意見を求めてくるので、施薬院から出られない。

 暇、というほどでもないが、手持無沙汰。


 それで、本日はシャイフ教室にゲストをお招きした。

 アフザル権少僧正、施薬院に三つあるアフザル家の重鎮である。

 シャイフの前の主席医療魔導士でもあり、御年六〇を超え、七〇に近いという。

 カナンの人族では、滅多にいない高齢だ。

 既に家督は息子に譲っているが、実質的な権限は手放していないらしい。

 付き添いはオレにも馴染みの太っちょことアフザル・フマーユーン。

 フマーユーンからみると権少僧正は大伯父に当たるという。


 オレが百日行中に書いた『シャイフ基礎医学概論』は、シャイフ、バフシュに好評だった。

 基礎医学分野、解剖、組織、生理、病理、薬理辺りのダイジェスト本だが、レトコウ紛争出征中に書いたことになっている。

 余談だが、カゲシン施薬院では寄生虫学は臨床部門の、それもかなり大きな部門になっている。


「変な精霊とか、精霊の恩恵とか、精霊の宥め方とか、どーでもいいのが一切書かれてないのがスゲー。

 純粋に医学的なことだけなら、一冊にまとめられるんだな。

 これを百日行達成者が書いたってーのがスゲーよ」


 バフシュはそう言って感嘆していた。

 宗教的な話を排除したことにシャイフは『政治上』の懸念を示したが、その辺りはシャイフ自身に序文を書いてもらう事になった。

 彼も百日行達成者だが、医療業務に宗教を持ち込まない人だよね。

 そんなことで、シャイフ教室として二冊目のダイジェスト本が出ることになったが、ここで一冊目の『シャイフ薬術便覧』の話になった。


 薬術便覧はおかげさまで大好評だ。

 既に何度も増刷しており、シャイフ教室に、そして、オレ個人にも原稿料が大量に入っている。

 ただ、それ故に面倒も多い。

 更に、出版したばかりなのに、既に増補と改定の要望が多いらしい。

 これまた、面倒な話である。

 薬種の新たな産地の追加に、産出しなくなった産地の抹消、地域名の追加、使用法の追加、等々ひたすら細かい項目を改定していく、単なる作業だからだ。

 オレもシャイフもやりたくないし、バフシュは最初からやる気すら見せない。

 これは、百日行の最中からの話だったが、朗報が有った。

 作業に協力したいという教室が多数現れたのである。


「もう、いっそ、作業を全て任せて、利権も渡しても良いかもしれませんね」


「ならばアフザルのところが良かろう。

 才能には乏しいが真面目で誠実な者が多数いる」


 シャイフも結構、辛らつだ。

 結局、話はその方向で進めることになった。

 出版中、出版予定の本、全てをシャイフ教室で抱え込むのは不可能だし、出版利権と権威を独り占めするのはやっかみも大きい。

 そして本日、その最終締結でアフザルの御大が足を運んできたわけである。


「その者が、実務を担当したというのか?」


「カンナギと申します。施薬院常任講師を務めております」


 殊勝に挨拶すると、御大が目を細めた。


「落ち着いた良い男だな。

 シャイフ殿も良い弟子を得た。

 昨今は礼儀を弁えぬものが少なくない」


 何故か、御大の視線がバフシュ・アフルーズに向かう。

 バフシュ自身はあからさまに馬鹿にした態度だ。

 まあ、この人、何時もこうなんだけどね。


「其方、一期一会という言葉は知っているか?」


「この出会いが生涯で最後の出会いと考えて懸命に尽くせ、という意味と聞いております」


「うむ、この年になると、常に一期一会よ。心して励むが良い」


 細かな打ち合わせはオレとフマーユーンが担当することになりアフザル一行は去って行った。




「話は変わるが、其方の高級医薬品講義からシャハーン・アウラングセーブが脱走したと報告にあったが、どういうことなのだ?」


 御大の退出後、シャイフが徐に話を始めた。

 礼儀を弁えないって話で思い出したのかな。


「そのままです。他の受講者と折り合いが悪く、勝手に怒って出て行ってしまいました」


 シャイフが微妙な顔になる。


「スルターグナ、其方もいたのであろう。どうだったのだ?」


 本日のオレの従者だが、八九式とブローニングは情報収集のため各地に散っている。

 オレに付いているのは、ハトンとアホ毛ロリ女のルカイヤ・スルターグナである。


 スルターグナだが、昨日、帰ったら家にいた。

 タージョッがオレの家の一室を勝手に占拠して私物を持ち込んでいたのだが、スルターグナはそれを部屋ごと譲り受けたらしい。

 更に、それだけでなく、今日からここに住むと宣言してくれた。

 昨日の騒ぎの後では追い出す気力も無く、放置したのだが、・・・そのまま、ヤッてるベッドに潜り込み、朝になったら従者として付いてきてしまった。

 こいつ、行動力あり過ぎだろう。

 困ったことに施薬院では先輩だから、内部事情には通じている。

 シャイフの孫だから、シャイフ教室の面々に咎められることも無く、当たり前の顔をしてこの場にいる。

 どーすんだ、これ?

 しかし、シャイフの前では追い出すこともできない、・・・まあ、追々考えよう。


「喧嘩になったのは主としてクテン・ジャニベグさんですね。

 あと、アスカリ・アブルハイル殿とタージョッ、かな。

 本人も、とっても、プライドが高くて、年下のキョウスケさんに教わるのは耐えられないって感じで。

 講義の後で少し話したんですけど、自分はバフシュ先生の一番弟子だから、キョウスケさんに習う必要は無いって言ってました」


 アホ毛の報告に、全員の目がバフシュに集まる。


「おい、ちょっと待て。話が全く見えんぞ」


 バフシュが戸惑う。


「まず、そのシャハーン・アウラングセーブだが、クテン系貴族のシャハーン伯爵家の三男坊のアウラングセーブのことか?」


「恐らく」


「あいつ、自護院だって聞いたぞ」


「施薬院にも入ってるんですよ」


「いや、いや、いや、施薬院入講試験に受かってたら、最低限の医療知識はあるだろ。

 あいつ、医学の基礎も何もないぞ。

 下級の医療呪文をいくつかコレクションしてるだけだ」


 念のため書いておくが、バフシュ・アフルーズは、不道徳で、不謹慎、無節操で、穴があったら突っ込むのが男の定めと豪語する、信仰心どころか道徳の欠片もない男ではあるが、医学に関してだけは真摯なのである。

 真面目に勉強していて、最新医学知識に貪欲で、後輩を育てるのにも熱心だ。

 つーか、バフシュ、シャハーンが施薬院に入ってたの知らんかったんかい!


「山奥の五〇人ぐらいの村なら、かろうじて医者として通じるかもしれん。

 そんな奴が、何で施薬院に入って、高級医薬品の講義に入ってんだ?」


「そうは言うが、改定された施薬院入講試験に合格している」


 シャイフが訝し気な顔になる。

 施薬院入講試験はシャイフが内容を精査して、旧態依然の過去問使い回しを排除した経緯がある。


「改定された内容で合格したのだから、一定の学力・医療知識はあるはずだ。

 そして、彼は魔力量が多い。

 名門の出身でもある。

 高級医薬品に適した人材だろう」


 シャハーンは自護院では正魔導士らしい。

 自護院魔導士としては並だが、施薬院では上位だ。


「あいつが、施薬院に入ったとしたら、裏口だろうな」


 シャイフの言葉にバフシュが即答する。


「口頭試問すれば一発で分かる」


「そう言えば、ジャニベグさんがそれらしき事を言ってました」


 バフシュにスルターグナが口添えし、シャイフは頭を抱えた。


「それより、あいつがオレの一番弟子って、まさか、本人が言ってんのか?」


「私も聞きました。施薬院上級講師バフシュ・アフルーズの一番弟子だと」


 オレの返答に、バフシュも頭を抱える。


「あいつ、何、勝手に名乗ってんだよ!

 俺はアイツと仕事した事なんかねーぞ!」


「そんなことよりも、入講試験を再度見直さねばならん」


 シャイフはブツブツと呟きながら部屋を出て行った。

 ちなみに、部屋を出ていく前に、『シャイフ基礎医学概論』出版許可と序文執筆は正式に取り付けた。




「シャハーンの野郎、俺の顔に泥を塗りやがって」


 シャイフが去ってもバフシュは怒りが収まらない。

 バフシュの顔なんて、カンブリア紀から泥まみれだと思うのだが。


「決めた、次のブンガブンガにはあいつは連れて行かねぇ!」


 それが、罰なのか?

 罰なんだろうな。


「キョウスケ、代わりって訳じゃねーが、お前来ないか?

 某内公女殿下が主催するブンガブンガがあるんだ」


「いえ、別に行きたくないです」


「内公女主催、つまり、内公女とヤレるチャンスなんだぞ」


「その、内公女殿下ですが、ガートなんとか様でしょうか?」


「おう、ガートゥメン様だ。知ってるのか?」


 やっぱり、ピールハンマドのお相手か。


「その方、丸太のように動かず、締まりも悪いとか、聞いたんですが?」


「・・・それ、誰に聞いたんだ?」


「某フサイミール閣下から」


 祝賀会のど真ん中で言ってたよ。


「あー、閣下ね」


「経験百人達成記念でブンガブンガを開催して一夜で経験人数を倍にしたとか」


「それはデマだな」


 したり顔で訂正された。


「一日で百人なんて、できるわけねーだろ。

 百人達成記念ブンガブンガは五日間あったんだ。

 一日では二〇人ほどだ。

 お前、常識ねーな」


 そうね、そーゆー世界には疎いから。


「常識は分りませんが、そのような過度に経験豊かな上に、テクニックも何もない方とは関係したくないんですが」


「そういや、お前、ジャニベグが好みなんだよな。

 確かに、ありゃぁ、いい女だ。

『穴』としては極上、体全体もテクニックもトップクラスだ。

 そうか、お前は、実質主義者なんだな」


 ちょっと待て、ジャニベグが好みって、・・・いや、その前に、オレって、バフシュとも穴兄弟なのか?

 ・・・・・・・深く考えるのは止めよう。


「だがなぁ、それでも内公女とヤレる機会は滅多にないんだぞ。

 一回、ヤッとけば内公女とヤッた男って勲章が手に入る」


 その勲章、どこで使うんだ?


「その内公女殿下、近々、結婚するからブンガブンガは辞めるって話を聞きましたが?」


「おう、詳しいな。

 何でも、爺さんのトエナ公爵から止められたって話だ。

 それで、『ヤリ納』のブンガブンガなんだ」


『ヤリ納』って、・・・さぞかし公爵も頭が痛いだろう。


「どうだ、内公女だけでなく、その友人の上級貴族令嬢もたくさん来るんだぞ。

 特製の媚薬もたっぷりだ」


 そんな、ビッチビッチ、シャブシャブ、ラリラリラーな集会にでたら、ピールハンマドに一生敵と認定されるだろう。

 いや、その前に、色々と終わりそうだが。


「あのなぁ、キョウスケ。

 さっきのジジイも言ってただろ。

 女はヤレる時にヤッとけって。

『一期一会』だって」


「違います」


 どこをどーとったらそーゆー意味になるんだよ。


「だからー、今ここにいる女とは二度とできんかもしれんから、ヤレる時に精一杯ヤッとけって。

 一期一会って、そーゆー意味だぞ」


 ・・・あれ、・・・意外と間違っていない、・・・・・・のかな、・・・・・・いや、待て、しばし。

 オレ、バフシュに毒されてるな。

 やはり、距離を取るべきだろう。

 それも、早急に!


「あ、そろそろ、タイジとタージョッに勉強を教える時間のようです。

 それでは、私はこれで」


 立ち上がって、会議室を出ようとしたら、バフシュに肩を掴まれた。


「キョウスケ、ちょっと待て。逃げるこたぁーねーじゃないか」


「タイジたちの勉強を見ているのは本当ですよ」


「あのな、・・・頼む」


「・・・・・・何ですか?」


「実は、お前を連れて来るようにって、ガートゥメン様から頼まれてるんだ」


「私は、その殿下とは全く面識は有りませんよ」


「ジャニベグの奴が、あちこちで、『キョウスケは男として極めて高性能だ』って、吹聴してんだよ。

 それで、ガートゥメン様が興味を示して、是非とも連れて来いって言っててだなぁ」


「・・・・・・何か、見返りを提示されましたね?」


 露骨に目を逸らす、三十八歳上級医療魔導士。


「では、オレは、これで」


「待て、分かった。

 白綿毛モフモフの小型ネコ系牙族奴隷、一人はお前に回そうじゃねーか!

 それで、どうだ!」


 白綿毛モフモフの小型ネコ系牙族奴隷、ですと!


「小さいのに、牙族らしく筋肉もバッチリある。モフモフ筋肉だ!」


「いりません!」


 どーして、みんな筋肉に拘るんだ?

 バフシュは勉強部屋まで追いすがって来たが、タージョッに追い払われてスゴスゴと去って行ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る